2.ヒーローの弱点
運動神経は抜群でいて、数々の運動部から誘いが来るほどであって。
その力で多くの人を助けてきた海人だが、彼にも苦手なものがあった。
一つは女性の相手であって、積極的に迫ってくる桃子の対応に困ったり、何かしら余計な事を言ったりしたりして真帆を怒らせるなど、女の扱いはド下手である。
そしてもう一つ。
学生である海人を苦しめるモノ。
それは定期的に訪れ、否応が無しに自身の無力さを思い知らせるものであった。
「成程ね……」
掲示板の前から戻ってきた真帆は事情を察して溜息を吐く。
未だに海人は放心状態でいて、ピクリとも動かず立ち尽くしており、その姿を見た真帆はさらに大きな溜息を吐いた。
「あ、あの、マホさん。カイトさんの身に一体何が……」
アレイシヤも真帆の後に続いて人混みの中を進もうとしたが、小さなナリのせいで弾かれてしまい、大人しく待っていた。
彼女は海人の事を心底心配しているようだが、真帆から事情を明かされて目を点にする。
「……定期考査。つまりはテスト、ですか?」
「そうよ。ま、海人にとっては最悪の敵と言えるわね」
海人の苦手なモノ。それは勉強で、ほぼ全科目である。
彼は常にクラスの平均点を下げている要因であって、追試の常連、更には夏休みや冬休みに必ず補習を受けているなど、教師も頭を悩ませるほどのある意味問題児であった。
「えっと、その、海人さんが勉強を苦手としている事は理解しましたが、それほど大変な事なのでしょうか?」
まるで停止した機械のように固まった海人の姿をチラリと覗き見て、アレイシヤは小首を傾げつつ真帆へと問う。
「それがね、今回はただの補習では済まなさそうで――――」
真帆が説明を始めた頃。
掲示板前の人だかりはバラバラに、海人達を残して一筋の道を開けるように人波が分かれて行った。
「――――朝から騒がしいことこの上ないな」
冷たい眼差しを向け、冷たい言葉を吐いて周囲の者達を一瞬にして黙らせたのは、この学校の生徒会副会長である剣崎であった。
不遜な態度を取っているにもかかわらず周りから不満の声が漏れないのは、彼が眉目秀麗であるからして、女生徒達からは黄色い声がちらほらと上がってもいた。
「竜堂海人。そこの掲示板はもう見たのか? ――――いや、その様子を見るからに、既に見ているようだな」
茫然自失の海人を見て剣崎は極上の、かつてないくらいの笑顔を浮かべる。
良い気味だと言わんばかりの態度だが、海人は返す言葉もないのだろう。
黙ったままで剣崎に言い返すことは無かった。
ここまで海人を追い詰めている理由。それは掲示板に張り出された内容で、五月末に行われる中間考査に関わる事である。
勉強が苦手な海人が試験を嫌がるのは当然であるが、今回は厄介な条件付きであった。
「――――赤点、追試を受ける者は追試合格まで部活動を禁止する。だってよ」
「そうですか。私には関係ありませんが……」
「あー、そりゃあ学年上位クラスの雉岡サンには関係ないでしょうねー」
「猿渡氏はともかく、犬飼氏はどうなのです?」
「俺は……、数学と物理がマズいな」
人垣が無くなった掲示板の前で猿渡達は人ごとのように感想を述べていた。
猿渡が述べた通り、今回から赤点を取った者は追試合格まで部活動に参加できないようで、全科目赤点を取る可能性のある海人としては、生きた心地がしないようだ。
学生の本分は学業であって、赤点を取るなど本来はあってはならない事で、今回の措置は当然の事のように思われる。
けれどもここに来て急にこのようなお達しが出たのはどういう事かと疑問を持つ者も居るようだ。
これまで海人へと心配そうに声を掛けていた桃子は、眉間に皺を寄せて臆することなく進み出て剣崎の前に立つ。
「剣崎先輩。質問なのですが~、どうしていきなりこんな御触れが出てしまったんですか?」
「……フン。決まっているだろう。どこかの大馬鹿者のせいで我が校の学力が低下の一途を辿っているからだ。それに、そもそも学生の本分は勉学であるからして、それを怠る者に自由など無い筈だろう?」
言葉の端々が突き刺さるのだろう。
剣崎の説明に対し、海人は直接殴られたかのようなダメージを受けているようで、苦しそうに何度も呻き声を上げていた。
「付け焼刃が何処まで通じるか分からんが、試験までは幾日かある。ヒーローごっこに現を抜かさず、他の者の努力を無下にしないよう励むといい」
言いたい事を言い切ったのか、剣崎は最後に沈み切った海人へと一瞥をくれると、フンと鼻を鳴らして去って行った。
剣崎の言葉は辛辣であるが、彼は何一つ間違っておらず、海人はぐうの音も出ないようである。
試験という厄介な敵を前にして絶望しきっていた海人だが、彼は追撃にしてはあまりにも威力が高すぎる剣崎の言葉に打ちのめされてしまい、再起不能なほどまでになっていた。
「なによー! あの言い草は……っ。酷過ぎじゃない!?」
海人の代わりに怒りを露わにしたのは桃子で、彼女は遠くなった剣崎の背中を睨み付けつつ喚いている。
桃子が必死にフォローして、アレイシヤも心配そうにしながら気遣い、猿渡達も楽観的な言葉を掛けて励ましている中、真帆は小首を傾げて疑問を抱いていた。
「――――今日は副会長一人で登校しているのね」
生徒会副会長である剣崎は、生徒会長である姫条玲緒奈と常に行動を共にしている。
従者のように常日頃玲緒奈の一歩後を歩き、睨みを利かせて不逞な輩を追い払っていた彼だが、今日は珍しく一人で登校してきたようだ。
「……まぁ、そういう日もあるか」
剣崎が一人でいる事に違和感を覚えた真帆だが、周りに問い掛ける程でもないと結局一人で納得してしまった。
朝方の一件から時間は過ぎ、HRを経て授業へ。
普段、授業中は寝てばかりの海人であったが、今日は流石に寝てもいられないのだろう。
彼は顔を上げて真面目に授業を聞いているようであったが、それは形だけであって、教師から名指しされても反応しない所を見ると、未だに現実を受けとめきれていないようであった。
「海人く~ん。海人君ってば~! ねぇ、大丈夫?」
「しっかりしろよ、海人。試験なんて前日に頭の中に叩き込めば何とかなるだろ?」
「それを猿渡氏が言いますか……。なら今までどうして赤点を取っていたんですか?」
「そ、それはだなぁ……。た、たまたま範囲を間違っていたり……とか」
「そう言えば、回答欄を一問ずらして書いてもいたな」
「そ、そうなんだよ。犬飼の言う通り、俺の場合は不幸な事故が重なって……」
「そうかしら? 猿渡君も授業をちゃんと聞いていないんじゃない? この間なんて教科書で隠して漫画を読んでいたし……」
「う、占部! あれはたまたまだ! 普段はちゃーんと――――」
「カ、カイトさん……っ! 一緒に勉強を頑張りましょう! 私も微力ですがお手伝いをします……!」
午前の授業が終わり、昼休憩へ。
食堂で昼食を取りつつ、皆は海人へフォローの言葉を掛けるが、当人に届いているかは疑わしい。
箸を持ったまま固まっていたり掴んだ物を口に運ぶ前に落としている辺り、周りの声は届いていないだろうと思われた。
海人が正気に戻らぬまま休憩時間は終わり、午後の授業へ。
六限目は体育であって、授業内容はサッカーであった。
何時もなら皆の中心となって活躍する海人なのだが、今日の彼はそうもいかないのだろう。
棒立ちであった彼は不幸にも顔面でボールを受けて、その勢いで倒れて気を失ってしまった。
運動場のど真ん中で倒れた海人の元へは猿渡達三人組が駆け付ける。
「おい海人、しっかりしろ!! ……クソ! こんな所で俺達を置いて先に行くなんて!! オメェは最高のダチ公だったぜ……っ!!」
「いやいや、勝手に殺すのはどうかと思いますよ」
「冗談だ、冗談。そんなに冷静なツッコミは不粋だぜ」
「そ、そんな事より早く保健室へ……」
犬飼に担がれて海人は保健室へ。
気を失ったままの海人はそのまま保健室のベッドで放課後まで休む事となった。
「さて、どうすっかな~」
腕を組み、深刻そうに呟いたのは猿渡であった。
授業は全て終わり、生徒達の姿がまばらになった放課後の教室。
部長不在のヒーロー研究部の部員達は教室に残り、これからの事を相談し合っていた。
「試験発表期間は部活動を自粛する所もあるようだけれど、それは各部の判断に任されるようね」
「さっき顧問の先生に聞いてみたんだけど、私達の好きにすればいいって~」
「と言うか、ウチの部って顧問の先生いたのかよ」
「古典のお爺さん先生が顧問なんだよ」
「ああ、あの影の薄い爺さんか~」
桃子と猿渡の会話で脱線しかけた所を真帆が咳払いで止め、本題へと戻る。
今回は御触れも出たとあって、これまで試験発表中も活動を続けていた部活も自粛する方向で、殆どの部が活動を休止するそうだ。
ヒーロー研究部は海人という爆弾を抱え、更には猿渡も危うい部分があり、犬飼もミスをしないとは言い切れない。
ここは勉強に専念して試験に臨むべきなのだが、肝心の海人がどうするかが分からない。
勉強よりも人助けに走る彼をどうやって説得するか。
それは皆にとって難しい課題であった。
「まぁ、さっきの海人の様子を見るからに、今回はパトロールを自粛してくれると思いたいのだけれど……」
例え海人が勉強をやる気になったとしても、敵はいつ何時襲い掛かってくるか分からない。
敵が連日現れるという事は今の所ないが、これからも同じであるという保証はない以上、気を緩める訳にもいかない。
「それじゃ、今回はあの仮面の人達に頑張ってもらうっていうのはどうかな?」
そう提案したのは桃子だ。
海人達が敵と対峙する際、幾度となく現れた白い仮面を身に着け黒衣を纏った者達。
彼らの目的は不明だが、海人達の敵、シュトラルヴェルトからの侵略者と敵対しているようではある。
正直なところ彼らの方が戦いには慣れているようで、全てを任せてしまっても問題は無いように思えるが、海人はそれを許さないだろう。
何にせよ、試験からは逃れられない。
その辺りをキチンと海人に自覚させ、その上でどうするかを決めようという事になり、皆は席を立つ。
「……取り敢えず、海人の様子を見に行ってみましょうか」
海人が倒れたという事もあり、流石に今日は部活動もないだろうと、帰り支度を済ませて皆は保健室へと向かった。
「占部氏。一つ疑問なのですが、竜堂氏は何故この学校を選んだのですか?」
「おー、確かにそうだな。あの成績で海人はよくこの学校に入れたな」
「猿渡。お前がそれを言うのか……」
「お、俺は余裕だったし! 今は気を抜いているだけであって――――」
保健室への道すがら、真帆へと問い掛けてきたのは雉岡で、彼の問いに猿渡が乗っかり、犬飼が窘めている。
雉岡の指摘通り、海人の学力でこの学校に入学できたのは奇跡であって、疑問を抱くのは当然であるだろう。
唯一海人と同じ中学で、幼馴染である真帆ならば事情を知っているだろうと問い掛けたようだが、彼女は言い難いのか、少しばかり言い淀んでいた。
「うーん……。私から話して良いものかしら……」
「なにそれ。勿体ぶっていないで話してよ~」
桃子のしつこさは相当のもので、真帆は逃れられないと悟ったようだ。
深い溜息を吐いた彼女は、確信は無いと言いつつも海人がこの高校を選んだ理由であるだろうと思われる過去の出来事を語った。
「海人がこの学校を選んだのは、どうしても会いたい人がこの学校に居たみたいなのよ」
「えぇ!!? ちょ、だ、誰よそれは……っ」
「それはね――――」
真帆が告げた名にその場に居た者全員が驚き目を見開いた。
授業中に倒れた海人が目覚めた場所は、カーテンで仕切られたベッドの上であった。
身を横たえていた場所と室内に漂う消毒液の匂いで、そこが保健室であるとすぐに理解した海人だが、自分が何故ここに居るのかはあまり覚えていないようだ。
「あれ……。俺は何でこんな所に……」
自分は何故ここに居るのか。
ここに至るまで何があったか、海人は記憶を遡っていたが、授業中も昼休憩も放心状態であった彼の頭の中は空白で占められており、何とか思い出せたのは今朝方見た衝撃的な張り紙についてであった。
「……あぁっ。俺は一体どうすれば良いんだ……」
現実を突きつけられ、海人は頭を抱えてうずくまっていたが、ガラガラと音を立ててドアが開き、何者かが室内に足を踏み入れた事によりピタリと唸り声を止めた。
「あ、あの……っ、本当に大丈夫ですか?」
「……ええ。少し休めば問題ないわ」
人数は二人。声色から察するに、二人とも女生徒のようで、一人はオドオドとして大人しそうな少女で、もう一人は凛として大人びた声であった。
「そ、それでは、私は仕事に戻りますので、何かあったら遠慮なく連絡を下さい」
「申し訳ないわね。……少しだけ休ませて貰ったら私も戻るから。それまでは職務を頼んだわ」
「い、いいえ……っ! 雑務は私達に任せて下さい。先輩はこれを機にゆっくり休んで頂いた方が良いかと……」
「……ありがとう。それじゃ、お言葉に甘えさせて頂くわ」
「は、はい! それでは、失礼します」
オドオドとした女生徒が退出し、シンと静まり返る室内。
聞き覚えのあった声に出て行くタイミングを見失った海人だが、少しだけカーテンを開いて確認だけしようとした所、この場に残った者と目が合い驚いた。
「貴方は……」
「あ、えっと……。どうも……」
美しい赤毛を揺らしたのはこの学校の生徒会長である姫条玲緒奈であった。




