濡れ烏の騎士
「行くのかい?」
シグが城門の所で振り向くと、月のような銀色の髪をなびかせたお姫様が彼を見上げていた。
「おや、これはご機嫌よう」
「ご機嫌いいもんか。わざわざ急いで来たんだぞ」
「それはそれは」
「ふん。何処に行って何をするのかは知らないけど、何も言わずに行くなんてヒドイじゃないか」
少女がシグのすぐ近くへと歩いてくる。
「これが今生の別れでもあるまいに」
「未来のことは誰にもわからないだろう?」
その通りだ。
「大体、城主の娘に礼も告げずに発つつもりだったの?」
「不良騎士なもんで。礼儀知らずなんですよ」
「違いない」
クスリと少女が笑った。つられて彼も微笑んだ。
そして少女がシグに手を差し伸べる。
「君の幸運を祈ってる」
「私も貴女の幸運を」
見送りはそれだけで十分だった。
◇ ◇ ◇
空には双子の月がかかっていた。
満点の星空、その小さな光だけが儚く揺られている。
荒野の風が土と埃を巻き上げてシグの鼻の奥を刺激する。
けれど今は、それ以上に鼻につくモノがあった。
地面や崩れた壁、あちらこちらに魔物の爪あととでも言うべき好ましくない瘴気、むせ返るような鉄と血の臭い。
ここは国境付近にある、件の小さな村だった。
だった、という言葉の通りに村はすでに廃墟と化していた。
一定以上の人口が集まっているのなら、魔物避けがされているのが普通だが。
そういう事を行う役割は大抵、教会が担っている。
と言うのも教会は、弱いものを助ける事を教義としているからである。
もっとも、その魔物避けも今は正常に機能していない。
「酷いものですね」
「ええ、まさかここまでとは」
シグとゼルルはその有様を見て痛ましそうに言葉を漏らす。
アルストロからこの辺境の村まで馬を走らせ一週間ほど、道中は取り立てて苦もなく彼らは目的地にとたどりついていた。
その時、サッと風が吹いて空の月を覆い隠すように群雲が流れる。
───そして影は消える。
人がいない村は灯りの一つもなく、月明かり無くなれば訪れるのは完全なる闇だ。
一寸先も見通すことが出来ない。
その闇の中、金色の瞳が浮かび上がっった。
「マスター!」
ゼルルの警告にシグは、馬上で剣を引き抜いてそれに応えた。
獣の牙が剣とぶつかりギリギリと軋む。
四足で、酷くやせ細った魔獣。闇の最中でもギラつく金色の瞳。
白い毛並は闇夜でもよく目立ち、体毛の表面には蛇のように絡みついた特徴的な黒い模様があった。
魔物とは魔力を扱う獣の総称だ。
魔物とか魔獣とか妖魔とか魔王とか色々呼称はあるけれど、魔とつくものは皆魔力を持っているのである。
「やれやれ。向ってこなければ………わざわざ倒しやしないんですがね!」
シグは襲いかかってきたウフルを両断する。
「ふん、囲まれましたか。結構多いですね」
「あの、自分には殆ど見えないんですけど………」
「情けない。修練が足りませんよ」
いつの間にか彼らの周りには同じ種類の魔獣の群れを為していた。
朽ちた壁の上や屋根の上、そこかしこに獰猛な気をめぐらせた白い獣の姿がある。
仲間がやられても、ウルフの戦意は失われていないようだった。
むしろ、より一層の敵意を滾らせて、今にも飛び掛ってきそうである。
「マスター、松明に火を───」
言葉を遮るようにシグは剣を振るった。
ゼルルの直上から降ってきたウルフがそれで切り裂かれた。
「ゼルル君、馬から下りなさい。馬上では不利ですよ」
言ってシグは、愛馬であるルフから飛び降りた。
それからルフに「行きなさい」と声をかけると、ルフは主人の意を汲み取って魔獣の群れを突き破って闇の向こうに駆けていった。
それからシグ達は各々、魔獣と対峙する。
暗闇での攻防。
シグとゼルルは背中合わせで剣を振るった。
闇の中、頼りになるのは己の感覚だけである。
近づく体温、風を切る音、刹那の殺気。
剣を振るい、一匹一匹確実にしとめていく。
シグの後ろでは、ゼルルが慣れない暗闇に苦戦しているようだった。
そうしてどれ程の間、戦い続けただろうか。
振るった剣の回数が三十を超えた辺りで、ようやく全てのウルフを倒し終わったのだった。
ただの一度も逃げ出す様子を見せず、結局、最後の一匹になるまで彼らは向かってきた。
「ん、終わりましたか。マスター」
ホッとしたようなゼルルの声。
確かにウルフは全ていなくなったようだった。けれど。
───いや、まだだ。
シグは己の感覚が訴えてきているのを信じた。
まだ終わりではない。何かがいる。
「………下がりなさい、ゼルル君」
「何ですか? マスター」
気がついてないゼルルが、首を傾げる。
それに説明するような暇はない。
感覚を信じるならばこれはウルフ如きの雑魚ではなかった。
もっと力のある、もっと研ぎ澄まされた抜き身の刃のような敵意だった。
それを受けてシグは前方へと駆ける。
感覚のままに彼は刃を煌かせる。
金属同士がぶつかる甲高い音が響く。
必殺の意思を以って振るわれる一撃、二撃、闇の中に火花が散る。
弧を描くように、直線的に、時に点を描いて刃は何度も相打つ。
驚愕は相手とこちら、どちらのものだったろうか。
───強い。
と、シグは素直にそう思った。
氷のような殺意とな鋭意な一閃。
しかし、この剣筋はどこかで。
「何者だっ!」
ようやく駆けつけたゼルルの誰何の声に、闇向こうの襲撃者が驚愕に声をもらした。
「チッ、人間だと?」
それに相手の戦意が殺がれて、どちらも無理やりに一刀を止めた。
シグの首筋に刃が止まり、彼の剣も相手に当たる直前で止められた。
しばし二人は無言で刃を突きつけあった。
そして雲が流れて月明かりが再び辺りを照らす。
その月の明かりが暗闇のヴェールから浮かび上がらせたのは、一人の男だった。
やはり。
「………貴方は」
不機嫌そうに歪められた顔。黒い瞳に黒い髪、漆黒の騎士がそこには立っていた。
「チッ、なんだお前か。道理で気色悪い気配を放ちやがって。てっきり魔物かと思ったぜ。ふん、止めないでそのままぶった切るべきだったな」
「貴方こそ、ここで会ったが百年目ですね。何です、お望みとあらばこのまま決着をつけてもいいのですけれど? きっと私が勝つでしょう」
「黙れ人外め」
「何です人でなし」
彼の名はカイム。
またの名を「濡れ烏の騎士」と呼ばれる騎士である。
そしてこのシグとカイムの二人、大層仲が悪かったのだった。
鎧つけてるクセに兜を被ってないのは仕様です。




