紅の夜(上)
秋の風が吹いて、つられて焚き火の火の粉が空に昇っていった。
月が隠れるのを待てとは言われたけれど、とシグは嘆息する。
いつまで待てばいいのかわからない。
ただ待つというのは退屈なものである。
それでも、何も目標がないよりはましかと多少なりとも納得した。
ちなみにゼルルは明るさを確保するために篝火を作って、廃墟の各地に設置しに向っている。
カイムはといえば、焚き火から離れたところで一人、無言のまま座っていた。
その横ではリコリスが壁を背にして、こっくりこっくり船をこいでいた。
先程から騒がずに妙に静かだと思ったら、とシグは感心した。
こんな状況で寝られるとは将来大物になりそうである。
あどけない顔で眠る彼女をカイムがじっと見つめている。
何を考えているのか、表情からは推し量る事はできない。
けれど少女を見守るカイムは、心なしか幾分か穏やかな様子だった。普段の氷のように張り詰めた、トゲのある雰囲気は感じられなかった。
全くもって素直じゃあない。
「案外、その娘のことは大事にしているようですね」
シグが話しかけると、彼は非常にしかめっ面になって明らかに嫌々と視線を合わせた。
「悪いか」
「いいえ。単にびっくりです、と。どういう風の吹き回しなのでしょうね」
彼が否定しなかったので、シグはちょっとだけ笑った。
悪くはないけれど。
意外だと思っただけだ。
人間嫌いとか公言しているクセに。
「死ね」
「そうやって事あるごとに突っかかって疲れません?」
「いちいち突っかかってきてるのはお前だろうが!」
心外な。
カイムが怒鳴るので、リコリスが身体を一瞬だけ震わせたが起きない。
「なに言ってんですか普通の反応ですよ、普通。………ん、ああ。わかりましたよ。会った時から貴方が妙に苛ついているのはリコリスが心配だからですね?」
納得した。
こう見えて甘いところがある男だ、人間嫌いと称しているのに。
「相変わらず愉快な思考回路だな、オレでも理解不能な言語だ。人間だってんなら人間語をしゃべりやがれ」
「嫌われたものです」
「オレがどうしてお前がのこと嫌いだか教えてやろうか? お前のそういう悟ったようなしたり顔が嫌いだ。あと存在自体が気にいらない。死ねばいいのに」
と、断言された。
清々しいほどキッパリと、ハッキリと迷いなくカイムは言い切った。
シグはちょっとだけ苦笑する。
二人の関係は水と油ならぬ、氷と炎のようなものだ。
シグが炎を扱うことを得意としているのは語る必要もないほどに知られた話ではあるが、カイムが氷の能力を有しているのもまた同じくらい知られている話である。
そういった所でも二人は相性の悪さがにじみ出ていた。
根本的に相容れないのである。
「ふむ、心配だったらのなら危険な場所になんて最初から連れてこなければいいものを。中途半端だから、そういうことになるんです」
「うるさい野郎だ。少しは黙っていられないのか?」
「私に死ねというのですか」
「お前は喋ってないと死ぬのか」
「ええ、実はそうなんですよ。黙ると呼吸困難になるんです」
「窒息して死ねばいいのにな」
心底忌々しそうにカイムがはき捨てる。
「やれやれ。戦場に足手まといを連れてくると、大抵碌なことになりはしないなんて常識じゃないですか。馬鹿ですね」
「俺の経験上、置いて行かれた奴とは二度と会えんがな」
シグが皮肉っぽく言うと、カイムは顔を顰める。
「大丈夫ですよ。私と貴方でおよそ二千人相当の戦力になると専らの評判ですよ。貴方と私でどうにか出来ないなら、それはもうどうしようもない出来事です。だからあんまり気をとられて、ばっさりやられないで下さいよ。何かあった時に全員のフォローするのは私か貴方なんですから」
「言っておくが、お前に助けられるくらいならオレは死ぬ」
「そんな風に言われると逆に親切の押し売りをしたくなってくるから不思議です。今なら無料ですよ、よかったですね。お得です」
「チッ、お前のそういう所が大嫌いだ」
「私は貴方のそういうハッキリ物を言う所は結構気に入っているんですけれどね」
本当に、明け透けのない性格は羨ましくもあるくらいだった。
「怖気が走るわ」
「酷いですねえ」
クク、とシグは喉を震わせて笑った。
さてそんな無駄話をしていると、松明をもったゼルルが戻ってきた。
「帰りました。………何をされているんですか、ご両人?」
「おや、早かったですね。ゼルル君」
「マスターとカイムが心配だったので」
「心配していただいて感無量ですが、大丈夫ですよ。腐って醗酵させたところで食べられたものではないですけれど、この馬鹿男と私がいれば大抵の心配事は無用です」
誰が腐ってるか、とカイムが毒づくが無視した。
「そういう事じゃない、そういう事じゃないんですよ。マスター」
「ええ、つまり私と彼が不仲のあまりに実力行使にでて暴れていないか心配したわけですね? 侮らないでください、わかってて言いました」
ゼルルは、はあとため息を吐いた。
◇
秋の風が吹いている。
その風は空の群雲を流す。雲の陰が地面をどんどん進んで広がっていった。
そして終には月は雲で陰り、遮られた。
星も月もない廃村の夜は目の前すら見渡せないほどに暗い。
夜の闇に包まれて、ものとものの境界が曖昧になったようにもシグには感じられた。
とはいえ、今は篝火が灯されているおかげで完全な闇というわけではない。
その時、シグは直感的に嫌な予感がしてゼルルの腕を掴んでその場から跳ぶ。
「何を───」
それは勘としか表現しようがなかったが、シグにとってはそれだけで十分だった。
自分の感覚を信じた。
直後、闇の彼方から何かが飛来して今までシグが居た場所を吹き飛ばす。
砲弾が着弾したかのような衝撃と共に轟音が鳴る。
シグの横にリコリスを抱えたカイムが着地して、暗闇の遥か向こうを見ていた。
「おい。いつまで寝てんだ、とっとと起きろリコ」
「うぅ、眠いです。私、すごい疲れてます。眠いんです。………ていうか人の名前をそんな男っぽく変なふうに呼ばないでください先生」
「ハン、そうして欲しいならもっと成長しろ半人前」
半人前だから名前も半分なのだろうか、とシグは思った。
「………ん、あれ? どういう状況です?」
「オレに聞くな、馬鹿め」
「それにしても先生冷たいですね。体温低すぎじゃないですか? 知ってますか、体温低い人は長生き出来ないらしいんですよ」
「冷たいなら放してやる」
言ってカイムは抱えていた少女を腕から解放した。
「あぅち」
落とされて尻餅をついたリコリスが文句の悲鳴を上げる。
「ひ、酷いですよ先生。もう少し優しくしてくださいよ。有罪ですよ!」
緊張感のないやり取りに、シグは若干毒気を抜かれた。
気を取り直して、何が飛んできたのかを確かめる。
それは赤く、血のような色をしていた。人間の胴体ほどの大きさをしていて、縦に長い、棒状の物体だった。
槍のような、と表現するのが一番近いかもしれない。
表面は神経だか血管だかのような細かい筋が浮き出ていて、何となく脈打っている気さえ、シグには思えた。
今まで見たことがないものだった。
「なんでしょう? これ」
と、リコリスがそーっと手を伸ばすのを見咎めてシグは声をかける。
「よくわかりもしない正体不明なものに迂闊に触れるのは、賢い選択とは言えませんね。いやいや、もちろんそんな愚かしいマネはしないでしょうけれど?」
「同感だ。頭の中に空気以外の確かなもんが詰まってんなら軽率な行動はするな、たわけ」
「………わぁ、他人の悪口の時だけ息がピッタリです」
リコリスは伸ばしかけていた手を引っ込めた。
魔物と言うのは多種多様で、その生態については、わかっていない事の方が圧倒的に多い。
ある時は山中に自然発生した大木の姿をしていたり、泉だと油断した旅人をその水の身体に引き込んだりと例をあげれば枚挙にいとまがない。
例えば人間と子を成したりなんて話も聞く。
本当に化け物然とした姿形だったり、動物に似ていたり、人間にそっくりだったりもする。
よくわからないものは、迂闊に扱うべきではない。
常識だ。
と、どこからか霧が立ち込めて、周囲を覆おうとしていた。
よく見れば赤い槍が溶け出して霧状になっているのだった。
それは赤い色の霧。
どうやらそれは魔力を帯びているようで、周囲の気配を探ろうとするシグの感覚を阻害した。
「どっかからヤバイ気配がするが、正確な位置はわからん。多分、今回の元凶だろな」
「なるほど。確かに出遭えればわかりますね。ふむ、しかし姿が見えないとなると少し面倒ですねえ。どうしますか?」
呟きにリコリスが元気よく名乗りを上げた。
「はい、はい。私にいいアイディアがあります!」
「おや、なにか考えでも?」
「こいつはカンがいい」
相変わらず端的にカイムは口を開く。
端的過ぎて必要最小限にも達していないことを理解しているのだろうか。
いかにシグが彼と付き合いが長いと言っても、言葉にしないことまで百パーセント理解できるわけではないのだ。
「カンじゃないです! 運命ですよ! と、来ますよ。七時の方角から一つと、十時の方角から三つです」
闇の中の虚空を見つめたリコリスが言った。
そして、宣言した通りの方角から攻撃が飛んでくる。
まるで未来が見えているかのような正確さ。
リコリスの髪の毛がざわざわと不自然に波立ち、琥珀色の瞳がギュッと収縮している。眼前の闇夜を見ているようで見ていない。
現実に焦点の合っていないその瞳は、現在ではない何処かを捉えているようで。
「ほほう。未来が見える瞳、ですか」
「ふん、こんなガキがそんな大層な力なんぞ持ってるわけがないだろ。ただのカンの鋭いだけの小娘だ」
「あ、ヒドイです。運命は絶対なんですよ」
指を立ててリコリスは得意そうに笑う。
「運命なんて本当に見えるものなのですか?」
とゼルルが首をかしげた。
「さあ、私は見えないので何とも言えませんが、見えると自称する人間になら会った事はありますね」
しかしながら未来を見通す力なんて、シグの短くない人生の中でも、真実そんな能力を持った人間に出会ったことは数えるほどもない。
大抵は偽者だからだ。
「ハッ、冗談じゃない。言っておくが、オレは運命なんぞ信じちゃいない」
カイムの剣幕に気おされてゼルルは口をつぐんだ。
「不信心者ですねえ」
「むしろ信心深い方だろう。大体、信心の問題でお前にどうこう言われる筋合いはない」
カイムはそれに、と続ける。
「自分の周りも見えないようなやつに未来が見えるなんて冗談だろ」
真横からリコリスに当たるように飛んできた赤い槍を、彼は剣で弾いた。
槍は砕けて破片は赤い霧となって辺りに漂う。
「うわ! け、剣が掠りましたよ先生! 私の髪がっ。酷いですよ。髪は女の子の命と等価なんですよ。それを許可なく勝手に斬るなんて言語道断ですよ!」
ぱらぱらとリコリスの赤髪が数本、宙を舞う。
それに対して少女が涙目で文句を口にするがカイムはどこ吹く風といった様子だ。
一連の事から判断するに、リコリスは常に見えるというわけでもなさそうである。
「さて、私も少しくらい本気でいきましょう、流石に」
言いながらもシグはその身に似つかわしくない大剣を振るう。
自分自身の身の丈ほどもある大きな剣を、軽々と振り回して飛んでくる物体を斬る。
飛んで来るものを弾くたびに、霧は濃くなっていく。
赤い色の槍はそれ自体が生きているかのように、生命力を感じた。
もしかしたら魔物の体の一部なのかもしれない、とシグは思った。
「後手後手な上キリがないです。さて、次どっちです?」
「三時の方角です」
「了解しました」
答えを聞いた瞬間にシグは持っていた大剣を力の限り投擲した。
闇夜を切り裂いて剣は彼方へ消える。
直後、暗闇の遥か先で甲高い金切り声がシグの耳は確かに聞いた。
当たったようだ。
そして、すれ違うように赤い槍が着弾する。
「ふむん、手ごたえありましたが………」
何かをしとめた感覚は得られたが、これでお仕舞いだろうか。
いやまさか。
よくない感じが消えてはいない。
「おっと、しまった、剣が無くなりました。どうしましょう」
「どうしようも無い馬鹿だなお前は、死ねば良いのに」
そんな事を言い出すシグに、カイムは凍てつくような視線を浴びせてくる。
「あのですね、私と会話する度に定冠詞みたいに死ねば良いのにって付け加えないでくれますか。傷つきますよ?」
その時───ドクン、と何かが脈打った。
それはまるで心臓の鼓動のようだ、とシグは思った。
自分のではない。もっともっと下から、響く。地面のもっと下。
ゆれている。
ゆれているの地面だ。
地中に巣くう「なにか」が地を揺らしている。
だからシグは上に、空にと跳んだ。
重力に引かれるまま廃墟の屋根へと着地。
遅れてゼルルも隣へ降り立った。
その廃墟は、元は教会のようで天辺に残っている十字でかろうじて名残を残している。
屋根はほとんど穴あきで人間が乗れる空間はあまり残っていなかった。
と、更に上空から降ってきたリコリスを抱えたカイムがシグの真上に降ってきた衝撃で、シグは、うぐぅとうめき声をもらす。
カイムが落ちてきた勢いのままシグに掴まるので、彼は危うくバランスを崩して屋根から落ちそうになった。
「重い! なんであえて私の上に降ってくるんですか!」
「すまんな、わざとだ」
「ええ、そうでしょうとも!」
文句の言葉にカイムはクツクツと笑う。
彼の腕に猫のように抱えられたリコリスは申し訳なさそうな顔で両手を合わせてシグに頭を下げていると言うのに師弟でこの違い!
「チッ、もうちょっと精進したらどうですか?」
「俺はお前と違って器用貧乏じゃないんでな」
シグの呟きに、カイムがむっとして言い返す。
「誰が器用貧乏ですか。使えない。私の活躍を見てください。下馬評をくつがえす八面六臂の大活躍じゃないですか。誰ですか使えないなんて言っていたのは。風評被害だ」
「そういう事は敵を一匹でもし止めてから言えってんだ」
「何言ってんですか、さっきの手ごたえがありました、あれは完全に仕とめました。私が言うんだから間違いないです。剣が当たったヤツは間違いなく倒しましたよ」
「そうかよ」
しばらくすると赤い霧は薄くなってきた。
というか、アレが溶けて霧を発生させたのはきっと副次的な効果だったのだろうとシグは推察する。
魔力とは活力源なのである。
例えば卵などに魔力を使えば無理やりに孵化させることも可能なのだ。
眼下がよく見えるようになってきて、足元には壊された街並みに蠢く無数の影。
足元で蠢いていた影、それは全て魔物の幼生だった。
地中から無数の幼生が這い出してきている。
地面が裂け、かつて村だった廃村を、更に廃村だったものへと破壊していた。
見た限りでは頭らしき部分には赤くぎょろつく目が何個も付いており、鼻はなく大きく裂けた口がある。
牙が生えそろえた口は人間の子供くらいなら簡単に丸呑み出来てしまいそうだ。
無数の足がわさわさと生えていて、その足一つ一つに刃物のように鋭利な光沢がある。
石柱のような灰色をしており、一番近い生物で言えばムカデだろうか。
ただしムカデと比べてコッチは平べったくも小さくもない。
幼生と成体では大きく姿を変えるものなので、親の姿の当てにはならないだろう。
灰色にくすんだソレらは、先刻ばかりカイムが殺した獲物に暗いついている。
または共食いして赤色の体液をまき散らしていた。
あまりに数が多くて、ぎちぎちに詰まっているせいで身動きするだけでお互いを傷つけあっていた。
シグはなんとなく蠱毒のような印象を受ける。
「囲まれました。大変マズイ状況です」
どうやら知らず巣のど真ん中にいたようだ。
「てか何故足元にこんなに魔物がいて全く気がつかないんですか、カイム! 貴方の目は節穴ですか!」
「お前だって暢気に喋り腐りやがってたじゃねえか! やっぱ使えない野郎だな!」
「お二人ともこんな時に愉快な言い争いしないでください!」
たまりかねたゼルルが苛々したように制止させる。
と、眼下を見たリコリスが叫び声をあげる。
「キャー!! 気持ちわるぅ! うう……私、ああいう感じの苦手なんです! ダメなんですよ! ヤバいです鳥肌ものですよ! ザワザワします!」
かなり本気の絶叫だった。少女は恐怖で髪の毛を逆立たせていた。
カイムは己の腕の中で、水に近づけられた猫の如くじたばたと暴れる彼女を、鬱陶しそうにしながらも落ちないようにしっかりと持ち直した。
どうにも毒気が抜かれる少女だ。
「………いやはや空気が壊れますねえ。いま、結構緊迫した場面だと思うのですがね」
「マスター、言いたくはないですけれどご自分の行動を省みてはいかがですか、と言います」
「私は過去は振り返らない主義ですので」
「初耳ですね」
「ええ、私も初めて言いましたから」
シグはやれやれと肩を落とす。
まあ、冷静に考えれば数が多いだけの雑魚なのだ、本命はコレではない。
ある程度は勝手に減っているが。
このまま待っていたら勝手に全滅してくれないだろうか。
それは流石に期待しすぎか。
「長い───夜になりそうです」
「いまさら締まりませんよ、マスター」
運命を信じない云々で信心深いとか不信心とかいう台詞が出てきていたは、この世界観における、とある宗教のせいです。
その宗教においては運命や未来がわかるのは神か、神の選択を受けた神官なのでそこんじょそこらの小娘にそんな大層な能力があるなんて、ある意味で冒涜的だという事ですね。
などという事は本編で入れてもグダグダな上に必要ない情報なので一応後書きにだけ書いておきます。




