7.毒を以て毒を制する
様々な準備を経て、いよいよ海人達は異世界シュトラルヴェルトへと渡る。
決行は今宵、満月の夜。
月の満ち欠けは魔王の行使する魔力に影響があるらしく、海人達は月が満ちる時を決行日と定めた。
時刻まではそれぞれ思い思いに休息を取り、充分に身体を休めておいて。
陽が沈んで丸く青白い月が昇る頃、必要最低限の荷物を手にして海岸に集まった。
「みんな、覚悟は良いか」
向こうの世界では一体何が起きているのか、どのような状況なのか全く分からない。
場合によってはもう二度とこちらの世界に戻る事ができなくなるかもしれない。
海人達は最悪な状況を想像していない訳ではなく、覚悟の上でここに居る。
旅立つ前に海人は再度皆に問いかけてみたが、皆は特に緊張した様子もなく、いつも通りの様子であった。
「そういや雉岡、今更だけど海沿いでやる夏の祭典はいいのか?」
「ええ、その点は抜かりありません。漫研の同士が必ずや確保してくれるとの事です」
「ああ、それは良かったな」
「フフフ……。待ち望んでいた新刊を手にするまでは死ねませんからね」
「お、おう……」
「おい、変なフラグ立てるのは止めとけよな」
これから未知の世界へと足を踏み入れるというのに雉岡は相変わらずのようで、猿渡と犬飼はどんな時でも趣味に対する情熱忘れない姿に呆れ果てていた。
男性陣が緩い会話をしている一方、女性陣はと言うと少しばかり揉めているようだ。
桃子が不満そうに口を尖らせて文句を言い、真帆がそれを窘めており、口論になりかけた二人の間をアレイシヤが取り持っていた。
「うーん……。やっぱりこれだけじゃ少なくない!?」
「何を言っているのよ。あんな馬鹿デカい荷物を持って動き回るなんて事出来る訳ないでしょ」
「でもでも! 女の子に身だしなみは必須だし!」
「だからってファッションショーが出来るくらい服を詰めるなんて馬鹿げた事を――」
「だ、誰が馬鹿よ! そんな事言って着替えに困っても真帆ちゃんには貸してあげないからね。……あ、そもそも真帆ちゃんに私の服はサイズ的に合わないか~」
「ちょっと、何処を見ながら言っているのよ!」
「マ、マホさん、落ち着いて下さい……! モ、モモコさんも……! もしもの場合は荷物を手放さなくてはならないかも知れませんので、最低限の荷物が良いかと思うのです……」
「そ、それは……、そうね。奮発して買ったお気に入りを失くすのは惜しいし……」
これが本当に異世界へと旅立つ前の光景なのかと問いたくなるところだが、変に構えるよりは良いだろうと海人は自分を納得させた。
何にせよ皆の想いに揺るぎは無いようだ。
荷物だけでなく心の準備も整っている事を再度確認した海人は遠藤へと声を掛けた。
「それでは、お願いします」
「ウム……。任せるがよい…………と、言いたい所だが、事は上手く運ばんようだな」
「……っ!」
後は魔王グエンドヴェルクが本来の力を解放し、その力で異世界の扉を開くだけであったが、それに待ったを掛ける者達が。
遠藤の見つめる先。砂浜と道路とを隔てている防潮堤にはつい先程までは誰も居なかった筈だが、一瞬にしてその者達は姿を現した。
「レヂディーノ……っ!」
「……」
彼女は以前と変わらず白い仮面で素顔を隠し、黒い外套で美しい髪と整ったスタイルを隠しているが、他の者と見間違う筈もなかった。
こうして彼女が現れる事を海人は想定しており驚くことは無かったが、彼女から発せられている冷たい空気には思わず息を呑んだ。
それは約束を違えた者に対する呆れか、無謀な真似をする者達への侮蔑か。
なんにせよ友好的にとはいかず、海人達は再び彼女達と対峙した。
「――……これはどういうつもりかしら」
「どう……、とは……」
「貴方達がしようとしている事よ」
海人達の計画は全て見抜かれていたようだ。
そしてこの場所を合宿地として決めた事を皆は家族にしか話していない為、竜堂家に居候するガイラルドやアウグストが内通者である可能性が更に高まった。
アレイシヤから聞かされていた筈だが、海人はどこか納得いかないようで。
レヂディーノの背後に控える者達に真偽を問いたいが、この場で問う訳にはいかない。
海人は複雑な想いを抱えていたが、悪態をつくグラヴィストから意外な情報を知らされて驚いた。
「フン……。何故ここに居るかと問いたげだが、お前達は揃いも揃って阿呆なのか」
「な……っ! いきなり失礼なこと言って、何なのよー!!」
「まだ気が付かないのか。自ら居場所を晒す愚か者が」
「え……!? そ、それってもしかして、私に言っているの……?」
グラヴィストの物言いに腹を立てていた桃子は、原因は自分にあると彼から指摘されて驚く。
当人には全く自覚がないようで、周りも思い当たらないようで互いに顔を見合わせていたが、真帆だけが気が付いたようでハッとして桃子へ疑惑の眼差しを向けた。
「桃子、貴女写真を撮りまくっていたけど、ネットにアップするのは非公開アカウントじゃ……」
「え? 鍵付きじゃないよ。私の可愛さとベストショットを世の中に発信しないなんて勿体無いじゃない」
「…………一度ネットリテラシーについて勉強させなければならないようね」
桃子の危機意識の無さと能天気さに真帆は頭を抱えつつ大きな溜息を吐いている。
これで情報発信源を知ることが出来たが、今更どうする事も出来ない。
桃子の教育は一先ず置いておいて、海人達は現状をどうにかしなくてはならなかった。
覚悟をして、入念な準備を済ませて。ここまでくれば退く訳にはいかない。
けれどもここで戦って無駄に消耗する訳にもいかない。
だが今のレヂディーノ達と会話で事が収まる筈もない。
会話が出来ず武力を以ってして行く手を阻む者達をどうするのか。
その為に海人達はある策を用意していた。
「遠藤さん……!」
「ああ、心得ている。来たれ、我の眷属よ!」
高く掲げられた手が振り下ろされ、禍々しい光が放たれる。
光は砂浜に紋様を、魔法陣を描き、砂を巻き上げる風を起こしてより一層激しい光を放った。
術の発動と共にレヂディーノ達は動き出そうとするが、思わず歩みを止めてしまう。
それは術によってこの場に召喚された者の姿を目の当たりにしたからで、海人達の動向を熟知している彼女達でもその者の登場は予測できなかったようだ。
「あ、貴方は……っ!?」
「レヂディーノ!! 下がって下さい……っ!!」
魔王によってこの場に召喚された人物。
その者は病的なまでに白い肌で、美少年とも美少女ともとれる中性的な顔立ちをしている。
身に纏う衣服は黒一色で、身体のラインも細く性別が分かりづらいが、発せられた声は低く高圧的で、不愉快そうに歪められた表情は整った顔を台無しにしていた。
「――――……ようやく俺様の出番って訳か」
「ウム。我が下僕、ヴァルトハインよ。我の行く手を遮るこの者共を蹴散らすがいい」
「ハァ!? 誰が下僕だ!! 俺様は――――」
「無駄口はいいからとっとと役割を果たしなさいよ、眷属」
「ク……ッ。このクソ眼鏡女……っ! 俺様をコケにした事、絶対に後悔させてやるからな!!」
海人達の盾となる役割を担った者。
それはかつて海人達と戦った因縁のある者、ヴァルトハイン・ベルスフォードであった。
闇に潜み死を招く神チェルノボーグと腐敗の魔神キノトグリスを宿す二種の魔導装具を扱うヴァルトハイン。
グランツドラッヘン王国の第七騎士団の副団長である彼は誰かの上に立つような人柄ではなく、常に単独行動を、獲物と定めた者と戦う事だけを楽しむ狂戦士である。
海人達は彼と何度か刃を交える事となったが、他の者とは違い話は通じず、厄介な能力で苦戦を強いられていた。
そのような彼が海人達に協力せざるを得ない状況に陥ったのは、真帆の何気ない言葉から始まったのだった。
「ねぇ、海人」
「ん? どうしたんだ? まさか怪我でも――」
「ううん、そうじゃなくてね、気になる事があって――」
異世界へと渡る為の準備を進めている中、海人達はこれまでと変わらず装具に操られた者達と戦っていた。
今日も今日とて戦いを無事に終えて、操られていた者の解放も済んだ所で真帆は何かが気に掛かったようで、海人だけに聞こえるように訊ねた。
「私達が向こうの世界に渡ったとして、今日のように装具に操られた人が現れたら大丈夫なのかしら」
「そこはまぁレヂディーノ達に任せるしかないな。それから、俺達が合宿で離れるって事ならガイラルドさん達が動いてくれるそうだし」
「それはそう……だけど、奴が現れても問題ないかしら」
「奴……? って言うのは――」
真帆の言う「奴」とは海人達の前に何度か立ちはだかったヴァルトハインの事であった。
以前彼によって拉致監禁された真帆はその場で起きた事、暴言などを根に持っているようで、忌々しそうにその名を出した。
ヴァルトハインとは真帆が攫われた時以来は対峙していないが、この町の何処かに居る事は間違いないだろう。
装具に操られた者よりも厄介な彼をこのまま放置しておいて良い筈はない。
海人はどうするべきか頭を悩ませていたが、真帆は何やら案があるらしく、提案をしてきた。
「今の所レヂディーノ達が邪魔をしてくることは無いけど、このまま上手くいくとは思えないの」
「そう……、だな」
「もしもの時はどうするつもり?」
「それは……、戦うしかないのかもな」
「だとしたら、いい方法があるわ」
「いい方法……?」
「それは毒を以て毒を制すよ」
真帆が提案したのはレヂディーノ達との衝突を回避するためにヴァルトハインを使うという事であった。
以前彼女が捕らえられた際、ヴァルトハインは白い仮面の男と戦う事を望んでいると言っていた。
それならば都合が良い、とも思うが、相手は話の通じない相手であって、簡単に協力を得られる筈もない。
どうやってそんな相手をこちらの都合の良いように動かせるのかという海人の問いに対し、真帆は一つ当てがあると言った。
「――――……と言う訳で、力を貸して欲しいのだけれど」
「ほう……。娘よ、我の力を頼りにするのか」
真帆が海人と共に訪れたのは沢乃屋であって、目的の人物は魔王グエンドヴェルクもとい遠藤である。
次元を越えられる程の力があるのならばヴァルトハインの居場所を突き止める事も従えさせる事も容易いだろうと真帆は予測した訳だが、見事に彼女の想像通りだったようだ。
更に付け加えると、ヴァルトハインの使う装具に宿している精霊獣は闇に属するものであって、同じく闇の力を行使することに長けている魔王にとっては存在を捉え易く、御し易いそうだ。
と、言って話は都合よく進むが彼は相変わらずのようで。
桃子以外の願いに簡単に首を縦に振らなかった。
「だが断る」
「……まぁそういう返事が返ってくると予想はしていたけれど、どういう理由か聞かせて貰えるかしら」
「その必要が無いからだ。あのような者共、我の本来の力で蹴散らしてくれよう」
「いやだから……、ちゃんと私の話を聞いてくれましたか?」
もう一度一から順に説明をして、最終的には桃子の力も借りて遠藤は了承した。
魔王の力を借りた海人と真帆はヴァルトハインの潜伏先を突き止め、その場へと向かう。
場所は町外れの山間にある古びた洋館で、恐らく別荘と思われるその館は打ち捨てられてから長いようだ。
至る所がボロボロになっていたが、埃が積もった床に足跡があるなど、所々で人の気配を感じ取られた。
「……っ!? テメェら……、どうやってここに――」
まさか自身が襲撃を仕掛けられる側になるとは思いもしなかったのだろう。
油断していたヴァルトハインは顔を合わせるなり武器を手にし、即座に攻撃を仕掛けようとするが、彼は大きく目を見開き固まった。
彼が身体を硬直させたのは驚きからでもなく、躊躇いでもない。
武器に宿る力を引き出そうとした瞬間、その力は己に牙を剥いたのだ。
「な……っ!? なんだこれは……っ!! テメェ何をしやがった!!」
黒く蠢く影はヴァルトハインの意に反し、彼を押さえつけて地に伏せさせている。
無様な姿を晒しながらも悪態をつき、己の腕力で立ち上がろうとして抵抗を図っていた彼だが、ゆっくりと歩み寄る者に息を呑んだ。
何故このような状況になったのか。それを彼は近づいてくる者から発せられる気配で感じ取ったようだ。
「まさか……!? この力は……」
闇の力を操る者だからこそ目の前に居る者がどのような存在であるのか分かるのだろう。
圧倒的な力の差を見せつけられたヴァルトハインは、忌々しそうに舌打ちをして抵抗を止めた。




