6.ヒーローの幼き頃
今から十年ほど前の話。
困っている人が居れば駆けつけて手を差し伸べている海人は、十年前も今と同じように誰かの為にと奔走していた。
テレビの中で活躍するヒーローに憧れて、自分もヒーローになりたいと願いながら町を駆け巡る幼き少年。
ごっこ遊びのようでもあるが、年下を苛める上級生に向かって行ったり、失せ物を一緒に探したりと、彼なりに出来る事を日々頑張っていた。
「桃子は西水守神社って知っているか?」
「え? あの今にも倒壊しそうなボロ神社だよね。そこがどうしたの?」
「そこで俺は……、あの子と……。レイアと出会ったんだ……」
小さな頃も今と変わらぬように、他の同年代の子が遊んでいる時間帯にパトロールをしていた海人。
その日も自宅から子どもの足で行ける範囲を。公園や商店街を廻り、最後に訪れたのは西水守神社であった。
石段を登った先にある古ぼけた社。
木々に囲まれたその場は参拝者も滅多に訪れず、静寂に包まれている。
偶に子ども達が遊びに訪れたりもしているが、その日は一人の女の子がポツンと佇んでいた。
「君は……」
燃えるような赤く長い髪に勝気そうな真紅の瞳。
身に纏うのはレースやフリルがあしらわれた赤いドレス。
西洋人形のように可愛らしい容姿であったが、静謐なこの場にはそぐわない姿でもあった。
「君はどこから来たの?」
初対面であろうが、歳が幾つだろうが、物怖じしない海人は出会って間もない少女へと声を掛ける。
その時は彼女が困っている様子だから声を掛けた訳ではなく、この辺りで見かけた事が無い少女であって、見た事のない姿からか、興味本位だったようだ。
「……っ!!」
「あ、待ってよ……!」
少女は海人が近づくと、彼が近づいた分だけ後退った。
人に慣れていない小動物のように、警戒を露わにしている少女は歩み寄る海人から逃げ続けて木の陰に身を隠す。
逃げる子を追い回すなど、いじめっ子のようなやり方ではあるが、その時の海人は何故だか少女の事を放っておけず、声を掛け続けた。
「オレの名前は海人っていうんだ。君の名前は?」
「……」
「オレの家はここから少しだけ離れた所で、剣道の道場をやっているんだよ。君のお家はどこなの?」
「……」
「あ、あぶな――――」
少女は海人の問いに対して逃げる事で返答をしていたが、森の奥へと入って行こうとしたせいで木の根に足を取られて転倒しかけた。
海人が咄嗟に手を取り支えたおかげで少女は怪我をせずに済んだようだが、お礼の言葉の代わりに出てきたのは意外な反応であった。
「ぶ……っ」
「ぶ?」
「無礼者が……っ!!」
「え……!?」
繋がれた手は乾いた音を立てて離れた。
乱暴に跳ね除けられた手に痛みを感じてもいたが、今の海人は目の前の少女の表情に釘付けにされている。
目じりに涙を浮かべる少女はキッと睨み付けながら怒りを露わにした。
「下賤の者が妾に触れるなど……っ! 万死に値するぞ!!」
少女にきつく叱られた海人だが、いまいち響いていないようでいて、彼は首を傾げていた。
「げせ……、ってどういう意味?」
「そのような事も分からぬのか? やれやれ……。これだから学の無い民草は……」
「うーん……。よく分かんないけど、君は頭が良いんだね」
「……フ、フン。これしきの事で褒め称えるなど、全く、無知とは恐ろしいものじゃ」
言葉に棘はあるものの、褒められたことが嬉しいのか、目を閉じて腕を組んでふんぞり返る少女の口元は緩んでいる。
余程嬉しかったのか、続けてもっと讃えるが良いと、海人からの言葉を待っていた少女だが、いくら待てども海人からの称賛は得られない。
しびれを切らした少女はうっすらと目を開けて海人の様子を窺うが、彼の様子に首を傾げた。
「……お主。なにを笑っておる」
「ん? 笑っているのは嬉しいからだよ」
「嬉しい……だと? お、お主はもしや、言葉で責められて快感を得る性癖なのか!?」
「せいへ……? オレはただ、君と話すことが出来たから嬉しかったんだよ」
「……っっ!!!」
ボンっと音を立てるようにして真っ赤に染まる少女の頬。
気のせいか、赤髪が逆立って見えるようでもあった。
これまで海人がいくら問い掛けても、少女は無言で返していた。
それが今では多少噛み合ってないようだが、会話をしている事には違いない。
その点を海人に指摘された少女はまたもや涙を浮かべて睨み付けてきた。
「おのれおのれおのれぇ……っ!! お主は妾を謀りおったのか!?」
「たば……? よく分からないけど、君はオレと話がしたくなかったの?」
「フン! 当然じゃ。何故妾が民草と口を利かねばならんのか……」
「そっか……」
これまでの勢いはどこへ行ったのか。海人は肩を落として項垂れていた。
ガッカリとした様を見せつけられては多少なりとも良心が痛むのだろう。
少女はワザとらしく咳払いをした後に声を掛けようとするも、それはある音によって遮られてしまった。
「ん? 今の音って――――」
辺りに響いたのは腹の音で、今ここには少女と海人しかいない。
恥じらいがあるのか、少女は顔を真っ赤に染めて訳の分からない言い訳をしだした。
「い、今のは地竜の鳴き声じゃ! うむ。間違いない!!」
「お腹が空いているの?」
「は、腹など空いておらぬ。お主、耳の掃除はちゃんとしておるのか? 今のは地竜の鳴き声で間違いな――――」
「はい、これ」
「む。なんじゃ? その石ころのような物は……。ま、まさかお主、妾に石を食せと申すのか!?」
海人がウェストポーチから取り出したのは筒状の容器で、その中から出てきたのはカラフルなチョコレートであった。
少しでも腹の足しになればとソレを差し出したのだが、少女はソレが食べ物であると分からなかったらしい。
またもや怒りを露わにする少女を前にしてどうしたものかと考えた海人は、一粒のチョコレートを口に含んで見せた。
「なぬぅ……っ!? お主、そのような物を食すなど、血迷ったのか!?」
「これ、おいしいよ。チョコレートは食べた事ないの?」
「チョ、チョコレートじゃとぉ?! そのくらい、妾も食した事がある! 妾は国内有数の菓子職人が作ったショコラを嫌と言う程食しておるぞ」
「ふーん。よく分かんないけど、コレもおいしいよ」
「ハっ! 民草が石をショコラの代わりに舐めているとは……。そこまで哀れなものとは知らなかったぞ」
「だからこれは石じゃなくって……。ほら、見てみて」
口を開くと舌が茶色くなっているのが見える。
傍で食べたせいか、ほのかに甘い香りも漂っていた。
空腹時にその匂いを嗅いだせいか、これまでそれを食べ物として認めていなかった少女も、ゴクリと生唾を飲み込んで海人の手の平にあるチョコレートを凝視している。
「一つだけでも食べてみない?」
「……。……ま、まぁ、民草の文化を知るというのも、上に立つ者としての務めか。どれ、一つ頂いておこう」
何やら言い訳をしているが、食べたい事には変わりないのだろう。
海人は筒を手に、少女の手の平へと赤くコーティングされたチョコレートを一粒落とした。
歪みのない丸い形と鮮やかな赤色。
その形状をじっと眺めていた少女は、口に含む前に隣に居る海人の表情を横目で見て、そして覚悟を決めたようにソレを口にした。
「……甘い。これは砂糖のような……。妙な甘さじゃが、悪くはない。しかしこの味はショコラとは違った……」
「ああ。舐め続けても良いけど、噛んでみたら?」
「噛む? ……ほう! これは確かにショコラの味じゃ。それに、この歯ごたえはなかなか面白いのう」
一粒をじっくりと味わった少女は満足げに頷く。
そこには逃げ回り、怒鳴り散らしていた姿は無く、年相応の可愛らしい少女が居た。
「まだいる?」
「……う、うむ。お主がそこまで申すなら、貰わない訳にもまいるまい」
まだ素直になっていない部分もあるが、最初よりは取っ付きやすくなったようだ。
少女は一粒一粒を美味しそうに味わい、そして海人が持っていた筒を空にしてしまった。
幼き日の思い出を語る海人。
懐かしみながら明かしていく彼は遠い目をしていたが、ふと横を見ると不満げな桃子の姿が在った。
「ふーん。……随分とその子と仲良くしていたのね」
「ん? 何か怒っていないか? 俺、何か変な事を言ったか?」
「いいえ、べっつに~。それで、仲良くなったその子に何があったの?」
「それは……。ここから先は、俺も記憶が曖昧で、よく分からないんだ」
不思議な少女と打ち解けた幼い頃の海人。
チョコレートの容器が空になった後は、互いに質問を。と言っても海人が少女から聞き出せたのは彼女の名前、レイアという名のみで、後は一方的に質問をされ、答え続けていた。
名前から始まり、家族構成、普段は何をしているのかとか、何の食べ物が好きなのかと、他愛もない質問が続くが、海人はレイアの問いに笑顔で答える。
楽しげにしている彼女につられているようで、海人も彼女との会話を楽しんでいた。
「次は……、そうじゃな。お、お主には好いている娘が――――」
次の質問に移りかけた時。海人は空を見上げて呟いた。
「もう暗くなっちゃったな」
「う、うむ。そうじゃな……」
気づけば空はオレンジ色に。数匹のカラスの鳴き声が夕暮れの空に響いている。
そろそろ家に帰らなくてはならないと、海人はレイアに告げるも、彼女は首を横に振った。
「また明日、ここで会おうよ」
「明日……、か」
レイアは視線を落として呟く。
何か事情があるのか、彼女には簡単に約束を交わせない理由があるようだ。
一体何があるのかと海人は問おうとするが、問い掛ける暇は与えられなかった。
「……!? この音は――――」
「……っ」
ガサガサと葉を揺らす音。それは雑木林の奥から聞こえてきた。
石段を登る音や境内を歩く音ならば近づいてくるのは人だと分かるが、雑木林の奥から人が近づいて来るとは考えにくい。
野犬か何かだと判断した海人はレイアを守るようにして進み出て、近づいてくるモノを警戒した。
「な……っ!?」
「お前達は……っ」
藪を掻き分けて出てきたものは野犬などでは無く、人の形をしていた。
野犬でないのなら噛付かれる心配もないと胸を撫で下ろす所であるが、海人は警戒を緩めない。
寧ろ彼は更に警戒心を強くしている。
レイアも現れた者達に怯えているのか、海人の上着をギュッと握って身を寄せていた。
二人が何故それ程までに怯えていたのか。それは現れた者達の姿に理由があるようだ。
漆黒の鎧。それだけでも相当な威圧感があるのだが、現れた男達は皆背が高く、逞しい身体つきであって、顔も厳つい。
男達が何かを為さなくとも、子ども達が怖れるのは充分な容姿であった。
「……だ、大丈夫。レイアの事はオレが守るから……っ!」
足が恐怖で震えているが、逃げ出したりはしない。
ヒーローを志している海人が敵を前にして、女の子を残して逃げられる訳が無かった。
とは言え、勇ましく宣言したものの、大人数人に対して非力な子どもが敵う筈もない。
海人とレイアはあっという間に取り囲まれてしまった。
「な……っ! 貴様ら……っ! 何をする!!」
「は、放しやがれ! この……っ!!」
男達の手によって軽々と掴み上げられた海人はジタバタともがくが、全くと言って良い程に無力であった。
何も出来ないままでいた海人と、必死に抵抗していたレイアは引き離されて、レイアは男達に連れ去られてしまう。
「急に意識が朦朧として、気が付けば母さん達が周りに居て……。完全に意識を手放す前に、レイアが雑木林の奥に連れて行かれるのが見えたんだけど、それを母さん達に話しても信じて貰えなくってさ……」
「そう……、なんだ……」
「次の日に探しに行っても姿は無かったし、行方不明だとかのニュースにもなっていなかったから、結局全部俺の勘違いなのかなって思いもしたんだ」
誰に言っても信じて貰えず、レイアが居た痕跡すら残っていない。
そうなると間違っているのは自分であると、そう思い込んでいた海人だが、ここに来てあの日の事が幻や白昼夢でなかったと証明された。
「レイアは幻ではなかった。だけど俺があの時に守り切れなかったから……。だからこうして――――」
「それは違うと思うの!」
自責の念に駆られていた海人だが、桃子はおかしな話であると、疑問を口にした。
「海人君がそのレイアちゃんと出会ったのは10年も前の話でしょう。だとすれば、その時の姿のままだなんて、絶対におかしいわ!」
「それは……、そうだが。……もしかすると、今のレイアは霊的な存在なんじゃ……」
「え? 海人君ってお化けとか幽霊とか信じているの?」
「それは……」
非科学的な事についてはあったらいいなと思う程度であって、現実にはないだろうと考えていた。
けれどもそれは、アレイシヤという存在によって覆される事となる。
異世界という存在に魔導装具という不思議な力を発せる武具。
それらに比べれば霊的なものなど、あってもおかしくはないと思えてくる。
「言われてみればそうなのかとも思うんだけれどね。例え幽霊だとしても、レイアちゃんは海人の事を恨むのかな?」
「俺は守ると言っておきながら何も出来なかった……っ。だから恨まれて当然だと思うんだ」
「そんな事は無いよ。もし私がレイアちゃんの立場だとすれば、恨んだりしないと思う。だって、逃げずに助けようとしてくれたんでしょ? それに、一緒にお菓子を食べて、楽しく話していたんだし……」
思い浮かんだレイアの姿は、チョコレートを美味しそうに食べていた姿や楽しげに質問をしてきた姿である。
海人は桃子の言葉を信じたいと思っているが、楽しかった思い出の後には引き裂かれた場面が過ってしまう。
「じゃあ、確かめてみましょう!」
「確かめる……?」
先程現れた少女が本当にレイアなのかどうか、彼女は何を思って攻撃を仕掛けてきたのか。全て本人に確かめるしかないのだと、桃子は言った。
「そう……、だな」
「……決まりね」
このまま逃げ続ける訳にはいかない。
あの時の事を後悔しているならば、すべて受け入れて向き合うべきだと。
海人は己を奮い立たせて立ち上がり、過去と向き合うべく歩き出した。




