朝倉奏多はストーカー?
奏多さんからのメールは、多かった。
かなり。
想像以上に。
「梢、最近ちょっと顔が疲れてない?」
社員食堂で、莉央ちゃんが味噌汁を飲みながら言った。
私は、一瞬だけ黙った。
「……分かる?」
「分かる」
即答だった。
「受付やってると、人の“寝不足顔”ちょっと分かるようになる」
「受付って、そんなスキル育つんだ……」
「育つよ。あと、『恋愛で振り回されてる顔』も分かる」
私は危うくお茶を吹きそうになった。
「違うよ!」
「違うの?」
「違う……と思う」
「弱いなあ」
莉央ちゃんが笑った。
私は小さく息を吐いた。
スマホを見る。
通知。
『朝倉奏多』
また来ていた。
メール。
内容は普通だ。
すごく普通。
『今日は寒いので気をつけてください』
『昼食ちゃんと食べましたか』
『白石仁が今日機嫌悪い』
最後だけ余計だった。
でも、文章は丁寧だ。
びっくりするくらい。
最初に会社メールを交換した時は、もっと勢いのある人かと思っていた。
でも実際は、
『ご連絡ありがとうございます』
『まずはここからお願いします』
みたいな、ちゃんとした文章を書く。
少し安心していた。
量が多いことを除けば。
「……メール、多くて」
私が小さく言うと、莉央ちゃんが目を細めた。
「奏多さん?」
「うん」
「何通くらい来るの?」
「えっと……」
私は数えようとして、やめた。
数えると現実になる気がした。
「……結構」
「それは多いやつだね」
「でも、怖い感じじゃないの」
「うん」
「内容は普通なの」
「うん」
「でも、すごく来る」
「それは、圧」
莉央ちゃんは真顔で言った。
私は否定できなかった。
その時。
「それ、もしかしたら奏多さんなりに加減してるかもしれません」
後ろから声がした。
私は肩を跳ねさせた。
振り返る。
白石さんだった。
いつの間にか後ろの席に座っていた。
怖い。
静かに現れる。
「白石さん」
「こんにちは」
「いつからいたんですか」
「『圧』あたりからです」
かなり前からだった。
莉央ちゃんが小さく吹き出した。
「白石さんって、本当に必要な位置にいますね」
「よく言われます」
否定しないんだ。
白石さんは、静かな顔で私を見た。
「奏多さん、今かなり抑えてると思います」
「……これで?」
「はい」
「怖いこと言わないでください」
「事実です」
怖かった。
でも、白石さんは本気で言っている。
たぶん本当に、抑えているのだ。
朝倉家。
少し怖い。
「あと」
白石さんが続けた。
「最近、帰り道で誰かにつけられてませんか」
私は、固まった。
箸を持つ手が止まる。
「……なんで分かったんですか」
莉央ちゃんが目を見開いた。
「えっ、ほんとに?」
「う、うん……」
私は小さく頷いた。
「最近、帰り道で、なんとなく……」
「なんとなく?」
「誰かいる気がするの」
言葉にした瞬間、少しだけ怖くなった。
気のせいかもしれない。
でも、何度かあった。
駅を出たあと。
コンビニの前。
家の近く。
振り返ると、誰かがいる気配。
でも、見ようとするといなくなる。
「ストーカーだったら、どうしようって……」
私が小さく言うと。
白石さんが、静かに立ち上がった。
「もしかしたら、それは奏多さんかもしれません」
「まさか」
「あり得ます」
「白石さん」
「はい」
「それ、安心材料じゃないです」
莉央ちゃんが真顔で言った。
白石さんは少しだけ考えた。
「……たしかに」
認めた。
「でも、本当に心配なら」
白石さんは私を見た。
「僕を呼んでください」
声は静かだった。
でも、すごく真面目だった。
「時間が合えば、迎えに行きます」
「白石さん」
「はい」
「それ、普通に優しい人の台詞です」
「普通です」
「自分で言うんだ」
私は少し笑ってしまった。
白石さんも、少しだけ笑った。
その瞬間。
少しだけ、不安が軽くなった。
◇
翌日の帰り道。
私は、少し早足になっていた。
駅を出る。
夜風が冷たい。
スマホを握る。
――いる。
また。
後ろ。
一定の距離。
気配。
私は振り返れなかった。
怖い。
昨日、話したばかりだから余計に怖い。
足音が少し近づく。
私はスマホを開いた。
LINE。
『白石さん』
送信。
『今、誰かにつけられてる気がします』
既読。
速かった。
次の瞬間。
『どこですか』
『駅から家の間です』
『今向かいます』
私は少しだけ安心した。
でも。
その時だった。
後ろから。
急に気配が近づいた。
怖い。
誰かが、覆いかぶさるみたいに。
私は息を呑んだ。
その瞬間。
「おい!!」
低い怒鳴り声が響いた。
次の瞬間。
誰かが、後ろの誰かを地面へ押さえつけた。
私は立ち止まった。
心臓がうるさい。
怖くて、動けない。
「……っ、梢さん!」
走ってくる声。
白石さんだった。
息を切らしている。
「大丈夫ですか」
「う、うん……」
「怪我は」
「ない……」
白石さんは、すぐ後ろを見た。
地面に押さえつけられている男。
そして、その上にいた人物。
朝倉奏多だった。
黒いコート。
少し乱れた髪。
舌打ちしそうな顔。
「……奏多さん」
白石さんが言った。
「だから俺じゃねえって言っただろ」
奏多さんは、不機嫌そうに言った。
「こいつ、前からいた」
私は息を止めた。
「前から……?」
「駅のとこから見てた」
「……」
「お前が気づいてなかっただけ」
怖くなった。
本当に。
ストーカーだった。
奏多さんは、押さえつけた男を見下ろしたまま言った。
「小さいの怖がらせてんじゃねえよ」
白石さんの目が少し細くなった。
「『小さいの』ではありません」
「そこかよ」
「そこです」
奏多さんが、はあっと息を吐いた。
それから、私のほうを見る。
「怪我ないか」
「……はい」
「ならいい」
ぶっきらぼうだった。
でも。
その声は、少しだけ震えていた。
私は、そこで初めて気づいた。
奏多さんも、怖かったのかもしれない。
もし間に合わなかったらって。
そう思ったのかもしれない。
「……ありがとうございました」
私が言うと。
奏多さんが、一瞬だけ止まった。
「は?」
「助けてくれて……」
「いや、別に」
「でも」
「放っとけなかっただけだ」
奏多さんは視線を逸らした。
「小さいのが怖がってたら」
白石さんの温度が下がった。
「だから、小さいのではありません」
「白石、お前そこ気になりすぎだろ」
「重要です」
私は思わず、小さく笑ってしまった。
怖かったのに。
まだ心臓は速いのに。
この人たちは、どうしてこうなるんだろう。
◇
警察への連絡や事情確認が終わった頃には、かなり遅い時間になっていた。
白石さんは最後までいてくれた。
奏多さんも、ずっと近くにいた。
帰り際。
私は、小さく頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
奏多さんは、少し黙った。
「……別に」
「奏多さん」
「何」
「メール、たくさん来るのは、少し困ります」
「えっ」
「会社にもいっぱい来るので……」
「だって返信こねえし!」
「一般的には、それを大量と言います」
白石さんが冷静に言った。
「うるせえ!」
私は少し迷った。
でも。
会社の代表アドレスに、
『梢さんは今日いますか』
って送られるのは、たしかに困る。
あと、少しだけ。
本当に少しだけ。
この人は、怖い人ではないと思った。
距離は近いけど。
言葉は強いけど。
ちゃんと助けてくれた。
「……LINE、教えます」
奏多さんが止まった。
「は?」
「会社に大量に送られても困るので……」
白石さんの目が静かに細くなる。
「大量に送っていた自覚はあるんですね」
「違ぇよ! 返信こねえから追加で送っただけだ!」
「それを一般的には」
「うるせえ!」
私は小さく息を吐いた。
「でも、LINEなら……」
奏多さんは、しばらく黙っていた。
それから。
「……いいのか」
少しだけ、声が低くなった。
私は頷いた。
「はい」
奏多さんは、スマホを出した。
その動きが、少しだけ速かった。
私は少しだけ笑いそうになった。
交換。
完了。
直後。
スマホが震えた。
『気をつけて帰れ』
目の前にいるのに。
すごく早い。
私は画面を見た。
さらに来る。
『戸締まりしろ』
『あと知らないやつについてくな』
私はスマホを見つめた。
そして思った。
――距離が近い。
メールの時の「ちゃんとした後継ぎモード」が、一瞬で消えていた。
白石さんが、静かに言った。
「だから会社メールで十分だったんです」
「うるせえ!」
奏多さんが即答する。
私は、少しだけ笑った。
怖いこともあった。
でも。
帰り道を一人で歩くのが、少しだけ前より怖くなくなった。
その代わり。
スマホは、たぶん、かなり賑やかになる。




