紅の夜(中)
右から襲ってくる魔物の牙をかわし、殴りつける。
力を込めたシグの拳をたたきつけると、燃え尽きて灰になった。
目に付いた左側の魔物は手刀で斬りつけ、外殻を溶かし切り裂いて血飛沫が蒸発した。
走るままに前にいた魔物を始末。
教会の屋根から降りたシグたち一行は、目についた敵を端から斬っていっていたが、一向に数が減っているように感じられなかった。
後から後から沸いて出てくる。
前後左右、視界は魔物だらけ。
「ううむ、剣がないと手元が寂しいです。失敗しました」
「馬鹿じゃないのか、お前」
………否定できないのが悲しいところだ。
立ち止まるとすぐに囲まれるてしまうので、移動し続けている。
「それにしても、どうして逃げないのでしょうか?」
と、後ろを走るゼルルが疑問を口にする。
「何がです、ゼルル君」
「あ、いや。この、ええっとこの虫、魔物ですか。後から後から向ってくるもので、どうしてなのかと。普通ならこんな次々と襲ってはこないですよね?」
確かにそうだ。
「それはですね、ゼルル君。普通ではないという事ですよ」
普通なら───普通ならば、こんな命を投げ捨てる自殺めいた行動は取るはずがない。いかに生まれたばかりとは言え、動きが賢くない。
生存本能くらいは、ありそうなものだが。
「何かわかるんですか、マスター」
「さあ? サッパリです」
先頭をシグ、その次にゼルル、ちょっと遅れてリコリスとカイムが続いている。
で、リコリスは目をつむりながらシグ達の後に続いていた。
前言通り、虫っぽいものが本気で苦手なようだ。
キャーキャーと一人騒がしく武器を振り回している。
ちなみに持っている得物は扱いやすい、短くて軽い短剣を用いている。
そんな彼女を気にしてか、カイムのパフォーマンスは多少低下しているようにも見えた。
「わらわらと湧いてきやがって」
一向に終わる様子を見せない行軍にカイムが苛立たしげに言葉を吐く。
彼は振り向きざまに、背後から飛びかかろうとしていた魔物を一閃。
「あんまりイライラしてると体に毒ですよ。ただでさえ貴方は機嫌悪いのが常なのですから。もうちょっと穏やかにならないと早死にしますよ」
シグは道を遮る敵を素手で投げ飛ばし、飛ばしては投げてを繰り返す。
「どうでもいい。で、お前、今どこに向ってんだ?」
「そりゃあ、一番危なそうと感じる方向です」
「道理だな」
とはいえ、正確な位置は分からない。
おおよその方向に向っているだけだ
「うわわ」
不意に魔物の幼生が、地を引き裂いて足元からせり上がってきた。
ソイツは獲物を飲み込もうと、大きな口を開ける。
突然の事に、一番後ろのリコリスが態勢を崩していた。
それに───最も素早く反応したのはカイムだった。
一瞬で身を翻し、彼女を抱き寄せて、空いている手で魔物に剣を穿つ。
耳苦しい悲鳴を上げて魔物がのたうち、巨体が瓦礫などを打ち付ける。
「さっさとくたばれ」
カイムは魔物に半ばまで突き刺した剣を力任せに振るい肉を両断する。
緑の体液をまき散らして断末魔を上げるまもなく魔物は絶命した。
「あ、ありがとうございます」
「チッ」
「なんで舌打ちするんですか!?」
「黙れ」
手助けしようかと手を出しかけたシグだったが、一連の動きが鮮やかで素早かったのでその暇もなかった。
ちなみに。
現在いる廃墟は、元々は人口が四百人に満たない程度の規模の農村である。
小さな教会と井戸が一つあり、風車もいくつか見受けられ、端から端までは歩いても精々が十二、三分ほど。
目抜き通りを避けて、魔物が密集できない小道を選んではいたが、そろそろ居住区を抜けるハズだ。
と、予想通り景色が変わる。
廃墟の終わりが見えた。
建築物がまばらになり、視界を遮る遮蔽物が極端に減った平地。
かつて何がしかの作物が植えられていたであろう耕された土地と、野生動物などの侵入を防ぐためと思われる壊れた柵。
走ってきた方角的に元街の北側だろうが、そこは農場だった。
正確には元農場だが。
さらにその先の行く手には密集した木々、青々と茂る森が広がっている。
剣を振り回すには若干狭い場所だ。
見えたのはそれだけではない。
近づくと森の木が揺れた。
野鳥が一斉に飛び立ち、夜の静寂を切り裂く。
振動が地面を伝って走るシグにまで伝わってきた。
そして、森の木々をその体躯で押しつぶしながら、ひときわ巨大な魔物の姿が現す。
緑色の全身にドス黒い紋様のような何かが刻まれており、それは流体のようにわさわさと常に全身を移動していた。
見上げるほどに大きく、四足で立ち、四肢にはそれぞれ鋭い鉤爪をそなえている。
体毛は霜のようなもので覆われ、咢は大人四、五人を一遍に飲みこめるほど大きかった。
「切りがねえな」
辟易した様子でカイムが吐き捨てる。
一体一体は大した強度では無いのだが、如何せん数が多すぎて気がめいるのだ。多いというのはそれだけで厄介である。
「面倒だ。ふん、何を俺は行儀よく付き合ってんだかな、───一撃でカタをつけてやるよ」
カイムが呟く。
一人立ち止まり、構えを取る。
柄を両手で握り、頭上で持つ独特の構えだった。
細身の剣だが柄が長く、剣先は斜めに地面に向けられている。
ひやりと、身を凍らせる冷気が彼から流れ出す。
彼が何をするつもりなのか察したシグは、その直線上からずれた。
「死ね」
カイムが剣を頭上から縦に振り下ろす。
後方からの光線が今までシグが立っていた場所を駆け抜けていき、一瞬の内に、彼方まで光のキラメキがほとばしった。
そして途中に存在する魔物をバラバラにして消えていった。
光線の正体は氷の柱だった。
光が駆け抜けた後には氷で出来た壁がそそり立っていた。触れればそれだけで切り裂かれかねない、刃のように鋭利で冷たい氷柱。
「いま、私ごと狙いましたね?」
シグは顎に手を当てて文句を口にしながら、森から出てきた、翼の生えた魔獣の強襲をかわした。
「俺の前にいるお前が悪い」
「そんな馬鹿な」
「お前なら当たっても平気だろ」
「例えそうだとしても、気分的な問題です」
彼はその魔獣の首筋を右手で掴んで自分の元へと引き寄せる。
「ギ、ギャ」
それに抵抗して暴れる魔獣だったがシグが力を込めると、枯れ木を折ったような音を最期に大人しくなった。
手に残る嫌な感触に顔をちょっと顰め、それからその魔獣をしげしげと眺めた。
「これはこれは」
ソレは鳥を何十倍も大きくした姿で人間よりも一回りも大きく、この魔獣にも黒い血管のような紋様が体全体に浮いていた。
本体の魔獣が動かなくなっても、それは蛇のように蠢いている。
「奇妙です。不思議です。不可解です。これはこの辺りでよく見かける普通の魔獣で、卵が美味しんですが。あ、それはどうでもいいですね。普通ここまで好戦的ではないのですよ。ふむん、それにこの黒い紋様は何でしょうかね?」
思い返せば、最初にシグを襲った狼もこんな紋様が発症していなかっただろうか。
よく観察して見れば、ムカデのような形をした幼生の魔物も、今夜現われたモノには全てこの黒い何かが浮き出ているように思えた。
ならば、これが魔物を狂暴化させていた原因だろうか。
病気のような、あるいは呪いのような。
ソレからは異質な魔力を感じる。
とすれば、いずれにせよ魔法的な事象であることには違いない。
ソレは魔獣の身体から抜け出て、シグにするすると近寄ってきた。
「私を如何こうしようなんて百年は早いです」
しかし、シグに触れた瞬間、それは弾かれたように飛び退った。
「ふむ、なるほど」
「で?」
何か分かったのか、とカイムが言外に言おうとしているだろう事を汲み取ってシグは続ける。
「アレです、これが魔法による呪いだとするとこれはどっか近くに感染源がいますね」
「何故わかる」
「そんな事は私に聞かないでください。詳しくは説明が面倒です。理屈上そうなるという事です」
魔法の事なら魔法使いに聞くべきだ。が、残念ながら現在ココにはいないのでそれは適わぬ事である。
「ソイツを止めないことにはこの狂乱は止まらないでしょうね。いや、と言うか多分、感染源がさっきから感じるこの嫌な気配の大本でしょうね」
「ふん。どっちにしろやる事は変わらんだろ、しち面倒くさい理屈はどうでもいいが、手間が省けるのは結構だ」
「確かに、単純ですが真理です」
いかにも彼らしいブレない言葉だ、とシグは苦笑した。
「! なにか───来ます!」
ソレをいち早く察知したのは一番後ろにいたリコリスだった。
弾かれたように彼女が視線を、暗い森の奥へと向ける。
氷柱が、黒く可視化した魔力に一瞬で侵蝕され、砕けた。粉砕した結晶はさながら雪のように空から降り注ぎ地面に積もる。
何時からそこにいたのか、森の中から現われたのは人間大の黒い塊だった。
ソイツを認識した瞬間、シグの全身が粟立つほどの警鐘を上げる。
───殺されるかもしれない。
そんな予感さえ伴う、重圧。
二足で立ち、身体の両横に二つの手があり、頭があり───それは正しく人間そのものを黒く染め上げたかのような姿かたちをしていた。
けれど絶対的に人間ではあり得ない気配を発している。
ソレが、刹那の間にシグに肉薄していた。
「クッ!」
不意をつかれた形の攻撃。
彼は咄嗟に手甲で受け、そらす。
動きが全く見えなかった。
気がついたら、瞬きの間にとしかいいようがない、最早、瞬間移動したといっても過言ではない速度だった。
その上、重く鋭い。
「死ね」
カイムが背後に回りこんで接敵し、首を刎ねる軌跡で白刃を一閃させた。
「なにっ!?」
キンッ、と金属同士がぶつかったかのような硬質な音が響く。
驚愕に目を見開いたのは誰だったろうか。
カイムの刃は黒い人影の首筋に確かに届いた。
だが切り裂けない。
剣と黒い瘴気がギチギチと拮抗して、それ以上は振り切れていなかった。
ソイツの首がグルリと回り、恐らく顔の正面であろう部分が開いた。
笑ったのだろうか。
にたり、と三日月の形に口を歪める魔物。
魔力の高まりを感じて、───何か行動するよりも早くシグはソイツを蹴り飛ばした。
ソイツは木々を巻き込んで森の奥へと吹き飛ばされ、次の瞬間、その彼方では黒い魔力の奔流が吹き荒れる。
黒い魔力は見境なしに、周囲を飲み込んで消し飛ばしてしまった。
「雑魚は任せた、リコ」
「え、あ。はい。先生」
言い残しカイムが魔物を追って森に疾駆していく。
「カイム! 一人で先行するのは……! ああ、クソッ」
呼び止める間もない。
「ゼルル君、雑魚を頼みます。どうにか頑張ってください」
アレは、まだゼルルではとても手に負えないだろう。逆に言えば、今夜、彼の手に負えない相手はアレだけだ。
カイム一人でも、もしかしたら危ないかも知れない。
「わかりました。ですがマスター、せめて剣を。丸腰で行くつもりですか?」
そう言ってゼルルが差し出したのは彼が身に佩く剣だった。
「そうすると私は良いですが、君が困るでしょう」
「大丈夫です、ナイフ持ってるいるので」
「ではしばらく借り受けましょう。ちゃんと後で返しますよ」
「当然です。そうじゃないと困ります、とても」
と、森の先から地響きが起った。
「ゆっくり話している時間はなさそうですね」
シグは剣を受け取り、少し遅れて、カイムのあとを追って森に入って行くのだった。




