2.お掃除タイムの始まり
かつては立派な建造物があったであろう、今は石畳しか残されていない跡地。
そこから海人達は地を駆ける竜が引く車、竜車に乗り、この島で最も栄えている町へと向かった。
暫くは見渡す限りのひび割れた大地が続き、やがて進路の先には大きな壁のような、雲を突き抜けた山が見え始める。
山が近づくにつれて大地には僅かばかりの植物が。
背の低い雑草から始まり、枯れた木々が点在し、徐々に葉を生い茂らした木々の姿が確認できた。
不毛の大地に思えた場所でも植物が全く育たない訳でもないようで。
と言ってもそれらは海人達の世界の植物とは違うようで、色は紫や青など毒々しいもので、人を丸呑みしそうな大きさの肉食植物と思しきものが蠢いてもいた。
複数の植物が小動物に群がり牙を立てる姿を目の当たりにした桃子はサッと目線を窓から外し、現実逃避を開始した。
「な、なんか個性的な植物ばかりだけど、この島も普通に植物があるんだね~……。ねぇ、聞いていた話と違うんだけど?」
事前に遠藤から聞かされていた話では、この島ではまともに植物が育たないという事で、皆は果てしない荒野が広がっていると想像していた。
実際のところ遠藤の話は間違っておらず、彼が海人達の世界に渡るまではほんの僅かしか植物は無かったそうだ。
「魔王様が不在の間、私めが土壌の改良に当たっておりました」
「ウム。アルドアーズよ、大儀であったな」
アルドアーズの指示により緑地化が進んでいたようで、今では城下町を囲うように森が形成されている。
またしても有能さを表したアルドアーズだが、皆からの称賛に思い上がることは無く、低姿勢のまま捕捉を付け加えた。
「ですがこれらの植物は毒素を含んでおりますので、皆様方は触れられない方がよろしいかと」
アルドアーズの言葉に皆は言葉を失い互いに顔を見合わせる。
つい先程は茶を楽しみ、食を通して自分達と異世界との差があまり無いのだと感じていた皆は、ここで自分達が異世界に居るのだという事を思い知らされた。
どんな時でもマイペースでいる桃子も先程の光景、肉食植物の姿が忘れられないのか、俯いて押し黙っている。
車内はシンと静まり返っていたが、一人の男、雉岡が軽く手を挙げてアルドアーズに問い掛けた。
「あの、一つお尋ねしたいのですが」
「はい、なんでしょうか。何なりと申して下さい」
「植物で……、触手を動かし人に襲い掛かるような品種はあるのでしょうか?」
「ええ、そのような植物も存在しております。生息域はこの島だけではなく、ヒトが住まう大陸にも存在するようで、討伐の対象となっているようですね」
「それは……! そ、そうですか……」
回答を得た雉岡は口元に手を当てて口端が緩むのを隠している。
彼の問いの意図をいち早く読み取ったのは猿渡で、成程と言って納得していた。
しばらく考え込んでいた真帆は気味の悪い二人の想像がついたようで、二人に向かって侮蔑の眼差しを向けた。
「貴方達……。まさか……」
「……!? い、いいえ、私は何もやましい事など……。そ、そうですよね、猿渡氏」
「ああ、そうだ。俺達は危険な生物に対して見識を深めているだけであって……。む、寧ろ占部は何を想像したんだよ!」
「え!? わ、私は別に……。と言うか、海人の部屋の押し入れにあった薄っぺらい本にそういうのがあったでしょ!? あれは貴方達の私物だそうじゃない!」
「ま、真帆!! その話は――」
この時点で犬飼は話の内容を理解したようで、耳を赤くして俯いている。
一方アレイシヤは何の事かさっぱり理解していないようで首を傾げ、桃子は桃子で理解しているが違う方向に走っているようで、海人に余計なお世話を焼いていた。
「海人君、前にも言ったような気がするけど、本なんかじゃなくて私が――」
「桃子! 貴女また馬鹿な事を言って――」
「だって、海人君だって男の子なんだから仕方がないでしょ。そういう事を何でも禁止って言っている方が良くないよ」
「あ、いや、俺は別に……」
「待たれよ! 桃子嬢。桃子嬢の清らかな身体をそのような小僧に捧げるなど、我が許しはせんぞ!」
「はぁ!? 何でアンタの許可がいるのよ。五月蠅いしウザいから黙ってて!」
雉岡の問いから始まった口喧嘩。
桃子が海人に迫るのを阻止しようと遠藤が加わり、収拾がつかなくなる。
場は混迷を極めているが、先程の重たい空気よりはマシと言ったもので。
暫くそのままに。賑やかであったが、町が近づいてきた事によりアルドアーズが場を収めた。
彼は一喝して騒がしい者共を黙らせた訳ではない。
その方法は先程の問いに補足しただけなのだが、その内容がとんでもないものであった。
「先程の話に付け加えておきますと、触手型の植物は四肢に絡みついて溶解液で溶かし、四方に引き裂いてから摂食する獰猛な種も居りますので、皆様は充分にお気を付けください」
アルドアーズの説明を脳内で想像してしまったのか。
皆は表情を凍らせ、体を強張らせ、沈黙して。車内は再び静まり返った。
鬱蒼とした森を抜けた先。
そこには森と城下町とを隔てるような城壁があり、立派な門も存在していた。
城門には詰所があり、駐在兵も居るようで。
離れた集落からの行商人の入場手続きや積み荷の検査が行われている。
海人達は魔族ではなくヒトである自分達が無事に入場できるか不安を過らせたが、それは杞憂で済んだ。
アルドアーズは魔王の側近であるからだろう。
兵士達は彼の顔を見るなり佇まいを直し、車の中を確かめようとはせず、直立不動で竜車を見送った。
先程までの代わり映えがしない不気味で陰鬱とした森とは違い、城下町には煉瓦造りの建物が並び、住民の姿も見られ、自然と視線が窓の外に向く。
真帆や桃子、猿渡達三人組は城下町の様子に興味津々のようで、すっかりと観光者のようになっていた。
「思っていたより普通の街並みなのね」
「普通ってよりも、素敵じゃない。ヨーロッパの街並みみたいで」
「桃子、貴女、観光者気分でいるんじゃないでしょうね」
「え~。今くらい良いじゃない。景色を楽しんだって」
「そうだぜ。占部は少しばかり余裕を持ったらどうだ? 眉間に皺を寄せてばっかりじゃ流石の海人も逃げ出す――」
「猿渡氏。あまり口出しはしない方が良いかと思うのですが……」
「う、占部も。猿渡は悪気があって言っているんじゃ……」
相も変わらず空は鉛色で、陽の光が差さない町は暗く活気が無いように思われていた。
だが舗装された路地の脇には柔らかい光を灯した街灯が等間隔に並んでおり、店先のランタンにも色鮮やかな光が灯されていて街並みを彩っている。
商店には沢山の商品が並び、店主と客とのやり取りが盛んに行われ、酒場では飲んだくれが競い合うように酒を煽るなど活気も溢れている。
皆が流れる景色を楽しみ、会話を弾ませ、何故だか言い争いに発展させている中、いつも仲裁に入るアレイシヤは何故だか大人しく座ったままであった。
「……そこの小娘」
「……え? ええっと、私の事でしょうか」
「そうだ。アイントールの小娘よ。随分と顔色が悪いようだが、車に酔いでもしたのか」
アレイシヤ一人は俯いて膝の上で拳をギュッと握りしめている。
青ざめた表情から体調を崩したようにも見受けられるが、そうでは無いようで。
遠藤に問われた彼女はすぐに顔を上げて素早く横に振り、平気だと言った。
「だ、大丈夫です。私は……、別に……」
「それは真、か? フン……。無理をする事はないのだぞ。寧ろ車内で嘔吐される方が迷惑というものだ」
「えっと……、その……。本当に、体調は問題ありませんので……」
「ではなに故そのような辛気臭い顔をしている」
「それは……。わ、私は……、この島の方々に恨まれても当然の存在、ですので……」
「……フム」
魔族が最果ての離島に追いやられたのは人々との争いの結果である。
この世界の人であるアレイシヤは敵地の中にたった一人で居るように思えて、不安でたまらないようであったが、遠藤は首を横に振った。
「小娘よ、我ら魔族を浅い見識で語られては困るぞ」
「え……っ!? そ、そんなつもりは……」
「我らはヒトとは違う。過ぎ去った事をいつまでも根には持たん」
「そう……、なのですか……?」
「我らと刃を交えたヒト共は既にこの世から消え失せておるからな」
好戦的で人の領地を奪い、抵抗する者は虐殺するというのが魔族に対するイメージであったが、それはどうやら勝手な思い込みらしい。
現に遠藤こと魔王グエンドヴェルクは争いを好まず、魔王という運命から逃れようとしていた。
海人達を出迎えたアルドアーズも紳士的で、今のところ残忍な姿を見せてはいない。
こうして二人の魔族と対面し、彼らの言葉を聞きもしたが、やはりアレイシヤには幼い頃より染みついたイメージが離れないようで、戸惑いを見せている。
そのような彼女にアルドアーズは魔族と人との顕著な違いを挙げて説明をした。
「私共魔族は死しても記憶を保持したまま生まれ変わります。対してヒトとは一生に一度きりの命ですから、失う事を恐れ、そのか弱き命を奪う者を憎むのでしょう」
死生観による違いだと気付かされたアレイシヤはホッと胸を撫で下ろしかけるが、ある事に気が付き表情を強張らせた。
その事とはすぐ傍に居る者、海人に関わる事である。
アレイシヤは問うべきかどうか迷いつつも、ハッキリさせておかなければと思ったようで、海人に聞こえぬよう声を潜ませて問い掛けた。
「あの……、先程の話ですと、まだ存命でおられる譲司様とマルリース様の事は……」
「フム……。確かにあの者共を忌々しいと思いはしたが、それもまた過去の事。あの者共の仕出かした事により、我は桃子嬢と出逢えたのだからな。今の我にとってあの者共は些末な存在だ」
「そ、そう、ですか……」
遠藤が桃子と出逢わなければ世界はどうなっていたのか。
それを考えたアレイシヤはまたもや顔色を青ざめさせていたが、遠藤の高笑いとポジティブな言葉に不安は掻き消された。
「我とアルドアーズ以外の魔族はあの者共はとうに死んでいると思っておる筈だ。仮に生きていた事を知ったとしても、今更どうこうしようとは考えまい」
「だと良いのですが……」
「そこまで度量の小さき者は存在しえぬ。魔族とは快活であって明朗な者共よ」
などと話をしている内に竜車は山の麓へ。
そこにはそれなりに立派な城があり、再び大きな門が待ち構えていた。
蔦が這う城は漆黒の煉瓦造りで、屋根瓦の色は濃紺と、見た目からして魔王の城らしい佇まいである。
皆がその迫力に圧倒される中、分厚い扉が開かれ、竜車は中へと迎えられる。
ここは遠藤こと魔王グエンドヴェルクの居城であるからして、主をすんなりと通すのは当たり前であったが、竜車を降りた海人達はそこで待ち構えていたものに驚きを隠せなかった。
「よう、久しぶりじゃねぇか。腰抜け魔王サマよ」
「過去の行いを恥じて英雄の首を持ち帰ったとか聞いたが、何処にあるんだ?」
「まさか貴様……。また何も成せずに戻って来た訳ではあるまいな」
海人達を出迎えたのは魔王に仕える使用人達ではない。
彼らは大剣やメイスを片手にした魔族で、どの者も筋骨が隆々としており、強い敵愾心を向けてきている。
当然として海人達はどういう事だと問いたげに遠藤の顔を見るが、彼はにこやかに笑って見せた。
「ヒトの中にも猟奇的な者や他の者と意思疎通がままならぬ者が存在するだろう。魔族とてそこは同じ。少々おかしな連中がいない訳でもないのだ」
その説明は相手を小馬鹿にするようなものであって、煽られた者共は怒声を上げながら一斉に襲い掛かってくる。
咄嗟に海人は皆を守るよう前に出て鎧を纏うが、彼が暴徒からの攻撃を受けることは無かった。
海人よりも先に動いたのはアルドアーズで、暴徒はアルドアーズの足元から伸びた影によって拘束され、簀巻き状態となって転んでいる。
瞬く間に暴徒を鎮静化させたアルドアーズはまたしても鮮やかな手並みを披露したが、これは自身の不手際であったと主に頭を下げた。
「魔王様、掃除が行き届いていなかったようで申し訳ありません。塵は直ちに処分致します」
「構わぬぞ。我は細かな事に気を留めぬ」
「寛大なお言葉を賜り、痛み入ります」
アルドアーズは再び礼をした後、芋虫のように蠢く暴徒たちに向かって指を弾く。
すると暴徒たちの身体は宙に浮き、山を越えて空の彼方まで飛んで行った。
それはまるで昔の漫画やアニメで悪役が倒された時の場面ようだが、これは現実であって。
海人達は姿が見えなくなった者達の身を案じたが、遠藤もアルドアーズも気にする事はないと言ってのけた。
「皆様、見苦しい場面をお見せしてしまった事を深くお詫び致します」
掃除を終え、海人達にも謝罪したアルドアーズは城の扉を開き主と客人を招き入れる。
彼は客間にて客人をもてなそうとするが、エントランスホールにはまたしても行く手を阻む者達の姿が。
武器を手にした暴徒がこの城の主の帰還を待ち構えていた。
「アルドアーズよ。この城は我が留守にした間に随分と賑やかになったものだな」
「申し訳ありません。直ちに塵を片付けさせて頂きます」
「まぁそう焦らずとも良い」
「……と、言いますと?」
「向こうの世界には黒光りする虫が居るのだが、それがまた生命力に溢れており、繁殖力も強く、何より素早い動きと飛行能力と見た目とで忌避されていたのだ」
「左様ですか。それはこちらの世界の炊事場に湧く虫と酷似していますね」
「その通りだ。アレに似たその虫は飲食店では天敵であって、向こうの世界ではそれを捕らえて処分する便利な道具があるのだ」
「毒餌ではなく、捕食する小動物でもなく、罠という事でしょうか。小さな虫となるとバネ式のネズミ捕りとは違う形状でしょうし……」
「仕組みは後程に明かそう。罠を仕掛けるにしろ、番犬を飼うにしろ、今は目の前の塵を片付けなくてはならないからな」
「畏まりました」
海人達が呆然とする中、アルドアーズは鮮やかな動きで敵を排除していった。




