3.桜舞う季節に
少しばかりまだ冷たさが残る風が吹きつけ、満開に咲いた桜が花びらを散らす季節。
花びらの絨毯を歩いていた少女は、隣を歩く少年の顔を覗き込む。
「ねぇ海人。進路は決まったの?」
少年……竜堂海人の手には進路希望を記入する為の用紙があった。
中学三年生の彼は進路を選択しなければならない時期であって、けれどもまだ実感が無いのだろう。
海人は苦い顔をして用紙を折りたたんで鞄に仕舞い込み、後ろ頭を掻きながら溜息を吐いた。
「真帆は何処にするんだ?」
「え? えっと、私もまだ決めていないかな」
「そっか! そうだよな~。進路なんてどうすれば良いかまだ分からないよな~」
悩んでいるのは自分だけでないと気付き、海人はホッとしたようで笑みを浮かべたが、すぐにある事に気が付いて肩を落とした。
「ど、どうしたの? 急に黙り込んで……」
「いや、よく考えたら真帆と比べて俺にはあまり選択肢が無いなぁ……ってな」
「あ……」
海人が勉強を苦手としているのは昔からで、そんな彼は当然として進める学校が少ない。
一方で真帆はこのころから優秀で、どの学校でも余裕で入れるくらいであった。
陽気な日差しにそぐわないどんよりとした空気を纏った海人は、足取り重くトボトボと歩く。
隣に居た真帆はどうにか海人を励まそうとするも、海人の学力は絶望的で、下手な慰めは意味がないと口を出せずにいた。
えも言えぬ空気のまま二人で帰り道を真っ直ぐに辿っていたが、途中で海人はピタリと歩みを止めて茫然とする。
「急に立ち止まって……。何かあったの?」
「……見つ、けた」
俯きがちであった海人が顔を上げて見つめた先。
そこには舞い散る桜を背景に佇む赤毛の女性の姿が在った。
美しい桜に負けず劣らずどころか、引き立たせるためのものにまでしてしまう位に美しい女性。
彼女は男女分け隔てなく息を呑むほどの容姿であるが、海人はただ美しさに見惚れて呆けているだけではないようだ。
「…………レイア」
海人は小さく女性の名を呟いた。
「おい待てよ。それってもしかして――――」
「貴方達の想像の通り。その時見かけた女性はこの学校の生徒会長、姫条玲緒奈先輩よ」
女性の特徴から予想はしていたようだが、一同は驚き声を上げた。
玲緒奈ほどの美貌の持ち主ならば、すれ違った瞬間に一目惚れをしてしまい、同じ学校に通おうと努力するのも頷ける。
けれども海人がそのような軽薄な動機で進路を選ぶのかと疑問が残るようだ。
「あの海人がねぇ……。同じ男として分からなくもないが、何つーか……」
「竜堂氏らしくはないですね」
猿渡達は首を傾げているようだが、一人だけ疑問を抱いていない者が。
先程は皆と共に驚いた顔をしていたが、どこか納得したように、腑に落ちたようであるのは桃子であった。
「ふーん。成程ね~」
「桃子。もしかして知っていたの?」
「知っていたというのかどうなのか、微妙なところだけど……。実はこの間行った遊園地でね――――」
桃子が遊園地で見たもの。
敵の幻術ではあったが、それは幼い頃の海人が出会った少女であって、彼にとっては大切な想い出であり、贖罪の念を抱く相手でもある。
その少女の姿は燃えるような赤い髪であって、彼女が成長した姿を想像すると玲緒奈に似ているようでもあると桃子は述べるが、一つ気になる点もあるようだ。
「確か、海人君はその子の事をレイアって呼んでいたような気がするんだけど」
「レイア? 玲緒奈とレイア。似ているような気もしない訳じゃないが……」
「幼少期ならば愛称などで正確な名前を知らずにいたという事も考えられますが」
「ふむ。成程な……」
雉岡の言葉に納得する猿渡と犬飼。
これで海人が進学先を決めた理由が分かったようだが、その理由を良しとしない者が居た。
「……何にせよ、海人君の目当ては姫条先輩だったのね」
ニッコリと笑顔を浮かべている桃子だが、彼女の背後には怒りのオーラが溢れ出ており、今にも爆発しそうであった。
恋敵が眉目秀麗の玲緒奈だと分かると、普通の女子ならば尻込みをするところだが、桃子は違う。
幾度となく海人へとアプローチを仕掛けている彼女はどんな相手が現れようとも怯みはしないのであった。
「今思い返せば海人君って会長の前じゃ挙動不審だったわね」
「いやまぁそうだけどさ。あのくらいの美人になると緊張もするだろうよ」
「相手は先輩で、その上生徒会長ですしね」
「……猿渡君、雉岡君。どうして海人君のフォローをするのかなぁ?」
「え!? あ、いや、ただ単に同じ男としての意見を述べたまでで……」
「アンタ達。何か知っているんでしょう……っ!?」
「い、いいえ。我々は何も……。ですよね、犬飼氏……っ!」
「な、何故俺に振る!?」
桃子は目を光らせながら猿渡達ににじり寄り、彼らは滝のような汗を流しながら後退る。
その光景を見ていたアレイシヤはオロオロとしつつ間に入ろうとするも、真帆がポンと肩を叩いて止めた。
馬鹿馬鹿しいやり取りを無視しても良いのだが、猿渡達が無実の罪を着せられて絞られる姿は哀れに思ったのか。
真帆は溜息を吐きつつ桃子に言って聞かせた。
「これは本人が言っていたのだけれどね。何か違う様な気がするって」
「はぁ?! 何よそれ」
「姿が似ているだけで別人かもって、入学してから溢していたわ」
「違うの!? そうならそうと先に言ってよね~!!」
ホッと胸を撫で下ろした桃子はアッサリと怒りのオーラを仕舞い込む。
すると猿渡達も助かったと安堵の溜息を漏らした。
ここで話を終わらせてしまえば良かったのだが、真帆はついつい自分の意見も述べてしまい、それは余計なひと言であったようだ。
「まぁ、姫条先輩本人に尋ねてみてはいないようだから、別人って確定した訳じゃないけど」
「……!!」
「何であれ、海人が昔出会った子は別人だと思うわ。だってその子は――――って、どこ行くのよ、桃子!」
「ちょーっと海人君とお話しをしてみよっかなって。…………その方が早いわ」
「え!? ま、待ちなさいよ! 廊下は走っちゃ駄目でしょ!」
当人を問い質すのが手っ取り早いと判断した桃子はわき目も振らず一直線に、真帆の呼びかけも無視して海人の元へと走って行った。
彼女の暴走を止めようとしているのか、はたまた興味本位でか、猿渡達三人組は桃子の後を追いかけて行く。
「マ、マホさん……っ。ど、どうしましょう……っ。私達も追いかけないと――――……マホさん?」
強硬手段を取ってでも吐かせようとする桃子の姿が思い浮かぶようで、アレイシヤは海人の身を案じていたが、真帆の様子も気になるようだ。
これまでは平静を保っていたようであったが、彼女は先程の桃子の証言に思う所があるようで、伏し目がちになっていた。
「――――桃子は海人の話を信じたんだ……」
「マホさん? モモコさんがどうかされたんですか?」
「ううん。……何でもないの。私達も後を追いましょう」
「は、はい……っ!」
すっかりと距離を空けられてしまったが、まだ諦められはしない。
今からでも遅くはないんだと心の中で自分に言い聞かせた真帆は、先を行く桃子達に追いつこうと駈け出した。
シンと静まり返った放課後の保健室。
授業中に倒れて運ばれた海人がベッドの上で目を覚まし、そこで出会ったのは生徒会長である姫条玲緒奈であった。
「一人休んでいる人が居るって話だったのだけれど、貴方だったのね」
「え? あ、はい……」
どうやら保健室に常駐する先生、養護教諭は席を外しているようだ。
玲緒奈は申し訳なさそうな顔をしながら問い掛けてきた。
「もしかして、騒がしくして起こしてしまったかしら?」
「い、いえ……っ! ちょうど今さっき目覚めた所だったので……」
「……そう。具合は? もう起きて平気なの?」
「あ、はい。自分は平気っス! 姫条先輩は何処か具合が悪いんですか?」
「私は……。少し立ちくらみがしただけよ」
皆が大げさにしているだけであって、大したことは無いと玲緒奈は言うが、彼女の顔色は優れないように見えた。
ここに来てまで無理をする必要は無い筈だが、彼女は彼女で弱みを見せられない理由があるのだろう。
彼女の意図を汲んであげるべきなのだが、海人は黙っていられないようで、本当に平気であるのか尋ねようとした。
「……先輩。本当は――――って……っ。せ、先輩……っ!?」
ぐらりとバランスを崩した身体。
倒れかけたその身を支えようと海人は手を伸ばすも、上半身だけを起こしていたせいで上手く支えられず、結局玲緒奈は倒れ込んでしまう。
「すすす……っ、スミマセン!!」
「……どうして、貴方が謝るの?」
支える事は叶わなかったが、玲緒奈が床へ倒れたり、何処かを打ち付けることは無かった。
彼女がその身を預けたのは海人の胸元で、事故とは言え傍から見れば玲緒奈が海人をベッドに押し倒したかのようになっていた。
「あ、いや……。俺が余計な事をしなければ、こんな形には……」
「そう……? 貴方が手を引いてくれなければ、今頃ベッドの縁で頭を打っていたかもしれないわ……」
「いやいや、そんな事は……っ!」
かつてない近い距離に胸は高鳴る所か破裂しかねない勢いで脈打ち、海人は顔だけでなく耳まで真っ赤になっている。
混乱している中でどうにか落ち着こうとした結果、彼は今の状況をしっかりと受け止めて整理し始めた。
目の前にはサラッと流れる美しい赤い髪。
鼻孔をくすぐるのは甘く心地の良い香り。
今は体調が優れないせいか、何時もは力強い瞳が潤んだものへと変わっている。
力が上手く入らないのか、起き上がるのもままならないようで、身じろげば余計に押し当てられた柔い部分を否応が無しに感じ取ってしまう。
それはこれ以上無い程のご褒美のようで、同時に拷問に近しい状態であった。
「せ、先輩。じっとしていて下さい……っ。ここは俺が何とか――――」
「ふふ……っ。……凄い心臓の音」
「こ、これは……っ! ききき、気のせいっス!! 少し驚いただけで――――」
「そう……? そっか……」
これも体調不良のなせる業なのか。
玲緒奈はこれまで誰にも見せた事の無いような柔らかい笑みを浮かべている。
女神の微笑を前にしてゴクリと生唾を飲み込むが、何時までもこのままという訳にはいかない。
この状況を手放してしまうのは惜しい気もするようだが、このままでいると理性を保てなくなるか、意識を飛ばしてしまう恐れがある為、海人は恐る恐るだが玲緒奈の肩へと触れる。
「……えっと。お、俺が支えますんで、任せて貰えますか?」
「ごめんなさい……。頼んだわ……」
「は、はい……っ!!」
力が抜けて体重を預ける玲緒奈の身体を支えつつ、身を起こそうとした海人。
玲緒奈の身体は軽く、力を込めれば傷を付けてしまいそうなくらいで、海人は壊れ物を扱うように慎重に動いていたが、突然の大きな音に驚いて固まる。
ガラガラと音を立てて開かれた扉。
続いてドタドタと慌ただしい複数の足音。
シャッと勢いよく開かれたカーテン。
「海人君!! 大事な話が――――って、海人君っ!!?」
「も、桃子……っ!?」
息せき切らして海人の元へと駆けつけたのは桃子と猿渡達で、彼女達は目の前の光景に目を見開いて絶句する。
皆が驚くのは無理もないだろう。
今現在海人は保健室のベッドの上で、学校一の美少女と謳われる玲緒奈を抱きしめている。
体調が優れないせいか、玲緒奈の息遣いは荒く、先程どうにか自力で起き上がろうとして身じろいだせいで服は少しばかり乱れていた。
この状況ではどんな言い訳も通用しない。
特に海人と玲緒奈の関係について問い質そうとしていた桃子にとっては聞き入れる余地は一ミリも無いようだ
「海人君……っ。どうして……」
「いや、これは……っ。何もやましい事なんかなくて――――」
「そんなに欲求不満なのに、私じゃ駄目なの……っ?!」
「はぁ……?」
特大の雷も落ちる覚悟をして身構えた海人だが、桃子は想定外の批判をしてわんわんと泣き始めた。




