8.想いを告げた少女
幸か不幸か。
海人達に幻を見せ、攻撃を仕掛けてきた敵は呆気なく去って行った。
大きな戦力となっていたレヂディーノが限界を迎えていた事を考えると、敵が撤退を選んだのは運が良かったと言えるだろう。
「か、海人君……っ」
「桃子は下がっていてくれ」
一難去ってまた一難。
倒れかけたレヂディーノの身を案じていた海人達だが、彼らの元に近づく者達が。
濃い霧の向こうには複数の影が見え、それは徐々に姿を露わにしていく。
「お前は――――」
他の者よりも素早くこの場に駆けつけたのは、海人にとっては都合の悪い人物であった。
「レヂディーノ……!! ――――貴様は……っ!! 貴様っ、レヂディーノに何をした……!!」
殴り掛かる勢いで海人の傍へと近づいて来た者。
その者は海人にとって敵よりも厄介と言える人物、グラヴィストである。
海人の傍には敵との戦いで消耗したレヂディーノが体勢を崩しているのだが、これまでの経緯を知らぬ者が見れば勘違いをしてもおかしくはない。
特にレヂディーノを心酔している様子のグラヴィストなら、海人に対して疑ってかかるのも当然と言えるだろう。
案の定。グラヴィストは殺気を撒き散らしながら海人へと食って掛かるが、それを制したのはレヂディーノであった。
「グラヴィスト。……下がりなさい!」
「……っ!! し、しかしこの者達は――――」
「私が力の配分を見誤っただけよ。彼らは何一つ悪くないわ」
「……そう、ですか」
レヂディーノに窘められたグラヴィストはあっさりと怒りの矛先を収める。
その姿は従順な騎士というよりも、飼いならされた犬に近いような気さえもした。
「ソルチスト。レヂディーノの事を頼む」
「は、はい! 分かりました……っ!」
グラヴィストよりも少しばかり遅れてこの場に駆けつけた者。
その者はソルチストと呼ばれているようで、グラヴィスト達と同じように黒衣を纏い、白い仮面を身に着けていた。
背の高さや体のライン、声から察するに、ソルチストは女性のようであって、彼女はレヂディーノの元へと駆け寄ると、手にしていた杖を振るう。
ソルチストが行使した術は回復魔法のようで、淡い緑色の光がレヂディーノの身体を包むと、スッと立ち上がれるまで回復した。
「心配を掛けさせたわね」
「あ、いや……。無事ならそれでいいんだ。寧ろ謝らないといけないのは俺の方で……。また、助けられた」
「それこそ貴方が気に病む事でもないわ。私一人ではどうなっていたのか分からないのだし……」
レヂディーノならば幻に惑わされる事も無く、アッサリと敵を倒していただろうと思われたが、彼女は海人に礼を述べた。
幻術の前に挫けそうになり、助けられたのは自分の方であると海人は訂正しようとするも、レヂディーノは人差し指を立ててそれを遮る。
どうやら彼女は尚も噛付いてきそうなグラヴィストをやり過ごす為の発言をしているようだ。
「霧はじきに晴れるわ。貴方達も早々にここから立ち去りなさい」
「わ、分かった。所でアンタ達はこれからどうするんだ? まさか、さっきの敵を追うんじゃ――――」
海人の問いにレヂディーノは無言で返した。
肯定とも取れる返答。それに対して間を置かず止めに入ろうとする海人だが、レヂディーノとの間には立ちはだかる者が。
グラヴィストはこれ以上近づくなと言わんばかりのオーラを発し、行く手を阻む。
「後は我々が処理をする。お前達の出る幕はない」
「な……っ! だけど彼女は――――」
「彼女を疲弊させたのは誰のせいだ」
「……っ!」
何も言い返せずにいる海人を一瞥したグラヴィストは、既に先へと進むレヂディーノの後に続く。
残された海人は悔しさを滲ませるように固く拳を握りしめるが、追いかける事も無く、その場に立ち尽くしている。
幻を打ち破り、敵は去り、全てが上手くいったかのようだが、安閑とはしていられないようだ。
「海人君……。そんなに気にすることは無いと思うよ」
「いや……。今回もまた、助けられてしまったことに変わりはない。……それは俺の力が足りないからだ」
己の力量不足をまた思い知らされている海人に桃子は声を掛けるが、彼が悔いるのを止められはしない。
どうすれば彼の力になれるのかと言葉を探し続ける桃子だが、周囲の異変に気が付き顔を上げた。
「か、海人君。霧が晴れてきたからそろそろ……」
「あ、ああ、分かった。――――……ん? この声は――――」
霧が晴れ始め、辺りは元通りに。ライトアップされた遊園地の煌びやかな景色が広がりつつある。
鎧を纏ったままの海人は元の姿へと戻るが、遠くから呼ばれたような気がして辺りを見回す。
薄くなった霧の向こうから駆け付けた者達は、海人の良く知る人物達であった。
「お前達……。どうしてここに……」
「無事だったか、海人!」
海人の元へと駆け寄り、互いの無事を喜んでいたのは猿渡達三人組と真帆とアレイシヤである。
「俺達は無事だが、猿渡と雉岡、お前達はどうしたんだ? その頬は……」
皆が無事であったかのように思われたが、猿渡と雉岡の頬は赤く腫れている。
敵にやられたのかと思いきや、当人達は極上の夢を見た代償だとバツが悪そうに言っていた。
「まぁ皆も大事になっていないようなら良かったよ。……所で皆はわざわざここまで駆けつけてくれたのか?」
遊園地は海人達の住む露草町から電車とバスに乗らなければならない距離であって、そう簡単に駆けつけられる距離ではない。
当然のように海人は疑問に思い問い掛けた訳だが、猿渡達はサッと目線を逸らして口笛を吹き、アレイシヤはオロオロと慌てふためいている。
唯一人、観念したかのように肩を落として溜息を吐いた真帆が事情を包み隠さず明かした。
「ごめんなさい。みんな、貴方達二人の事が気になってつけてきたの」
「お、おい、占部! 何を馬鹿正直に――――」
慌てて猿渡が止めようとするが、取り返しはつかなかった。
こうなってしまえば仕方がないと思ったのか、悪かったと頭を下げる犬飼に続き、猿渡と雉岡も謝り、アレイシヤも頭を下げる。
尾行をされるのは気分の良いものではないだろうと思われたが、海人は猿渡達を責めはしなかった。
「お前達も敵と遭遇したのか?」
「あ、ああ。女三人組と遭ったけど、あの偉そうな仮面野郎達のお蔭で何とかなったぜ」
「そうか……。それなら良かったよ」
「は? いや、俺達はお前の事を――――」
「後三人となるとこっちがヤバかっただろうし、皆が離れた所で襲撃に遭わなくて良かったじゃないか」
「それはまぁ……、そうかもだが……」
結果的に良かったと海人は言うが、猿渡達はまだ申し訳なさそうにしている。
彼らが未だにそうしているのは理由があっての事だが、海人は全く気が付いていない。
隣で恐ろしい笑みを浮かべている人物に気付かないまま、海人は続けて言う。
「それにさ、皆も来ていたなら声を掛けてくれても良かったのに」
「そ、それは……」
「こういう場所は皆で遊んだほうが楽しいだろう?」
悪気があってそう言った訳ではなく、寧ろ猿渡達の事を思っての発言であったのだが、海人の不用意な言葉は一人の少女を傷付けてしまった。
「……海人君。私と二人きりじゃ楽しくなかったんだ……」
「え!? あ、いや、そういう意味じゃ――――」
「……もういい。海人君の気持ちはよーく分かったから」
桃子は弁明を聞き入れず海人達の前から立ち去ろうとする。
当然として海人は後を追いつつ声を掛けるが、彼女の怒りは全く収まる気配が無く、立ち止まる事も無かった。
紫の濃い霧に飲み込まれた遊園地はすっかりと元の姿に。
霧は海人達、魔導装具を持つ者達と他の者を隔離する術であったようで、霧が晴れた後ではこれまでの光景と同様に、夕暮れのライトアップされた遊園地を楽しむ客で賑わいを見せていた。
園内の中心部には池に囲まれた城があり、その屋根の上には三人の美女達が下界を眺めている。
「えぇ!? アナタ達もやられちゃったの?」
「そういう貴女達こそ、敵前から逃亡してきたのね」
先刻、真帆達に襲撃を仕掛けてきた三名の女性、アヤメ、ユリ、サクラの前に現れたのは二人組の女性達で、彼女らは海人達の前から消え去ったナズナとツバキであった。
互いに何の成果も得られずにいたのだが、失敗を認めたくないサクラは頬を膨らまして弁明する。
「私達は五人を相手にしただけじゃなく、後から二人も増援に来たんだよ」
「そうですわ。先の五人は大したことはありませんでしたが、後から来た仮面の男は厄介な相手でしたの」
「そうだね。サシで勝負なら何とかなっただろうけど、今回は状況が悪すぎたよ」
サクラの意見にアヤメとユリも乗っかり、如何に大変だったかを語る。
一方ナズナ達の方も人数こそ少なく、三名を相手にしたが、一人は水神龍の鎧を纏う者で、もう一人は高位の魔導士、次元を操る術師であるからして、まともにやりあっても無意味だったと結論付けた。
「まぁ、今回は小手調べとしておきましょう。次こそは――――」
全く収穫が無かった訳でもないと、相手の力量を推し量ることが出来たとして、次こそはと弁明の場を収めたツバキだが、彼女はハッとして辺りを窺う。
「こ、この気配は何ですの!?」
「奴らが追ってきたのか……? いや、これは違う。この気配は――――」
ゾクゾクと這い上がる悪寒。
それは先程対峙した者達が発せるような気配ではなく、明らかに邪悪な、底知れぬ恐怖を感じさせるどす黒いものであった。
「――――貴様らか。我の寵愛を受けし娘へと害をなしたのは」
「な……っ。お前は――――」
ツバキ達の前に現れたのは、一人の男性のようであったが、その姿は黒い闇に包まれており、輪郭を捉える事は出来ない。
ただ一つ。紫色の双眸が光るのは明確に分かる。
その者が敵であると認識し、臨戦態勢を整える余裕もあった。
けれども誰一人としてその場から動けなかったのは、刃を交える前から圧倒的な力の差を察知したせいであって、恐怖心からか身体が動かなかったせいである。
「消え失せろ。下女どもが……っ!!」
動けずにいたツバキ達はいとも容易く敵の術に絡めとられる。
足元から這い上がる黒い蛇のような影。それは体中を這い、身体を締め上げた。
ただ締め付けて苦しめるだけでなく、押し潰すような力の強さに骨が軋む。
痛みに喘ぎ、悲鳴が上がりそうになるが、頭部は蛇に丸呑みされてしまい、声すらも掻き消されてしまう。
やがてツバキ達五人組は、闇に飲まれるようにしてその姿を消し去った。
シンと静まり返ったその場に唯一人残っていた黒い男。
彼はフンと鼻を鳴らすと自らもその姿を消し去ってしまった。
誰の姿も無くなったその場所に、少しばかり間を置いて降り立ったのは黒衣に仮面を身に着けた者達、レジディーノ達であった。
一通り辺りを窺ったグラヴィストは顎に手を置きつつ現状を述べる。
「この魔力の残滓は……。先程の奴らのものではないようですね」
「……そのようね。……それにしても、この感覚は――――」
残された魔力から感じ取れるもの。それは人ならざる者の力のようであって、底知れぬ不安を抱かせるようなものでもあった。
とっぷりと陽が暮れた遊園地のゲート前。
帰りのバスを待つ桃子はいまだに不機嫌そうな面をしていた。
先程の、海人のデリカシーの無い言葉にも憤慨していたが、結局皆と合流し、そのまま帰る事となったのも桃子の不満の原因であるようだ。
「あ、あの、モモコさん。お邪魔をしてしまったようで申し訳ありません」
一人離れて花壇の縁に腰を下ろしていた桃子の元に歩み寄ったのは、申し訳なさそうにしているアレイシヤであった。
猿渡達とは違い、本当に反省しているようであった彼女に対しては強く出られないのだろう。
桃子はアレイシヤに対し、気にしていないと首を横に振った。
「まぁ、敵の襲撃があった訳だし、どっちにしろデートはダメになっていたんだろうから、アーシャちゃんは気にしなくて良いよ」
「そ、そうだとしたら尚更……っ。私のせいで……」
「え?! あ、いや、そう言う訳じゃなくてね――――」
敵の襲撃は皆を巻き込んでしまったせいであるとアレイシヤは自分を責めており、桃子は失言であったと反省し、慌ててフォローする。
「アーシャちゃんは何一つ悪くないわ。悪いのは敵の方よ!」
「そう……、ですが……」
「それに、この先もう二度とデートが出来ない訳じゃないし」
「それはそうですが……」
今回は失敗に終わったが、チャンスはいくらでもあると。
次こそは必ず想いを告げようと、そう考えていた桃子だが、ふと先程の光景が過る。
彼女の脳裏に思い浮かんだのは敵と対峙した海人の姿。
あの時レヂディーノが駆け付けていなければどうなっていたのか。
その事を思うと、次こそはと悠長に構えてはいられなかった。
「モ、モモコさん……? どうかされたんですか?」
「決めたの。想いは伝えられる時に伝えとかないとね」
スクッと立ち上がった桃子は海人の元へ。
本来なら夕暮れの観覧車で、二人きりで、最高のシチュエーションで想いを告げる筈であったが、それは叶わなかった。
今居る場所は人が行き交うバス停で、周りにはクラスメイト達も居て、とても告白を出来るような場所ではないのだが、桃子が歩みを止めることは無かった。
「海人君……!」
「ん? どうしたんだ?」
「あのね、私――――」
その日一人の少女は、初めて自分から想いを告げた。




