朝倉奏多は小さいものが好き
奏多くんは、梢を見ていた。
見ていた、というより。
照準を合わせていた。
怖い。
あれは、ただの視線ではない。
小さいもの好き。
保護対象。
猫用ベッド三つ。
前振りが、全部ここに回収されようとしている。
「藤谷梢さん、ですね」
「は、はい」
「……小さい」
「え?」
「いや、可愛い。失礼しました、今のは心の声です」
「漏れてます」
俺は即座に言った。
漏れている。
完全に漏れている。
奏多くんは一度、軽く咳払いをした。
そして、きちんとした表情に戻る。
「失礼しました。改めまして、朝倉奏多です」
「あ、はい。よろしくお願いします」
梢は戸惑いながらも、きちんと頭を下げた。
偉い。
俺の妹は偉い。
兄として誇らしい。
しかし、今はその礼儀正しさが危険な気もする。
「梢さんでいいですか」
奏多くんが言った。
早い。
距離が早い。
「あ、えっと」
「すみません。もう呼びます」
「決定が早い!」
俺の声が出た。
朝倉家の血は、カーブを知らない。
いや、知っていたはずだ。
奏多くんはさっきまで礼儀正しい跡取り修行中の好青年だった。
なのに、梢を見た瞬間、ハンドルが消えた。
急に直進だけになった。
「梢さん」
奏多くんの声が、少し低く、妙に甘くなった。
「寒くないですか」
「あ、大丈夫です」
「本当に?」
「はい」
「手、冷えてませんか」
「えっ」
「すみません。確認したいだけです」
「確認するな!」
俺は兄として叫んだ。
仁くんが、静かに梢の前に出た。
「梢さんが困っています」
奏多くんの目が、仁くんへ向いた。
さっきまでの甘さが、すっと消えた。
「白石。なんでそこにいんの」
「必要な位置なので」
「誰に」
「梢さんに」
「あ?」
出た。
今、出た。
礼儀正しい跡取り修行中の好青年の奥から、明らかに違うものが出た。
藤谷直樹、見ました。
クリスマスパーティ会場で、朝倉家末っ子の治安が一瞬で悪化するところを。
「奏多」
美波さんが、上品に微笑んだ。
「久しぶりね。恋愛ヤンキー」
「姉さん、その呼び方やめて」
「だって出てるわ」
「出てない」
「出てる」
朝倉さんが言った。
「出ています」
仁くんも言った。
「白石、お前は黙れ」
「黙りません」
静か。
仁くんが静かだ。
姉さん案件の時みたいに燃え上がっていない。
でも、これはこれで怖い。
静かな白石仁は、防衛ラインそのものだった。
「しまった」
朝倉さんが、もう一度言った。
「だから何がですか」
「あいつの小さいもの好き、最近は収まったと思って油断してた」
「病気みたいに言わないでください」
「再発だ」
「再発」
高岡が拾った。
「拾うな」
俺は突っ込んだ。
突っ込まないと、俺の心がもたない。
梢はというと、少し困ったように奏多くんと仁くんを見比べていた。
でも、極端に怖がってはいなかった。
「あの……朝倉さんの弟さん、少し言葉は強いですけど、悪い方ではなさそうですね」
違う。
梢。
違うんだ。
あれは捕食前の大型猫科だ。
悪くはない。
悪くはないが、距離感が危険なんだ。
梢のその優しさに、奏多くんの表情がわずかに変わった。
柔らかくなった。
いや、柔らかいというより、完全にロックオンが深まった。
「梢さん」
「はい」
「兄さんと白石の言うことは半分で大丈夫です」
「僕の言うことは全部聞いてください」
仁くんが即座に言った。
「おい」
「必要なことなので」
「お前、いつから梢さんの何なんだよ」
「少なくとも、あなたより前から知っています」
「期間の話してねぇんだよ」
「なら、何の話ですか」
やめろ。
クリスマスパーティで、俺の妹を挟んで白石家と朝倉家が揉めている。
何だこれ。
しかも、どちらも悪意がない。
ただ、方向性の違う防衛と暴走がぶつかっている。
「藤谷」
高岡が隣で言った。
「何だ」
「お前、朝倉家と白石家の接続点になってるな」
「やめろ」
「かなり重要な接続点だ」
「やめろって」
「悪くない」
「坂本さんみたいに言うな!」
俺が叫んだ瞬間、少し離れた坂本さんがこちらを見た。
目が、少し細くなった。
すみません。
俺は何もしていません。
いや、していないはずです。
美沙さんが、そっと梢のそばへ来た。
「梢ちゃん、大丈夫?」
「あ、はい。少しびっくりしましたけど……大丈夫です」
「無理しなくていいからね」
美沙さんの声は柔らかい。
その声が入ると、場の温度が少し戻る。
すごい。
美沙さんは怒鳴らない。
押さえつけない。
でも、自然に場を柔らかくする。
坂本さんが美沙さんに惹かれた理由が、こういうところにもあるのだろう。
その坂本さんは、静かに奏多くんを見ていた。
「朝倉奏多くん」
「はい」
奏多くんが、すっと礼儀正しい顔に戻る。
怖い。
切り替えが早い。
「梢さんが明確に困ったら、そこで終わりだ」
「承知しました」
完全に会社の会議みたいな返事だった。
でも、さっきまで「あ?」って言っていた人である。
信用していいのか分からない。
柏木くんが、真顔で口を開いた。
「これは恋愛上の縄張り争いですか?」
場が一瞬、止まった。
「言い方」
俺は言った。
「違いますか?」
「だいたい合ってるのが嫌だ」
「では、正確には何ですか?」
「正確にしなくていい」
柏木くんは不思議そうだった。
この子は本当に、場の温度を測らずに核心へ足を置く。
でも、悪気はない。
悪気はない人間が多すぎる。
善意だけでできている地獄。
いや、地獄ではない。
クリスマス会だ。
たぶん。
「梢さん」
奏多くんがまた声を甘くした。
やめろ。
そのスイッチを切れ。
「甘いものはお好きですか」
「え、あ、はい。好きです」
「小さいケーキがあります。食べやすいものを選んできます」
「いえ、自分で」
「選んできます」
「奏多さん」
仁くんの声が低くなった。
「梢さんは自分で選べます」
「白石」
「はい」
「お前、さっきから何なんだよ」
「必要な位置です」
「だから誰に」
「梢さんに」
「それ二回目だぞ」
「必要なので」
静かに同じ言葉を返す仁くん。
強い。
姉さん案件で燃えている仁くんとは違う。
これは、静かな湯たんぽみたいに見えて、中に鉄板が入っているタイプだ。
「仁くん」
梢が小さく呼んだ。
いや。
呼んだ?
今、白石さんじゃなくて、仁くんって言った?
仁くんも一瞬だけ止まった。
奏多くんも止まった。
高岡が横で、ぼそっと言った。
「今のは大きいな」
「実況するな」
俺は小声で返した。
梢は自分で言ってから、少し赤くなった。
「あ、ごめんなさい。白石さん」
「いえ」
仁くんの声が、少しだけ柔らかくなった。
「そのままで大丈夫です」
大丈夫じゃない。
俺の兄としての心が大丈夫じゃない。
奏多くんが、仁くんを見た。
目つきが変わった。
「白石」
「はい」
「あとで話あるからな」
「こちらこそ」
クリスマスパーティで決闘の約束をするな。
その時、黒いスーツの男性が静かに近づいてきた。
秘書、という言葉がそのまま服を着て歩いているような人だった。
「奏多様」
奏多くんの表情が、ほんの少し固まった。
「社長がお呼びです」
「……今ですか」
「今です」
「大事な話の途中なんですけど」
「社長も、大事なお話とのことです」
強い。
秘書、強い。
朝倉さんが低く笑った。
「行け。親父案件は逆らうな」
「……ちっ」
舌打ちした。
跡取り修行中の好青年が、舌打ちした。
俺は見た。
クリスマスのイルミネーションの下で、朝倉奏多くんの理性のスーツの袖口から、昔荒れていた頃の何かが完全に出たところを。
しかし、奏多くんはすぐに梢へ向き直った。
そして、ものすごく丁寧に頭を下げた。
「梢さん。また後ほど」
「後ほどはありません」
仁くんが即答した。
「白石、あとで話あるからな」
「こちらこそ」
「本当にやめろ」
俺は兄として言った。
奏多くんは、秘書に促されて歩き出した。
その背中は、やはり整っていた。
スーツも似合う。
歩き方もきれいだ。
ただし、途中で一度だけ振り返った。
梢を見た。
そして、少しだけ表情をゆるめた。
甘い。
甘いが、圧がある。
梢は困ったように、小さく会釈した。
仁くんが、すっと半歩だけ前に出た。
奏多くんの眉が動いた。
秘書が無言で奏多くんを連れて行った。
「……朝倉さん」
俺はゆっくり言った。
「はい」
「今後、弟さんが来る時は、事前に教えてください」
「悪い。俺も再発すると思ってなかった」
「再発って言わないでください」
美波さんが、楽しそうに微笑んだ。
「でも、奏多らしかったわ」
「姉として止めてください」
「止めるわよ。面白いところまで見てから」
「朝倉家!」
俺の声が庭に消えた。
横で高岡が静かに言った。
「急にストレート」
「言うな」
「朝倉家の血は、カーブを知らない」
「それは本当にそう!」
認めたくない。
でも認めざるを得ない。
朝倉さんが仁くんを見た。
「来たら止める」
「お願いします」
「お前も大概だな」
「必要なので」
仁くんは、梢の近くに静かに立っていた。
姉さんを守る時とは違う。
怒っていない。
燃えていない。
でも、ちゃんとそこにいる。
梢はその横で、まだ少し戸惑いながらも、安心したように息を吐いた。
俺はそれを見て、少しだけ複雑な気持ちになった。
妹が誰かに守られている。
それはありがたい。
ありがたいが。
その誰かが白石仁で、そこに朝倉奏多が突っ込んできて、朝倉美波さんが楽しそうに見守り、高岡が実況して、柏木くんが核心を言い、坂本さんが安全装置として控えている。
情報量が多い。
多すぎる。
ツリーは綺麗だった。
音楽も優しかった。
美沙さんが、梢に小さなケーキを勧めている。
坂本さんはその隣で、美沙さんの皿を自然に持っている。
平和だ。
たぶん平和だ。
でも。
クリスマス会はタノシイナ?
いや。
俺の警報音は、まだ鳴り止まなかった。




