6.少女の涙
海人達の前に突如として現れた黒衣の男。
アレイシヤの言う異世界からの侵略者では無い様だが、その者は海人に対して強い敵愾心を持ち、海人にだけ攻撃を仕掛けてきた。
最初は押されつつあった海人も攻撃を避け、その身で受ける度に隙を見出し、どうにか膝をつくことなく闘っていた。
「アーシャちゃん……っ、アイツは一体何者なの……!?」
目で追う事が精いっぱいな二人の闘いを目の当たりにし、茫然と立ち尽くしていた真帆だが、このままではいけないと、ハッとして隣に居るアレイシヤに問い掛ける。
海人に対して呼びかけもしたアレイシヤは何か知っているようであって、けれども上手く言葉にし辛いのか、真帆に対しても説明できずにオロオロと慌てふためくだけであった。
「あ、あの方は敵ではなくて……――――」
どうにか説明しようとした矢先、相対する者達の間に虹色の光を放つ魔法陣が現れ、そこに一人の人物が降り立つ。
「新手か……!?」
「……レヂディーノ……!!」
黒衣の男に名と思しきものを呼ばれた者。その者もまた、黒い外套と黒い衣服で身を包み、黒い仮面を着けていた。
体のラインから女性と推察できるレヂディーノは、黒衣の男に背を向けて海人の前に立ちはだかる。
黒衣の男を相手に凌いでいた海人だが、ここで増援となると厳しいどころではない。
退却も視野に入れ、真帆達の位置を確認し、退路を探りつつ相手の出方を窺うが、レヂディーノは予想外の行動に出た。
「――――グラヴィスト。私が下した命を忘れたのかしら」
「……っ!!」
レヂディーノの問いかけは咎めるものであって、酷く冷たさを感じさせた。
どうやら黒衣の男、グラヴィストはレヂディーノの配下らしく、責を問われた彼は跪いて釈明をしだす。
「奴はいずれ障害となるかもしれません。ここで分を弁えさせておかねば――――」
「その必要は無いわ」
背を向けたままピシャリと一言で裁するレヂディーノ。
己を省みたのか、グラヴィストがそれ以上口を開くことは無く、彼は頭を垂れたままであった。
配下を窘めた後、レヂディーノは虚空より現れた銀色の長杖を手にする。
魔法使いが手にするような先端に緋色の宝石が填め込まれた杖。それを天に円を描くように振るい、呪文を唱えるとその場に先程目にしたばかりと同様の魔法陣が現れた。
「逃げる気か……!?」
虹色に輝く魔法陣から降り注ぐ光に包まれる黒衣の者達。
戦う気はないのだと、攻撃を仕掛けてきたのはグラヴィストの勝手な判断であってレヂディーノの意志ではないと二人のやり取りから理解できたが、このまま逃がす訳にもいかない。
咄嗟に海人は駈け出すが、伸ばした手は何も掴めず、二人の姿は目の前から消え去った。
「……ったく、何なんだ一体……」
結果として助かった訳だが、相手の正体や目的も知れぬまま逃げられてしまい、海人はどうにも腑に落ちない様だ。
すぐにでも後を追いかけて問い詰めたい所ではあるが、相手が何処に向かったのか分からないのではどうしようもない。
今海人に出来る事といえば真帆達が無事であったかを確認する事であった。
「二人とも、大丈夫か……?」
「あ、はい。私は大丈夫です……」
「良かった……。……どうした、真帆?」
「……」
脅威が去り、緊張の糸が途切れたのか。真帆は足元から崩れるようにしてその場にへたり込みそうになるが、両膝が地面につくことはなく、彼女の身は駆け寄った海人に支えられた。
「お、おい、大丈夫か……!? どこか怪我をしたのか……っ」
「……大丈夫」
「そ、そうか。それならよか――――」
「良くないわよ!」
もう自分で立てると、両手で押しやる真帆は目元に涙を浮かべていた。
それ程までに怖い思いをさせてしまったのかと、海人は真帆を巻き込んでしまった事を後悔するも、どうやら彼女の涙の意味は違うようだ。
「心配したんだから……っ!」
「は……? ……いやいや、心配したのは俺であって――――」
「私の方が心配したに決まっているでしょう……っ!」
泣いてしまった事を恥ずかしく思い始めたのか、真帆は顔を見せないようにしゃがみ込み、膝を抱えた所へ顔を埋めて嗚咽を漏らす。
滅多に弱い所を見せない真帆。そんな彼女のいつもとは違う姿にどうすれば良いのか慌てふためく海人。
アレイシヤは海人とは違い、真帆の気持ちを察しているようで、傍で膝を折り、落ち着かせるように背を優しく撫でている。
暫くそのままであったが、時間を置けば少しは落ち着いたようで、時々しゃくり上げながらも真帆は未だに理解していない海人へと気持ちを溢しだした。
「……だって、あんなにやられていたじゃない……っ」
「そりゃ、最初はな。でも途中から一方的ではなくなっただろう?」
「でもでも、もう一人現れた時はどうなるかと思ったのよ……!」
「まぁ、俺も流石にヤバいかと思ったけど、結局あのグラ何とかって奴の暴走だったらしいし。こうして無事だったんだから良かったじゃないか」
「良くない……っ!!」
心配を掛けさせてしまい悪かったと、素直に謝ればこの場は納まるのかも知れないが、それは気休めでしかない。
これから先、同じような事が起こり得る可能性が否定できない以上、ここで何を言っても真帆は納得してくれないだろうと、海人は下手な言い訳は出来なかった。
「や、やはり、御迷惑だったでしょうか……」
ポツリと呟き自身を責めたのはアレイシヤで、彼女は酷く後悔しているようであった。
今こうして真帆が泣いてしまったのも、元をただせばアレイシヤが海人と出会ったことが発端で、関わらなければ巻き込まれることは無かったのだと、アレイシヤは二人に謝罪した。
「……お二人には、お世話になりました。これからは御迷惑を掛けないよう、気を付けますので――――」
「それってどういう意味だ……?」
「と、取り敢えずは、皆さんに被害が及ばぬよう、ここを離れて――――」
「行く当てはあるのかよ」
「だ、大丈夫です! 荷物の中にはテントもあるので、どうとでも――――」
アレイシヤのような幼い少女がテント暮らしを出来る筈がない。何処に設営するつもりかしれないが、通報されて保護されるのがオチである。
その際、警察に厄介になればどうなるのか。
アレイシヤが事情を明かした所で子どもが言う戯言だろうと、そう簡単には信じて貰えないだろう。
仮に証明が出来てすべてを鵜呑みにしたとすると、異世界シュトラルヴェルトとの関係が今以上に悪くなる可能性もある。
ここでアレイシヤが離れて行ってしまうとどうなるのか。色々と思い浮かぶところではあるが、何よりも真帆が強く思ったのは、自身が如何に考えなしであったかという事であった。
「ごめんなさい……!」
「マ、マホさん……?」
突然立ち上がって勢いよく頭を下げる真帆。
すっかりと涙は引っ込んだようで、冷静になれた彼女は取り乱した事を謝罪した。
「ついさっき力になるって言ったばかりなのに、こんなに早く反故にしてごめんなさい」
「マホさんが謝る事は何一つないんですよ。巻き込まれている被害者ですので……」
「ううん。……私は巻き込まれただなんて思わない。自分から飛び込んだのだから」
真帆はただ覚悟が足らなかったのだと、想像以上の事が起きて理解が追い付かないでいて当り散らしてしまったと反省する。
そして彼女は正直に、まだ先行きに不安も残るが、だからといってアレイシヤを一人には出来ないと、自身の発言には責任を持ちたいとも申し出た。
「マホさん……。でも、無理はしないで下さい」
「大丈夫。もう大丈夫だから」
「そうだぞ。真帆がそこまで心配する必要は無いんだからな」
「はぁ……?」
話は良い着地点に導かれつつあったのだが、そこで一石を投じるのは空気を読めない海人であった。
海人は全て自分に任せてくれと、今後は怖い思いをさせないからと二人に宣言する。
実に頼もしい台詞であるが、先程の戦いぶりを見るからに、それは軽い発言に感じられるようであって、真帆は眉間に皺を寄せて冷たい視線を向けた。
「……誰のせいでこうなったと思っているのよ」
「……俺のせいなのか?」
「そうでしょうが……! 海人が無茶をしなければこんな事には――――」
「いやいや、そうはいっても――――」
「下手に相手を刺激するから殴り合いになったんじゃないの? ……もしかしたら海人が何かしたから怒っていたのかも知れないし……」
「それについては全く身に覚えが無いんだっての」
アレイシヤにとって見慣れた光景になりつつある二人の口喧嘩。それは毎度の事だが勢いがあって、そう簡単には割り込めない。
それでも今回ばかりはアレイシヤも言いたい事があるようで、思い切って二人の間に立ち、説明をした。
「あ、あの……っ。さっきの方々の事なのですが――――」
それは昨日の事。
公園で襲撃者を鎧の力により倒した海人は、力を使った事で気を失ってしまい倒れたのだが、意識を取り戻すまでにあった出来事を知らずにいた。
アレイシヤの話によると、海人が倒れてすぐ、そこには二人の黒衣を纏った者が現れ、その者達は襲撃者によって破壊された遊具や抉れた地面を魔術で修復して去ったそうだ。
「同じ格好をしていたので、先程現れた者達と相違ないか、同じ目的で動いている者達かと……」
痕跡を消し去るようであったその者達はアレイシヤに手を出す事も無く、気を失った海人に危害を加える事も無かった。
最初はアレイシヤも警戒し、倒れた海人を一人で守ろうとするも、黒衣の者達は敵対の意志が無い事を告げ、その通り攻撃を仕掛けてこなかったそうだ。
「――――訳が分からないわね。敵なのか味方なのかハッキリとして欲しいわ」
「どちらでもない、中立って事じゃないのか?」
「少なくとも、グラヴィストって人は貴方の敵であるようだけどね」
「だから本当に、身に覚えが無いんだっての」
「と、取り敢えず、彼らに関してはこちらが敵対の意志を見せなければ大丈夫かと思われます……」
「俺も事を荒立てたい訳じゃないが、向こうが手を出してくるなら致し方ない」
その時は全力をもって戦うと言う海人。
ここでいくら注意したとしても誰かを守る為ならば海人は己が身を犠牲に戦うだろう。
守られるのが嬉しくない訳では無いが、やはり無茶はしないで欲しいと、無駄であると分かっていながらも真帆は再度海人に注意を促した。
異世界からの侵略に加え、黒衣の者達という得体の知れない存在もあると知った訳だが、結局今の海人達に出来る事といえば無いに等しかった。
「……アーシャちゃん?」
日も暮れ、そろそろ自宅へ戻った方が良いだろうという事になり、海人達は鳥居をくぐって石段を下り始めるが、アレイシヤは足を止めて俯いていた。
「本当に……、いいのですか?」
まだ不安が拭いきれずにいたのか、アレイシヤはもう一度二人に問いかける。
当たり前だろうと、海人が振り向き笑顔で応える前に動き出したのは真帆で、彼女は階段を駆け上がり、アレイシヤの手を取り大きく頷いた。
「聞くまでもない事よ」
「マホさん……」
「さ、行きましょう……!」
少々強引なようだが、アレイシヤは嬉しかったようで、暗い表情はすっかり消え去り、笑顔すら見えていた。
手を繋いで並んで歩く真帆とアレイシヤ。
二人は立ち止まっていた海人を追い抜かし、今晩のおかずは何が良いかと談笑しながら歩いて行く。
ポツンと置いて行かれた海人は暫し茫然としていたが、空気と同じような扱いになりつつある事に気付き、慌てて彼女らの後を追い掛けた。
日はとっぷりと暮れ、街灯が点き始める頃。
一人の女子高生は肩を落としながら時折溜息を吐き、トボトボと帰路についていた。
ふんわりとした茶色い長髪。ゆったりとしたニットのセーターの上からでも分かる豊かな胸元。不機嫌そうに眉を吊り上げているが、迫力は無く、寧ろその表情も愛らしい。
彼女の名前は聖沢桃子。
放課後はいつも実家である寿司屋の手伝いをしているのだが、今日は休みを貰えていた為、前から行ってみたいと思っていた駅前のケーキ屋でお茶をしようと考えていた。
ケーキと紅茶も楽しみにしていたが、何より桃子が期待していたのは一緒に行く相手で、それはクラスメイトである海人であった。
「もう……! 何で私の誘いを断るかなぁ……」
自分の魅力に自信があり、生徒会長である姫条玲緒奈さえ居なければ学園一の美少女であると思っている桃子。
たいていの男は桃子の前では鼻の下を伸ばし、彼女の思い通りに動かせる。
今日も腹いせにケーキをやけ食いしたが、それは猿渡達が喜んで支払った。
同級生だけでなく下級生も上級生も、先生ですらデレデレするというのに、どうしてか海人は全く靡く気配が無い。
胸元やチラリと覗く太ももに視線を感じもするが、目が合った瞬間、サッと逸らされてしまう事が偶にある程度であった。
「やっぱり、真帆ちゃんとデキているのかしら……」
幼馴染である真帆と海人は仲が良く、今日も彼女との先約があるとの事で桃子は誘いを断られてしまった。
真帆が海人の事を想っているのは桃子も気づいている。
海人の方はただの幼馴染としか認識していないようだが、真帆の気持ちがキチンと伝われば二人はくっ付いてしまうかもしれないと桃子は考えてもいた。
お似合いであるようだが、桃子にとってそれはつまらない展開であって、彼女は普段から真帆にちょっかいを掛けて自爆させているのであった。
「幼馴染は負けヒロインって言うけど、あんなに仲が良いと間に入れないじゃない……っ」
桃子が海人にこだわる理由は真帆という存在も一つの理由であるだろう。
美味しいケーキを食べても全く気分は晴れず、不満顔のまま帰宅する桃子だが、店舗兼自宅の裏口に差し掛かった所で彼女は驚き歩みを止めた。
「な、何……? あれ……――――」
裏口の前にあった黒い塊。それは転がったゴミ袋でもなく、よくよく見れば人の形をしているようであって……――――と言うよりも、人、そのものであった。




