6.ほんのひと時の平穏
魔王の封じられた力はアレイシヤの作り出した鍵によって取り戻す事ができた。
これでまた一歩、異世界シュトラルヴェルトへと近づけたが、海人とアレイシヤは手放しで喜ぶことが出来なかった。
封印を解かれた魔王から発せられた気配。
それは傍に居る者に恐れを抱かせるものであって、そのプレッシャーはこれまで対峙したどの敵とも比べ物にならない位であった。
「カ、カイトさん……っ!!」
「アーシャ! それ以上近づくな……っ!! いや、今すぐ逃げ――」
恐怖から身体の震えは止まらず、足は竦んで思い通りに動かない。
強大な力を目の前で振るわれたのではなく、魔王の纏うオーラだけで海人は圧倒されていた。
アレイシヤの声で正気を取り戻した海人は恐怖心を押し込めて、少しでも近づこうとする彼女をこの場から遠ざけようとする。
そして海人も身の危険を察知してこの場から離脱しようとするが、彼もアレイシヤもその場に縫い付けられてしまったように身動きが取れなかった。
圧倒的な力の差を知り絶望に打ちひしがれて立ち尽くした二人の耳には高らかな笑い声が届いた。
「クックックッ……。フハハハ……。ハーハッハッハッ……!! この力……ッ! ようやく取り戻したぞ……!!」
悪鬼の如き形相で力を取り戻した手応えを感じ取っていた魔王グエンドヴェルク。
そのような姿を目の当たりにした海人は玲緒奈の忠告を思い出したが、時は既に遅く取り返しはつかない。
このまま無抵抗にやられるしかないと覚悟し、それでもやはり諦めきれずアレイシヤだけは守らなくてはと自身に言い聞かせるが、その覚悟も奮起も次の瞬間に霧散した。
「――――……なっ、何が……」
「カ、カイトさん……っ! 大丈夫ですか……!?」
「あ、ああ……、俺は何とも……。それより、いきなり空気が変わって……」
押し潰すようなプレッシャーは一瞬にして消え去り、海人とアレイシヤは身体の自由を取り戻す。
急激な状況の変化に一体何が起きたのかと困惑気味であった二人に対してこの状況を作り出した張本人はと言うと、つい先程の凶悪な面を一変させて平然としていた。
「フ……。我としたことが力の制御を見誤ったようだな」
「…………い、今のは意図的じゃなかったのか?」
「そうだ。我ともなれば相手に気取られぬよう力を抑え込む事ができる。先程は久方ぶりでうっかりと露呈してしまったがな」
「そ……、そうですか……」
魔王グエンドヴェルクもとい遠藤は普段通りの大仰な身振り手振りで説明し、海人とアレイシヤは安堵と呆れの混じった溜息を溢した。
一時はどうなる事かと、死を覚悟もしたが結局肝を冷やすだけであった。
ここは文句の一つも言いたい所だが相手は目的達成の為に無くてはならない重要人物であって、協力を願う身では下手なことは言えない。
それ以前に彼の本来の姿を垣間見た者としては波風を立てるような真似は出来る筈もなかった。
「フム……。顔色が悪いようだが、我の気に触れて恐れをなしたか?」
「そ、それは……。そう……、ですが……」
「無理もあるまい。矮小なヒトの身ならば当然の事。寧ろ自我を保っていられるだけ、貴様らは大したものだ」
何故だか褒められた海人とアレイシヤはどう反応して良いのやら困った様子に。
一方で遠藤は二人が内々に抱いているものに気が付いたようだ。
二人が恐れから解放されて感じた事。それはこれ程までの力を持つ者が自分達に力を貸すという異常さであった。
遠藤は二人の疑問に答える代わりに忠告を促してきた。
「我が貴様らに力を貸すのはひとえに愛する者の為、桃子嬢の為にだ。それをゆめゆめ忘れるでないぞ」
「は、はい……」
「桃子嬢を悲しませるような真似をすればその命、塵一つ残さずに消し去ってくれる」
「……え。桃子を悲しませないようにするって事は、俺は桃子と――」
「悲しませるなと言ったが、交際など断じて認めんぞ!」
「えぇ……」
理不尽な遠藤の物言いに海人はただただ困り果てるのであった。
最重要事項である異世界に渡る為の力は魔王の封じられた力を取り戻す事で得られ、計画の準備は着実に進んでいた。
学生の本分である学業については休暇中の補習も無く、皆が無事に夏休みを迎えることが出来た。
向こうの世界に滞在する期間については部活動の夏合宿という事で、皆は家族に説明をして理解を得てから集った。
合宿先として選ばれたのは海に近い別荘で、そこは猿渡が手配してくれたものである。
「それにしてもこんなプライベートビーチにあんなに立派な別荘だなんて、猿渡君って本当にお坊ちゃまだったんだね~」
猿渡の一族は多くの土地を所有し財界や政界と繋がりがある富豪一族である。
普段の彼が普通の高校に通い財力を全く見せつけないのは彼が家族との折り合いが悪いからで、そんな彼は今回かなり無理をしたようだが、苦労を全く滲ませずに軽口を叩いていた。
「フ……。まぁな。……桃子嬢、まさかこれで俺に気持ちが傾くなんてことは――」
「え? 私が猿渡君に? そんな事あるわけないでしょ」
「ですよねー。……はいはい、分かっていましたも」
「ねぇ、それって私がそんなに現金な女に見えるって事なの?」
「あ、いや、そういう訳ではなくて……。あ、おい! 雉岡、犬飼! アイツら何処に行ったんだ!?」
笑顔の桃子にどういう事かと迫られてたじろぐ猿渡。
彼は仲間に助けを求めようとするが、見回しても二人の姿は無い。
傍に居た真帆の話によると、話の空気が変わり始めた途端、雉岡と犬飼は飲み物を取りに行ったそうだ。
「そ、そういう事なら、俺も」
「あ! ちょっと待ちなさいよ!」
波打ち際で海水を掛け合ってはしゃいでいたかと思えば、今度はビーチボールでバレーを楽しみ、それが終わったと思えば浜辺を全速力で走って追いかけっこをしている桃子達。
よく体力が続くと思われる所だが、それは若さ故になのだろう。
目いっぱい夏の海を楽しむ桃子達とは打って変わって、海人はと言うと未だビーチパラソルの下でぼんやりと海を眺めていた。
「ねぇ海人君! 聞いてよ! 猿渡君ってば酷いんだから~」
「いやだから、さっきのは誤解で――」
「桃子。そうは言っても貴女、ビーチを見た時や別荘の前でキラキラ目を輝かせていたじゃない。私にはこういうのが相応しいみたいなことも言っていたし、写真も撮りまくって――」
「ま、真帆ちゃん?! それは別におかしくないでしょ。ここのビーチや別荘が素敵な事には変わりないんだし、そんな場所には私みたいな子が映えるんだし!」
海人と二人きりで海デートを目論んでいた桃子はまたしても邪魔者達が同行する事に憤慨していたが、目的地に到着してからは徐々に機嫌を直していった。
そして彼女の怒りは収まったどころではなく、一変して上機嫌に。
自分と背景を絶妙な角度で撮影する棒を手にして至る所で撮影をして、それを自身のSNSアカウントに何度も投稿していたのである。
「――と言う訳で、海人君。一緒に写真撮ろう!」
「何がと言う訳で、よ。海人、無理に付き合う事なんて無いんだからね」
「いや、写真くらいなら別に構わないよ」
「本当!? やった~! ありがとう、海人君。それから真帆ちゃんは邪魔だからあっちに行っててね」
「……」
一緒に写真の枠内に納まろうとする桃子は大胆に身を寄せてきており、否応が無しに身体が触れる。
布越しでない肌と肌の接触、柔くすべすべとした肌触り、視線を吸い込むような谷間。
それらを前にした海人はこれまでうだうだと考えていた事をすっかりと忘れ去って鼻の下を伸ばしかけたが、立ち去る真帆からの氷のような一瞥で我を取り戻した。
慌てた海人は真帆の背中に向かって弁明しつつ桃子との適度な距離を保とうとする。
だが彼よりも先にこの状況に納得がいかないと動く者が。
シャッターを切るタイミングを見計らって割り入ってきたのは、砂埋めになっていた筈の遠藤であった。
「ちょっと! 何をするのよ!」
「何を言う。そこの小僧と額に収まるより我との方が映えるだろう?」
「はぁ!? 見栄えとか全然関係ないし。私は撮りたい人と撮るだけだから」
「ムム……。それでは先程の話と違う気が……」
「さ、海人君。こんな奴は放っておいてあっちに行きましょう」
海人の手を引き走り出す桃子。彼女を海人に独占させまいと追いかける遠藤。
その様子を他の者達は呆れつつ笑いながら見守っている。
この場面だけ見ると海人達は夏を満喫しているようで、世界の危機など無縁のように平和そのものである。
けれども今は戦の前のほんのひと時の平穏であって。
明日の晩、月が満ちる頃には海人達は異世界へと旅立つのであった。
日中はビーチで遊んで、夕刻からは別荘の庭でバーベキューを楽しんで。
夜は手持ちや小さな打ち上げの花火をして、その後は露天風呂に浸かって一日の疲れを癒して。
目いっぱい自由なひと時を満喫した皆は明け方になっても目を覚まさないようで、ぐっすりと眠りに就いていた。
皆がそれぞれに割り当てられた部屋で休む中、海人はと言うと相変わらずのようで。
彼は動きやすいトレーニングウェアに着替えると、皆に気を遣って音を立てぬように別荘から外へと出た。
朝早く起きてやる事と言えば日課のトレーニングで、海人は砂浜でランニングを始める。
舗装された平坦な道とは違い、砂浜は踏み込めば沈んで踏み出そうとすれば足を取られるようで、普段とは違う効果を得られそうである。
走り心地も新鮮だが、耳に届く波の音や朝日を受けて輝く海の景色も心地よいものであった。
「トレーニング、お疲れ様です。あの、もしよろしければこれを……」
「あ、ああ……。ありがとう、アーシャ」
気持ち良くランニングを終わらせた海人の傍へと近づいたのはアレイシヤであった。
彼女の手にはタオルとドリンクボトルがあり、海人は礼を言いながらそれらを受け取った。
タオルで汗を拭き、ドリンクで渇いた喉を潤して水分補給をした海人は大きく息を吐くが、ハッとしてアレイシヤに問い掛けた。
「も……、もしかして寝ていたのを起こしてしまったか!?」
「いいえ、そんな事はないですよ。実の所、昨晩からずっと眠れないでいたので……」
「それは……」
「緊張……からですかね」
かつて異世界を救った英雄である海人の父、譲司が再び異世界に渡ってから向こう側の情報は何一つ届いていない。
呪われた装具に操られた敵が現れる事から想像出来るのは良くない状況で。
対峙する敵の規模。国を、それも世界の中心国を相手にすると考えれば平常心を保てるはずもない。
海人はいつも常識を超える譲司ならばきっと大丈夫だろうと思っているが、一人助けを求めてこちらの世界に渡って来たアレイシヤとしては、自分の家族や大切な人がどうなっているのかも気になるだろう。
「す、すみません……っ。弱気な事を言ってしまって……」
「いや、構わないよ。寧ろこんな時に落ち着いていられる方が変だって」
「そう……、でしょうか。でも、向こうに渡ってからは私がしっかりしないと……」
「そこは遠藤さんも居るんだから、アレイシヤだけが気負う必要は無いだろう」
「あ、あの方を全面的に信じるのはいかがなものかと思うのですが……」
「まぁそうかもしれないけど……。あの人の桃子に対する想いはホントのように思えるんだけどな……」
「そ、それに、皆さんを危険な目に巻き込むわけにはいきませんし」
「危険な目は元から承知の上で、だろう? これまでだって色々とあったからな」
「そ、その件についても、本当に申し訳ない思いで……っ」
萎縮して何度も頭を下げだすアレイシヤ。
海人は慌てつつ謝らせるつもりなど無かったと言い、全て自分が選んでの事だから後悔は無いと言い切った。
「そもそも俺の親父が関わっていたんだから、無関係ではいられなかっただろうし」
「そ、それもそうですね……」
「……それから、魔王のような強大な力は持ち合わせていないし、英雄だった親父のようになれはしないけど、俺も力になりたい」
「カイトさん……」
不安からか俯いていたアレイシヤの顔は海人の言葉で上向きに変わる。
これまで何度も敵を倒してきたが、窮地に陥った事も一度や二度ではない。
海人の言葉に説得力が伴うかと言えば微妙なところであって、けれどもアレイシヤには海人の想いが伝わったようで、彼女は笑顔で頷いた。
「では、カイトさん。頼りにしますので、よろしくお願いします」
「ああ、任せてくれ」
これまで色々と頭を悩ませていた海人も、アレイシヤの言葉で完全に迷いを振り切ったようだ。
大きく頷いた彼の双眸には確かな意思が感じ取られる。
そして彼はこの先に待ち受ける苦難を必ず乗り越えると心に決めていたようだが、それはほんの数分で揺らぎ始めた。
「で、でも、カイトさん。無茶はしないで下さいね」
「わ、わかっているさ。無謀な真似はしない」
「一人で突っ走るのも駄目ですよ」
「大丈夫だ。皆を守るのが最優先で、独断行動は絶対にしない」
「敵はどのような形で接触してくるか分かりません。無暗に相手を信じず、細心の注意を払って……」
「…………なぁ、アーシャ。俺ってそんなに信用無いのか?」
「え!? あ、いや、そういう訳では……」
あれこれと言われて気落ちするところだが、それはアレイシヤがどれ程海人の事を大切に思っているかの表れであって。
慌てて取り繕う彼女の姿に海人は笑みを溢さずにいられなかった。




