紅の夜(下)
月のない夜。
暗い森の中を走る影があった。
真っ黒な二つの影、常人ではその影すら捉えられない速度で森の中を疾走しながらも何度もぶつかりあっているようだった。
その度に重い金属音が肌を打つ。
それにシグが追いついた時、ちょうど彼らはある程度の距離をあけ互いの隙をうかがって、場が膠着しているところだった。
「遅え」
振り向きもせずに文句の言葉。
あんまりな態度に嘆息したくなった。
「貴方が早すぎるだけですよ、全く。大丈夫ですか?」
カイムに肩を並べるように、その横にと立つ。
そして黒い影を纏った人間のような形をした魔物へと視線を向ける。
「誰にものを言ってやがる」
カイムは手の甲でグイと頬の血を拭う。
「アレは何でしょうね」
「梟は自然災害みたいなもんだっつってたがな」
「アレが自然? まあ、魔物に襲われるのだってある意味では自然災害、天災と言えなくもないですが………。そういう意味で言ったのでしょうか」
唐突に魔物が消え、
死角をつくように姿を現したソイツを、シグは見計らって首筋を手で捉える。
ギリギリと右手に力を込め、大気を震わすほどに地べたに叩き落す。地面は放射状にヒビが入り、それだけでは留まらず円形に陥没する。
「二度目ではただの手品ですよッ!」
速度ではない。
いかに素早く動こうとも、シグに全く見えないなんて事はあり得ない。
もしそんな速度で動作を行えるのなら、さっき攻撃を防げたはずがない。
何のことはない、ヤツは本当に空間を跳んでいただけの話である。
「良くやった!」
背後で冷気が収束し、逆巻く。
カイムが、シグを巻き込む形で能力を解き放った。
「ちょっ」
───視界一面の蒼。
空気すら凍りつかせるカイムの冷気は、瞬く間に二人を氷の中に閉じ込める。ただの氷ではない、それは閉じ込めた物を刃を秘めた棺である。
もっとも、その氷がシグを傷つけることはなかったが。
「せめて何か一声くらいあっても良いんじゃないですか?」
彼は氷を燃やしてその中から這い出て、距離を取って不平を口にする。
「チッ、キズ一つないか」
溶けた氷から、影の魔物が起き上がる。
いまいち、ダメージが通ってるかどうかが判断しにくい相手だった。全身真っ暗なソイツはさながら闇そのものが動いてるかのようで、しかしそれでいて夜の暗さとは同化しないでハッキリと視認できた。
「今の勿論、アチラさんに言ったんですよね? そうですよね?」
「騒ぐな、どっちでもいいだろ。暑苦しいやつだな」
「冷たい人だ」
二対一、数の上ではこちらが有利。
背中の心配をしなくていいというのは、心強い。
シグは、トントン、と足で地面の感触を確かめて、一気に切り込んだ。
土煙を上げ、音を置きざりにする勢いで地を蹴り間合いを詰るた。勢いを使って全身を一回転。クルリと身体のバネを使った、地面から切り上げるように逆袈裟斬り。
ギギギと金属を滑らすような硬い手ごたえに、火花が散る。
斬撃は魔物の腹を滑り、肩方向に抜けていった。
止まらずに振り切った刃を返し、直上から脳天へと叩き落とす。
斬るのではなく、叩き付ける一撃。
斬撃の反動に魔物は後ろへとよろけるが、ソイツは反撃に腕をしならせて振るってくる。届くハズのない距離、だが腕が蛇のように伸びてシグに迫る。
鋭い鉤爪をもつ腕がシグの持つ剣を掴んだ。
腕のように見えるが、それはただの闇の塊なのだ、ならば決まった形はない。
ソイツは反対の腕に槍状とした魔力を集中させて、突進してくる。かわす為には武器を捨てるしかない。
そのシグの横を駆け抜ける影があった。
カイムが伸びきった腕を狙う。ガリガリと抵抗があり───腕が半ばから切断される。
ヤツは姿勢を崩した。
シグはまだ剣を捨ててはいない。
一歩で間合いに入る。
右から左へ首筋を狙った必殺の斬撃。
それは蠢く闇に抵抗されるも、食い込んでゆっくりと進んでいく。
「くたばれッ」
彼の加勢に、魔物の身体全体を覆っていた闇が徐々に剥げていく。
「───────」
振り払うように声にならない雄たけびを上げて、黒い魔力光がソイツの足元の地面を発光させた。
だが遅い。
「セ──────ッァアアア!!」
裂帛の気合とともに、終にシグは刃を振り抜いた。
コロコロと、ソイツの頭蓋が胴から切断されて転がっていった。
後を追うようゆっくり、どお、と音をたてて身体も地面に倒れて動かなくなる。
そしてわずかに残っていた、骸を纏っていた闇が拡散していく。
「やったか?」
カイムが慎重に様子を確かめる。
すでに嫌な感じの魔力は綺麗サッパリなくなっており、闇はすっかり消えってしまっているようだ。
残ったのは人間の骨と思しき骸だけで、生気は感じない。
「さて、生きてはいないようですが………」
「なんだ?」
「いえ、思ったよりも大分弱かったなと」
感覚が鈍ったのだろうか。
もう少し手ごわそうだと感じたのだが───。
「!」
背後で気配を感じた時には遅すぎた。
視界の端に捉えたのはさっき切り落とした右腕、それからドス黒い魔力があふれ出す───。
何度目かの轟音が森を大きく揺らした。
◇ ◇ ◇
「クッソ、やってくれたな…………!」
隣で毒づくカイムの目は充血して、右腕は鎧が溶けて素肌があらわになっていた。その皮膚は赤く焼けただれ、ジクジクと腐っていた。さっき、アレに直接触れたせいだろう。
咳き込んだシグの口からはごほり、と鮮血が溢れた。
「全く………、ビックリしましたね」
「油断し過ぎだ、アホめ」
「そっちこそ。こんなのカスリ傷ですよ」
「はん、やせ我慢でもそこまで言えりゃ大したもんだ」
ククっと、シグは苦笑する。
ずくん、と心臓に痛みがある。芯から響く痛みだ。
それに利き腕が痺れて握力が下がっている。
身体を内側からおかす、呪いのような魔力の奔流は、周囲の木々を腐らせ土を溶かし、いまだ空気を澱ませている。
直撃ではなかった。
出来るだけ遠くに離れての回避を試みたのだ。それでも魔力の煽り───余波を受けただけで少なくないダメージを負わされた。
「で、どうなりました?」
「さあな」
「見えますか?」
枯れ木を背にしならが、身を潜めて爆心地の様子を窺う。
数十メートル先、爆心地から地面が放射状にえぐれ、巨大な大穴が出来ていた。その穴の中心には切り落とされた白骨の右腕が転がっており、それが爆発の触媒となったようだった。
その右腕には再び黒いモヤのような闇が集まり出している。
ずるずると、ゆっくり残りのパーツが向かっていた。
「なんだアレ?」
「アレは最初から、生きてなんていなかったんですね」
なら生きている気配がする訳がない。
「………そうか。けったいなヤツだな」
カイムが知ったような顔で相槌を打つ。
「貴方、ちゃんとわかってます?」
「わかってるよ、当たり前だろ。つまり死ぬまで殺せってことだろ」
「つまりアレは、あの闇の方をこそどうにかしないと、と言うことですよ」
「ほう、どうやって?」
まだ戦う意思を失っていないカイムが、左手で剣を構えなおして尋ねた。
「それなんですが、あの………影の塊と言いますか闇の塊と言いますか。アレ、斬れて触れられるから勘違いしましたが、闇と言うのはですね、ふつう斬るものではなく散らすものですよ」
物理的に攻撃しても意味は薄い。
「光か」
「ええ。照らしてやればいいんです。何かしらの光源があれば、コチラが有利なのですが」
「今夜は月も出ちゃいないがな」
「仕方ありませんね。ツキの女神ってのは、たいてい気まぐれなんですよ」
見上げても、木々の隙間から見えるのは星のない夜空だけで、闇を照らすための光は一切なかった。分厚い雲は晴れるのには期待できそうにない。
「女神ってのはロクなヤツがいないな」
シグは肩をすくめてみせる。
「朝まで待てば、コチラが有利になりますよ?」
「それまで待てってのか? 冗談だろ」
「実際問題、決定打がないので。アレを本気で滅ぼしたいなら光が必要ですねえ」
「ふん、お前が適任ってことか」
カイムは、忌々しそうにシグのことを睨みつける。
相性の問題を考えるのなら、確かに彼よりも自分の方が有利だろう、とシグにはわかっていた。
「一旦引くのも手ですよ?」
シグは利き腕を握っては閉じを繰り返し、調子を確かめる。
痺れは大分取れたようだ。
「却下だ」
「何故?」
「俺の性に合わないからだ」
言うと思った、とシグは心の中だけで呟いた。
「あまり気が進まないんですけどねえ」
「なら、一生立ち止まってろ」
見計らったかのように、全てのパーツが集まって骸が大穴の中心で立ち上がった。完全に骸が闇に覆われて、空に向けた咆哮が遠くまで届いてきた。
ギョロリと首を動かして、視線を真っ直ぐコチラへ。
「お前にその気がなくても俺はある」
「一人でどうするつもりですか」
「触れられるのに消滅させられない訳がないだろ。殺せば死ぬ」
「ああ、馬鹿なんですね」
青い魔力がカイムに渦巻いて、彼の足元の地面は凍りつく。
そして消えた、と錯覚するほどの速度で彼は動いた。
再び魔物の咆哮。
空気を澱ませていた魔力が凝縮して、雪のようにポツポツと降りはじめた。それは皮膚を溶かし、身を焼く黒色の雪。
黒い雪に触れた鎧が溶けだし、触れた肌からは肉がこそげる。
それでもカイムはソレを無視して闇を纏った魔物に突っ込む。
ヤツがそれに身構えるも、
「ハハハ、遅ッえんだよッ!」
彼は嗤いながら、魔物の右腕を吹き飛ばす。
宙に舞った腕は不意に止まり、見えざる糸に操られるかのように彼に向かって襲いかる。
チラリと目くばせするように彼が、シグの方にと一瞬だけ目線を向けた。
シグはかばう様に、彼の代わりに攻撃を防ぐ。
「本当に貴方と言う人は………! せっかちが過ぎるし考えなし過ぎる!」
シグが剣を振ると、轟と溢れた炎が空間を覆いつくし黒い魔力を押し流す。
「お前が遅すぎるだけだ」
カイムは止まらず、寧ろどんどん加速していく。
魔物の咆哮とともに闇が蠢き、四方から黒い魔力いが二人を串刺しにしようと降りそそぐ。
「遅い。遅い、遅い遅い遅い遅い遅い、遅すぎるぜッ!」
しかしそれも宙を貫くだけで、両者ともに既にその場にいない。
カイムが魔物に接近し、一瞬の内に三度斬撃を加える。
無抵抗のままに魔物は打ち付けられるが、ただの斬撃では効いている様子が見えない。
と、カイムの背後に暗い魔力が高まった。
空間を跳ぶ予兆だ。
原理はわからないが、行動はわかる。
ヤツが空間を移動する時は、まず魔力の移転が始まりその後に、その場所に転移するのだ。
それに───カイムが振り向きざまに一閃。
真一文字に振られた刃が空を斬った。
ザシュ、と斬撃の音が場違いな程、耳を打ったように感じた。
「あ?」
ポタ、ポタと雫が地面に落ちて染みを広げていく。
それは凝縮された、刃の形をした禍々しい魔力、カイムの背中から腹に黒い刃が突き出ていた。
カイムの背後で、黒い魔物が不明瞭な声をもらす。
「グ、ガガガッ」
多分、笑ったんだろう。嫌な笑い方だ。耳障りで、聞いたものを不快に感じさせる。
ヤツは転移しなかったのだ。
そうすると見せかけて、ただ魔力を発生させただけ。
それに反応して背中を見せればどうなるか。
───だが真に笑えるのはどちらだろう。
貫かれたカイムの姿が力を失ってガラガラと崩れ落ちた。
虚をつかれた魔物が混乱し、なまじ知能があるせいで、硬直する。
それは氷の虚像───本物そっくりに出来たフェイクだった。
五体満足なカイムが現れ、そして畳みかけるよう魔物の足元を凍らせて身動きを封じる。
「マヌケ」
彼はせせら笑う。
いつの間に入れかわったのかシグにもわからなかったが、あの意味深な目くばせを考えれば何かするだろうとは分かっていた。彼は幻を扱うのが得意なのだ。
騙し合いは彼の方が一枚上手、やはり性格が悪いなとシグは思った。
「やれッ!」
「応ともですッ!」
シグは一足飛びで間合いを詰める。
轟、と収束した熱風とともに彼は剣を振り下ろした。切るのではなく、全力で叩き付け頭蓋を揺らす打撃。
ビリビリと空気が震え、辺りには真昼と紛うほどの大量の火花が散り、衝撃に魔物の闇で出来た衣が一瞬だけはげた。
垣間見た、闇で出来た衣の下の姿は髑髏だった。肉はこそげ落ち、落ちくぼんだ眼窩、開いた空洞からは不気味な暗黒が覗いていた。
眼球は腐って無くなっているのに、確かに視線を感じた。
「───────」
闇が収束して元通りとなるが、声ならぬ叫び声を上げて初めてソイツが痛みを感じているような様子を見せた。
シグは心臓に狙い定め、剣の切っ先ごと体当たりするかのように突進する。
キンッ! と澄んだ音とともに切っ先は胸に当たり、渾身の勢いのまま身体ごと吹き飛ばす。ソイツは押されながらも、両の手を使い、刃がそれ以上その身に喰い込まないように迎え撃つ。
ジリジリと切っ先が闇を進んでいくが、最後まで貫ききれない。
拮抗する。
刃はそれ以上押し込めず、払いのけられる事もない。
「腕もらうぜ」
とカイムが魔物の肩に触れ、力任せに捻じり切った。
ボトッと魔物の左腕が付け根から落ちる。
ふっ、と抵抗が弱まった。
「本気でいきますよ………!」
シグの身体から、一気に赤く染まった魔力が燃えさかり、熱量は空気を焦がし剣先からは炎が溢れだす。
「力任せと言うのは………あんまり好きじゃあないんですがねッ!」
赤い閃光が一点を穿つ───。
そのまま流星のように尾を引いて突き進み、ソイツを引き摺りながら直線上の木々をなぎ倒してなお勢いは止まらない。
剣は胸骨を砕いてその後ろの脊椎を突き破り、幾本目かの大木へと叩きつける。突き刺さった剣を支えにしてソイツは磔にされた。
「グ、ガ………」
「───これで終わりです」
一瞬、辺りが真昼のごとく光に包まれる。
魔力の本流が、眩いほどの光をともなった炎となって全てを飲み込んだ。
断末魔の絶叫と共に、魔物は欠片一つ残さずにこの世から消滅した。
◇ ◇ ◇
「───いやはや、なんと言うか酷いありさまですね」
「そりゃ誰のせいだ?」
「はて、不幸な自然災害みたいなもんですね、きっと」
シグの目の前には、結構な割合が灰になったり腐ったりし凍りついたりしている、森だったような更地が広がっていた。
「本当にどうするんですか、これ。倒してはいお仕舞いじゃないんですから」
「俺が知るか」
ここいらの事ならば辺境伯あたりにどうにかしてもらうのが筋だろうか。
それはそれとして。
「いつまでもこんな辛気臭い場所にいられるか」
確かにこの場所は高密度の魔力溜まりというか、空気が重く感じられるようになっている。
辛気臭いと言えば辛気臭いが。
「ちょっとゼルル君たちも心配ですからね」
きっと大丈夫だろうとはシグも思う。
伊達に、そんなにヤワな鍛えかたはしていないハズだ。
「では戻りましょうか。貴方が不安で堪らなそうにしているので」
「死ね」
そしてシグはその場を後にするのだった。




