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あさくらみなみは合コンしたい

その連絡は、休日の朝に来た。


 差出人は、朝倉美波さん。


 件名は、


『合コンのお知らせ』


 俺はスマホを見たまま、三秒ほど固まった。


 合コン。


 お知らせ。


 この二つの単語は、同じ画面に並んでいいものだっただろうか。


 いや、並んでいる。


 しかも差出人が朝倉美波さんである。


 夏合宿で海に流されかけ、俺が助け、その直後に「私、この人好きかもしれない」と言った、朝倉さんの妹。


 上品な顔で場を勝手に動かす、女朝倉。


 その人から、合コンのお知らせ。


 俺は本文を開いた。


『藤谷さんへ。


 以前、逃げ道を配置するとお約束したので、今回は二人きりではなく、複数人でお会いする場を作りました。


 形式としては、合コンです。


 男性側は、藤谷さん、高岡さん、柏木さん、白石仁さん。


 女性側は、私と、学生時代の友人三名です。


 なお、藤谷さんの逃げ道として、高岡さんの席を隣に配置します。


 ご安心ください。


 朝倉美波』


 安心できる要素が、一つもなかった。


 俺はそのまま高岡に電話した。


「高岡」


『何』


「合コンのお知らせが来た」


『美波さんから?』


「なぜ分かった」


『最近の藤谷に起こる面倒なことは、大体朝倉家か坂本さん周辺だから』


「分析するな」


『で、逃げ道は?』


「お前が配置されてる」


『なるほど』


「納得するな」


『でも、悪くない』


「坂本さんみたいに言うな!」


 電話の向こうで、高岡が少し笑った気がした。


 笑うな。


 俺は今、人生の分岐点に立たされている。


 合コンという名の、朝倉美波設計イベント。


 しかも、男性側に柏木くんと白石仁くんがいる。


 濃い。


 逃げ道というより、濃度調整を間違えた鍋である。


 ◇


 指定された店は、都内の落ち着いたレストランだった。


 個室。


 上品。


 照明が柔らかい。


 テーブルの上には、きれいに折られたナプキンと、必要以上に細いグラス。


 俺が知っている合コンではない。


 いや、俺も合コンに詳しいわけではない。


 でも、少なくとも「議事録が残りそうな空気」ではないはずだ。


「藤谷」


 隣で高岡が言った。


「何」


「顔が、会議前の顔になってる」


「合コン前の顔が分からないんだよ」


「普通にしてればいい」


「その普通が一番難しい」


 そこへ柏木くんが来た。


 姿勢がいい。


 合コンに来た新入社員というより、社外研修に来た新入社員だった。


「お疲れ様です」


「柏木くん、今日は仕事じゃない」


「はい。合コンです」


「そんな真顔で言うな」


「事前に確認したいのですが、今回の目的は恋愛ですか。親睦ですか」


「始まる前から要件定義するな」


 高岡が淡々と言う。


「でも、大事な確認だな」


「高岡まで乗るな」


 さらに数分後、白石仁くんが来た。


 黒っぽいシャツに、きちんとしたジャケット。


 普通に整っている。


 悔しいが、顔がいい。


 そして第一声。


「確認しますけど、姉さんは関係ありませんよね?」


「そこから?」


「重要です」


「関係ない。たぶん」


「たぶん?」


「朝倉家だから断言できない」


 仁くんは一瞬だけ黙った。


 それから、低く言った。


「分かりました。警戒は維持します」


「白石くん、今日の警戒対象は誰?」


「全員です」


「広いな」


「姉さんが関係ないと確定するまで」


「姉さん来ないから」


「それはよかったです」


 本当に合コンか、これ。


 男性側の空気がすでに重い。


 高岡は落ち着いている。


 柏木くんは目的確認をしている。


 仁くんは姉さん防衛ラインを張っている。


 俺だけが、開始前から処理落ちしかけている。


 その時、個室の扉が開いた。


「お待たせしました」


 朝倉美波さんが入ってきた。


 淡い色のワンピースに、上品なアクセサリー。


 髪はゆるくまとめられている。


 涼やかで、綺麗で、場の温度が少し変わる。


 その後ろに、同じく上品な女性が三人。


 お嬢様女子大。


 その言葉が、人の形になって入ってきた。


「朝倉美波です。今日は来てくださってありがとうございます」


 美波さんが微笑む。


 そして俺を見る。


「藤谷さん。逃げ道は、左側に高岡さんを配置しました」


「最初にそこを言わないでください」


「安心材料かと思って」


「合コン開始の挨拶としては不穏です」


 高岡が隣で言った。


「俺は逃げ道担当です」


「名乗るな」


 女性三人のうち、一人が口元に手を添えて微笑んだ。


「逃げ道担当……初めて聞きましたわ」


 でしょうね。


 普通はいない。


 美波さんが友人たちを紹介した。


 椿さん、琴音さん、紗良さん。


 三人とも、笑い方が静かだった。


 でも目が好奇心で光っている。


 上品な包装紙に包まれた情報収集班。


 美波さんの友達だ。


 納得しかない。


「では、始めましょう」


 美波さんが席についた。


「今日は、私が合コンを経験し、藤谷さんと恋に落ちる会です」


「待ってください」


 俺は反射で止めた。


「もう落ちてませんでした?」


 高岡が言った。


「高岡」


「確認」


「確認するな」


 美波さんは涼しい顔で頷いた。


「夏合宿では、私が一方的に落ちました」


「言い方」


「ですから今日は、藤谷さんにも恋に落ちる可能性のある場を、公平に用意しました」


「公平の使い方が怖い」


 柏木くんが真面目に手を挙げた。


「質問してもいいですか」


「どうぞ、柏木さん」


「これは合コンではなく、藤谷さん向けの恋愛導線設計イベントではありませんか」


「近いわ」


「近いんですか」


 俺は頭を抱えた。


 柏木くん、そこはぼかしてほしかった。


 椿さんが感心したように柏木くんを見る。


「柏木さんは、とても率直でいらっしゃるのね」


「はい。曖昧なまま進めると、後で認識齟齬が起きます」


「誠実ですわ」


「え?」


 柏木くんが少し固まった。


 誠実。


 柏木くんが。


 いや、間違ってはいない。


 間違ってはいないが、彼は合コンに要件定義を持ち込んだ男である。


 琴音さんがにこりと笑う。


「お仕事でも、きっと丁寧なのでしょうね」


「丁寧かどうかは評価者によりますが、破綻は避けたいです」


「まあ」


 何がまあなのか。


 お嬢様たちに柏木くんが刺さっている。


 怖い。


「白石さんは、ご趣味などありますか?」


 今度は紗良さんが仁くんに聞いた。


 仁くんは、姿勢よく答えた。


「姉の健康管理です」


「趣味じゃない」


 俺は小さく突っ込んだ。


 だが紗良さんは、目を細めた。


「ご家族思いなのですね」


「姉さんには世話になったので」


「お料理もされるとか?」


「簡単なものなら。姉さんが遅くなる時期があったので、温かいものを用意したくて」


 三人のお嬢様たちの空気が、ふっと柔らかくなった。


「素敵ですわ」


「本当に」


「ご家族を大切になさる方なのね」


 仁くんが、少しだけ困った顔をした。


「姉さん以外には普通です」


「落差を宣言するな」


「事実です」


 美波さんが楽しそうに微笑んだ。


「藤谷さん」


「はい」


「白石さん、人気ね」


「そうですね」


「柏木さんも」


「そうですね」


「高岡さんも、落ち着いていて素敵だわ」


「そうですね」


「藤谷さんだけ、ずっと困っているわ」


「そこに気づいたなら助けてください」


「助けているわ。高岡さんを隣に配置したもの」


「配置で全て解決すると思わないでください」


 高岡が静かにお茶を飲んだ。


「藤谷は、困ってる時が一番藤谷らしいので」


「俺の紹介をするな」


 椿さんが高岡を見る。


「高岡さんは、藤谷さんのことをよく見ていらっしゃるのね」


「同期なので」


「信頼関係があるのですね」


「まあ、処理落ちの傾向は把握しています」


「取扱説明書みたいに言うな」


 琴音さんが微笑む。


「高岡さん、安心感がありますわ」


 高岡は少し首を傾げた。


「そうですか」


「ええ。場をよく見ていらっしゃる」


「藤谷がいると、見る場所に困らないので」


「俺を観察対象にするな」


 美波さんが、ふっと笑った。


「藤谷さんは愛されているのね」


「違います。今のは職場被害報告です」


「でも、皆さん藤谷さんを見ているわ」


「見世物みたいに言わないでください」


「見世物ではないわ」


 美波さんは、まっすぐ俺を見た。


「中心にいるの」


 やめてほしい。


 そういう言い方は、やめてほしい。


 合コンで。


 個室で。


 高岡が隣にいて。


 柏木くんが「中心とは心理的中心ですか、座席配置上の中心ですか」と言いかけているこの状況で。


 俺は視線を逸らした。


「……逃げ道」


「高岡さん」


「高岡をボタンみたいに使わないでください」


 高岡が淡々と言った。


「押された」


「反応するな」


「逃げ道担当なので」


「お前、ちょっと役に入りすぎてる」


 その時、個室の扉がまた開いた。


「美波ー」


 低い声。


 俺の背筋が伸びた。


 朝倉さんだった。


 なぜ来た。


 いや、来る気はした。


 朝倉家の妹が合コンをして、兄が来ないわけがない。


 でも来るな。


「兄さん」


 美波さんが涼しい顔で言った。


「今日は呼んでいないわ」


「妹が合コンしてるって聞いて、顔だけ見に来た」


「顔は見たわね。帰って」


「早い」


「景色が変わらないうちに」


「俺、また景色扱いかよ」


 椿さんたちは、朝倉さんを見て少しだけ目を丸くした。


 そりゃそうだ。


 低く渋い声。


 雑な距離感。


 顔がいい。


 情報量が多い。


 朝倉家本家である。


 柏木くんが明らかに身構えた。


「朝倉さん」


「お、柏木。元気か」


「距離が近くなる前に、要件を教えてください」


「相変わらず俺にだけ厳しいな」


「情報量が多いので」


「俺、情報量で避けられてんの?」


 高岡が静かに言った。


「主に距離感です」


「高岡まで」


 朝倉さんは俺を見た。


 にやっと笑った。


「藤谷、逃げ道あるか?」


「今、あなたが塞ぎました」


「悪い悪い」


「悪いと思ってる距離じゃないです」


 美波さんが立ち上がる。


「兄さん」


「何」


「藤谷さんの逃げ道を塞がないで」


 朝倉さんが一瞬、黙った。


 それから少しだけ目を細めた。


「……お前、ちゃんと考えてんだな」


「考えているわ」


「ならいい」


 意外だった。


 朝倉さんが、そこで引いた。


 本当に一歩下がった。


 美波さんはそれを見て、小さく頷いた。


「ありがとう」


「おう」


 低い声が、少しだけ柔らかくなる。


 雑だけど、兄だった。


 美波さんは朝倉さんの妹で。


 朝倉さんは、美波さんの兄なのだ。


 当たり前のことなのに、少しだけ胸に落ちた。


「じゃ、俺は帰るわ」


「最初からそうして」


「妹が冷たい」


「兄さんが濃いのよ」


「情報量か?」


「存在量」


「存在量」


 朝倉さんは低く笑って、本当に帰っていった。


 嵐のように来て、嵐のように去った。


 柏木くんが真面目に言う。


「今のは合コンの一部ですか」


「違う」


 俺と高岡と仁くんの声が揃った。


 仁くんが眉を寄せる。


「朝倉さんは、姉さんには連絡していませんよね」


「何でそこに戻るんだよ」


「確認です」


「してないと思う」


「思う?」


「朝倉家だから断言できない」


 仁くんはスマホを確認した。


 たぶん美沙さんから何か来ていないか見ている。


 この男は一貫している。


 その一貫性だけは、やっぱり少し尊敬する。


 美波さんが、俺の方を見た。


「藤谷さん」


「はい」


「今日、少し分かったわ」


「何がですか」


「合コンは、思ったより難しいのね」


「たぶん今日のこれは、一般的な合コンではないです」


「そうなの?」


「朝倉家が関わっているので」


「それは否定できないわ」


 美波さんは少し笑った。


「でも、楽しかった」


「それなら、よかったです」


「藤谷さんは?」


 俺は一瞬、返事に困った。


 疲れた。


 ものすごく疲れた。


 合コンという名の恋愛導線設計イベントに呼ばれ、逃げ道担当の高岡を隣に置かれ、柏木くんと仁くんがお嬢様たちに刺さり、高岡も普通に評価され、朝倉さんが乱入した。


 疲れないわけがない。


 でも。


 悪意はなかった。


 誰も、誰かを傷つけようとはしていなかった。


 美波さんは、確かに距離が近い。


 無茶振りもする。


 でも、俺の逃げ道を本当に考えようとしていた。


 配置の仕方は朝倉家だったけど。


「……まあ」


 俺は言った。


「思ったよりは、楽しかったです」


 美波さんの表情が、ふっと柔らかくなった。


 昼間の海でもなく、夏合宿の夜でもなく。


 今日のこの場所で、少しだけ近くなる笑い方だった。


「よかった」


 その声が、思ったより静かで。


 俺はまた、少しだけ返事に困った。


 高岡が隣で言う。


「藤谷」


「何」


「落ちた?」


「落ちてない!」


「即答するあたり、怪しいな」


「高岡!」


 柏木くんが真面目に言った。


「恋に落ちるという状態は、本人が即時認識できない場合もありますか」


「柏木くん、今それ聞かないで」


 仁くんがぼそっと言う。


「姉さんに関係ないなら、まあいいです」


「白石くんの基準、そこだけなんだな」


「そこが一番重要なので」


 お嬢様たちが上品に笑う。


 美波さんも笑う。


 高岡が涼しい顔でお茶を飲む。


 柏木くんが何かを分類している。


 仁くんが、姉さんからの通知がないことを確認している。


 俺は深く息を吐いた。


 合コン。


 タノシイナ。


 いや、カタカナにするな。


 だが、その瞬間。


 美波さんが俺を見て、にこりと笑った。


「藤谷さん」


「はい」


「次は、もう少し普通のデートにしましょうね」


 逃げ道が。


 また一つ、綺麗な包装紙に包まれて差し出された。


 受け取ったら爆発する。


 俺はもう、それを知っている。


「……高岡」


「何」


「逃げ道担当、継続で」


「分かった」


「分かるな」


 高岡は、今日一番楽しそうに言った。


「でも、悪くない」


「だから坂本さんみたいに言うな!」


 個室に笑いが広がった。


 上品で、騒がしくて、情報量が多くて。


 たぶん、普通の合コンではなかった。


 でも。


 朝倉美波さんは、合コンがしたかった。


 そして俺は、その日。


 合コンにも逃げ道が必要だということを学んだ。

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