1.最悪の敵の襲来予告
夜の帳が落ちた市街地。
繁華街ではネオンが煌々と輝いており、仕事帰りのサラリーマンや夜遊びに繰り出す若者で賑わいを見せている。
酒に酔い、一日の疲れを吹き飛ばしたり、思い切り流行りの曲を熱唱したり、はたまた出会いを求めていたりと目的は様々であった。
人通りは喧騒が止まぬようだが、その上空。ビル群の屋上は幾分か静かでいて、下の世界とは別世界のようでもある。
下界が光の世界なら、上は闇の世界か。
月明かりに照らされたビルの屋上から別のビルへ屋上へと飛び交う影が二つ。
一つの影。黒衣に白い仮面を身に着けたグラヴィストは飛んできたナイフを避けた後に叫ぶ。
「何時まで逃げているつもりだ」
背を向けていたもう一つの影。
病的に白い肌でいて、幼さの残る中性的な顔立ちに、上下ともに黒い服を纏ったヴァルトハインは、挑発とも取れる言葉に踵を返してハッと鼻で笑う。
「しつこく追いかけて来る奴が何を言ってんだか」
「邪魔者は排除する。……それは当然のことだろう?」
「俺様が邪魔者……ねぇ」
逃げる事を諦めたのか。
ヴァルトハインはナイフを両の手に構えて戦闘態勢に入る。
彼が構えたのと同時に、グラヴィストも構えを取り、相手の出方を窺う。
先に踏み出したのはヴァルトハインであったが、彼が放ったナイフは大きく外れる。
「正々堂々と勝負を挑んでくるならまだしも、伏兵を配して追い込むっていうのはどうなのさ?」
ヴァルトハインが振り向きざまに放った二本のナイフ。
一本は長杖によって弾き飛ばされ、もう一本は避けられ床に当たって跳ねる。
どちらも命中には至らなかったが、潜んでいる者を炙り出す事は出来たようだ。
ツカツカと足音を立てて暗がりから出てきたのはグラヴィストと同様の格好をした女性、レヂディーノで、もう一人、慌てて出てきたのはソルチストであった。
獲物を取り囲むようにして立つ三者に、ヴァルトハインは声を上げて笑った。
「ハハッ! 逃げる事を批判する奴が随分と汚ェ真似をするんだな」
「悪党を誅するのに手段は厭わない。それに、これまでの貴様の行いからすると当然の報いだ」
「ハイハイそーですか。分かりましたよっと」
再びナイフを構えるヴァルトハイン。
今度は出方を窺う間もなく、相手が構えに入る前にグラヴィスト達は動き出す。
真っ先に動いたのはグラヴィストで、彼は一気に懐まで潜り込むと容赦なく拳を振るう。
その速さは目を見張る程のものなのだろう。
戦場に、近接戦に慣れている筈のヴァルトハインが反応に遅れる程であって、初手からかわすことは出来ず、武器で防ぐのが精一杯であった。
「クソッ……! テメェ如きに……ッ!!」
出遅れはしたが、その後は一方的にではなく、ヴァルトハインからも攻撃を仕掛ける。
互いの力量は均衡を保っているようであったが、素手とナイフとでは差があるようで、相手の動きに慣れ始めたヴァルトハインの方が徐々にだが優勢になりつつあった。
「……っと、そう言えば相手はテメェだけじゃなかったな」
このまま押し切れると油断するところであったが、それがグラヴィストの狙いだったのだろう。
ヴァルトハインは決め手となる一撃をお見舞いしようと踏み込むが、寸での所で身を翻す。
彼が踏み込もうとした場所には雷撃が落とされ、地面を焦がした。
「フン。……先にクソアマ共を潰すか」
「そ、そうはさせません……っ!!」
横槍を入れられるのは気に食わないと、ヴァルトハインは攻撃対象を切り替えたが、彼が狙いを定めた者、レヂディーノの元に辿り着く事は出来なかった。
彼の歩みを止めたのはソルチストで、彼女が杖を振るうと虚空から鎖が現れ、対象の手足を絡め取り動きを封じたのである。
「――――在るべき場所に還りなさい」
身動きの取れないヴァルトハインの足元には、虹色に輝く魔法陣が現れる。
それは転移の魔法で、レヂディーノが行使する術であり、ヴァルトハインが元いた世界、シュトラルヴェルトへと送り返すものであった。
「――――やれやれ。結局、三人揃ってこの程度か」
「貴様、何を言って――――……っ!?」
追い詰められた状態にもかかわらず、全く焦る様子を見せなかったヴァルトハイン。
それだけではなく彼は余裕すら持ち合わせているのか、クツクツと笑ってもいた。
おかしな様子にグラヴィストは眉をひそめるが、すぐさま彼の意図に気が付く。
彼との近接戦でもヴァルトハインはナイフを扱い、斬りつける他に投擲攻撃も交えていたが、それらは全て掠める事も無く逸れて行った。
的を外れたナイフの行方。
コンクリに弾かれ方々に散っていたそれは闇を纏い持ち主の意のままに動き出し、術者達に狙いを定めて飛んで行く。
「ひっ!!」
「小賢しい真似を……っ!!」
レヂディーノとソルチストへと向かってきたナイフをグラヴィストは蹴りで弾き、柄を手刀で叩いて落とす。
どうにか間に合ったようだが、ソルチストは集中力を欠いたようで拘束は緩まってしまった。
「す、すみません……!! も、もう一度――――」
再度拘束術を放とうとしていたソルチストだが、一足遅かったようだ。
自由を取り戻したヴァルトハインは再びナイフを操り、攻撃を仕掛ける。
それは相手を葬る為のものではなく、気を逸らす為の囮に過ぎなかった。
「ま、待ちなさい……!!」
「いや、待て。追う必要は無い」
「え……!? でも、今ならまだ間にあ――――」
ヴァルトハインはビルから飛び降り路地裏へ。
彼が向かっているのは表通りで、人混みに紛れて行方を晦まそうと目論んでいるようだが、目立つ容姿の彼ならば今すぐ追いかければ逃す事も無い。
ソルチストは追いかけようと踏み出すが、グラヴィストは静止を呼びかける。
何故と問い掛けた彼女だが、振り返った所である事に気が付き、追うのを止めて駆け出す。
彼女が慌てて駆け寄った先は体勢を崩したレヂディーノの元であった。
「す、すみません……っ! 気が付かなくて――――」
「……私なら、大丈夫よ」
すぐに回復の術を使おうとしたソルチストだが、レヂディーノは首を横に振って断った。
「貴女も消耗しているのだから、無理はさせられないわ」
「で、ですが……」
「……それよりも、今日はここまでにしておきましょう。もうすぐでアレもあるのだから、あまり無理をしても居られないわ」
「わ、分かりました……」
「私とレヂディーノはともかく、ソルチスト。君は問題ないのか?」
「へ!? ……えっと、ぼちぼち……、平均以上かと」
「平均……か。我々はなるべく平均点を底上げするくらいの点数を取るべきなのだがな」
「……すみません。ど、努力します……」
申し訳なさそうに身を小さくしているソルチストに対し、レヂディーノはクスッと笑い、グラヴィストはやれやれと肩を落としていた。
街灯に照らされていない闇の世界で、人知れず戦い続ける彼らにも表での顔や姿が在る。
今宵は敵を逃してしまったが、敵も消耗し、直ぐには動けないだろうと判断し、彼らは元居た世界へと戻って行った。
ゴールデンウィークが終了し、海人達は再び日常へ。
毎朝真帆の手作り朝食を美味しく頂き、学校に通い、部活と称してパトロールをして困っている人を助けたり、時折現れる襲撃者を皆で力を合わせて撃退し、晩御飯にはまた真帆の手作り御馳走を頂き、ぐっすりと眠る。
そのような日々を過ごしている内に五月は半ばを過ぎていた。
「おはよ~! 海人君」
「お、おう。おはよう、桃子」
非現実的な事は多少あれど、何時もの日常に戻ったかのように思われるが、ゴールデンウィーク最終日から一つだけ変わった事があった。
「ちょっと、桃子。朝からベタベタするのは止めなさいよ!」
「えぇ~? なんで~? いいじゃない。何か問題でもあるの? 真帆ちゃん」
「問題ありよ! 海人が困っているじゃない」
「海人君。私がこうするのは迷惑、なのかな?」
「そ、それは……」
腕を組まれて身を寄せられると、自然と柔らかい部分が当たる。
その感触はなかなか得難いものであって、突き放すには惜しい気もするようで、更には潤んだ瞳で上目遣いに訴えられると無下には出来ない。
別に構わないと言いたいのは桃子を傷付けない為であって、決して下心ややましい気持ちは無いと主張したいが、突き刺さる視線はそれを許さない。
真帆はジトッと軽蔑した目を向け、猿渡は血涙を流さんばかりの様子であり、海人は一番無難な答えを出した。
「も、桃子。人の目があるから、あまりこういう事は……」
「むぅ……。私としては見せつけてやりたいんけどな~」
「頼むから、もう少し離れてくれないか」
「それじゃ、手を繋ぎましょう!」
「手……? それならまぁ良いか」
手を繋ぐという行為に特別何も感じないでいる海人。
そんな彼の手に桃子は指を絡めてしっかりと繋ぐ。
所謂恋人繋ぎというもので、傍から見れば付き合っているカップルに見えるのだが、海人は全く気が付いていないようだ。
「……はぁ。朝から馬鹿馬鹿しい事この上無いわね」
「だ、大丈夫ですか? マホさん……っ」
「ええ、大丈夫よ。心配してくれてありがとう、アーシャちゃん。……このやり場のないムカつきは次の襲撃者にでもぶつけるから安心してね」
「え、あ、そ、それは……っ」
「なーんてね。……冗談よ」
にっこりと笑って嘘であったと言う真帆だが、その笑顔の裏側には沸々と湧いている怒りが見て取れた。
真帆や猿渡の色々と思いが込められた目線には全く気が付かないのか、はたまた無視を決め込んでいるのか。
桃子は繋いだ手をグイッと引っ張り先へ先へと進む。
「さ、今日も一日頑張ろー!」
「も、桃子。そんなに急がなくても大丈夫だろう?」
ゴールデンウィークの最終日。
遊園地からの帰り際に桃子は募らせていた想いを告げた。
色恋沙汰に疎い海人でも、面と向かって言われれば彼女の想いに気が付くのだろう。
驚き、慌て、大いに悩んで出した答えは結局NOであった。
「気持ちは嬉しい……けど、今はそういった事に時間を割ける余裕が無いっていうのか……。ゴメン……。桃子の気持ちに応える事は出来ない」
「そう……、だよね……」
残念な結果に俯いていた桃子だが、涙を流す事無く顔を上げて笑顔を見せる。
それは強がりで、ぎこちない笑顔であって、痛ましささえ感じるものであるが、当人は平気であるといった風に振る舞う。
「そう言われると思っていたから……」
「……桃子」
「だけど! 私は諦めないからね」
「え?」
「想い続けるのは自由でしょ?」
「それはそうだが……」
「私の魅力で落とせない男はいないんだからね!」
そう宣言した通り、その日以来桃子は積極的なアピールをしているのである。
これまでにも周りには分かり易いアピールをしていた彼女だが、今はそれの比ではなく、彼女の魅力をフル活用した凄まじいもので、それを目の当たりにさせられる真帆は日々苛立ちと戦う羽目になっていた。
「――――ったく、海人も海人よ。デレデレと鼻の下を伸ばしちゃってさ。あんな脂肪の塊如きに惑わされるなんて……っ」
「マ、マホさん。あれは一体なんでしょうか?」
「ん……?」
ブツブツと文句を言っている内に学校へと到着した真帆。
校門をくぐった先、昇降口に辿り着く前に目に付いたのは掲示板の前に出来た人だかりである。
先を歩いていた海人と桃子も歩みを止めており、掲示板をまじまじと眺めていた。
「どうしたの? そんなに大事な事が書かれているの?」
「あ、真帆ちゃん。何と言えば良いのか……。私にはそんなに関係ないんだけどね~」
「何よそれ。……って、どうしたのよ、海人? この世の終わりみたいな顔をして……」
掲示板の前に茫然として立ち尽くす海人。
真帆が声を掛けても心ここにあらずといったようで、彼から事情を探るのは無理のようである。
何があるのかは自分の目で確かめたらと言う桃子の言葉通り、真帆は人波を掻き分けて新しい張り紙の前まで進み出た。
「こ、これは……」
それは海人にとって最悪の敵の襲来予告であった。




