ある秋の昼下がり
季節は秋。
木枯らしが入ってくる石造りの部屋の椅子に、青い髪の騎士は座っていた。
「───。起きてください」
誰かが自分を呼ぶ声がする。
ほとんど耳元で、うるさいくらいに呼ばれているのだが、彼は目を瞑っているので誰に呼ばれているのかがわからない。
「───様。起きてください!」
頭がぼんやりとしている。
何を騒いでいるのだろうか。
まどろみの中、彼は煩わしげに口の中で、ううんと唸った。
「ご主人様! この、起きろっての! いつまで寝てるつもりなんだ、貴方は!」
三度目の呼びかけでシグは目を開いた。
すると彼の横に居たのは、声変わりもすっかり終わって身体つきが随分とたくましい、記憶が確かなら十五、六歳辺りの少年だった。
シグは見知った少年を一瞥すると、椅子の背もたれに寄りかかる。
木製の椅子は彼の体重にギシリと軋みをあげた。
それから身体の調子を確かめるように首をちょっと捻ってみたり、肩に手をあてる。どうにも座りながら眠ってしまっていたようだった。
気が緩んでいる証拠だ。
彼は少し反省した、ほんの少しだけだが。
「やあ、おはようございます、ゼルル君。気持ちのいい朝ですねえ」
「あ、おはようございます」
シグにつられてゼルルと呼ばれた少年も挨拶を返した。
「………じゃないです! なにをトンチキな事いってんですか貴方は。太陽の位置が見えますか? 真上ですよ、真上。つまり昼です、真っ昼間! ニワトリだってとっくに鳴き終わってますよ」
「嫌ですね、室内で太陽が見えるわけないじゃないですか」
のんびりとしたシグの態度に、ゼルルは不満をあらわにする。
「時間は有限なんですよ、マスター。立ち止まってたら老人になりますよ!」
「いやはや、せっかちですねえ」
「当然です。僕………じゃなかった、自分は一日でも早く立派な騎士となりたいんです」
「焦って良い事なんてありませんよ」
「なに言ってんですか、速さこそ美徳ですよ。無駄は嫌いなんです。自分はマスターみたいな暇人………もとい有閑貴族とは違って貧しいんですから」
貧乏人が働かないといけないのは何時の時代も世の常である。
別に騎士になったからといってお金が降って沸いてきたり貴族のような暮らしを出来たりする訳でもないのだが、そんな事をこの少年にいった所で意味のないことだろう。
頑なまでのゼルルの態度に、仕方ないとシグは首を振った。
「それで、なんだって椅子に座ったまま寝たりなんかしてたんですか? マスター」
と、ゼルルが首をかしげる。
「ああ。ちょっとした事ですね」
言ってシグは作業台の上に放りっ放しだった羽根ペンをしまって、開きっぱなしだったインクビンの蓋を閉じた。
「珍しいですね、普段ペンなんて持たないのに。どなたかに手紙を?」
「ま、そんなところです」
作業台には他にも封ロウがされた封筒が一通。
ロウには竜の刻印がされている。
シグはそれも一緒にしまいこむ。
「ところでさっきから、何だか私に対する暴言のような言葉がちらほらと聞こえるような気がするのですが、気のせいでしょうか」
「さあ、気のせいじゃないですかね。自分は聞いていませんので」
平然とそんな事をいうあたり、この騎士にしてこの騎士見習いありである。
「………言うようになりましたね」
「二年でマスターに毒されたんじゃないですか」
本当に言うようになった。
「ほう、もうそんなになるんですねえ。時が経つのは早いものです」
「なにを年寄りみたいなことを」
と、少年は呆れる。
二年前。
ゼルルが従騎士になりたいとシグの下にやってきたのは、丁度二年前の冬のことだった。
従騎士になりたいと、目の前で跪く少年にシグは困ったのを覚えている。
従騎士とは、主と仰ぐ騎士の身の回りの世話などをする者のことで、いわゆる従者のような存在である。
主人と寝食をともにしてあらゆる事を学び、───おおよそ四、五年───一人前と認められるまで一人の騎士に仕えることなる。
従騎士を取るか取らないかは通常、その主となる騎士本人が決めることであり他の誰にもそれを強制することは出来ない。
確かにその頃、シグは従騎士がいなかった。
だからといって、騎士が必ずしも従騎士を連れていなければいけない、という訳でもない。
大体、聞き及んだところゼルルは騎士としての作法を学んだ事すらないという。
そんな人間を一体誰が好き好んで仕えさせると言うのだろうか。
「僕はどうしても騎士になりたいんです」
と、かつての少年は言った。
基本的には従騎士を経なければ、騎士にはなれない。
しかしながら、従騎士なるだけならば適当な騎士を見繕ってもらうことも出来なくはない。(斡旋所に行けば、生活に困窮した騎士やそれを専門にする騎士などを紹介してもらうことができるのだ。というのも、ブルディアとしては多くの人間が騎士になってくれた方が都合がいいからである。ただしそれは力があるものに限る。弱い騎士などは必要とされないのだ)
なるだけならば。
最初は、シグもゼルルにそう勧めた。
やる気もなにもない自分なんかよりもよっぽど頼りになる。
何なら誰か他の騎士に紹介してもいいし、斡旋所を利用する代金を肩代わりしてもいい、と。
とにかく自分はやりたくないのだ、と彼はつつみ隠さず告げた。
それでも彼は首を縦に振らなかった。
あんまりにも粘る少年に辟易したので、シグは何故自分にこだわるのかと聞いてみた所、
「貴方がこの国で最も強いからだ」
と、純粋な眼差しで言われた。
「はあ、仕方がないですね。では一つ貴方をテストしましょう。見事私を満足させられれば、お望みどおり従騎士だろうが何だろうがしてあげますから。ただし、期待にそわない結果になったとしても私は知りません。チャンスは一度です」
熱意に負けて、終にはシグはそうゼルルに約束したのだった。
「望むところです」
なんて会話が二年前の冬にされたのだ。
「二年ですか。ははあ、道理であの貧弱だったゼルル君が多少なりともマシになっているはずですねえ」
シグは改めて目の前の少年に視線を向けた。
髪はブルディアでは多い金髪、両眼も同じく黄金色。
細身だが鍛え上げられた肉体はまだまだ成長期で、かつてに比べれば立派になってきている。
立ち振る舞いの隙も少なくなっていて、今でも半端な相手には負けないはずだ。
「本当ですか!? 僕は強くなれたでしょうか!?」
「あ、いや」
思ったままの感想に、ゼルルは勢いよく食いついてきた。予想していなかったシグはちょっと返答に詰まってしまう。
「そ、そうですか。やっぱり僕なんてまだまだですよね………。ちょっと褒められたくらいで調子にのって、すみません」
それをどう受け取ったのか、少年はガックリと肩を落とす。
「落ち込むことはありません。それなりには強くなってますよ?」
「いえ、慰めは結構です! 正直なところ自分もまだまだだと思っていました。やはりマスターに一言「まいった」と言わせられるくらいにならないとですよね!」
元来朴訥で人の良いところがある彼だが、思い込んだら一直線で素直すぎる嫌いがある。
こうなったらもう人の話なんて聞かない。
言うだけ無駄だ。
シグは、やれやれと肩をすくめた。
「ところでお帰りなさい、ゼルル君。お使いは無事に終わったようですね」
「それについてはマスター、報告があります」
質問にゼルルは浮かない顔で頷いた。
まさにその時、鐘が鳴った。
それは正午を一時間ほど過ぎた頃になる鐘である。
「そうですか。と、そんなことよりですね、まずはお昼にしませんか?」
とシグは提案するのだった。




