2.彼女だけの英雄
異世界シュトラルヴェルトの中心国であるグランツドラッヘン。
かの国の王家には代々受け継がれる特殊な力があった。
その力は魔王によって蹂躙されていた世界を救った勇者を召還した力であり、シュトラルヴェルトと別世界とを繋ぐ力、次元を操る能力である。
「私は生まれながらに次元を操る力を持っていたのだけれど、それはとても弱々しいものでね……。双子であったせいか、力は二分されてしまったようなの」
同じ容姿で生まれて、力もそれぞれ受け継いだが均等にでは無くて。
僅かにしか力を持たなかった玲緒奈とは違い、彼女の妹レイゼリアは強大な力を持って生まれた。
グランツドラッヘンの王位は次元を操る力を持つ者が継承する。
玲緒奈はレイゼリアに力で劣っていた為、姉であったが王位継承権を得られず、レイゼリアは妹であったが姉を差し置き王位継承権を得ていた。
「も、もしかして、それで先輩は向こうの世界の人達と対立を……?」
「いいえ。私は王位など欲していなかったし、あの子、レイゼリアが継承する事も異論は無かったわ」
「そう……、ですか……」
「王位継承権を得られなかっただけなら、さして問題は無かった……。僅かでも力を持っていた私は彼らにとって都合の良い研究対象であったの」
「……っ!? それは……」
次元を操る力はその力の性質故に多くの精神力を消費する。
術者の命を削りかねない力は世界が危機的状況に陥った時にのみ行使する事となっていたが、それは時代の変化により変わっていたのだった。
魔王が再び世に現れない時代。
脅威から解放された人々は大いに繁栄したが、やがて世界は人々にとって狭きものへと変わり、人同士の諍いが起こるようになってしまったのだ。
「各国を束ねる立場にあるグランツドラッヘン王国は無益な争いを無くそうと奔走するけど、どの策にも光明は見いだせなかったわ」
世界の秩序を取り戻す為に打ち出した策は一つや二つで止まらず、数々の失策を経て辿り着いた一つが異世界への侵攻であった。
共通の敵が現れればこれまで敵同士だった者達が手を取り合うように、異世界という敵を定める事によって世界は一つに。
国家間の諍いは治まったが、それにより犠牲を強いられる者がいた。
次元を操る事の出来る玲緒奈は異世界侵攻への足掛かりに。
転移装置の開発において研究の対象となったのである。
「解剖されてバラバラにされるなんて事はなかったけど、決して良い暮らしを送っていたとは言えなかったわ」
「……っ」
玲緒奈は笑みを浮かべ冗談のように語っていたが、明かされた事実は軽々しく口で出来るようなものでは無い。
戦での多くの犠牲を出さない為に一人が犠牲となるという点も海人には解せなかったが、生まれながらという己の力ではどうにも出来ない事で犠牲を強いられるなど許せる筈もなかった。
彼は沸き上がる怒りから膝の上の拳を固く握りしめ、表情も硬いものとなっていたが、犠牲者であった玲緒奈は憤る事も無く、穏やかな表情で話を続けた。
「私は生まれてからすぐに妹と引き離されて別々の暮らしを送っていたから、自分がとりわけ不幸だと思わなかったの」
限界までの力の行使は幾日も続き、力を高めるための投薬で薬漬けに。
着る物は煌びやかなドレスではなく質素な病衣で。
食事も味覚や視覚を楽しませる物ではなく、栄養価だけを重視した物に。
幼き頃より続いていたことは日常と化し、何も知らない、知らされていない玲緒奈は疑問を抱く事も無かったのだが、それはある日を境にして変わり始めた。
「施設から出る事が出来なかった私とは違って、妹には自由が与えられていたようで……。と言っても、妹も将来国を治める為の様々な事を学んでいたのだけれど、大人の目を掻い潜って城内を駆け回っていたの」
「……それで、先輩は妹さんと?」
「ええ。竜堂君の察した通り、私は妹と生まれて初めて顔を合わせる事となったわ」
玲緒奈にとっては初めて出会った同じ年頃の少女。
どう接してよいか戸惑っていた所、天真爛漫で思ったままを口にするレイゼリアは不思議そうな顔をして問いかけてきたのだ。
どうして自分と同じ顔をした者が居るのかと。
「上手く話せなかった私とは違い、妹は良く喋る子でね。お蔭で私は私が知らない事を沢山知ったの」
自分と同じ容姿で自分とは違う眩い世界で生きる少女。
玲緒奈は彼女の立場と代わりたいと夢を見る事も無く、何故自分だけがこのような立場なのかと相手を憎む事も無かった。
ただ彼女は誰に宛てるでもなく心の中で願ったのだ。
いつかは自分も自由になりたいと、かつて世界が異世界の勇者によって救われたように、自分の狭い世界を変えて欲しいと。
「毎晩眠りに就く前に祈って、その祈りが届いたのか分からないけど、ある日突然私の前に現れたの。私だけの英雄が……――――」
眩い光の中から現れたのは厳つい顔をした逞しい身体つきの男であった。
その男は一言で表すならば豪快で。
おどけたような態度で大口を叩くが、それに伴う実力があって。
玲緒奈が思い描いていた英雄像とはかけ離れていたが、その男は自身に何の利益をもたらさないというのに彼女の望みを叶えた。
「その方のお蔭で、私は今こうして居られる。それだけで充分幸せだから……。だから私はシュトラルヴェルトに対して恨みを抱いてなどいないのよ」
「そう……、ですか……」
過酷な過去を明かした玲緒奈。
彼女の言う通り、今の彼女を見る限りでは過去に囚われて復讐する為に戦っているようではない。
寧ろ彼女を救った英雄の話となると彼女は瞳を輝かせており、どれほど素晴らしい人物なのか褒め称える姿は度を越しているようで。
ただ敬っているだけのようでもなく、感謝しているだけという訳でもなく。
玲緒奈の英雄に対する気持ちに違和感を覚えていた海人だが、もう一つ、彼には彼女との会話の中で気に掛かる部分があった
「あの……、先輩を救ったという英雄は……」
「あら? もしかして気が付いたのかしら」
「まさか……っ! いや、そんな筈は……」
「私も、かつて世界を救った英雄と会えるなんて思わなかったし、そのような方に救われるなんて想像も出来なかったわ」
「…………やっぱり、そうなのか……」
玲緒奈を救い出した英雄はかつて魔王を討ち果たした英雄で。
つまりは海人の父、竜堂譲司であった。
またしても知らされていなかった父の過去を知り、海人は頭を抱えて項垂れた。
波打ち際で水を掛け合っている少女達を眺めている男は、引き締まった上半身の前で腕を組み何度も頷いて感嘆の溜息を漏らしていた。
「ウム……。実に素晴らしい光景だ。これ程素晴らしいものを目に出来るとは……。魔王の宿命とやらも存外悪くないものなのかもしれんな」
一人呟く彼の名は遠藤といい、因みにその名は世を忍ぶ仮の名であって、真の名はグエンドヴェルク・ディアブロイア7世という。
彼はかつて異世界シュトラルヴェルトを支配した魔王であるのだが、訳あって海人達と行動を共にしていた。
人々を虐げた魔王とあって、その振る舞いは残忍で狡猾であると思われるが、そのような姿は一片たりとも覗かなせない。
彼は今、少女達の中で一番派手で際どい水着を着て、抜群のスタイルで一際目立っている桃子の姿を脳内に焼き付けるのに忙しそうであった。
「ちょっと! いつまでジロジロ見ているつもりよ!」
「それはもう未来永劫にだ! 我の脳裏にしっかりと刻んでおいた。故に眠りに就いてもその姿は夢の中で再現可能となる」
「何それきもちわるい。……ねぇ、頭を殴ったら記憶から消えると思わない? そうよね!」
「も、桃子嬢。我は純粋に、芸術的なその姿を鑑賞していただけであって……――。待て! 我には下心などありはしない。そこの者達とは違うのだ!」
如何わしい視線を感じた桃子は遠藤に詰め寄り怒鳴っている。
愛する者から詰られ汚物を見るような目で非難された遠藤。
彼は反省するどころか彼女の矛先を傍に居る者へと、猿渡達三人組に向けようとしている。
大柄な犬飼の身体に隠れて見えにくかったようだが、猿渡と雉岡の手にはデジタルカメラが握られており、被写体は言わずもがなであった。
「あ、いや、これはだな……っ」
「な、夏休みの思い出を形として残そうとしたまでです!」
言い訳が通用する筈もなく、データは消去されて、カメラは没収されて。
遠藤と猿渡と雉岡と、止めることなく協力もしたとして犬飼も含んだ男共は熱せられた砂浜の上で土下座を命じられて、額に砂を着けていた。
「――――小僧、どうした? 素晴らしい光景を前にそのような暗い顔をするとは何事だ」
「あー……、いや、何と言うのか……」
焼けた砂浜の上で土下座という罰を受けて、それでも反省をする様子の無い遠藤は浜辺に背を向けて砂の中に埋められて顔だけ出している。
彼は暇なのか、ビーチパラソルの下に敷かれたレジャーシートに腰を下ろしている海人へと問い掛けた。
遠藤が問いかけたように、海人は共に海水浴に来た者達と波打ち際で浮かれ騒いでおらず、自慢の体力を発揮して本気の泳ぎを披露する事も無く、遠藤のように水着姿の女子達を鼻の下を伸ばして眺めてもいない。
海人は浮かない顔でぼんやりと海を眺めており、その姿はこの場に似つかわしくないものであった。
「ここの所色々あって、考え事をしていたんだ」
「そうか……。様子を見る限り、その悩みは容易く片が付くものでもないのだろう」
「それはそう……、だけど……」
「ならば煩わしいものなどその辺に置いておいて、今を楽しむが良い。ヒトとは命短きものなのだろう?」
海人の頭を悩ませている一因は楽観的な物言いをするこの男、遠藤に関係があるのだが、海人にはそれを口にすることが出来なかった。
海人の父である譲司に救われた玲緒奈。
彼女は彼女に対して非道な行いをしてきたシュトラルヴェルトの者達に復讐をする為に相対していた訳ではないと言った。
それならば彼女は何故戦うのか。
学生としての彼女は真面目で清廉であるが、海人のように正義感に溢れているようには見えない。
彼女が恩人である英雄を語る姿から薄々感付く所ではあったが、海人はそれを認められずにいた。
「私が戦う理由、それは恩義に報いる為。……いいえ、それよりも何よりも、あの方の力になりたいからよ」
玲緒奈の心からの言葉は海人に深く突き刺さった。
彼女の話によると、彼女は譲司の為にこの世界を守り、頼まれるまでもなく譲司の息子である海人を守り助けていたのであった。
「あのクソ親父……っ、勝手な事を……」
「譲司様は何も悪くないわ。全て私の意思で行っていた事なの。だから譲司様を責めるような真似はしないで欲しいの」
「だけど……っ! こんな事は……っ」
ここでもまた己の無力さを思い知った海人。
目の前の少女は己が身を削る術を行使し、本来ならば守らなければならない存在であって、けれども海人は彼女に助けられてばかりでいて。
自分自身に怒りを覚えていた海人だが、彼は自己嫌悪に陥っている場合では無かった。
「貴方は何も悪くないのよ。譲司様は貴方の事を思って何も知らせずにいたのだから」
「一人だけ蚊帳の外で……、空回りしていたって事じゃないですか」
「そんな事はないわ。貴方のお蔭で助かった事もあるのだから」
玲緒奈は助けられたと言うが、海人の浅はかな行動によって彼女の負担が増したのは違いない。
真実を知った今、これからどうすれば良いのか海人は岐路に立たされて茫然としていたが、玲緒奈との話は思わぬ方向へと進んでいった。
「私の話はここまでで。次は貴方の話を聞かせて欲しいの」
「え……?」
これまでの事を責められはせず、これからの事も指示されず。
玲緒奈の言葉に海人は驚いたが、彼女に問われるまま情報を明かした。
と言っても玲緒奈側の陣営は優秀なようで、海人達ヒーロー研究部がこれまでどのように活動してきたかは筒抜けであったようで、アレイシヤの事もガイラルド達の事も説明はそこそこで済んだ。
遠藤こと魔王グエンドヴェルクの事については争点になるかと思われたが、海人から遠藤の過去と人となりを聞いた玲緒奈はこれ以上手を出さないと判断した。
「本当、ですか……!?」
「ええ。但し、彼の件については条件を付けたいのだけれど」
「条件……?」
「そう。一つは彼の封印を解かない事。もう一つは彼の力、次元を操る力を使わせない事」
「……それはっ!」
「それらが守られないというのなら、私達は貴方達と相対する事となるわね」
これまでの空気はガラリと変わり、雰囲気は張り詰めたものに。
玲緒奈は真っ直ぐに海人を見つめて条件を出してきた。
その内容は有無を言わせぬ圧力が込められたものであって、脅迫に違いなかった。




