5.霧に浮かぶ姿は
夕暮れ時の遊園地はライトアップされ、その輝きで夢のような空間になっていた。
昼間とは違い、園内に多く見られるのは恋人達で、手を繋いで身を寄せ合いながらロマンチックな情景に浸っていた所だが、突如として夢の時間は終わり、悪夢へと変わる。
今現在の園内は紫色の濃い霧によって覆われ、煌びやかな景色は消え去り、廃墟のようなおどろおどろしさまで感じられる程に不気味であった。
「大丈夫か? 桃子」
「うん。何処も怪我はしていないよ」
停止した観覧車から脱出した海人と桃子。
海人は蒼い鎧を纏い、桃子を抱えて観覧車の鉄筋を飛び移りながら、どうにか地上へと降り立った。
「この紫色の霧……。毒々しい感じだけど、害はなさそうね」
「そうみたいだな」
考えなしに霧の中へと突入したが、呼吸をする事は可能であって、目に見える害はないようだ。
一先ず安堵するところであるが、ただの目くらましには思えないと、海人と桃子はすぐに敵の位置を探ろうとする。
「海人君! あれは――――」
「……っ!! 下がっていろ」
一面が霧に覆われた中で蠢いたのは、人のような影であった。
すぐさま海人は桃子を庇うように進み出て、構えを取り敵の出方を窺う。
「あの大きさは……、子ども……なの?」
こちらに向かってくる影は小さなものであって、桃子の言う通り、子どもくらいの大きさであった。
もしかすると親とはぐれてしまった迷子かもしれないと思いもするが、油断は出来ない。
こちらから歩み寄る事は無く、海人は気を緩めずその場で構えたままでいる。
ゆっくりと近づいてくる影はやがて輪郭をはっきりしたものへと変え、海人はその姿に驚き目を見開く。
「……うそ、だろ……っ」
二人の前に現れた人物。それは小さな女の子である。
燃えるような赤く長い髪に勝気そうな真紅の瞳。
身に纏うのはレースとフリルをふんだんにあしらったドレスで、少女は西洋人形のようであった。
「海人君……。どうかしたの……?」
「いや、そんな筈は……」
首を横に振り、目の前の事実を否定するかのような素振りを見せる海人。
彼には少女の正体に心当たりがあるようだが、桃子がどうかしたのかと訊ねても答えられないでいる。
上手く説明できなくなるくらいに、その者との邂逅は海人にとって衝撃的であったようで、彼は向けられていた敵意にも反応が遅れた。
「……!! 海人君……っ!!」
人形のような少女が手を高く掲げると、彼女の周りに光る球体が漂い始める。そしてそれは少女が手を振り下ろしたのを合図にして攻撃対象の元へと真っ直ぐに飛んで行く。
「か、海人君……っ!!」
敵の攻撃にいち早く気づいたのは桃子だったが、彼女は攻撃を防ぐ術を持ち合わせていない。
桃子に出来る事は攻撃を避ける事で、茫然としたままの海人を突き飛ばしてその場から飛び退くしか選択肢はなかった。
「――――……っ!! 海人君!! ねぇ……っ、しっかりしてよ!!」
「どうしてだ……? 俺の事は憶えていないのか……」
「海人君……っ」
一撃目は何とか避けられたものの、このまま避け続けるのは困難であるだろう。
今の状態ではどうにもならないと悟った桃子は、敵の次なる攻撃が繰り出される前に海人の手を取り駈け出した。
遊園地のゲートに近い売店前。
そこでは夕刻時とあって土産を求める客で賑わっていた。
一日中遊び尽した帰りに、友人や家族に土産を選ぶ者や、自分用に人気のマスコットのグッズを買う者など、多くの客で溢れている。
真帆達も帰宅する前に売店を覗こうとしていたが、足を踏み入れる前に事態は急変を迎えた。
「この霧は……、一体……」
何処からともなく漂って来た紫色の濃い霧。それはあっという間に辺りに広がり、視界を奪う。
傍に居る者の姿は何とか確認することができ、吸い込んでも苦しむ事はないようだが、異変に気付くにはさほど時間が掛からなかった。
「声が……、聞こえなくなった……?」
まだ閉園まで時間があり、アトラクションも稼働し続けていた。
ジェットコースターからは悲鳴が聞こえていた筈だが、それが今では全く聞こえてこない。
人の声もそうだが、アトラクションの稼働音も聞こえず、不気味なほどに辺りはシンと静まり返っている。
すぐそこには土産を売っている売店があり、先程まで活気に溢れていた筈だが、その声すらも聞こえなくなっていた。
「敵の術には間違いありませんが……、一体何が目的なのか――――」
「と、とにかく、海人に連絡を――――」
アレイシヤにも分かりかねる事態であって、直ぐに対処する方法は見当たらない。
ここは海人達と合流を果たすべきだと、そう判断した真帆は先程とは打って変わって躊躇いなく海人へと連絡を入れようとする。
けれどもまた、事態は一変して彼女が連絡を取ることが出来なくなってしまった。
「……海人? ど、どうしてここに!?」
「え……? マ、マホさん? 何を言って――――」
濃い霧の中から現れ、こちらへと歩み寄って来たのは、真帆が連絡を取ろうとしていた相手である海人であった。
無事に会えたことを喜びもするが、自分達ではどうにもならないと不安を募らせていた所で彼が現れ、真帆はホッと安堵の溜息を漏らす。
彼女はこの場に居る事を申し訳ないと思いつつも、先にこの事態を収拾すべく海人の傍へ駆け寄ろうとした。
「ま、待って下さい!!」
「どうしたの、アーシャちゃん?」
「違うんです……っ!! その方は――――」
アレイシヤは真帆の腕をしっかりと掴んで放さない。
何かに怯えているような、それでいてここは譲れないといった様子のアレイシヤは、この場に真帆を留める為に必死になって呼びかけている。
「落ち着いて、アーシャちゃん。一体何があったの?」
「その方はカイトさんじゃありません……!」
「え? 何を言って――――」
自分が海人を見間違える筈はないと真帆は自信があるのだが、アレイシヤの言葉も無下には出来ない。
何を信じれば良いのか分からなくなりかけたが、目の前に居る人物を真っ直ぐと見据える事により、真帆は不可解な点に気が付けた。
「……海人。一人でここまで来たの? 桃子は何処に――――」
海人は桃子と一緒に園内を巡っていた。
けれども今の彼はたった一人でこの場に辿り着いたようで、桃子の姿は見当たらない。
このような危機的状況下で桃子を一人にしたまま行動するなど、海人ならばあり得ないと思い至った真帆は彼に問い掛けたようだが、彼女の疑問が真実を明らかにした。
「あら。こんなにも簡単に術を破られるなんて……。サクラ。貴女、腕が鈍ったのではなくて?」
「わ、わたしが悪いわけじゃないもん! そいつらが特別なだけだわ! そうよね? アヤメ」
「まぁまぁ、サクラもユリも落ち着きな。過ぎた事をとやかく言っても仕方がないじゃないか」
真帆とアレイシヤの目の前に立っていた海人の姿は、霧に溶けるようにして消え去った。
それと同時に現れたのは三人の女性で、彼女らの言動から察するに、この事態を引き起こしている張本人達のようだ。
「貴女達は一体……」
「マホさん! 武器を構えて下さい!」
敵は本来ならば幻術を用い、油断した所で仕留めようと目論んでいたのだろう。
幻術が破られたからには強硬手段を、武力をもって制するようで、敵は杖や細身の剣を手にして臨戦態勢を取っている。
三対二では分が悪い。けれどもこのまま黙ってやられる訳にはいかないと、真帆とアレイシヤは武器を手にした。
「あれれ~? あなた達。わたし達に楯突くつもりなの~?」
「あ、当たり前でしょ! 大人しく従う訳には――――」
「こういったやり方は美しくありませんが、無駄な血は流さぬようにとの事ですし、致し方ありませんわね」
ゆるふわウェーブの小柄な女性、サクラはケタケタと笑いながら真帆達を小馬鹿にしており、金髪巻き毛の女性、ユリは虫けらを見るような目で見下しながら不敵に笑う。
嘲笑っている敵が武器を向けたのは真帆達に向かってではない。
彼女らが攻撃対象と定めたのは、さほど離れていない位置で倒れていた三人組、猿渡達に対してであった。
「私としては正々堂々と勝負をしたい所だが、致し方ないんだ。君達。大人しく従うならば、酷い目には遭わせないよ」
他の二人とは違い、真剣な眼差しで降伏を勧告してきたのはショートカットで長身の女性、アヤメである。
人質を取られている状況では真帆達に選択権は無い。
少しでも会話を長引かせている間に猿渡達が目を醒ますのを期待するも、敵はその猶予すら与えてくれないようだ。
「さぁ、武器をこっちに渡しなさい!」
ユリが魔杖を真帆達に向け、アヤメが細身の剣を猿渡達に向けている中で、サクラは杖を手にし、真帆達の元へ歩み寄りながら魔導装具を渡すようにと要求する。
ここは手放すしかないのかと、真帆は隣に居るアレイシヤへと目配せをするが、彼女は首を横に振って武器を持つ手の力を強めていた。
「……アーシャちゃん、ここは大人しく従わないと――――」
「そ、そう……、ですね……」
二人だけでは勝ち目もないと、現実を受け入れたアレイシヤは手にしていた杖を元の形に、指輪の形に戻した。
「そうそう。最初っから大人しくしておけばわたし達も悪いようにはしな――――」
「貴様らに渡す物など一つたりともありはしない」
真帆達の魔導装具が敵の手に渡りかけた瞬間、彼女達と敵との間に降り立つ者が。
黒衣を纏い、白い仮面を着けた男は躊躇いもせず真帆達に迫っていた敵を蹴り飛ばした。
「貴方は……っ、もしかして――――」
彼は度々真帆達の前に姿を現しては文句を言いつつ助力していた男、グラヴィストであるようだ。
彼の登場により形勢は一転するかと思われたが、敵もタダでやられる訳ではない。
すぐさま態勢を立て直し、彼女らの手札である人質を活用しようとするも、猿渡達の元へはもう一人の黒衣を纏う者が立っていた。
「あ、貴女達はこの人達の事を頼みます……!」
背格好と声から察するに、もう一人は女性のようであるが、声色と言動からレヂディーノではないと思われる。
その者は真帆とアレイシヤに猿渡達の事を任せると、敵へ向かい杖を振るう。
彼女もグラヴィストと同等の力を持つらしく、彼の死角を補うように魔術を放ち、敵の攻撃を完璧に抑え込んでいた。
「アーシャちゃん! 私達も行きましょう!」
「は、はい!」
敵はグラヴィスト達に任せ、真帆とアレイシヤは倒れたままの猿渡達の元へと向かった。
真帆達が敵と接触している一方で、海人達の前にも得体の知れぬ赤髪の少女が現れていた。
その者が誰であるのか、海人には心当たりがあるようでいて、そのせいか茫然と立ち尽くしていたため、桃子が海人の手を引き敵の前から逃亡を図った。
「――――……はぁ……っ。ここまで来れば、何とかなる……かな」
深い霧の中を走り続けた桃子と海人。
どうにか敵の追跡から逃れた二人は、建物の陰に潜み、壁面に背を預けて腰を下ろした。
「海人君。大丈夫……?」
これまでに見た事が無いくらいに動揺していた海人だが、ここまで来て、相手の姿が見えなくなった事で少しは落ち着きを取り戻したのだろう。
海人は桃子に対して頭を下げ、自分の不甲斐なさを反省した。
「……悪かった。こんな時に……」
「ううん、良いよ。こうして無事だったわけだし」
気に病む事はないと桃子は言うが、先程の海人の様子が忘れられないのだろう。
あの少女とはいったいどういった関係なのか、問いたそうにしているものの、聞いてはいけない事柄なのだと察しており、面と向かっては聞きにくそうに、横目でチラチラと窺いつつ黙っていた。
「……あの子が誰なのか、聞いてこないんだな」
「え……? あ、うん。……気にはなるけど、言いたくない事を無理に聞き出したりしたくないし」
「……そうか。……ありがとう」
桃子の気持ちを受け取った海人は、薄い笑みを浮かべて礼を述べた。
目の前の事実を否定していた彼だが、このままではいけないと、目を逸らすべきではないと思い至ったのだろう。
一呼吸置いた所でポツリと、先程遭遇した少女が誰であるのかを明かし始めた。
「ついさっき、俺に聞いてきたよな」
「さっき? それは……」
「俺が気になる子が居るのかっていう質問だよ」
「あ……、うん。そ、そうだけれど……。それが今に関係があるの?」
今は敵に追われている状況で、そんな時に先程の、色恋沙汰の話を蒸し返されるとは思っていなかったのだろう。
桃子はバツが悪そうに視線を彷徨わせている。
今はそのような話をしている場合ではないと桃子は言いたい所だが、海人にとってはそれこそが状況を明らかにする事柄らしい。
「あの子は俺が――――」
悔しさを滲ませるように、海人は拳を固く握りしめて続く言葉を絞り出す。
「俺が……、救えなかった子なんだ……」
それは十年以上遡った日に起きた出来事であった。




