↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
44/50

白石仁と朝倉奏多は犬猿の仲


白石仁と朝倉奏多は、仲が悪い。


 いや。


 仲が悪い、という言葉で片づけていいのか分からない。


 先日の受付フロア騒動のあと、俺はずっとそれを考えていた。


 朝倉奏多くん。


 朝倉さんの弟で、跡取り修行中で、スーツが似合って、礼儀正しくて、整っていて。


 そして、藤谷梢を見ると会社の受付まで突撃してくる恋愛ヤンキー。


 情報量が多い。


 一方、白石仁くん。


 坂本さんの細い目を怖がらず、姉さん案件では燃え上がり、梢の前では静かな防衛ラインになる大学生。


 こちらも情報量が多い。


 その二人が顔を合わせた瞬間、空気が変わった。


 俺にも分かった。


 これは、初対面の険悪さではない。


 年季の入った険悪さだ。


 つまり。


「昔、何かあったんですか」


 昼休みの打ち合わせスペースで、俺はつい聞いてしまった。


 聞いた相手は、なぜか今日もうちの部署でコーヒーを飲んでいる朝倉さんだった。


 自分の部署に帰ってほしい。


 だが、この人は必要な情報を持っている。


 便利。


 困る。


「何が」


「仁くんと奏多くんです」


「ああ」


 朝倉さんは、あっさり頷いた。


「犬猿の仲」


「タイトルみたいに言わないでください」


 隣で高岡が、淡々と弁当の蓋を閉めた。


「でも、分かりやすいな」


「分かりやすいけど」


「白石仁と朝倉奏多は犬猿の仲」


「だからタイトルみたいに言うな」


 俺が突っ込むと、朝倉さんが低く笑った。


「まあ、初対面から噛み合わなかったからな」


「初対面?」


「仁の受験対策合宿」


 受験対策合宿。


 俺は箸を止めた。


「合宿?」


「うちの別荘でな」


「別荘で受験対策」


「何だよ」


「スケールが朝倉家」


「場所が空いてたんだよ」


 場所が空いてた、で海辺の広い別荘が出てくる家。


 朝倉家。


 やっぱりカーブを知らない。


「その頃、仁は中三。高校受験前で、坂本が家庭教師やってた時期だ」


「坂本さんが」


「うん。で、現代文が荒れた時に俺も呼ばれた」


「召喚獣ですね」


「藤谷」


「すみません」


 つい言ってしまった。


 朝倉さんは少し満足そうだった。


 気に入っているらしい。


「で、何日かまとめて勉強見ることになってな。ミサちゃんも仕事の都合つけて、仁を連れて来た。坂本は数学と英語。俺は現代文と、まあ場の調整」


「朝倉さんが場の調整」


「何だその顔」


「いえ」


「俺は安全管理者だからな」


「ビール飲むだけのやつではなく?」


「その頃は飲んでねぇよ」


 当然だった。


 中学生の受験対策合宿でビールを飲んでいたら大問題である。


「で、うちの親が言ったんだよ。年が近い奏多もいたほうがいいんじゃないかって」


「奏多くん、高校生ですか」


「高一」


「仁くんは中三」


「そう。年が近いだろ」


 確かに、近い。


 近いが。


 俺は、先日の受付フロアを思い出した。


 白石仁。


 朝倉奏多。


 近づけてはいけない二つの薬品みたいな感じがする。


「でも、当時の奏多はまだ荒れてたからな」


 朝倉さんが、少しだけ苦笑した。


「今も袖口から出てますよね」


「出てる」


「否定しないんですね」


「否定できねぇ」


 朝倉さんはコーヒーを飲んだ。


 少しだけ、声が低くなった。


「当時の奏多は、俺の言うことを聞かなかった」


「今も聞かなそうです」


「今より聞かなかった」


「今より」


 それはもう、かなりだ。


「俺が実家を継がないって決めたあとでさ。奏多からしたら、兄貴が勝手に家から出て、勝手に坂本の隣にいて、でも家の中ではまだ長男として扱われる。面白くなかったんだろうな」


 朝倉さんは、少し遠くを見るような顔をした。


 いつもの雑さが、少しだけ薄くなる。


「だから、俺が誰かに熱心に関わってるのを見るのも、あいつは嫌だったんだと思う」


「仁くんに?」


「そう。しかも坂本もいたからな」


 坂本さん。


 大学生の坂本さん。


 若い坂本さんが、受験生の仁くんに問題集を開かせている図。


 怖い。


 普通に怖い。


「坂本さん、合宿でも坂本さんだったんですか」


「坂本だった」


「でしょうね」


 高岡が即答した。


 俺も頷いた。


 坂本さんは、どこにいても坂本さんなのだ。


 会社でも。


 白石家でも。


 朝倉家の別荘でも。


「一日目の夕方だったかな」


 朝倉さんが言った。


「仁が数学で詰まって、坂本が横で見てた。俺は少し離れて現代文のプリント作ってた。奏多は、最初はリビングのソファでスマホ触ってたんだけど」


「荒れてる高校生だ」


「まあな」


「で?」


「坂本が仁くんに言ったんだよ。ここは計算力じゃなくて、条件の読み落としだ、って」


「坂本さんだ」


「仁が、分かってます、ってムッとして」


「仁くんだ」


「でも次の問題はちゃんと直した」


「偉い」


「そう。で、坂本が、今の修正は悪くない、って言った」


 俺は止まった。


 若い坂本さんが。


 中三の仁くんに。


 悪くない。


 言った。


「それ、褒めてます?」


「坂本比では褒めてる」


「坂本比」


 高岡が静かに頷いた。


「今と同じだな」


「怖いですね」


「怖いな」


 高岡が素直に言った。


 すると朝倉さんが、少し笑った。


「その時、奏多が立った」


「嫌な予感」


「当たり」


 朝倉さんは、当時を思い出すように言った。


「奏多が仁に言ったんだよ」


 そして、少しだけ声を変えた。


「兄さんと坂本さんに構ってもらえて、ずいぶん偉そうだな」


 うわ。


 俺は思った。


 それは、よくない。


 ものすごくよくない。


 高一男子の尖り方として、分からなくはない。


 でも相手が悪い。


 白石仁である。


「仁くんは?」


「スンってしてた」


「スン」


「スン」


 朝倉さんは、妙に楽しそうに言った。


「顔だけ見たら、何の感情もなかった」


「怖いですね」


「で、言った」


 朝倉さんは、今度は少し平坦な声で言った。


「呼ばれて来たのは、そっちですよね」


 俺は箸を落としかけた。


「強い」


「強いな」


 高岡が淡々と言った。


「奏多、そこで一回止まった。で、ムッとした」


「でしょうね」


「そしたら仁が続けた」


「続けたんですか」


「うん」


 朝倉さんが、笑いをこらえるように口元を押さえた。


「俺は受験勉強しに来てます。あなたは何をしに来たんですか、って」


「うわあ」


 俺は声が出た。


 スン。


 確かにスンだ。


 温度が低い。


 刺し方が正確。


 坂本さんの家庭教師を受けると、こうなるのか。


「奏多くん、怒りましたよね」


「怒った」


「ですよね」


「俺が止めた。奏多、やめろって」


「聞いたんですか」


「聞くわけないだろ」


「ですよね」


 朝倉さんの弟である。


 しかも当時、今より荒れていた。


 朝倉さんの言うことを素直に聞くわけがない。


「奏多が言った。お前、可愛くねぇなって」


「うわ」


「そしたら仁が」


「はい」


「可愛い必要ありますか、って」


 強い。


 中三の白石仁、強い。


 いや、今も強い。


 でも中三でそれはかなり強い。


「それで奏多が、あ? ってなって」


「治安が」


「悪くなった」


「その頃から恋愛ヤンキーの素養が」


「恋愛は関係ねぇけど、ヤンキー部分はあったな」


 朝倉さんは認めた。


 認めてしまった。


「俺がもう一回止めた。奏多、座れって」


「聞かなかった」


「聞かなかった。逆に俺に言った。兄さんは黙ってて、って」


「うわ」


 兄弟の確執。


 急に重い。


 いや、でもこのシリーズなので、たぶん数秒後にはコメディに戻る。


 戻ってほしい。


「で、その時」


 朝倉さんが言った。


「坂本が、顔を上げた」


 俺は反射的に背筋を伸ばした。


 今、ただ話を聞いているだけなのに。


「……目が」


「細くなった」


 終わった。


 過去の朝倉家別荘のリビングが終わった。


「坂本は怒鳴らない。ただ、奏多を見て言った」


 朝倉さんは、少しだけ坂本さんの口調に寄せた。


「朝倉奏多くん。今の発言は、受験生の学習時間を奪うほど重要か」


 坂本さんだ。


 あまりにも坂本さんだ。


 高校生相手でも坂本さんだ。


「奏多くんは?」


「止まった」


「止まった」


「それまで俺の言うことは全然聞かなかったのに、坂本の目を見た瞬間、止まった」


 分かる。


 それは分かる。


 坂本さんの細くなった目には、年齢も立場も関係ない。


 逃げ道が閉じる。


 高校生でも閉じる。


「坂本が続けた」


「はい」


「感情を持つなとは言わない。ただし、それを他人の邪魔に使うなら、席を外してください」


「高校生に」


「高校生に」


「坂本さん……」


 俺は頭を抱えた。


 正しい。


 正しいけど怖い。


 正しさが、刃物みたいに研がれている。


「奏多、顔真っ赤にして黙った。たぶん悔しかったんだろうな。俺には反抗できる。でも坂本には、反抗の入口を塞がれた」


「坂本さんだから」


「坂本だから」


 便利な言葉である。


 坂本だから。


 朝倉家のだいたいの混乱は、それでいったん説明がつく。


「その時、仁が言ったんだよ」


 朝倉さんが、にやっと笑った。


 嫌な予感がした。


 でも聞きたい。


「何て?」


「坂本先生の目なんて、いつものことだから怖くないです」


 俺は固まった。


 高岡も、さすがに一瞬止まった。


 怖くない。


 坂本さんの細い目が。


 いつものことだから。


 怖くない。


「……中三で?」


「中三で」


「仁くん……」


「強いだろ」


「強いというか、育ち方がおかしい」


「坂本に育てられたからな」


「教育の副作用がすごい」


 俺は震えた。


 坂本さんに詰められても生き延びる方向に育つと、こうなる。


 怖い。


 でも、ちょっと分かる。


 仁くんにとって坂本さんの細い目は、恐怖ではなく、いつもの授業開始の合図だったのかもしれない。


 嫌な慣れ方。


「奏多くん、それでさらに怒ったんじゃないですか」


「怒った」


「ですよね」


「お前、何なんだよって」


「でしょうね」


「仁は、白石です、って」


 白石です。


 それは今もやっている。


 受付フロアでもやっていた。


 名前を聞いているわけじゃないのに、白石です。


 白石仁、昔から白石仁。


「で、奏多が言った。そういうことじゃねぇよ、って」


「今と同じ!」


「同じだな」


 朝倉さんが笑う。


「そこから言い合い。奏多は、兄貴を取られたみたいで面白くない。仁は、受験勉強の邪魔をされたくない。ついでに坂本に怖がる奏多を見て、何でこの人こんなに反応してるんだろうって顔をする」


「最悪の相性ですね」


「最悪」


 朝倉さんは即答した。


「でもな、悪意じゃないんだよ」


 その声が、少しだけ落ち着いた。


「奏多は、荒れてただけだ。寂しかったんだろうな。兄貴が家じゃなくて外にいて、坂本の隣にいて、その坂本が今度はよその中学生に真剣に向き合ってる。自分は置いていかれてる気がしたんだろ」


 俺は黙った。


 高岡も黙っていた。


「仁も、別に奏多を傷つけたかったわけじゃない。ただ、姉ちゃんが時間作って、坂本が時間作って、やっと机に向かってるところに、外から感情ぶつけられた。だからスンと返した」


「善意だけでできてるのに、ぶつかるやつですね」


 俺が言うと、朝倉さんが少し笑った。


「そう。それ」


 善意だけでできている。


 でも、感情はぶつかる。


 寂しさと、防衛と、正しさと、拗ね。


 全部悪意ではない。


 でも、リビングの空気はたぶん最悪だった。


「それ、どう収まったんですか」


「坂本が収めた」


「でしょうね」


「奏多には席を外せと言った。仁には、君も相手を刺激するために言葉を使うな、と言った」


「仁くんにも」


「うん。仁は、ムッとしてたけどな」


「怖くなかったんですよね」


「怖くはなかった。でも、むかついてた」


「仁くんだ」


 怖いではなく、むかつく。


 白石仁の坂本さんへの基本感情。


「で、俺が奏多を外に連れ出した」


「朝倉さんが?」


「そう。庭にな。あいつ、俺にはまだ怒ってたけど、坂本に言われたから一応外には出た」


「坂本さん、強い」


「強い」


「そこで兄弟で話したんですか」


「まあな。ほぼ喧嘩だけど」


 でしょうね。


 朝倉兄弟。


 穏やかな兄弟会話になる気がしない。


「奏多は、何で兄さんがあいつらのためにそこまでするんだ、って言った」


「ああ……」


「俺は、必要だからだって言った」


「朝倉さん」


「うん」


「その答え、仁くんみたいです」


「やめろ」


 朝倉さんが少し嫌そうな顔をした。


 珍しい。


「でも、まあ、そうなんだよな。必要だった。坂本にも、仁にも、ミサちゃんにも。あの時は、誰かが横にいたほうがよかった」


 朝倉さんの声が少しだけ柔らかい。


 普段は雑で、低くて、うっとおしい。


 でも、こういう時の朝倉さんは、ちゃんと大人だ。


 仁くんが怒ったまま甘えられる理由が、少し分かる。


「それからずっと犬猿ですか」


「うん。顔合わせるたびに噛み合わない」


「でも、今は奏多くんも跡取り修行中で落ち着いてるんですよね」


「落ち着いてる」


 朝倉さんは頷いた。


「落ち着いてはいる。でも、仁を見ると当時のスイッチが入る」


「白石」


「朝倉奏多さん」


「何でお前が」


「必要な位置です」


「そういうやつ」


 朝倉さんが雑に再現した。


 似ている。


 腹立つくらい似ている。


「逆に、仁くんも奏多くんを見ると?」


「警戒するな。奏多は距離が近い。感情がまっすぐすぎる。しかも今は梢ちゃん案件だろ」


 俺は固まった。


 梢ちゃん案件。


 言葉にされると、心臓に悪い。


「やめてください」


「何が」


「妹を案件にしないでください」


「もう案件だろ」


「やめてください」


 高岡が静かに言った。


「藤谷」


「何」


「お前、朝倉家と白石家の接続点になってるな」


「またそれ言う!」


「しかも今回は、過去の確執まで接続された」


「やめろ!」


 俺は叫んだ。


 その時、背後から声がした。


「何を騒いでいる」


 坂本さんだった。


 俺の背筋が伸びた。


 反射。


 完全に反射。


「すみません」


「まだ何も言っていない」


「すみません」


 坂本さんの目が、少し細くなった。


 あ。


 今、細くなった。


 俺は息を止めた。


 その瞬間、打ち合わせスペースの入口にいた仁くんが、こちらを見た。


 いつの間にいた。


 白石仁、いつも必要な位置にいる。


「藤谷さん」


「はい」


「その顔、そんなに怖いですか」


 俺は仁くんを見た。


 坂本さんを見た。


 朝倉さんを見た。


 高岡を見た。


「怖いよ!」


 俺は、心から言った。


 仁くんは少し考えてから、首を傾げた。


「いつものことですよ」


「それが怖いんだよ!」


 俺の叫びに、朝倉さんが低く笑った。


 高岡が弁当箱を片づけながら、淡々と言った。


「藤谷」


「何」


「お前もそのうち慣れるかもしれない」


「慣れたくない」


「でも、悪くない」


「坂本さんみたいに言うな!」


 坂本さんがこちらを見た。


「藤谷」


「はい」


「声が大きい」


「はい」


 やっぱり怖い。


 普通に怖い。


 でも、仁くんがその目を「いつものこと」と言い、奏多くんがその目には反応し、朝倉さんがその全部を覚えている。


 白石仁と朝倉奏多は犬猿の仲。


 その始まりは、朝倉家の別荘で、受験問題と兄弟の拗ねと、坂本さんの細い目がぶつかった日だった。


 そして今。


 その犬猿の仲は、俺の妹を挟んで再燃している。


 人生は、どこでどうつながるか分からない。


 分からないが。


 ひとつだけ言える。


 俺はそろそろ、平和な昼休みがほしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。