佐伯莉央はイケメンが嫌い
「で、梢は二人の王子のどっちにするの?」
私は、味噌汁を飲みかけて止まった。
お昼休み。
社員食堂の窓際で、同期の佐伯莉央ちゃんと向かい合って座っている。
莉央ちゃんは今日も唐揚げ定食だった。
私は焼き魚定食。
平和なお昼休み。
の、はずだった。
「……王子じゃないよ」
「王子でしょ。一人は黒髪クール系の優秀男子。もう一人は朝倉家の後継ぎ修行中イケメン」
「説明が強い」
「現実のほうが強いよ」
莉央ちゃんは、唐揚げをひとつ食べた。
私は小さく息を吐いた。
「それに、どちらにも告白されてないし……」
「うん」
「だから、そういう話じゃないと思う」
「梢」
「何?」
「その割に、最近ずいぶん忙しそうだけど?」
私は黙った。
忙しい。
確かに、忙しい。
特に、スマホが。
あの夜。
本当に怖い思いをして、白石さんと奏多さんに助けてもらった。
警察の人に事情を聞かれて、帰る頃にはすっかり遅くなっていた。
そして私は、奏多さんとLINEを交換した。
会社のメールに大量の連絡が来ていたから。
個人のLINEなら、少し落ち着くかもしれないと思ったから。
思ったのだけれど。
「……奏多さん、LINEがすごくて」
「知ってる」
「え?」
「この前も言ってたじゃん。メールが多いって」
「LINEになったら、もっと速くなったの」
「進化したんだ」
「進化なのかな……」
私はスマホを取り出した。
昨日の夜のやり取り。
『梢ちゃん、帰った?』
『はい。今帰りました』
『鍵かけた?』
『かけました』
『チェーンも』
『はい』
『飯は?』
『食べました』
『何食べた?』
『おうどんです』
『ちゃんと肉も食えよ』
『卵を入れました』
『ならいい』
そこで終わったと思った。
でも。
『あの後、変なやつ見なかった?』
『見てません』
『ならよかった』
『明日も気をつけろよ』
『あと』
『寝る前に戸締まり確認』
『それから』
『知らない番号から電話来ても出るなよ』
『梢ちゃん』
『既読』
『寝た?』
私は画面を伏せた。
「……こんな感じ」
莉央ちゃんは、しばらく黙っていた。
「梢」
「うん」
「これ、会話じゃなくて実況中継じゃない?」
「……そうかも」
「しかも相手、一人で実況してる」
私は少し笑ってしまった。
でも。
怖くはなかった。
あの夜、奏多さんが私を守ってくれた時。
ぶっきらぼうに「怪我ないか」と聞いてくれた声が、少し震えていたことを覚えている。
本当に心配してくれたのだと思う。
だから、LINEの言葉が少し強くても、前ほど戸惑わなくなっていた。
ただ。
速い。
とにかく速い。
「でも、白石さんも心配してくれてるでしょ?」
「うん」
「そっちは?」
「……普通に、優しいよ」
「普通に?」
莉央ちゃんの目が、少し細くなった。
受付の目。
人の言葉の隙間を見つける目。
「白石さんは、帰り道が怖かったら連絡してくださいって。あの日も、すぐ来てくれたし」
「うん」
「でも、毎日連絡するわけじゃないの。昨日も『その後、困ったことはありませんか』って」
「それで?」
「大丈夫ですって返したら、『よかったです』って」
「終わり?」
「うん」
「……なるほどねえ」
莉央ちゃんは、何か納得した顔をした。
「な、何?」
「いや。二人とも、だいぶ違うなと思って」
それは私も思う。
奏多さんは、心配すると言葉が増える。
白石さんは、心配すると少し静かになる。
どちらも、きっと本当なのだと思う。
「じゃあさ」
莉央ちゃんが箸を置いた。
「三人で出かけてみれば?」
「……三人?」
「そう。梢と、白石さんと、奏多さん」
私は固まった。
三人。
私。
白石さん。
奏多さん。
……。
無理。
「一人は嫌」
「一人?」
「私側が一人なのが嫌」
「ああ」
莉央ちゃんは、すぐに分かったように頷いた。
「二人に挟まれるのが嫌なんだ」
「うん……」
「まあ、分かる。片方は静かに必要な位置へ来るし、片方はLINEで必要以上に来るし」
言い方。
でも。
否定できない。
「じゃあ、私も行こうか?」
私は顔を上げた。
「いいの?」
「うん。一緒にいると色々分かるよ。気の遣い方とか、話し方とか、ちょっとした反応とか」
「でも、莉央ちゃん……」
「何?」
「イケメン嫌いなんでしょ?」
「嫌いだよ」
即答だった。
「顔がいい人って、それだけで多少のことを許されてきた人が多いから」
「偏見じゃない?」
「経験則」
強い。
「まあ、梢のためなら行くよ」
「ありがとう」
「あと、ちょっと面白そうだし」
「……そっちが本音?」
「半分」
莉央ちゃんは、楽しそうに笑った。
◇
昼休みが終わる少し前。
私は莉央ちゃんと一緒に、受付のほうへ歩いていた。
社食から受付までは、少し距離がある。
社員エリアを抜けて、エレベーターホールを通って、来客用のロビーへ。
歩きながら、莉央ちゃんは遊園地がいいと言い出した。
「遊園地?」
「そう。四人ならちょうどいいし、待ち時間で色々話せるし」
「……私、絶叫系はちょっと苦手」
「大丈夫。そういう時に誰がどうするかも、見どころだから」
「見どころ」
「梢は難しく考えなくていいの。普通に楽しめば」
それは、少し嬉しかった。
白石さんも。
奏多さんも。
私にとって、もう知らない人ではない。
でも、二人が一緒にいると、どうしても少し緊張してしまう。
莉央ちゃんがいてくれたら、きっと安心できる。
「でも、本当にいいの?」
「何が?」
「イケメン二人もいるのに」
「だから、私、イケメン嫌いなんだけど」
その瞬間だった。
自動ドアが開いた。
「……誰がイケメンだって?」
私は固まった。
声。
聞き覚えがある。
かなり。
顔を上げると、朝倉奏多さんが立っていた。
濃い色のスーツ。
きちんと締めたネクタイ。
整えられた髪。
片手には革の書類ケース。
すごく、ちゃんとしている。
LINEの中で『既読』を連投している人には見えない。
奏多さんは私を見ると、少しだけ目を丸くした。
「あ、梢さん」
「あ……こんにちは」
「こんにちは。今日は出社されていたんですね」
「はい」
丁寧。
すごく丁寧。
そして、そのまま受付カウンターへ向き直った。
「朝倉ホールディングスの朝倉です。本日、資料確認の件で伺いました」
きれいな言葉だった。
声も落ち着いている。
名刺を差し出す所作まで、きちんとしていた。
莉央ちゃんは、すっと受付の顔に戻った。
「お待ちしておりました。担当者に確認いたしますので、少々お待ちください」
「ありがとうございます」
……。
すごい。
社会人だ。
いや、私も社会人だけれど。
奏多さんは、ちゃんと後継ぎ修行をしている人なのだと、改めて思った。
莉央ちゃんは受付の端末を操作しながら、少しだけ奏多さんを見た。
そして。
「……あ、恋愛ヤンキー」
小さく呟いた。
奏多さんの眉が動いた。
「……はい?」
私は息を止めた。
莉央ちゃん。
今、仕事中。
奏多さんは来客。
ちゃんとしていたのに。
「失礼しました」
莉央ちゃんは、まったく慌てずに言った。
「以前、こちらの受付で藤谷さんを呼び出されたことがありましたね」
「ああ……」
奏多さんは少しだけ目を伏せた。
「その節は、ご迷惑をおかけしました」
ちゃんと謝った。
私は少し驚いた。
「いえ。ただ、あの時はずいぶん賑やかでしたので」
賑やか。
あれは賑やかだったのだろうか。
お兄ちゃん。
高岡さん。
朝倉さん。
白石さん。
全員が受付前に集まっていた。
しかも、みんな真剣だった。
莉央ちゃんは、来客名簿を整えながら全部見ていたらしい。
「……あれは、少し急ぎすぎました」
奏多さんが言った。
「少し?」
莉央ちゃんが聞き返す。
「……かなり」
「そうですね」
即答だった。
奏多さんは、少しだけ苦笑した。
怒らない。
ちゃんと受け止めている。
それから、私を見た。
「梢さん」
「はい」
「その後、変わったことはない?」
声が少し変わった。
さっきまでの来客用の声ではなかった。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「帰り道は?」
「明るいところを歩くようにしています」
「そう。ならいいけど」
少しだけ安心したような顔になった。
莉央ちゃんが、その顔を見ていた。
「朝倉様」
「はい」
「先日は梢を助けていただいて、ありがとうございました」
奏多さんが少し驚いた顔をした。
「……いえ」
「私も心配していたので。無事で本当によかったです」
「そうですね」
奏多さんは、静かに頷いた。
「間に合ってよかったです」
その言い方は、さっきまでよりずっと落ち着いていた。
私は、あの夜のことを思い出した。
奏多さんは、あの時も最後までいてくれた。
強い言葉を使う人だけれど。
きっと、怖いと思うこともある人なのだ。
少しだけ、胸があたたかくなった。
……その時だった。
「でも梢ちゃん」
「はい?」
「昨日、寝る前のLINE返してないだろ」
来た。
急に。
後継ぎモードが消えた。
「えっと……寝ちゃったので」
「いや、寝たならいいけどさ。既読ついてたから」
「読んだあとに寝ちゃって……」
「じゃあ『寝る』って一言くれれば」
「……奏多さん」
莉央ちゃんが静かに言った。
奏多さんが振り向く。
「はい?」
「寝る人は、寝ますよ」
私は口元を押さえた。
奏多さんが少し固まる。
「……まあ、そうですね」
「あと、寝る前に返信を要求されると、寝づらいです」
「要求したつもりは」
「『既読』『寝た?』『返信』と続けて送るのは、だいたい要求です」
奏多さんが、ゆっくり私を見た。
「……見せた?」
私は固まった。
「えっと……」
「梢ちゃん」
「ご、ごめんなさい」
奏多さんは少しだけ額に手を当てた。
「いや……別にいいけど」
そして、莉央ちゃんを見た。
「佐伯さん」
「はい」
「これは、受付の仕事ですか」
「いいえ」
即答だった。
「友人の相談です」
「……なるほど」
「ちなみに」
「はい」
「その言い方、少し損していますよ」
奏多さんが止まった。
「……損?」
「はい。心配しているのは伝わります。でも、梢が安心して寝られないなら、逆効果です」
奏多さんは、少しだけ視線を落とした。
考えている顔だった。
「……それは、確かに」
認めた。
素直に。
私はちょっと驚いた。
莉央ちゃんも、少しだけ目を丸くした。
でも、すぐに笑った。
「ちゃんと聞いてくださるんですね」
「言ってることは正しいので」
奏多さんは、当たり前のように答えた。
莉央ちゃんが黙った。
ほんの一瞬。
何かを見直したような顔だった。
◇
担当の人が迎えに来るまでの数分間。
奏多さんは、私と少し話してくれた。
仕事のこと。
最近のこと。
あの夜から、困ったことはないかということ。
でも、不思議だった。
電話やLINEではあんなに勢いがあるのに、会社の受付では、きちんと言葉を選んでいる。
それが、少し面白い。
「梢ちゃん」
奏多さんが、ふっと声を落とした。
「今日は何時まで?」
「定時までです」
「そっか。無理すんなよ」
「はい」
「あと、帰り……」
そこで少し止まった。
私は顔を上げた。
「帰り?」
「いや。何でもない」
奏多さんは、少し笑った。
「心配しすぎると、また損するらしいから」
莉央ちゃんが横で吹き出した。
「学習が早いですね」
「一応、仕事はできるので」
奏多さんは、少しだけ肩をすくめた。
その言い方が、何だかおかしかった。
「朝倉様」
担当者が到着した。
「お待たせしました」
「いえ。お忙しいところありがとうございます」
奏多さんはすぐに姿勢を正した。
名刺をしまい、書類ケースを持ち直す。
きちんと頭を下げて、会議室へ向かった。
途中で一度だけ振り返った。
私を見る。
小さく笑う。
そして、そのまま歩いていった。
莉央ちゃんが、静かに言った。
「……なるほどねえ」
「何?」
「確かに、イケメンだわ」
「……そこ?」
「いや。顔だけじゃなくて」
莉央ちゃんは少し考えた。
「仕事の時はちゃんとしてる。謝れるし、言われたことも聞ける。あの人、案外まともだね」
「……うん」
「ただし」
莉央ちゃんは、私を見た。
「梢のことになると、急に治安が悪くなる」
私は思わず笑ってしまった。
「あと、LINEの治安も悪い」
「……それは、うん」
「でも、悪い人ではなさそう」
莉央ちゃんは、少しだけ笑った。
「ちょっと面白いかも」
私は、その時は深く考えなかった。
ただ。
莉央ちゃんが、奏多さんのことを「面白い」と言ったのが、少し意外だった。
◇
午後。
私は、白石さんに声をかけた。
白石さんは、ちょうど資料を整理しているところだった。
「白石さん」
「はい」
「少し、お時間いいですか?」
「大丈夫です」
すぐに手を止めてくれた。
いつもそうだ。
白石さんは、私が話しかけると、ちゃんとこちらを見る。
急がせない。
でも、待たせすぎない。
「あの……今度、お休みの日に出かけませんか」
言った。
言ってしまった。
白石さんの手が止まった。
「……僕と、ですか」
「あ、えっと」
私は慌てた。
「二人ではなくて」
「……はい」
「四人で」
白石さんが、少しだけ首を傾げた。
「四人?」
「私と、白石さんと、奏多さんと、莉央ちゃんです」
白石さんの表情が変わった。
静かに。
分かりやすく。
「……奏多さんも?」
「はい」
少しだけ間が空いた。
「……なぜですか」
私は困った。
どう説明したらいいのだろう。
莉央ちゃんが言っていたから。
一緒にいると色々分かるから。
でも、それをそのまま言うのは、少し恥ずかしい。
「その……」
私は少し考えた。
「前に、みんなで出かけた時、楽しかったので」
嘘ではなかった。
朝倉さんたちに巻き込まれて、最初は緊張していた。
でも、楽しかった。
白石さんと話すのも。
奏多さんと話すのも。
少しずつ、慣れてきた。
「だから、今度は自分から誘ってみようかなって」
白石さんは、少し驚いたようだった。
それから、ゆっくり頷いた。
「そうですか」
「はい」
「……いいと思います」
私はほっとした。
「ありがとうございます」
「僕も行きます」
「いいんですか?」
「はい」
少しだけ間があった。
「……奏多さんも来るなら、なおさら」
私は顔を上げた。
白石さんは、何でもない顔をしていた。
「……白石さん」
「はい」
「奏多さんのこと、そんなに警戒してるんですか?」
「しています」
即答だった。
私は少し笑ってしまった。
「でも、あの夜は一緒に助けてくれましたよね」
「はい」
「奏多さん、ちゃんと助けてくれました」
「それは認めています」
白石さんは、静かに頷いた。
「奏多さんがいてくれて、よかったと思っています」
私は少し驚いた。
白石さんが、そんなふうに言うとは思わなかった。
でも。
「ただし」
白石さんが続けた。
「それと、普段の距離感は別です」
出た。
必要な位置。
私は、また少し笑ってしまった。
白石さんも、ほんの少しだけ笑った。
◇
その日の夕方。
奏多さんは、資料確認を終えて受付へ戻ってきた。
ちょうど私は、莉央ちゃんと待ち合わせていた。
帰りに少し買い物をする約束だった。
奏多さんは、受付カウンターの前で立ち止まった。
「本日はありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
莉央ちゃんが、きれいに頭を下げる。
奏多さんも頭を下げた。
すごく普通の、きちんとしたやり取り。
そして。
「……あれ、梢ちゃん」
私に気づいた。
「あ、お疲れ様です」
「お疲れ。もう帰り?」
「はい」
「そっか」
少しだけ、嬉しそうな顔。
私は、その顔を見て思った。
奏多さんは、意外と分かりやすい。
少なくとも。
私には、少しずつ分かるようになってきた。
「あの、奏多さん」
「ん?」
「今度、四人で遊園地に行きませんか?」
奏多さんの目が、少し大きくなった。
「遊園地?」
「はい」
「梢ちゃんと?」
「はい」
一瞬。
ものすごく嬉しそうな顔になった。
でも、すぐに気づいたようだった。
「……四人?」
「はい。私と、白石さんと、奏多さんと、莉央ちゃんです」
奏多さんが止まった。
本当に止まった。
「……白石?」
「はい」
「……あいつも?」
あ。
治安が。
少しだけ悪くなった。
莉央ちゃんが、横で小さく笑った。
「王子二人ですから」
「王子?」
奏多さんが莉央ちゃんを見る。
「何の話?」
「梢が二人の王子のどちらにするか、見極める会です」
「莉央ちゃん!」
私は慌てた。
奏多さんの表情が変わる。
「……白石と俺?」
「はい」
「一緒に?」
「はい」
奏多さんは、少し考えた。
そして。
「……白石、余計なことすんなよ」
低く呟いた。
……。
まだ本人いないのに。
「奏多さん」
私が言うと、奏多さんはすぐにこちらを見た。
「ん?」
「白石さんも、来てくれるって言ってました」
「……そっか」
「だから、みんなで楽しく行けたら」
奏多さんは、少し黙った。
そして。
「分かった。梢ちゃんがそうしたいなら、俺も行く」
声がやわらかくなった。
私はほっとした。
「よかった」
その時だった。
「……楽しそうですね」
背後から声がした。
私は振り向いた。
白石さんだった。
いつから。
どうして。
必要な位置。
また。
奏多さんの眉が、ぴくっと動いた。
「……白石」
「奏多さん」
「お前、どっから湧いた」
「普通に廊下から来ました」
「聞いてねえよ」
「聞かれたので」
治安が悪くなった。
ものすごく自然に。
莉央ちゃんが、二人を見比べた。
「……なるほど」
私は、小さく呟いた。
「莉央ちゃん?」
「梢」
「うん」
「この二人、普段からこうなの?」
「……うん」
「すごいね」
すごい。
それは、そう。
「白石」
奏多さんが言った。
「遊園地、来るんだって?」
「はい」
「お前、絶対邪魔すんなよ」
「何の邪魔ですか」
「分かってんだろ」
「分かりません」
「お前な」
「奏多さんこそ、梢さんに無理をさせないでくださいね」
「させるわけねえだろ」
「それならいいです」
「何だその上から目線」
「普通に確認しただけです」
私は二人の間で、静かに固まった。
お兄ちゃん。
助けて。
……。
いや。
呼んだら、もっと大変なことになる。
再発対応チームが再結成される。
私は、自分で何とかしようと口を開きかけた。
その時。
「はい、そこまで」
莉央ちゃんが言った。
二人が止まった。
莉央ちゃんは、にこりと笑った。
「お二人とも、梢のことを大切に思ってくださるのは分かりました」
すごい。
受付の笑顔。
きれい。
「でも、本人の前で牽制し合うのは、ちょっと損ですよ」
奏多さんが黙った。
白石さんも、少しだけ目を瞬いた。
「……損?」
白石さんが聞いた。
「はい。梢が困っています」
私は思わず莉央ちゃんを見た。
莉央ちゃん。
ありがとう。
奏多さんが、私を見た。
「……困ってた?」
「えっと……少し」
私は正直に答えた。
奏多さんは、少しだけ顔をしかめた。
「……ごめん」
短かった。
でも、ちゃんと謝ってくれた。
白石さんも、私を見た。
「すみません。僕も少し言いすぎました」
「いえ……」
私は、二人を交互に見た。
さっきまで治安が悪かったのに。
急に、ちゃんとした。
不思議な人たちだ。
「ほら」
莉央ちゃんが言った。
「そういうところは、二人ともいいんですよ」
奏多さんが、少しだけ眉を上げた。
「……評価されてる?」
「はい」
「誰に?」
「私に」
「……佐伯さん、結構容赦ないね」
「よく言われます」
奏多さんは、少しだけ笑った。
それは、今日初めて見る顔だった。
梢ちゃん、という甘い顔でもなく。
白石、と言う時の治安の悪い顔でもなく。
会社の人と話す時の、きちんとした顔でもなく。
ただ、少し面白がっている顔。
莉央ちゃんも、少しだけ笑った。
「ちなみに」
奏多さんが言った。
「佐伯さんも来るんだよね?」
「はい」
「イケメン嫌いなのに?」
「嫌いです」
「俺も含まれてる?」
「もちろん」
即答。
奏多さんが、少し固まった。
「……はっきり言うね」
「受付なので」
「受付関係ある?」
「あります。顔で判断しないのも仕事のうちですから」
奏多さんは、少し考えた。
「……それは、正しいね」
莉央ちゃんが目を瞬いた。
今度は、莉央ちゃんのほうが少しだけ驚いたようだった。
でも、すぐに笑った。
「朝倉さんって、案外素直ですね」
「……案外?」
「はい」
「それ、褒めてる?」
「少しだけ」
奏多さんは、困ったように笑った。
その顔を見て。
私は、ふと思った。
この二人。
もしかして。
意外と、相性がいいのでは。
……いや。
まだ分からない。
莉央ちゃんは、イケメンが嫌い。
奏多さんは、背の高い華やかな女の人が苦手らしい。
たぶん。
だから。
相性がいいわけが。
「佐伯さん」
奏多さんが言った。
「はい」
「背、高いね」
「そうですね」
「俺、背の高い女って、ちょっと苦手なんだよ」
……。
言った。
この人。
言った。
私は固まった。
莉央ちゃんは、一瞬だけ奏多さんを見た。
そして。
「私もイケメン苦手なので、お互い様ですね」
にこり。
奏多さんが止まった。
白石さんが、少しだけ視線を逸らした。
笑っている。
たぶん。
「……佐伯さん」
「はい」
「それ、結構きついね」
「朝倉さんが先に言いました」
「……確かに」
また認めた。
私は少し驚いた。
莉央ちゃんは、笑顔のまま続けた。
「でも、背が高いだけで苦手になるのは、損ですよ」
「……また損?」
「はい」
「俺、今日何回損してる?」
「数えていません」
「数えてないの?」
「受付なので」
「そこは数えないんだ」
奏多さんが、とうとう笑った。
少しだけ声を出して。
私は、その顔を見てしまった。
きちんとしている人。
強い人。
少し怖い人。
でも、認められたい人。
そんな奏多さんが。
莉央ちゃんの前で、普通に笑っていた。
……。
何だろう。
少し、不思議。
◇
結局、四人で遊園地に行くことになった。
日程は、次の土曜日。
場所は、みんなで相談して決めることになった。
奏多さんは、すぐにチケットを手配しようとした。
白石さんが止めた。
「奏多さん、先に全員の希望を確認してください」
「分かってるよ」
「今、スマホを出しましたよね」
「確認しようとしたんだよ」
「購入画面が見えました」
「お前、見すぎだろ」
莉央ちゃんが、横からさらっと言った。
「はい、損しました」
「……また?」
私は、とうとう笑ってしまった。
笑ったら。
三人が、こちらを見た。
「梢ちゃん?」
「梢さん?」
「梢?」
同時。
私は、少しだけ顔が熱くなった。
「……何でもないです」
そう答えると、奏多さんが少し笑った。
白石さんも、ほんの少しだけ表情を緩めた。
莉央ちゃんは、楽しそうに私を見ていた。
◇
その夜。
スマホが震えた。
奏多さんからだった。
『梢ちゃん』
来た。
『遊園地、楽しみだな』
私は少し笑った。
『私も楽しみです』
送信。
すぐ既読。
『白石も来るけどな』
……。
余計。
『でも佐伯さんも来るんだろ』
『はい』
『あの人、結構すごいな』
私は少し驚いた。
奏多さんが、莉央ちゃんの話をしている。
『莉央ちゃん、しっかりしてますよ』
『分かる』
『めちゃくちゃ言うけど』
『間違ってないんだよな』
私は、画面を見つめた。
少しだけ、嬉しくなった。
奏多さんが、莉央ちゃんをちゃんと見ている。
それが、なんだか嬉しかった。
さらに通知。
『あと』
『俺、背の高い女苦手なんだけど』
私は小さく笑った。
やっぱり。
『でも』
『あの人、話しやすかった』
私は、少しだけ目を丸くした。
話しやすい。
あれで。
あんなに、言い合っていたのに。
『よかったですね』
そう返した。
すぐ既読。
『まあな』
そして。
『でも梢ちゃん』
来た。
『白石には負けねえから』
……。
治安。
急に悪化。
『何の話ですか?』
私は送信した。
既読。
すぐに返事。
『遊園地』
『絶対楽しくさせる』
私は、少し笑った。
それから。
『みんなで楽しめたら嬉しいです』
そう送った。
少しだけ、間が空いた。
『……そっか』
そして。
『じゃあ四人で楽しもうな』
私は、ほっとした。
少しだけ、奏多さんが近くなった気がした。
その時。
また通知。
『でも白石には負けねえ』
……。
戻った。
治安が。
元に戻った。
私は声に出して笑ってしまった。
◇
そのあと、莉央ちゃんからもLINEが来た。
『梢、今日はお疲れ』
『莉央ちゃんもありがとう』
『いやー、面白かったね』
『何が?』
『恋愛ヤンキー』
私は、また笑った。
『でも、ちゃんとした人でしょ?』
そう送ると、少し間が空いた。
『うん』
短い返事。
そして。
『思ってたよりずっとちゃんとしてた』
私は、少し嬉しくなった。
『でしょう?』
『ただし』
来た。
『恋愛になると治安悪すぎ』
私は笑った。
否定できない。
『あとね』
莉央ちゃんから、もう一通。
『あの人、ちょっと面白い』
……。
私は、少しだけ考えた。
莉央ちゃん。
確か。
イケメン嫌いだったはず。
『莉央ちゃん、イケメン嫌いじゃなかった?』
既読。
すぐに返事が来た。
『嫌いだよ』
そして。
『でも、顔がいいことに甘えてないイケメンは、別に嫌いじゃない』
私は、その言葉を何度か読み返した。
それから、少し笑った。
莉央ちゃんは、人を見る。
顔よりも。
肩書きよりも。
ちゃんと、その人自身を見ようとする。
だから、きっと。
奏多さんの、少し不器用なところも見えたのだと思う。
私はスマホを置いた。
次の土曜日。
四人で遊園地。
白石さんは、静かに必要な位置にいる。
奏多さんは、きっと何度も白石さんに対抗する。
莉央ちゃんは、そのたびに「損してますよ」と言う。
私は、たぶん。
また巻き込まれる。
でも。
今回は、自分から誘った。
少しだけ、前に出た。
それが、なんだか嬉しかった。
お兄ちゃんも、そうなのかもしれない。
いつも巻き込まれているけれど。
最近は、美波さんの隣へ、自分から戻っていく。
私も、少しだけ変わったのだと思う。
そして。
もうひとつ。
今日、分かったことがある。
佐伯莉央は、イケメンが嫌い。
ただし。
きちんとしているのに、恋愛になると急に治安が悪くなるイケメンは。
どうやら、観察対象として悪くないらしい。
……。
莉央ちゃん。
それ。
結構、気に入ってるんじゃないかな。
私は、そう思った。
でも。
本人には、まだ言わないでおこうと思う。
だって。
私だって、まだ。
二人の王子のどちらにするかなんて。
決めていないのだから。
……。
そもそも。
どちらにも、告白されていない。
そこは、忘れないでおこうと思う。
そして、もうひとつ。
奏多さんから、最後のLINEが来た。
『梢ちゃん』
『もう寝た?』
『返信』
私は、スマホを見つめた。
……。
やっぱり。
治安は、まだ改善していない。




