あさくらみなみは、手伝いたい
火起こしには、作法があるらしい。
高岡がそう言った瞬間、琴音さんの目が少し輝いた。
「学びます」
学ぶんだ。
お嬢様が、火起こしを。
このデイキャンプは、すでに何かがおかしい。
いや、おかしいのは今に始まったことではない。
参加者を見れば分かる。
高岡は、恋人候補のお嬢様に自分の普通を見せようとしている。
琴音さんは、ペグを「地面との約束」と呼んだ。
朝倉さんは、安全管理者なのに朝からビールを狙っている。
仁くんは、美沙さんがいないのに来た。
理由は、俺の妹。
梢は、少し人見知りしながらも頑張って輪の中にいる。
そして俺の横には、朝倉美波さんがいる。
近い。
今日も近い。
朝倉家の距離感は、たぶんメジャーが壊れている。
「藤谷さん」
「はい」
「私は、何をすればよろしいでしょうか」
美波さんは、真剣な顔でそう言った。
上品な声。
綺麗な姿勢。
涼しげな表情。
なのに、距離が近い。
脳が混乱する。
「えっと」
俺は周囲を見た。
高岡は火起こしの準備をしている。
琴音さんは軍手の左右を確認している。
朝倉さんはクーラーボックスの横でビールを見ている。
仁くんは、なぜかもうロープを綺麗にまとめている。
梢は荷物のそばで少し緊張している。
俺は。
俺は今、何をすればいい。
「藤谷さん?」
「あ、はい」
「お手伝いします」
美波さんが言った。
まっすぐ。
朝倉家の血は、カーブを知らない。
ただし、美波さんのまっすぐは、朝倉さんの雑なまっすぐとは少し違う。
美波さんは、踏み込む。
でも、ちゃんとこちらを見ている。
俺が困っているかどうかを、見ている。
だから余計に困る。
困るけど。
嫌ではない。
……いや。
待て。
今、俺は何を言った?
心の中で。
嫌ではない?
俺が?
朝倉美波さんに対して?
処理が落ちた。
しかし、今は火起こし前である。
処理落ちしている場合ではない。
「じゃあ……」
俺はペグ袋を持ち直した。
そして、言った。
「美波さん、そっちの軍手、取ってもらえますか」
言った。
言ったぞ。
俺が。
朝倉美波さんに。
作業を頼んだ。
事件では?
「はい」
美波さんは嬉しそうに頷いた。
その笑顔を見た瞬間、事件性が増した。
俺が頼んだことで、美波さんが嬉しそうにしている。
何だこれ。
俺の中の避難訓練が始まった。
管理棟。
水場。
炊事場。
バス停。
逃げ道はある。
でも。
戻る。
俺は軍手を受け取った。
「ありがとうございます」
「はい」
美波さんは少しだけ胸を張った。
「お役に立てましたか」
「軍手を渡してもらっただけですけど」
「大切なことです」
「そうですか」
「はい。手を守ります」
正しい。
正しいので何も言えない。
美波さんは、たまにこういうところがある。
距離は近い。
言葉はまっすぐ。
でも、言っていること自体は正しい。
だから俺は逃げづらい。
「藤谷さん」
「はい」
「軍手、左右が逆です」
「え」
俺は手元を見た。
逆だった。
美波さんが、そっと片方を差し出す。
「こちらです」
「……ありがとうございます」
「はい」
美波さんは、にこっと笑った。
「手を守れました」
守られた。
俺の手が。
朝倉美波さんに。
いや、軍手の左右を直されただけだ。
落ち着け。
◇
高岡は、火起こしの道具を並べていた。
炭。
着火剤。
火ばさみ。
チャッカマン。
うちわ。
そして、水を張ったバケツ。
完璧だった。
「高岡」
「何」
「水の用意が早い」
「火を使うから」
「普通の顔で言うな」
「普通だろ」
普通ではある。
だが、それを当たり前に最初からやるのが高岡である。
琴音さんは、真剣にそれを見ていた。
「火をつける前に、水を置くのですね」
「はい」
「火を始める前に、終わらせる準備をする」
「そうです」
「……高岡さんらしいです」
高岡の手が少し止まった。
また効いている。
琴音さんは、知らない世界を自分の言葉に変換する。
高岡は、それを笑わず受け取る。
隣で俺は思った。
この二人、静かに強い。
「藤谷」
高岡が言った。
「何」
「炭、少し持って」
「はい」
俺は炭の袋に手を伸ばした。
その瞬間、美波さんも手を伸ばした。
近い。
指が近い。
俺は反射的に手を引っ込めた。
「す、すみません」
「こちらこそ、すみません」
美波さんも少しだけ驚いた顔をした。
珍しい。
美波さんでも驚くことがあるらしい。
「私が持ちます」
「いや、これは重いので」
「重いものも持てます」
「知ってます」
知っている。
この人、泳げるし、たぶん運動神経もいい。
夏合宿で流されかけたとはいえ、そもそもかなり身体能力が高い。
ただし、過信もする。
俺はそれを知っている。
助けたから。
夏合宿のとき。
俺の中ではまだ最近すぎる。
美波さんが、俺を見る。
「藤谷さん?」
「……一緒に持ちましょう」
俺は言った。
言った。
また言った。
俺が。
美波さんと。
一緒に。
炭の袋を持つことを提案した。
事件が連続している。
「はい」
美波さんは、嬉しそうに笑った。
その笑顔が、少し眩しかった。
俺は袋の端を持つ。
美波さんが反対側を持つ。
距離が近い。
近いが、手元を見る。
作業。
これは作業。
炭の移動。
共同作業とか言うな。
誰も言っていない。
俺の心が勝手に言っただけだ。
「藤谷さん」
「はい」
「頼もしいです」
「今、炭を持ってるだけです」
「炭を持つ姿が」
「限定的すぎる褒め方!」
朝倉さんが後ろで吹き出した。
「美波、押しすぎるなよ」
俺は振り向いた。
「朝倉さんがそれ言います!?」
「俺は押してねえだろ」
「押してますよ、常に!」
「俺は場を動かしてるだけだ」
「それを押すって言うんです!」
朝倉さんは楽しそうに笑っている。
安全管理者。
安全管理者とは。
「美波」
朝倉さんが言った。
「藤谷、すぐ処理落ちするからな。少し待ってやれ」
「はい」
美波さんが素直に頷いた。
素直。
そこは素直。
「藤谷さん、処理が戻るまで待ちます」
「宣言しないでください」
「どのくらい待てばよろしいですか」
「具体的に聞かないでください」
「三十秒?」
「秒で管理しないでください!」
高岡が横から静かに言った。
「藤谷」
「何」
「炭」
「はい」
現実に戻された。
高岡は処理落ちの同期を現実に戻すのが上手い。
たぶん、ずっと俺の隣で生きてきたからだ。
◇
火起こしが始まった。
高岡が着火剤に火をつける。
琴音さんが少し離れた位置で見ている。
仁くんが水の位置を確認する。
梢はその近くで、少し不安そうに見ていた。
仁くんが小声で言う。
「煙、そっちに流れたら言ってください」
「ありがとうございます、白石さん」
白石さん。
梢の声が、少し柔らかい。
俺は聞いた。
聞いてしまった。
でも今日は第2話だ。
まだそこではない。
俺は自分に言い聞かせる。
まだそこではない。
しかし兄の耳は勝手に動く。
やめろ。
「藤谷さん」
美波さんの声で、俺は戻った。
「はい」
「うちわは、いつ使いますか?」
「えっと、炭に火が移ってから……だと思います」
「思います」
「いや、俺も専門ではないので」
「では、高岡さんに確認します」
美波さんはすぐに高岡を見る。
「高岡さん」
「はい」
「うちわは、いつ使いますか」
「火が炭に移ってからです。最初に強く仰ぐと、着火剤だけ早く燃えます」
「承知しました」
美波さんはうちわを両手で持った。
真剣。
とても真剣。
その姿は上品だった。
上品なのに、うちわ。
絵面が少し面白い。
「藤谷さん」
「はい」
「火が移ったら、私が仰ぎます」
「お願いします」
自然に言えた。
お願いします、と。
俺は一瞬、自分で驚いた。
でも美波さんは、驚かなかった。
ただ、嬉しそうに笑った。
「はい」
その「はい」が、やわらかかった。
朝倉美波さんは、強い。
距離が近い。
言葉がまっすぐ。
でも、たぶん。
手伝いたいのだ。
俺を困らせたいだけではない。
近づきたい。
役に立ちたい。
一緒に何かをしたい。
それを、朝倉家の直球で出しているだけなのだ。
俺は今まで、その直球に当たって転がっていた。
でも。
受け止める、という選択肢もあるのかもしれない。
いや、受け止めたら骨が折れそうだが。
少なくとも、避けるだけではない。
そう思った瞬間。
「藤谷さん」
「はい」
「火が移りました」
「え」
見れば、炭の端が赤くなっている。
美波さんがうちわを構えた。
構えが綺麗。
なぜうちわを持っても姿勢がいいのか。
「仰ぎます」
「強すぎないように」
「はい」
美波さんは、そっと仰いだ。
ぱた。
ぱた。
丁寧。
上品。
火起こしのうちわが、茶道具みたいに見える。
琴音さんが少し感動している。
「美波さん、お上手です」
「ありがとうございます、琴音さん」
「風を送るにも、加減があるのですね」
「高岡さんが強すぎないようにと」
「なるほど」
お嬢様同士の会話が、火起こしを優雅にしている。
高岡が静かに見守っていた。
朝倉さんも見守っていた。
ただし片手にビールを持って。
「朝倉さん」
高岡が低く言った。
「まだ開けてねえ」
「火のそばです」
「離れてる」
「もう少し離れてください」
「厳しいな」
「安全管理者ですよね」
「見守ってんだよ」
「飲まずに見守ってください」
「はいはい」
朝倉さんは渋々下がった。
美波さんが、兄を見た。
「兄さん」
「何だ」
「安全管理者なら、高岡さんの言うことを聞いてください」
「美波まで」
「火のそばです」
「分かったよ」
朝倉さんがさらに下がる。
強い。
妹、強い。
「美波さん」
俺は思わず言った。
「はい」
「助かりました」
口から出た。
予定より早く。
ラスト用の言葉が。
でも、出てしまった。
美波さんは、少し目を丸くした。
それから、嬉しそうに笑った。
「本当ですか?」
「はい。朝倉さんを動かせる人、貴重なので」
「兄は、言えば聞きます」
「聞きますか?」
「聞かない時もあります」
「でしょうね」
「その時は、もう一度言います」
「強い」
美波さんは、少し首を傾げた。
「藤谷さんも、言えば聞いてくださいます」
「俺ですか」
「はい」
「俺、そんなに聞いてます?」
「はい」
「処理落ちはしますけど」
「戻ってきてくださいます」
俺は黙った。
戻ってきてくださいます。
それは。
何だか、妙に刺さった。
俺は逃げ道を確認する。
でも、戻る。
美波さんは、それを見ている。
逃げることではなく、戻ることを。
この人は、俺が困っているところばかり見ているわけではないのかもしれない。
「……戻っては、きます」
俺は小さく言った。
「はい」
美波さんは笑った。
「だから、待てます」
待てる。
朝倉家なのに。
カーブを知らないのに。
待てる。
ずるい。
そんなことを言われると、逃げ道の意味が変わる。
逃げるためではなく。
戻ってくるために確認しているみたいになる。
いや、実際そうなのかもしれない。
俺は、自分で自分に驚いた。
◇
昼食は、ホットサンドとスープだった。
高岡が用意していた具材は、必要十分だった。
ハム。
チーズ。
トマト。
ツナ。
卵。
レタス。
そして、なぜか朝倉さんが持ってきた高級そうなソーセージ。
「朝倉さん」
「何だ」
「これは予定にありません」
「差し入れだ」
「高そうですね」
「実家からもらった」
「おぼっちゃま」
「その呼び方やめろ」
仁くんが少しだけ笑った。
知っている顔だった。
そうだ。
おぼっちゃま呼びも知っている。
初耳で驚くのは、もう俺たちの役ではない。
再放送回避。
俺は心の中でメモした。
「藤谷さん」
美波さんがパンを手にして言った。
「具材は、どの順番がよいでしょうか」
「え」
また俺に聞く。
なぜだ。
そこは高岡だろう。
高岡がいるだろう。
いや。
でも。
美波さんは、俺に聞いた。
俺はパンを見た。
具材を見た。
ホットサンドメーカーを見た。
「……チーズを下にしたほうが、溶けてまとまると思います」
高岡の受け売りである。
でも、言えた。
「なるほど」
美波さんは真剣に頷いた。
「藤谷さんの段取りですね」
「高岡の受け売りです」
「でも、藤谷さんが教えてくださいました」
「それは、まあ」
「ありがとうございます」
美波さんは、言われた通りにチーズを置いた。
俺は少し落ち着かない。
高岡なら、もっと的確に言える。
朝倉さんなら、もっと雑に言える。
仁くんなら、たぶん栄養バランスまで考える。
でも美波さんは、俺に聞いた。
俺の答えで、作っている。
「藤谷」
高岡が横から言った。
「何」
「いいと思う」
「何が」
「チーズ下」
「お前の受け売りだよ」
「使えてるならいい」
坂本さんみたいに言うな。
言いかけて、やめた。
高岡はたぶん、からかっていない。
俺が美波さんに説明したことを、普通に認めたのだ。
少しだけ、背中を押された気がした。
「美波さん」
「はい」
「トマトは、水分が出るので、入れすぎないほうがいいと思います」
自分から言った。
また言った。
事件が多発している。
美波さんは、嬉しそうに頷いた。
「はい」
「あと、焼く時、金具が熱くなるので、そこは触らないでください」
「はい」
「それと、焼き上がりは中のチーズも熱いので」
「はい」
「……何か、すみません。言いすぎました」
「いいえ」
美波さんは首を振った。
「藤谷さんが、ちゃんと見てくださっているのが分かります」
俺は固まった。
ちゃんと見ている。
その言葉に、心が変なところで引っかかった。
俺は今まで、美波さんに見られて困っていた。
でも今は、俺が美波さんを見ている。
火に近づきすぎないか。
熱い金具に触らないか。
無理に重いものを持とうとしていないか。
夏合宿のとき、海で助けたから。
だけではない。
たぶん。
美波さんが、今日ここで楽しそうにしているから。
怪我をしてほしくないと思った。
困る。
困るけど。
嫌ではない。
「……危ないと困るので」
俺は言った。
「はい」
美波さんは、やさしく笑った。
「気をつけます」
素直。
だから困る。
◇
ホットサンドメーカーを火にかける。
高岡が全体を見ている。
琴音さんは高岡の横で、火加減という新しい世界を学んでいる。
仁くんは梢に、飲み物の場所を教えている。
朝倉さんは、少し離れたところでようやくビールを開けた。
プシュッ。
音がした。
高岡が見た。
「朝倉さん」
「離れてるだろ」
「空き缶は持ち帰りです」
「分かってる」
「飲みすぎないでください」
「お前は俺の何だ」
「安全管理対象です」
「俺が管理される側かよ」
「はい」
「即答」
平和だった。
情報量は多いが、平和だった。
俺はホットサンドメーカーを見ていた。
その横に、美波さんがいる。
さっきより少しだけ、距離が落ち着いている。
近いことに変わりはない。
でも、俺が少し慣れたのかもしれない。
いや、慣れたと言うと危険だ。
朝倉家の距離に慣れると、たぶん戻れない。
でも、逃げるほどではない。
「藤谷さん」
「はい」
「焼けていますか?」
「たぶん、もう少しです」
「待ちます」
「はい」
「焦げたら?」
「焦げたら、焦げた部分を取りましょう」
「失敗ではありませんか?」
「たぶん、外なので」
「外なので」
「予定通りにいかないこともあります」
言ってから、俺は気づいた。
高岡の言葉だ。
さっき、高岡が琴音さんに言っていたこと。
外なので。
予定通りにいかないこともある。
美波さんが、少し笑った。
「高岡さんみたいですね」
「やめてください」
「嫌ですか?」
「嫌ではないですけど」
「では、よいですね」
「よくないです」
「でも、悪くない?」
「坂本さんみたいに広げないでください」
美波さんが笑った。
その笑い方が、朝倉さんに少し似ていた。
でも、やっぱり違う。
朝倉さんは場をかき回す。
美波さんは、場に入ってくる。
まっすぐに。
こっちを見ながら。
「藤谷さん」
「はい」
「今日は、ちゃんと手伝えていますか」
来た。
予定していた言葉が来た。
まだ昼食は完成していない。
デイキャンプは終わっていない。
でも、この回の問いはここにあった。
俺は少し迷った。
手伝えているか。
軍手を渡してくれた。
炭を一緒に持った。
うちわで風を送った。
朝倉さんを下げた。
具材を一緒に考えた。
近かった。
ずっと近かった。
でも。
近いだけではなかった。
俺はホットサンドメーカーから目を離して、美波さんを見た。
「助かりました」
今度は、ちゃんと言った。
さっきみたいに勢いで出たのではなく。
ちゃんと選んで、言った。
「本当に」
美波さんの目が、少し大きくなった。
それから、ふわっと笑った。
「よかったです」
その笑顔に、俺はまた処理落ちしかけた。
でも、完全には落ちなかった。
逃げ道を確認する。
管理棟。
水場。
炊事場。
バス停。
ある。
確認した。
そして、戻った。
「美波さん」
「はい」
「そろそろ、ひっくり返します」
「はい」
「一緒に、やりますか」
自分で言った。
本日最大の事件だった。
俺が。
美波さんに。
一緒にやりますか、と言った。
警報が鳴る。
鐘が鳴る。
脳内で藤谷家緊急会議が開かれる。
しかし、美波さんは嬉しそうに頷いた。
「はい」
その一言で、会議は解散した。
俺はホットサンドメーカーの取っ手を持つ。
美波さんは、反対側に手を添える。
「熱いので、ここだけ」
「はい」
「ゆっくり返します」
「はい」
「せーの」
二人で、ホットサンドメーカーを返した。
ただそれだけだ。
ただ、パンを焼く道具をひっくり返しただけ。
なのに。
美波さんは、まるで何か大切なものを成功させたみたいに笑っていた。
俺も。
少しだけ、笑っていたと思う。
「藤谷」
高岡の声がした。
「何」
「焦げる」
「はい!」
現実に戻った。
危ない。
恋愛は焦げる。
違う。
パンが焦げる。
◇
焼き上がったホットサンドは、少しだけ端が焦げていた。
でも、中のチーズはちゃんと溶けていた。
美波さんがそれを見て、嬉しそうに言った。
「できました」
「できましたね」
「少し、焦げています」
「外なので」
「予定通りにいかないこともありますね」
「そうですね」
美波さんは、焦げた端を少し見てから、俺を見た。
「でも、安心でした」
俺は言葉に詰まった。
「……高岡みたいなこと言いますね」
「高岡さんの段取りを、藤谷さんが教えてくださったので」
「俺は、受け売りです」
「受け取って、渡してくださったんですね」
美波さんの言葉は、たまに逃げ道を塞ぐ。
でも坂本さんのように論理で詰めてくるわけではない。
朝倉さんのように雑に踏み込むわけでもない。
まっすぐ来る。
そして、こちらが戻るのを待つ。
俺は、小さく息を吐いた。
「……はい」
認めた。
「そうかもしれません」
美波さんは、また嬉しそうに笑った。
その向こうで、朝倉さんがビール片手ににやにやしていた。
「藤谷」
「何ですか」
「成長したな」
「安全管理者は黙っていてください」
「ひでえな」
「飲んでるだけですよね」
「見守ってる」
「またそれですか」
「いや、今のはちゃんと見守った」
朝倉さんの声が、少しだけ柔らかかった。
「お前、戻ってきただろ」
俺は黙った。
朝倉さんは雑だ。
うっとうしい。
距離が近い。
情報量が多い。
でも、時々こういうことを言う。
腹が立つ。
当たっているから。
「……パン、食べますか」
俺は言った。
「食う」
「安全管理者」
「食う管理者だ」
「ただの参加者では?」
「場を温めたろ」
「アルコールで?」
「お前、それ気に入ったな」
美波さんが笑った。
琴音さんも笑った。
高岡がホットサンドを皿に移しながら、小さく息を吐いた。
「昼食にする」
その声で、全員が動き始めた。
デイキャンプは、まだ昼食に入ったばかりだった。
次に何が起きるかは、まだ分からない。
ただ、俺は少しだけ分かったことがある。
朝倉美波さんは、手伝いたい人だ。
距離は近い。
とても近い。
近すぎる。
でも、俺を置いていくわけではない。
俺が処理落ちしても、戻るまで待ってくれる。
だから俺も、少しだけ。
逃げるだけではなく。
戻るだけでもなく。
自分から、声をかけてみてもいいのかもしれない。
「美波さん」
「はい」
「スープ、そっちに置いてもらえますか」
美波さんが、ぱっと顔を明るくした。
「はい」
俺はその顔を見て、また逃げ道を確認した。
管理棟。
水場。
炊事場。
バス停。
全部ある。
だから、大丈夫だ。
俺は戻れる。
美波さんの隣に。




