人が消えた村
食事を取りに行ったゼルルが、やがて盆を手に戻ってきた。
二人分の盆の上に乗っているのは小麦のパンと肉の入っていない野菜のスープ、チーズが一切れ、それとよく冷えた井戸水が入ったコップだった。
「ご苦労様です」
この部屋はほとんど寝泊りするためにしか使われないので、狭く客人を招くような造りになっていない。
当然ながら椅子も一つしかないので、必然的に誰か一人は立ったままだ。
「それで、聞きましょうか?」
一息ついてからシグがそう切り出した。
それにゼルルは短く頷いた。
「ええっと───」
そもそもの始まりはシグがゼルルに言いつけた、ある命令だった。
騎士と言うものは教養や礼儀作法、貴婦人の扱いかたから、あらゆる武芸の修練を積むものである。(しかし時にはそれらの内の幾つかがなくとも、剣の腕前だけで騎士の資格を得る人間もいる)
幼少の頃から少しずつ学んだりするのが一般的ではあるのだが、ゼルルは十三の時に従騎士になるまでは剣を握ったことはあれども、文字の読み書きすら覚束なかった。
で、それらについてはシグが二年の間、突貫的に詰め込んだり流し込んだり捻りこんだりしていて──今でも叩き込んでいる途中ではあるが──ある程度は様になってきた、といった所だろうか。
ともかく。
ゼルルが色々な点で至らないことは確かだ。
そこでシグは、彼にちょっとした試練を課すことにしたのである。
その内容というのが次のようなものだ。
「ゼルル君。いつまでも私に引っ付いてるだけじゃあ成長しやしません。時にはたった一人で事を為してみることも必要ではないでしょうか?」
「なるほど。一理あります」
「という事で誰かの助けになりなさい。アルストロからまっすぐ東に走って、一番初めに出合った困っている人の悩みを解決することです。馬は貸します」
「わかりました。神と騎士道に誓って、きっと果してみせましょう。マスター」
言葉に従ってゼルルはアルストロから東に馬を走らせたと言う。
三つの丘と森を抜け、大河を渡った先にある河のほとりで、夕暮れ時、彼はある悲嘆にくれる女性と出合った。
その河は水深が5メートルほどで夜にならない内だけ渡し舟が利用できた。
「そこなご婦人、何かお困りごとですか?」
「ああ、騎士様。愚かにも私はこの危険な河を渡る途中で、大切な指輪を落としてしまったのです。探しに行きたいけれど、まもなく夜になってこの河に潜む怪物が目を覚ますでしょう。怪物は河に落ちた物をその身に食らうのです。今まで何人もの人間も引きずり込まれています、夜は河へ入ってはいけないんです」
「それならば自分が探し出してみせましょう。今しがた渡ってきたばかりです。貴女の助けになるのに何の苦があるでしょう」
彼女は全くの善良そうで、また助けが必要な様子であったので、ゼルルは手を貸すのに迷うところがなかった。
止める声にも構わずゼルルは馬に乗ったまま河へと進入した。
身を凍らせる水の冷たさと、打ち付ける流れに逆らって彼は河の真ん中まで戻る。
丁度、その時に日が完全に落ちた。
と、ゼルルの身体は彼の意思とは無関係に水中へと引きずり込まれる。
足に何かが絡み付いていた。
それがグイグイと彼の身体を引っ張って落馬させたのだ。
そこで彼は見た。
それは八本足を持つ軟体の怪物だった。
白い肌にグニャリとした体躯、全長10メートルは優にあろうという巨大な魔物。
ゼルルは腰に佩いた剣を引き抜くと、自らの足に巻きつく触手に切りかかる。
触手は苦もなく切断されたが、それで残り七本の足が次々と襲い掛かってきた。
たちまち彼は手足を囚われて、怪物に引き寄せられてしまう。
怪物は大口を開けてゼルルを飲み込もうとした。
ギョロリとした黄色い目が口の近くについている。
囚われたゼルルには抵抗する術はないかと思われたが、何故だか拘束が弱まった。
ゼルルだけでなく愛馬もがクラーケンと闘っていたのだ。
踏みつけられ、怪物はたまらず身を捩じらせる。
彼は必死でもがいて、どうにか右腕だけでも外すことが出来る。
それで自由になった右腕を使い、とっさに獲物を捌くための短刀を目に突き刺す。
そして期を逃さず気合とともに怪物の胴体をも断ち切った。
それで決着がついた。
怪物の体内には飲み込まれた人間の遺体や、河に落ちたちょっとした貴金属類などがあった。
そこでは女性が探していた指輪も見つけられた。
さて首尾よく任務を果したゼルルだったが、問題となるのはその後だった。
彼は帰りがけ、その女性に奇妙な話を聞いたらしい。
「ありがとうございました、騎士様。貴方のような勇敢な騎士様なら私が聞き及んだもう一つの難題も解決できるに違いありません」
「聞きましょう」
それが。
「───消えた村ですか」
シグの呟きにゼルルは、ええと頷いた。
「辺境の辺りにある小さな農村の住民が一夜のうちに消えてしまったらしいですね。たまたま通りかかった近隣の人間の話を聞き及んだところ、前触れなく村の住人がいなくなってしまっていた、と言うようです。村は荒らされ、何かがあったと思しき血のあとなどもある程度は確認できたようです。ただ、何故だか死体は一人も見つかっていないようで」
それから、とゼルルは続ける。
「聞いた限りでは巨人や見たこともない大型の危険な魔物なども現れるようになったとか」
「ああ、辺境ですからね、どこぞから迷ったんですね」
ブルディアと隣国との国境は深い断崖の連なる山と谷と幾ばくかの平地で区切られている。
より正確に言うならば、そこにはどちらの手もついていない未開の地なのである。
山の深いところには常に濃い霧がかかっており、雷雲を帯びた雲や凶暴な魔物が巣くっていたりと人を寄せ付けない。
陸での唯一安全な「赤い道」と称される経路もあるにはあるが、といってもそこも十分危険を覚悟する必要があることには変わりはない。
陸よりは海を渡ったほうが安全、というのが両国の共通見解である。
ちなみに国境辺りには辺境伯の城がある。
シグは縁あってそこを訪れた事があるが、辺境伯の城はアルストロの城に勝るとも劣らずの強固な外壁を備えたもので、無骨なれども優美さをも感じられた。
その城に仕える騎士はみな勇敢で、その中には一騎当千の強者もいると評判だ。
「自分一人では手に負えないと思いましたので、取りも直さず当初の予定通りマスターの下に戻ってきた次第です」
「それは賢明ですね」
辺境からの魔物は凶暴であるというのが通説だった。
それは苛酷な環境がそうさせるのか、その種族特有のものなのかは定かではないが、歴戦の騎士ですら容易ではないだろう。
ゼルルが義憤や功名心はやって一人でそこに向っていれば、彼の命は保障されたものではないだろう。
その点で言えば彼は愚直ではあるが愚か者ではなかった。
「それで、貴方はどうしたいんですか?」
その話を彼が聞かせたという事は、シグに何かを期待しているという事に他ならない。
「自分はどうなっているのかをこの目で確かめてみたいです。そして助けを求める者がいるのなら、手を差し伸べるのが騎士を目指すものの務めだとも思っています。何より私は彼女に誓いましたから」
ゼルルの答えにシグは「ふむん」と頷いて、それから考えを纏めるように目を閉じた。
忽然と消えてしまった住人。
残されていたのは主人のいない住居だけ。
そこにいた人間は全て殺されたのだろうか? それともどこかに攫われたのか?
「強さとは偶然です」
「何です? マスター」
「いえね、偶然こうなったとか、図らずもああなったとか、それが後から大切だったと気づくことがあります。大切なのはめぐり合わせですよ。はてさて、これはどうでしょうかね?」
偶然、あるいは運がなければ強くはなれないとシグは考えている。
他者を引き寄せる偶然、幸運をもたらすめぐり合わせ、名を馳せる人間と言うのは望まずとも奇縁を導くものだ。
「後のことを先から考えたって仕方のない事でしょうに。どうせ未来のことなんて、誰にもわからないことなんですから」
「それもそうですね。ま、ゼルル君がそう言うのならたまには私も動きましょうか、騎士らしく。それもまた一興です」
「わかりました。では、マスターの気が変わらない内に準備を整えます」
と言ってゼルルは部屋から退出した。
「さて………」
引くが正解か、進むが正しいか。
先のことは誰にもわからないのだ。




