5.交渉成立の決め手は
静かに怒り狂う桃子の手から武器となっていた雑誌を取り上げて、どうにかこうにか宥めて落ち着かせて。
まだ文句が言い足りなさそうであった彼女よりも先に、海人は二人に頭を下げて謝罪した。
「な、なんで? 海人君が謝るような事はないんだよ?」
「いや、遠藤さんの言う通りだ。俺は桃子を頼って……、桃子なら遠藤さんを説得できるって決めつけて、二人の気持ちを全然考えてなかった」
「そんな……っ。別に私は構わないんだよ。海人君の力になれるなら嬉しいし」
「だけど……!」
「それに、コイツは失踪して私達に迷惑を掛けたし、毎日毎日私に鬱陶しく絡んでくるんだから気にしなくて良いのよ!」
桃子は構わないと言うが、海人は彼女の厚意に甘えることなく別の方法を取った。
それは正座をして再度頭を下げて誠心誠意頼み込む事と、一つの提案をする事である。
謝罪の気持ちは相手に伝わったかどうか分からないが、海人の提案はこれまでふざけた態度ばかりを取っていた遠藤の興味を引いたようだ。
「……ほう。この首枷を解くと言うのか」
「はい……。その、色々と下準備が必要で今すぐにとは言えませんが……」
遠藤こと魔王グエンドヴェルクの首に填められている銀色の首輪は、海人の母であるマルリースが作り出した物である。
その首枷は魔王の強大な力を封じるだけでなく、新たな魔王を生み出さぬようにする物であって、異世界シュトラルヴェルトが恒久的な平和を得るための物でもあった。
魔王という責務から逃れようとしていた遠藤にとってそれは忌々しい物で、彼がこの世界へと降り立った理由はその首枷にあった。
「確かに。我はこの首枷を破壊し、魔王という下らぬ役目から逃れようとしていた」
「だとしたら……!」
「だがそれはこの地に降りるまでの話だ」
「……は?」
「我はこの地にて運命の相手と巡り合えた。故にこの首枷はどうでもよい物へと変わったのだ」
「え!? いや、でも……」
首枷から解放されれば魔王は死に至れる。
一度死ねば魔王という責務から解放され、数百年か数千年の時を経てただの魔族として蘇る事ができる。
かつては死を望んでいた遠藤だが、今の彼は死に至る事を望んでいないようだ。
彼の言う運命の相手とやらが魔族でなく人間ならば当然の事である。
魔族は死んで蘇っても記憶は残っているが、蘇るまでに要する時間は膨大で。
蘇った時に運命の相手は世に居らず、二度と会うことは叶わないからだ。
「……そう、ですか」
「そもそもだ。我の力を頼りにするならば、この首枷を破壊するのは必然となる」
「それはどういう……」
「どれだけの者を向こう側に送るのか分からぬが、今の状況では数人でも我の本来の力を取り戻さねばならんからな」
異世界シュトラルヴェルトからこちらの世界へと渡って来た遠藤。
彼は元々こちらの世界へと繋がれていた道を利用したお蔭で消費魔力を抑えられて、力を封印された身で次元を越えることが出来た。
遠藤の話によると今現在その道は閉ざされているようで。
新たな道を作る事と降り立つ場所を指定する事、そして運ぶ人数によって必要とする魔力が増すようで、今の遠藤の力では不可能だそうだ。
「だとすれば首枷を壊すのは交渉材料にならないのか……」
「そういう事だ。どうだ? 貴様も我と桃子嬢の仲を祝福すればよいのだぞ」
「だからそれだけはダメですって。……仕方がない。今日の所はここまでで、アーシャと相談して――」
海人は気持ちを切り替えて今日の所は身を引こうとするが、桃子はこの展開に納得いかないようだ。
彼女は再び武器(丸めた雑誌)を手にして遠藤に殴り掛かろうとしていたが、先を読まれて武器を取り上げられて喚いていた。
海人の為にと必死になっている桃子を海人はどうにかこうにか宥めて、ここに来た理由である課題を進めようと言って話題を変えた。
異世界に渡る計画も進めたい所だが、目の前にある課題も放っておく訳にはいかない。
海人と桃子はテーブルにノートや教科書を広げて山積している課題に取り掛かった。
「――――……それで、アンタはいつまでここに居るつもりよ」
暫く真面目に課題に取り組んでいた海人と桃子だが、桃子は痺れを切らしたようで文句を言った。
相手は話を終えたというのにこの室内に留まっている遠藤だ。
桃子に声を掛けられた彼は手元の雑誌から目線を上げると不思議そうな顔をして首を傾げた。
「いつまで居るのかと問われて答えるならば、そこの小僧が立ち去るまでだ」
「はぁ!? 何を馬鹿な事を言って……。もういいわ。お父さんに言いつけて――」
「夜間の営業時間まではまだ猶予がある。仕込みも掃除も全て終わらせたぞ」
「ぐ……っ! で、でも私がお父さんに頼めば――」
「店主は我がここに来るのに文句の一つも無いようであったぞ。いつも通りの不愛想な面であったが、内心愛娘が男と二人きりなのを案じているのだろう」
「えぇ……。そんなまさかぁ……」
監視の為だと言って居座る遠藤はテコでも動かせそうにない。
邪魔者を排除するのを諦めた桃子は再び課題に取り組もうとするが、視界の端に入る者の姿がどうにも気になるようで。
彼女はテーブルを両手で叩いて怒鳴り散らしたが、どれだけ誹られても詰られても遠藤は動じない。
のらりくらりとかわした後に彼は突拍子もない事を言い始めた。
「桃子嬢。こちらの世界の今の時期にはこのような衣服を纏って海辺にて水と戯れるのだな」
「な、何を急に言い出して……」
遠藤は手にしていた雑誌のあるページを指さしながら桃子に見せつける。
そのページには南国の海を背景にした水着姿の女の子達の写真が掲載されており、今年の夏はこれで決まりなどの文字が並んでいる。
水着の特集に遠藤は興味を持っているようだが、桃子が彼の話に乗る筈もない。
これが似合うと言って薦めてくる遠藤を無視した桃子は何かを思いついたようで、彼から雑誌を取り上げて海人の目の前に広げた。
「ねぇ、海人君はどれが私に似合うと思う?」
「え? いきなりそう言われてもな……」
「私はコレなんか良いと思うんだけど~」
「いや、そうは言っても水着を着る時なんて……」
異世界シュトラルヴェルトとこちらの世界とでは時の流れが違うといえども、向こうに渡って数日で事態の収拾がつくとは限らない。
学生である海人にとってはもうすぐ訪れる夏休みは絶好のチャンスであって、遊んでいる暇は無い。
それらを説明すると桃子は頬を膨らまして不満を口にした。
「それはそうかもだけど……。少しくらいなら良くない?」
「だけど、いつまた装具に操られた襲撃者が現れるのか分からないし、少しでも強くなる為にトレーニングもしたいし……」
「コイツが協力しないって言っているんだから、焦っていても仕方ないよ」
「ム……。我に責を問うのか?」
「ねぇねぇ、夏休みは長いんだから、一日くらいは良いでしょ?」
「そうは言ってもなぁ……」
「ムム……。我の言葉は耳に届いていないようだな」
結局の所いつも通り桃子に押し切られてしまい、海人はまた約束を交わしてしまう。
海かプールか具体的には決まっていないがデートが出来ると決まって、つい先程まで不機嫌であった桃子はすっかりと上機嫌に。
新しい水着を買わなくてはと張り切り、課題を投げて雑誌を熱心に読み耽っている。
桃子の機嫌が直ったのは喜ばしい事で、海人は再び課題に向き合おうとするが、そこでまた邪魔が入った。
「桃子嬢。一つ問わせて貰おう」
「さっきから何よ。そろそろ空気を読んで出て行くって言うのなら聞かない事も無いけど」
「それは断じてない! 我には飢えた狼から桃子嬢を守るという使命があるからな」
「え? まさか飢えた狼って俺の事?」
「海人君はそんなんじゃないから! ……ああもう面倒臭い! さっさと用件を言いなさいよ!」
「ウム。では問うが、その水着デェトなるものに我は同行して――」
「は? まさか一緒に行くつもりでいるの?」
「なぬ!? そのように無防備な姿で飢えた狼と二人きりになどさせられはせんぞ! 誰が何と言おうと我は共に――」
「こっちの願いも聞き入れずに何調子に乗っているのよ!」
「そ、それとこれとは別の話だ」
「別じゃないわよ。何かをするのならそれなりの対価が必要なんでしょう?」
「わ、我は対価無しに桃子嬢の水着姿を目にする事が出来ないと言うのか!?」
何やら話は妙な転がり方に。
桃子と遠藤は海人を除け者にして口論していたが、信じ難い事に話は海人を交えずに意外な所で折り合いがついた。
散々協力を渋っていた魔王は桃子の水着姿で意思を曲げてしまったのである。
「……こ、これは一体どういう事で――」
「小僧、何度も言わせるな。我が力を貸してやると言っている。有難く思うが良いぞ、矮小なるヒトよ」
「いや、でも、さっきまで力を貸せないって言っていたのに、水着なんかでどうにかなるとか……」
「我は芸術に対しての対価を惜しまぬ」
「げ、芸術って……」
難航するかと思われていた交渉はどうにか成立して。
海人はホッと胸を撫で下ろしていたが、それと同時に遠藤の動機に呆れ返った。
魔王が持つ次元を越える力を借りる事が叶った海人達。
次に彼らが取り組んだのは魔王の力を封じている首枷を外す事で、それはアレイシヤが担った。
彼女は海人と協力してガイラルドとアウグストに悟られないように書物の山を漁り、水神龍の鎧を修復した時のようにマルリースが残した設計図を探し出した。
「この鍵で解錠できる筈……です」
「フム……。小娘。己の腕に自信が無いと見えるが、それで良いのか?」
「せ、設計図通りに作りましたが、私の腕とマルリース様の技量は雲泥の差ですので……。不安が無いと言えば嘘になります」
首枷は力尽くで破壊するのではなく、設計図に残されていた鍵を複製して解錠する。
アレイシヤが作り出した鍵は設計図通りの形となっていたが、伝説として語り継がれる鍛冶師の作り出した物を再現するとなると不安が残るようだ。
鍵を持つ手は緊張からか震えており、表情は強張っている。
そのような姿を前にして海人は黙って見ていられなかったようで、彼女の手から鍵を取り上げた。
「カ、カイトさん?」
「解錠に失敗したらどうなるんだ?」
「ええっと、それは……」
「そう言えば以前、我の配下が破壊を試みた際には腕を一本失ったぞ」
「な……っ!」
遠藤はサラッととんでもない事を言うが、アレイシヤはバツが悪そうに目線を外している。
どうやら彼女はそうなる事も覚悟していたようで、一人で抱え込んで一人で危険な賭けをしようとしていた。
海人は当然としてそのような行いを見過ごせる筈もなく、けれども何故そんな事をしたのかと彼女に問わず、鍵を握ったまま自分が解錠すると言った。
「カ、カイトさん……っ! これは私が作り出した物なので、私が責任をもって使うべきであって――」
「ここは俺に任せてくれ。鎧を纏えばある程度のダメージは耐えられるだろう?」
「それは……、そうかもしれませんが……。万が一の事態があっては――」
「その万が一にアーシャを巻き込むわけにはいかない。それに鎧だって修復できたんだ。この鍵だってきっと大丈夫だ」
「で、でも……、修復と一から作るのでは全然違います。ですから――」
海人の説得により、鍵は海人の手に。大役は海人が預かる事となった。
今現在彼らが居る場所は西水守神社の境内で、夕暮れ時とあって人の影は無い。
周囲には人払いの術も張り巡らされており、もしもの時に備えて衝撃を内側に留める結界も張った。
結界の内部に居るのは鎧を纏った海人と遠藤の二人だけで、アレイシヤは結界の外側から見守っている。
「……それじゃ、いくぞ」
「フン。いつでも来るが良い……!」
息を整えた海人は鍵をしっかりと握り、遠藤の首元へと近づける。
繋目の無い銀色の首輪は鍵のブレード部分を向ける事によって光を放ち、装飾部分が動いて鍵穴が現れた。
ブレードの先端は途中で引っかかる事無く鍵穴の奥へ。
ゆっくりと反時計回りに回すと手応えと共にカチャリと音が鳴る。
どうやらアレイシヤが作り出した鍵は本物と変わりなかったようで、首輪は輝きを失い外れて地に落ちた。
「これで……、良いんだよな。やったな! アーシャ」
「カ、カイトさん……っ!!」
「どうした、そんな顔をして――」
成功して驚くのはおかしくないが、アレイシヤの驚きようは異様で。
彼女は目を見開いて驚愕しているようで、喜んでいるどころか何かに怯えているようであった。
アレイシヤの様子に疑問を抱いていた海人だが、彼も彼女に遅れてそれを感じ取る。
全身を素早く駆け抜ける悪寒。目の前の状況を飲み込めず、疑うようにして忙しなく動く視線。
底知れぬ恐怖を覚えて、頭で理解するよりも身体が感じ取り震えとなって表れて。
おぞましい気配は海人の傍に居る者から発せられたものであった。




