6.瀕死状態で挑む勝負
海人が何よりも苦手としている勉強と向き合ってから七日後。
ついに試験という名の強大な敵と相対する日となった。
「おーっす! 海人、調子はどうだ?」
教室に入ってすぐ。声を掛けて肩を組んできたのは猿渡であった。
彼も海人と同様に勉強はあまり得意ではない筈だが、朝っぱらからテンションは高く、試験を全く恐れていないようである。
それはこの一週間、ヒーロー研究部の部員達が一丸となって試験勉強に取り組んだ結果であり、学力だけではなく自信も身についたようだ。
「ん? どうした、海人。そんな暗い顔をしやがって」
「だ、大丈夫だ……っ。問題……ない……っ」
戦う前から瀕死の状態と言って良いのか。
海人の表情は硬く、浮かべた笑みはぎこちない。
昨日の勉強会の最後にもう一度模擬テストを行ったのだが、その時の海人の成績はそこまで悪くはなかった。
ケアレスミスさえしなければ赤点は取らないだろうという所まできたのだが、当人は未だに不安を抱えているようだ。
そんな状態を知らないでいるのだろう。
猿渡は海人の目の前で手を振り、正気であるかと確認を取ろうとしているが、真帆が間に入って彼を止めた。
「猿渡君。今はそっとしておいてあげて」
「占部……。何かあったのか?」
「いや、ただ単に頭の中に詰め込んだものがこぼれてしまわないように必死なのよ」
「ああ、成程な……」
海人はこれまでに覚えた事を忘れぬよう、外界との交流を遮断しているようだ。
その様子を呆れつつも温かい目で見守っていた真帆達だが、そこに空気が読めない者が乱入してきた。
「おっはよー! 海人君。昨日はよく眠れた~?」
「も、桃子……っ!?」
勢いよく扉を開けて一直線に向かってきた桃子は、朝から激しい抱擁をする。
まるで縫いぐるみを抱きしめるようにして頬をすり寄せているが、海人の頭は桃子の胸元に埋まっていた。
男性陣にとっては羨ましいことこの上ない状況であって、クラス中の男子生徒は羨望の眼差しどころか、恨めしそうな目線を送ってくる。
特に猿渡は憤死しそうな勢いで、それでも彼には止めに入る勇気はないようで、涙を呑んでいた。
「ちょっと桃子! 朝っぱらから何をやっているのよ!!」
「えぇ? 何って、勉強に疲れた海人君を癒してあげているんだよ~」
「そんな事をしていたらせっかく覚えた内容も吹き飛んでしまうでしょう!」
「え~?! 海人君なら大丈夫だよね~」
「つべこべ言わずに海人から離れなさいよ!」
「ああ~、成程成程。真帆ちゃんにはこんな事出来ないから僻んでいるのね」
「な……っ!! なんですって……!?」
テスト前とあって皆は追い込みをかけており、教室内は何時もより静かであったが、桃子と真帆によって一気に喧しくなってしまう。
普通ならば皆は集中が途切れてしまったと腹を立てる所だが、このクラスにとっては見慣れた光景なのだろう。
寧ろ緊張が解れたと、結果的には良かったようで、ヤジを飛ばして参加する者達まで出てくる。
その一方で騒動に巻き込まれたくはないと、遠巻きに見ているのは雉岡と犬飼で、彼らは肩を竦めさせて溜息を吐いていた。
「あ、あの、お二人を止めなくていいんですか?」
「気にしなくとも良いのですよ、アーシャさん。こうなってしまえば誰にも止められませんし……」
「もうすぐ予鈴が鳴るから大丈夫だろう」
犬飼の言う通り、程なくして予鈴が鳴り、間を開けずに担任教師が入ってくる。
真帆も桃子も全く周りが見えていないようであったが、担任教師を無視してまで言い争いを続ける気はないようだ。
二人は視線で火花を散らすのを止めて席に着くが、残された海人は茫然としていた。
「おい竜堂。大丈夫なのか?」
「だいじょ……ばないです……」
「そうかそうか。取り敢えず席に着こうか」
「はい……」
フラフラとした足取りで席に着く海人。
やってしまったと真帆と桃子は内心反省するも、今となってはどうしようもない。
敵は待ってなどくれないのだから、どんな状態であれ立ち向かうしかなかった。
HRが終わり、短い休憩時間を挟んでいよいよ試験へ。
教室は静まり返り、紙をめくる音や筆記用具が空欄を埋める音だけが響いている。
回答欄を全て埋めて一からミスが無いか見直す者。途中で躓いて先に進めない者。残り時間、机に伏して睡眠をとる者。
皆それぞれ違った方法でテストを受けるが、チャイムが鳴ると緊張の糸が途切れたようで、誰もが気を緩めた表情をしている。
一つの教科が終わり、ホッとするのも束の間。
余裕のない者は短い休憩の間に次の教科の内容をできるだけ頭に詰め込み、余裕がある者は先程のテストの解答を友人同士で確かめあっていた。
そうこうしている内に次の教科の試験時間へ。
緊張と緩慢な時間を繰り返し、長いようで短い一日目が終わる。
三教科のテストを終え、真帆は申し訳なさそうな顔をしながら海人の席へと近づいた、
「海人。さっきは五月蠅くしてごめんなさい。その……テストはどうだった?」
「……」
「……海人?」
じっと机を見つめたまま顔を上げない海人。
遅れて集まった皆も心配そうにしており、恐る恐る声を掛けるが返事はない。
屍のように固まってしまった海人を前にし、流石に悪い事をしてしまったと桃子は自覚したのだろう。
彼女は涙目になりながらこれまでの事を謝ろうとした。
「か、海人君、ゴメンね。ちょっと調子に乗り過ぎたよね……。でもでも、これまで一生懸命やってきたんだし、そんなに悲観する事は――――」
「いや……、そうじゃないんだ……」
「え……っ? か、海人君……?」
ポツリと呟きフルフルと肩を震わせる海人。
彼は絶望に打ちひしがれているのかと思いきや、どうやらそうでもないらしい。
顔を上げた彼の表情は晴れやかであって、気味が悪いくらいの笑みを讃えていた。
「勉強していた所がテストに出ていたんだ……!」
「そ、そうなの?」
「ああ。恐ろしいくらいにスラスラと解けてな」
「良かったじゃない……! これで追試は回避できるね!」
海人と桃子は嬉しそうに笑い合いながら浮かれており、既に勝ったつもりでいるようだ。
素直なアレイシヤと犬飼も良かったと一緒になって喜ぶが、猿渡と雉岡と真帆は疑惑の目線を向けている。
「おい海人。それって一番ダメなパターンじゃ……」
「確実にフラグを立てていますね。……悪い意味で」
「いやいや、本当に良くできたんだってば。そう言うなら雉岡はともかく、猿渡はどうなんだよ」
「おれはまぁ……ぼちぼち、か」
「そうか……。もしかすると、俺の方が良い点かもしれないな」
「おいおい。まさかそんな事がある訳ねぇだろう」
これまでの廃人寸前であった海人はどこへ行ったのか。
すっかりと調子に乗っている海人を前にして皆はどう扱ってよいのか戸惑うばかりでいるが、一人だけ冷静な真帆は問題用紙を手にして問い掛ける。
「海人。数学の五問目の答えは?」
「ん? ちょっと待ってくれ。ええっと、問い五は――――」
時間に余裕があればと、問題用紙に答えを記入していた一同。
海人が自信満々に答えた回答に対し、皆は自分達の問題用紙を慌てて見直し、そして目を丸くする。
そして問い掛けた真帆はというと、やれやれと肩を竦めさせて溜息を吐いた。
「あれ……? もしかして俺は間違えて――――」
「もしかしなくともよ」
「……」
急速冷凍されたかのように固まる海人。
皆は海人を憐れみ同情するが、真帆は甘やかしなどしない。
「テストは明日もあるのよ。今日も午後からみっちりと勉強しましょうね」
真帆は優しい笑みを浮かべているが、目は笑ってなどいない。
それはこれまで以上に厳しい教育が必要だという表れで、容赦などする筈もないことが分かる。
彼女の様子を目の当たりにした皆は短く悲鳴を上げて後退っていた。
真帆によるスパルタ教育が施されてから一夜明け、海人は試験の二日目を迎える。
昨日調子に乗った後に打ちのめされて懲りたのか、テストを終えた海人は気が気でないようで、落ち着かない様子であった。
「ここまでくれば後はどうしようもないのだから、どんと構えていなさいよ」
「そう簡単に言うけどさ、やっぱり気になるだろう?」
「それじゃ、追試に向けての準備でもする?」
「頼むから勘弁してくれ……」
諦めがついたのか、海人は嘆くのを止めて机に突っ伏している。
これまでの勉強漬けで溜まった疲労を癒すよう、机に身を預けて一休みしていた海人だが、耳に届いた言葉にピクリと反応する。
彼の傍で皆に問い掛けているのは桃子であった。
「それで、この後はどうするの? 私としては~、テストでお疲れさまでしたの打ち上げをしたいんだけど」
桃子の言う通り、テスト最終日の午後からは授業もなく、自由に過ごせる。
他のクラスメイトも桃子の提案と同じように、カラオケやファミレスなどで気晴らしをする者が多いようで、これからどうするかを話し合っていたり、早くも教室を出て行ったりもしている。
遊びに繰り出す者が大多数であるが、部活動も再開されるようで、熱心な部は昼食後に部活に励むようだ。
「取り敢えず何処かでお昼ご飯を食べて~、それから――――」
桃子は遊ぶ気満々であるが、勢いよく立ち上がって意見を述べる者が居た。
「それから部活だな!」
「か、海人君……?」
「どうせ赤点になって追試地獄を迎えるなら、今のうちに出来るだけ部活動をしておこうと思うんだ」
「海人君……。やっぱりそう来るよね~」
桃子はこの展開を予想していたようで、がっくりと肩を落としている。
呆れ返りつつも彼女は海人の意見に反対しなかったが、お昼ご飯だけは譲れないと言い、皆は一緒にファミレスに向かう事となった。
教室を出た一行は昇降口へ。靴を履き替えて校舎を出る。
「あ、あの、マホさん」
「どうしたの、アーシャちゃん」
「これから行く場所は『ふぁみれす』……ですか?」
「そう言えば、アーシャちゃんは初めて行くのだったわよね」
「は、はい……!」
ファミリー向けのレストランと言うが、訪れる客は様々であって、学生達であったり、主婦仲間であったり、老夫婦などの幅広い年齢の客層である。
提供される料理は時間短縮とコストカットの為か、ある程度工場で調理された物を使用しており、手が込んではいないように思われるが、味の方は安定しており、季節ごとのメニューなども充実していた。
「季節の果物を扱ったスイーツなんかもあるのよ」
「スイーツ……! 甘いもの……」
「今の時期なら苺フェアをやっているわよ」
「イチゴ……! 甘酸っぱくて美味しいですよね……!」
沢山の甘い物を思い浮かべ、ワクワクとしているアレイシヤ。
その様子は彼女の見た目に相応しいものであって、愛らしい姿に皆は和やかな空気に包まれる。
皆に見守られて足取り軽く歩いていたアレイシヤだが、彼女はふと何かに気が付き歩みを止めて不安そうな顔をした。
「あ、で、でも……。私は居候の身であって、贅沢な事は……」
アレイシヤが竜堂家に居候してからほぼひと月。
彼女はいまだに遠慮をしているようで、普段からも積極的に何かを欲しいとは言わないのであった。
「アーシャ。気にする事はないんだぞ。ファミレスならそんなに高くつかないし」
「で、でも……」
「そうだ……! テスト勉強に付き合ってくれたお礼って事でどうだ?」
「そ、そんな……! 私は大したことは――――」
「そんな事ないぜ。アーシャのお蔭で何とか乗り切れたんだ」
そう言って海人はニッと笑みを浮かべるが、アレイシヤはまだ彼の言葉に甘えられないようだ。
彼女は首を横に振って辞退しようとするも、二人の間に入ってきた者によって遮られてしまった。
「海人君。それを言うなら、私のお蔭でもあるんだけどなぁ~」
「も、勿論。桃子にも感謝しているさ」
「そう? だったら私には何をしてくれるのかな~」
「な、何って……」
「うーん……。どうしよっかなぁ~」
目をギラギラと光らせて迫る桃子と追い詰められていく海人。
可愛い女の子に迫られて普通ならば喜ぶところであるが、海人にとってはマズい展開らしい。
猿渡はまたもや悔しさを表情で全開に表わしているが、真帆は冷ややかな目線を向けている。
彼女は馬鹿馬鹿しいやり取りであると呆れているのか、アレイシヤの肩を掴んで先に進むよう促す。
「マ、マホさん。良いんですか? カイトさんを助けなくて……」
「良いのよ。それよりも早く美味しいものを食べに行きましょう。……海人の奢りでね」
「え……っ。えぇ……!?」
海人と桃子。ついでに猿渡も放置し、先に進む真帆達。
アレイシヤは困惑しているようだが、真帆の手を振り払う事は出来ないのだろう。
そのまま彼女は校門付近まで歩いていたが、ピタリと歩みを止めてしまった。
「どうしたの? アーシャちゃん。海人達の事なら気にしなくても――――」
「ち、違うんです……っ!」
青ざめた表情のアレイシヤが鞄から取り出したのは装飾が施された水晶で、それは光を帯びて高い音を辺りに響かせる。
水晶が知らせたのは魔導装具の反応で、つまりは敵の襲来を予告したのであった。




