いまは遠い冬
斬と、振るわれた斬撃についに魔物の首はその躰から切り落とされることとなった。
血しぶきが近くに倒れていた少女にも降り注ぎその無垢な体を赤く染めた。
そして遅れながら、ゆっくりとドラゴンの巨体が倒れて地面を大きく揺らす。
青年は手に残った感触に顔を顰めて、剣の血のりを振り払う。
それから自分自身にも着いた血のりを拭った。
大空のような青髪は血がべったりと張り付いていて、青い眼が煩わしそうにそれを見つめて嘆息する。
しかしどうにか気を張り詰められていたのもそこまでだった。
青年自身も軽くない傷を負っていた。
咳き込むと抑えた手からは喀血がこぼれ落ちる。
辺りもおびただしい程の血で汚れており、竜の骸も自らの血の海に沈んで白かったその身を赤く染めていた。
冬だというのに燃えるように熱いのは、撒き散らされた竜の血の所為である。
体内に発火器官を持つ竜は戦闘時には皮膚などの全身が高温になる。
それは全身を巡る血さえも影響を受けて、竜は自らを焼くのだという。
熱に耐性のない存在は彼の魔物の前に立つことすらままならない
沸騰した血液は赤い蒸気となって消えてゆく。
降り積もった雪は春の前に解けて、森は燃え尽き、人の手によって創られた物はことごとくが破壊しつくされてしまった。
美しかった城の外観も、戦いの余波で崩壊し無残な有様を晒している。
庭園の緑も今は見る影もない。未だに炎の痕は燻り黒煙となって空へと昇っている。
さらに視線の先には一人の女と一人の少女が倒れていた。
青年は、倒れている女と少女に駆けよる。
遍歴の旅の途中、偶然この辺りを通りかかっていた彼は近くで起きた爆発につられて、この惨劇の場所までやって来たのだった。
そして、翼を広げて獲物を狙う魔物と対峙した。
女を抱きよせて青年は、大丈夫かと問いかける。
まだ意識が残っていた女は、その言葉におっくうそうに青年の方へと視線を向けた。
少女の方は──血や埃で汚れてあちらこちらとボロボロの傷だらけになってしまっているが──服装は上質な素材で満月の意匠が凝らされたデザインがされている。
見ただけで上等な一品だと分かった。
さぞ名のある貴族の令嬢なのだろう、ということは瞭然だった。
気を失っている。それも仕方のないことだろう。
女の方はその少女をかばうように腕に抱きかかえていた。
少女とよく似ていて、恐らく親子なのだろう。
女の服は、女自身の血で赤黒く色を変えていて無残なものだった。
「喋らないでいい」
女が何か口を開きかけるが、青年は喋るなとそれを押しとどめる。
今は無駄に体力を使うべきではないと思ったからだ。
青年は焼け残った来の根元に、上体を起こして女を座らせた。
それから女を介抱しようとして、しかしわかってしまった。
女の身体は酷く傷ついて、顔は血の気の抜けた土気色で、背中の傷からは血が止め処なくあふれ出て。
既に生気がなく、あるのは死の濃い影だけ。
女には生きるために必要なものが失われていた。
もう、手遅れだ。
「……申し訳ない。貴女を助けることはできない」
医者でもなんでもない青年は、こんな傷を治す方法なんて知らない。
いや、例えどんな名医でも女を永らえさせることは出来ないだろう。
生きているのが不思議なくらいだ、と青年は思った。
それに、女はいいんです、と言った。
「なにを」
女がもう一度、いいんですと呟いた。これでいいんですと。
青年は言葉に詰まった。
と、女の腕の中で気絶していた少女が、小さなうめき声をもらして覚醒する。目を覚ました少女は抱かれた腕の中で女を見上げて、おかあさまと舌足らずな声で呼んだ。
ボロボロに傷ついた身体は、けれど代償にその手に抱く少女は確かに守っていた。
女は少女の頬を優しくなでる。
「あ」
と、少女は言葉にならない言葉をこぼした。
女が咳をした。
震える唇からは血が撒き散らされて、背中の赤い染みが目に見えて広がる。
女に残された命が消えてゆく。
「何か言葉を」
残してやれ、と青年は女に囁いた。
既に女は唇を動かすのさえままならないように思えた。
「しっかりしろ!」
無茶を言っていることはわかっている。
それでもこのまま女が何も言わずに逝ってしまったら、彼女自身は勿論、きっと少女にも悔いを残すことになる。
青年の叱咤に女はゆるゆると少女を抱き寄せた。
ぼくのせいで、と少女がいった。
少女の紫水晶の瞳からは大粒の涙がポロポロとこぼれて肩を震わせる。
「い、いやだ」
何を否定したいのだろうか、それでも少女は泣きながら首を振っていやだいやだと涙を流す。
「……貴女の為では……あるけれど……、貴女の……所為じゃあ……」
ないわ、と女は少女の言葉を否定する。だからどうか泣かないで、と女は言った。
それが最期の言葉だった。
◇ ◇ ◇
女の亡骸の傍で泣いていた少女は、やがて自ら涙を拭いて立ち上がった。
「もういいのか?」
周りを見に行っていた青年が、少女の様子に驚いたように問いかけた。
少女はそれに少しだけ頷いた。
泣いてはいけない。
泣かないでと、そう言われたのだから泣いてはいけないと思った。
悲しかったけれど、辛かったけれど、苦しかったけれど、泣きたかったけれど泣きたくはなかった。
「あなたはだれ?」
少女は青年に問いかけた。
「私はただのしがない男さ」
何も出来ないただの男だ、と青年は皮肉っぽく言い捨てた。
そうしてまた、雪が降り始めた。
一度は溶けてしまった雪が空からまた落ちてきて、惨劇の痕を静かに埋もらせる。深々と降り積もる白が、やがて全てをその下に隠してしまったとして。
隠れてしまったとしても、見えなくなったとしても確かにそれはあるのだ。
例えこの先何年経って記憶に埋もれようとも。
忘れることなど出来ないだろう。
雪の降る日。
それは、誰の運命を変えた出会いだったのだろうか。




