間の話
さて、ここはブルディアが誇る大書庫である。
そこの一室ではギンカとイドがテーブルを挟んで向かい合っていた。
その手に持っているのは白黒のチェスの駒、二人の間ではカツカツと絶え間ない応酬の音が鳴っている。
「e4にポーンを」
「ではgの3にビショップ」
「う、ならd1にキングを」
となりで二人の遊戯を覗いていたメルクは「…………」、あーあ、といった風に首を振って、視線を下げてまた自分の作業に戻っていった。
「何か言いたい事があるなら聞いてやるぞ、メルク」
「いいえ、何もありませんよ。お姫様」
メルクは視線も上げずに答える。
「ふん。黙って見てろっての。d2にビショップ」
「何も言ってないじゃないですか。気のせいですよ」
馬鹿丁寧に彼が言う。
こういう時は大抵、彼は呆れているか不機嫌か馬鹿にしている。
「私はfの4にビショップ」
「ちょ、なんだそれ」
結局それから数手もしない内に、とうとうギンカは手詰まりになってしまう。
「むぅ、また負けた。キミちょっと強すぎるぞ」
ギンカは自分の白の駒を手でいじりながら、ぼやいた。
ここまで少女のイドに対しての戦績は2回引き分け、3回負けの勝ちなし。
イドはチェスの名手なのである。
だから特別にギンカが弱いわけではない、本当だ。
「やめだ、やめ。勝てる気がしないよ」
イドの打ち筋は基本的に定石にのっとったものではあるけれど、偶に良く分からない打ちかたをする。
混乱させるのが目的なのか、とにかくそれで結果的に上手くいかれてしまうのだ。
そして何故そんな打ち方をしたのかと本人に聞いても勘としか答えが返ってこないので、全然参考にはならないし理解も出来ない。
「筋は悪くないんですけれど、ちょっと素直すぎて手が非常に読みやすいんですね」
「それにしたってねえ。あんまりにも勝てないと面白くない」
「手を抜かれて勝っても気分がよくないでしょう」
「それは勿論」
「それでは仕方ありません」
となりで二人の会話を聞いていたメルクが「…………」、興味なさそうにパラパラと本のページを捲っている。
メルクの手が止まり、そしてため息とともに口を開いた。
「………あのですね、言いたかないんですけど、お二人さんは何だってわざわざ書庫にきてまでチェスで遊んでいるんですか?」
メルクの呆れを含んだ声色に、イドがはてなと首をかしげる。
「何故って、静かに出来る場所の方が良かったんでな」
イドはチェス盤を片付けながらそれに答えた。
「静かに? 今、静かにって言った? 僕の聞き間違い? ああ、確かにお二人がきてから大分お静かでしたからね、僕も集中出来るってもんです」
「うるさいぞバカメルク」
メルクの嫌味にもギンカはぞんざいな調子でそれを受け流す。
「迷惑だったなら謝ろう。すまないな」
「全くです。こちとら増えすぎた魔道書処理のせいで大変なんだすよ」
と、彼は疲れたように吐き捨てる。
「大変だったら増やさなきゃいいじゃないか」
「なに言ってるのさ、魔道書なんて勝手に増えるものじゃないか」
「何だそれ、変なの」
素直な感想を少女は口にする。
「あのね、魔道書ってのはただの本じゃないんだよ。何てったって「魔」道書だからね。勝手に増えていたって別に不思議じゃなない」
「いやいや、十分に不思議だと思うんだけど」
「要は魔獣とかそこら辺と同じさ。普通の理外のものならば、不条理は不条理でなく不思議も不思議じゃない。ま、無理が通ってしまえば道理は立ち行かないものなのだよ」
魔獣も魔道書も魔法使いも皆、「魔」に属する存在だ。
刺しても斬っても立ち上がってきたり、勝手に増えたり、天候を操ってみせたりと、そう聞けば何だか上手く騙されているような酷い話である。
「だからさ、魔獣とか魔道書とか魔法なんて面倒で厄介なものばかりなんだ」
「それを魔法使いが言うとはな」
イドがしみじみと言う。
「魔法使いだからこそですよ」
彼の反論に、それもそうかとイドは頷いた。
「で、それじゃあそれらが何でもありかっていうと、それはそうでもない。不条理には不条理なりの、不思議には不思議なりのルールと法則があるものさ」
「ふぅん、そんなもんか」
何にでも制限というものはあるものだろう。
普通の人間にはその制限が見えないから魔法は不思議なのであって、理解している人間にしてみれば不思議でもなんでもないという事なのだ。
「ふむん、退屈だ」
「キミはいつでも退屈してない?」
「そんなことはないさ」
そう、そんなことはない。
ただちょっと刺激が足りないというか、変わり映えしないというか、最近は色々とあって日常のふとした瞬間になにか物足りなくなることがあるというだけだ。
「まあ、きっと平和だということでしょうね」
イドの言い分が少し的を得ているかも知れない。
「ちょうど冒険に出かけたシグがまた戻ってきたら、何か土産話でも聞くことを楽しみにしていればいいではないですか。と言っても、いったいつになるかは分かりませんが」
「そう言えば、彼はなんでまた出かけたんですかね」
「さあ、私は聞いていないな」
それについては少女も知らない。
騎士というのは名誉とか冒険とかを求めて旅をするものだ。あんまりに、シグが真っ当な騎士らしくないものだから忘れがちだが、それでも彼はやはり騎士なのだ。
何処を目指そうと不思議ではない。
それに元々、彼はひとところに留まっているような性分ではないはずだ、とギンカは思う。
彼が城を旅立ってから一週間が経っている。
「今頃、どこで何をしてるんだろうねえ」
その疑問に答えられるものは、その場にいなかった。
けれど、まあ彼なら何処で何をしていようが無事でいるだろうし、しぶとくやっているに違いない、と少女は思うのだった。
チェスの駒の動かし方は雰囲気です。




