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あさくらみなみは尾行したい

 尾行ではない。


 美波さんは、そう言った。


「安全確認です」


 俺――藤谷直樹は、遊園地の入場ゲート前で、深く息を吐いた。


「それを世間では尾行って言います」


「でも、チケットは自分で買いました」


「合法性の話じゃないです」


 そもそも発端は、朝倉奏多くんだった。


 梢、莉央さん、仁くん、奏多くん。


 この四人で遊園地へ行く。


 その話を奏多くんが美波さんにしたらしい。


 そして美波さんから、俺に連絡が来た。


『私たちも行きましょう』


 ここまでは、まだ分かる。


『こっそりと』


 分からない。


「藤谷さん」


「はい」


「今日は、梢さんたちの様子を遠くから見守るだけです」


「それが尾行なんです」


「心配ではないのですか?」


 俺は黙った。


 心配ではある。


 妹が、男二人と、受付の同期と、遊園地。


 心配ではある。


 でも。


「兄が遊園地までついてくるの、普通に嫌じゃないですか?」


「では、気づかれないようにしましょう」


「だから尾行!」


 美波さんは、にこりと笑った。


 上品だった。


 上品なのに、やっていることは朝倉家だった。


     ◇


 入園して十分。


「見失いました」


「早い!」


 俺たちは、早速四人を見失った。


 人が多い。


 休日の遊園地は、家族連れとカップルと学生グループで溢れていた。


 ポップコーンの匂い。

 ジェットコースターの悲鳴。

 風船。

 写真を撮る人。

 そして、尾行に向いていない俺。


「藤谷さん」


「はい」


「高いところへ行きましょう」


「観覧車は最後です」


「なぜ分かったのですか?」


「分かりますよ!」


 美波さんは、少し残念そうにした。


 観覧車に乗りたかったのか。


 いや、今はそういう話ではない。


「まず探しましょう」


「はい」


 俺たちは人波の中を歩いた。


 しばらくして、美波さんが俺の袖をそっと引いた。


「藤谷さん」


「はい」


「あそこ」


 いた。


 梢たちだ。


 四人はチュロスの店の前にいた。


 梢はメニューを見て少し迷っている。


 仁くんは、その横で落ち着いて待っている。


 莉央さんは堂々としていた。


 華やかで、姿勢がよくて、人混みの中でも目立つ。


 そして奏多くん。


 スーツではない。


 黒っぽいジャケットに、少しラフな格好。


 会社で見た時より、ずっと地が出ていた。


「莉央、早く選べよ」


「急かさないで。そういうところが損してる」


「チュロスで損得言うな」


「ほら、また」


「うるせえな」


 莉央さんは笑っていた。


 全然怖がっていない。


 奏多くんの圧に、まったく負けていない。


 強い。


「佐伯さん、強いですね」


 俺が言うと、美波さんが嬉しそうに頷いた。


「ええ。奏多には、ああいう方が合うと思います」


「合うんですか」


「正面から返してくれる人」


 なるほど。


 奏多くんは、強く出る。


 でも莉央さんは、それに引かない。


 むしろ、言葉を受け取って、切り返す。


 奏多くんが少しむっとしている。


 でも、不機嫌ではなさそうだった。


 楽しそうにも見える。


「……意外と悪くないですね」


「はい」


「俺の妹を挟まないなら」


「藤谷さん」


「はい」


「兄ですね」


「今さらです」


     ◇


 次に四人は、ゆるい汽車型のアトラクションへ向かった。


 子どもでも乗れる、園内をぐるっと回るやつだ。


 平和。


 平和でいい。


 俺は安心しかけた。


 その瞬間、梢が少し段差につまずきかけた。


 仁くんが、すぐに手を出した。


 掴むわけではない。


 支える位置に、手を置くだけ。


「段差あります」


「あ、ありがとうございます」


 梢が少し笑う。


 仁くんは、すぐに手を引いた。


 距離が丁寧だった。


 俺は黙った。


「藤谷さん」


 美波さんが横で言った。


「処理落ちしていませんね」


「……しそうです」


「でも、戻っています」


 戻っている。


 言われて、少しだけ分かった。


 前なら、俺はここで完全に固まっていた。


 妹。

 年下男子。

 自然な距離。

 丁寧な手。


 情報量が多すぎて、たぶん逃げ道を探していた。


 でも今は。


 見ている。


 梢が安心していることを。


 仁くんが踏み込みすぎないことを。


 そして、自分が少し安心していることを。


「……白石くん、悪くないんですよね」


「はい」


「それが問題なんです」


「兄ですね」


「だから今さらです」


 美波さんが笑った。


 その笑い方が、少し優しかった。


     ◇


 尾行は、だんだん尾行ではなくなっていった。


「藤谷さん、ポップコーンを買いませんか」


「見失いますよ」


「もう見失っています」


「それを言わないでください」


 買った。


 キャラメル味だった。


「藤谷さん、あのカチューシャ可愛いです」


「買いませんよ」


「見るだけです」


「見るだけなら」


 見た。


 美波さんが、淡い色の耳付きカチューシャを手に取った。


 似合っていた。


 似合っていたので、俺は困った。


「どうですか?」


「……似合います」


 言った瞬間、美波さんの顔が明るくなった。


 失敗した。


 いや、失敗ではない。


 似合っていた。


 本当のことを言っただけだ。


「藤谷さんも」


「俺はいいです」


「こちら」


「なぜ黒い耳」


「似合うと思って」


「思わないでください」


「でも、悪くない」


「坂本さんみたいに言わないでください」


 結局、買わなかった。


 買わなかったが、美波さんが楽しそうだった。


 そして俺も。


 少し楽しかった。


 認めたくない。


 でも、楽しかった。


     ◇


 夕方になりかけた頃。


 俺たちはまた四人を見つけた。


 今度はベンチの近く。


 梢と仁くんが、少し離れて話していた。


 莉央さんと奏多くんは、射的ゲームの前で言い合っている。


「貸せ。俺が取る」


「そういう言い方、女の子に嫌われるよ」


「お前、俺のこと嫌いなんだろ」


「イケメンは嫌い」


「じゃあ俺関係ねえな」


「顔面の自覚がないタイプ、一番面倒」


「は?」


 莉央さんが笑う。


 奏多くんが眉を寄せる。


 でも、射的の銃を構える莉央さんの横で、ちゃんと景品の位置を見ている。


「少し右」


「命令しないで」


「アドバイスだ」


「言い方」


「……右のほうが取りやすい」


「よろしい」


 奏多くんが黙った。


 効いている。


 めちゃくちゃ効いている。


「あれ、相性いいですね」


 俺が言うと、美波さんが小さく笑った。


「でしょう?」


「嬉しそうですね」


「奏多は、分かりにくい子なので」


 美波さんの声が少しだけ柔らかくなった。


「ちゃんと返してくれる人がいると、少し安心します」


 朝倉家の妹。


 場を動かす人。


 でも、ちゃんと弟を見ている人。


 俺はその横顔を見て、少し黙った。


「藤谷さん?」


「いえ」


「何か?」


「美波さんも、よく見てますね」


 言ってから、しまったと思った。


 でも、美波さんは少し目を丸くして、それから笑った。


「藤谷さんも」


「俺は兄なので」


「それだけ?」


 出た。


 朝倉家の直球。


 俺は逃げ道を探した。


 ジェットコースター。

 売店。

 トイレ。

 観覧車。


 ある。


 でも、逃げなかった。


「……それだけじゃ、ないかもしれません」


 美波さんは、何も言わなかった。


 ただ嬉しそうに、ほんの少しだけ笑った。


     ◇


「藤谷さん」


「はい」


「高いところから、最後に確認しましょう」


「何をですか」


「梢さんたちが、楽しそうかどうか」


「もう十分見ましたよね」


「観覧車です」


「やっぱりそれ!」


 夕方の観覧車は、少し並んでいた。


 カップルが多い。


 家族連れもいる。


 俺たちは並んだ。


 並んでしまった。


 尾行とは。


 安全確認とは。


 俺はもう、考えるのを少し諦めていた。


 ゴンドラに乗る。


 扉が閉まる。


 ゆっくり上がる。


 遊園地の灯りが、少しずつ下に広がっていく。


 夕方の空は、薄いオレンジから青に変わりかけていた。


「……高いですね」


「はい」


 美波さんは窓の外を見ていた。


 横顔が、夕方の光に少し染まっている。


 上品で、静かで。


 でも中身は朝倉家で。


 尾行したいと言い出す人で。


 俺の逃げ道を塞ぐけれど、戻るまで待ってくれる人。


「梢さん、楽しそうでしたね」


 美波さんが言った。


「はい」


「白石さんも」


「……はい」


「佐伯さんと奏多も」


「意外でした」


「私も、少し」


 美波さんは笑った。


「でも、悪くありません」


「坂本さんみたいです」


「では、よい言葉ですね」


「そういう受け取り方します?」


 美波さんは、こちらを見た。


「藤谷さんも、楽しそうでした」


 俺は固まった。


 逃げ場はない。


 観覧車なので。


 管理棟もない。

 水場もない。

 炊事場もない。

 高岡もいない。


 逃げ道、ゼロ。


「……尾行なので」


「はい」


「楽しむものでは」


「でも、楽しかったでしょう?」


 俺は黙った。


 観覧車が、ゆっくり上へ向かう。


 下に見える四人は、もう豆粒みたいだった。


 でも、たぶん笑っている。


 梢は大丈夫だ。


 仁くんは、ちゃんと見ている。


 奏多くんは、莉央さんに言い返されている。


 莉央さんは、たぶん全員を見ている。


 それなら。


「……少し」


 俺は言った。


「楽しかったです」


 美波さんの目が、ふわっと柔らかくなった。


「よかった」


 その声が、思ったより静かだった。


 俺は窓の外を見た。


 夕方の遊園地は、少しだけきれいだった。


 尾行は、完全に失敗していた。


 でも。


 美波さんと見た観覧車からの景色は、少しだけ。


 悪くなかった。

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