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最後の花火には、まだ早い

BBQの火が落ちた。


 肉も焼けた。


 野菜も焼けた。


 海鮮も焼けた。


 俺の処理能力も焼けた。


 だから、もう今日は終わりでいいと思った。


 普通なら、夕飯を食べて、片付けて、風呂に入って、寝る。


 それでいい。


 それがいい。


 それが人間の正しい夜の過ごし方だ。


 しかし、ここは朝倉家の別荘だった。


 正しさより先に、朝倉さんが花火の袋を持ち上げていた。


「よし。浜に出るぞ」


 低い声で言うな。


 花火を持っているだけなのに、なぜ少し事件の予告みたいになるのか。


 管理人さんたちが手際よく片付けを始め、美沙さんが「何か手伝えることありますか?」と声をかけていた。


「いえいえ、美沙さんは皆さんとどうぞ」


 管理人さんが笑う。


 美沙さんは少し申し訳なさそうにしながらも、「ありがとうございます」と頭を下げた。


 坂本さんが、その横で静かに言った。


「ミサ、上着を持っていけ。浜は冷える」


「うん。ありがとう、カズくん」


 声が柔らかい。


 坂本さんの声が柔らかい。


 何度見ても慣れない。


 仕事中に同じ声で「この数値の根拠は?」と聞かれたら俺の胃が消えるのに、美沙さんに向けると、同じ声帯から別の生き物が出ている。


 誰だ。


 いや、坂本さんだ。


 でも夜の浜辺仕様の坂本さんだ。


「藤谷」


 高岡が横に立った。


「何だ」


「顔が忙しい」


「心も忙しい」


「知ってる」


「知ってるなら助けろ」


「花火持つ?」


「そういう助けじゃない」


 高岡は笑わずに、手持ち花火の袋をひとつ俺に渡した。


 助けではない。


 労働だった。


 浜へ向かう道は、別荘の庭の奥から続いていた。


 日が落ちたあとの空は、まだ完全な夜ではない。


 藍色に沈みかけた空の下で、海だけがわずかに光っていた。


 昼間とは違う海だった。


 昨日、美波さんが流されかけた海。


 今日、入らないと決めた海。


 でも今は、遠くから波の音だけを寄せてくる、静かな海だった。


 朝倉さんが先頭を歩いている。


 片手に花火。


 もう片手にバケツ。


 安全管理者の姿だった。


 いや、見た目は雑な大人だ。


 でも、ちゃんと水の入ったバケツを持っている。


 火の後始末用だ。


 そこはちゃんとしている。


 それがまた、処理しづらい。


「朝倉さん」


 柏木くんが言った。


「何だ、柏木」


「確認ですが」


 出た。


 確認ですが。


 柏木くんの「確認ですが」は、だいたい空気を切る。


 鋭利に。


「この場所で花火をしても、法的、管理上、安全上、問題はありませんか」


 真顔だった。


 夜の浜辺で。


 花火を前にして。


 新入社員が、上司の同期に、法的、管理上、安全上の確認をしている。


 正しい。


 正しいけど、花火の情緒が労務研修になった。


 朝倉さんが、にやっと笑った。


「ああ。問題ない」


「根拠はありますか」


 柏木くん。


 そこまで聞くんだ。


 朝倉さんは、低い声で言った。


「ここ、プライベートビーチだからな」


 柏木くんは数秒、海を見た。


 そして、うなずいた。


「なるほど。管理主体が明確ということですね」


「そういうことだ」


「消火用水の準備もあります」


「あるな」


「風向きも問題なさそうです」


「見てるな、お前」


「花火をするなら必要な確認です」


 正しい。


 ものすごく正しい。


 だけど、俺の知っている花火開始前の会話ではない。


「柏木くん、えらいね」


 美沙さんがにこっと笑った。


 柏木くんが、ほんの少し背筋を伸ばした。


「ありがとうございます」


 坂本さんの目が、わずかに細くなった。


 仁くんの目も、わずかに鋭くなった。


 やめろ。


 花火前に室温を下げるな。


 ここは屋外だ。


 屋外なのに寒い。


「柏木」


 坂本さんが静かに言った。


「はい」


「確認は重要だ」


「はい」


「ただし、美沙に褒められるために行うものではない」


「褒められる目的ではありません。結果として褒められました」


 強い。


 柏木くんは、今日も強い。


 仁くんが低く言った。


「結果として、で済ませないでください」


「済ませてはいません。事実を述べました」


「事実が人を傷つけることもあるんです」


「美沙ちゃんのことになると、仁って急に哲学者になるよな」


 朝倉さんが笑った。


「うるさいです、朝倉さん」


「唐揚げないぞ、今」


「別に欲しくありません」


「後で持ってくる」


「一個だけです」


 欲しいんじゃないか。


 高岡が横で淡々と言った。


「安定してきたな」


「何が?」


「仁くんと朝倉さんの関係」


「安定してるのか、あれ」


「悪くない」


「坂本さんみたいに言うな」


 高岡は少しだけ口元を動かした。


 こいつ、わざとだ。


 浜に着くと、管理人さんが先に置いてくれていたらしいランタンが、砂の上に低く光っていた。


 遠くで波が白く崩れている。


 空はいつの間にか深い紺色になって、星が少しずつ出てきていた。


 夏の夜だった。


 会社の空調の効いた会議室でも、資料の数字の前でもない。


 海と、花火と、少し湿った風。


 こういうものを、俺はもっと普通に楽しめる人間だったはずだ。


 だったはずなのに、隣には朝倉さんがいて、前には坂本さんがいて、斜め前には美波さんがいる。


 そして美波さんが、こちらを見て微笑んでいた。


 上品に。


 静かに。


 でも中身は朝倉さんである。


 俺は忘れない。


 この人は朝倉さんの妹だ。


 昨日の海で俺が助けた人でもある。


 そして、助けたあとから、なぜか俺を見る目が変わった人でもある。


 怖い。


 いや、嫌な意味ではない。


 綺麗な人だ。


 間違いなく綺麗な人だ。


 でも怖い。


 朝倉さん系の綺麗さは、何かしら巻き込んでくる。


「藤谷さん」


 美波さんが言った。


「はい」


「火、つけていただけますか?」


 差し出されたのは、手持ち花火だった。


 細い棒の先に、赤い紙が巻かれている。


 普通の花火だ。


 普通の花火なのに、美波さんが持つと何かの契約書に見える。


「……はい」


 俺はライターを受け取った。


 手元で火をつける。


 小さな炎が、花火の先に移った。


 次の瞬間、ぱちぱちと光が弾けた。


 金色の火花が、美波さんの手元から広がる。


「わあ」


 美波さんが笑った。


 その顔は、本当に楽しそうだった。


 昨日の昼間の海で、あんなに危なかったのに。


 怖がりすぎるでもなく、何もなかったことにするでもなく、今この瞬間をちゃんと楽しんでいる。


 強い人だな、と少し思った。


 朝倉さんの妹だ。


 雑な方向に強いだけではなく、こういうところも強い。


「藤谷さんも」


「あ、はい」


 俺も花火を一本持った。


 火がつくと、手元で小さな光が噴き出した。


 ぱちぱち、と音がする。


 海の音と混じる。


 隣で美波さんの花火が揺れていた。


「綺麗ですね」


「そうですね」


「昨日の海とは、全然違って見えます」


「夜だからですかね」


「それもありますけど」


 美波さんは、花火の先を見たまま言った。


「怖いだけの場所にしなくてよかったな、と思って」


 俺は少し黙った。


 花火の火が、手元で細かく弾けている。


「……そうですね」


 それは、本当にそうだと思った。


 昨日の海を、怖い記憶だけにしない。


 今日の夜に、笑って花火をする。


 それはたぶん、思っているより大事なことだ。


「藤谷さんのおかげです」


「いや、俺は資格持ってただけで」


「資格を持っていて、ちゃんと動ける人は、そんなに多くありません」


 やめてほしい。


 まっすぐ褒められると、どうしていいか分からない。


 俺は処理落ち担当であって、褒められ担当ではない。


「……ありがとうございます」


「はい」


 美波さんが微笑んだ。


 花火の光が、その横顔を明るくした。


 綺麗だった。


 悔しいが、綺麗だった。


 中身が朝倉さんなのに。


「白石さん、ありがとうございます」


 少し離れたところから、梢の声がした。


 俺は反射的に振り向いた。


 梢が、仁くんから火をもらっていた。


 花火の先に火がついて、小さく光る。


 梢は少し驚いたように肩をすくめ、それから笑った。


 仁くんが、その手元を見ながら言った。


「下に向けすぎると砂に近いので、もう少し上で」


「あ、はい。わかりました」


「でも人には向けないでください」


「はい」


「火が落ちたら、バケツに」


「はい」


 仁くん。


 完全に世話焼きだ。


 姉以外にも発動するのか、それ。


 梢は、少し緊張しながらも、素直にうなずいている。


 仁くんは仁くんで、いつもの姉さん警戒モードとは違って、妙に落ち着いている。


 何だあれ。


 いや、まだ何でもない。


 何でもないはずだ。


 でも、横で高岡が静かに言った。


「藤谷」


「言うな」


「まだ何も言ってない」


「顔が言ってる」


「学習してるな」


「坂本さんみたいに言うなって言ってるだろ」


「でも、悪くない」


「だからやめろ」


 俺の周りには、俺を処理落ちさせる人間しかいないのか。


 少し離れたところで、坂本さんと美沙さんが並んでいた。


 美沙さんが花火を持って、坂本さんが火をつけている。


 それだけだ。


 ただそれだけの光景だ。


 なのに、坂本さんの横顔が、普段と違う。


 仕事中の、相手の逃げ道を正確に消していく顔ではない。


 美沙さんの手元を見て、火がついた瞬間に少しだけ目を細める。


 怖い細め方ではない。


 柔らかい細め方だ。


 同じ目の細め方で、意味が違いすぎる。


 人間の顔面には、そんな機能があるのか。


「カズくん、見て。すごく綺麗」


「ああ」


「こういう花火、久しぶり」


「来年もすればいい」


 坂本さん。


 自然に来年を出すな。


 俺の心臓が、なぜか一瞬だけ止まった。


 美沙さんは、少しだけ驚いたように坂本さんを見て、それから柔らかく笑った。


「うん。来年も」


 波の音がした。


 花火の音がした。


 美沙さんの笑顔が、花火の光でふわっと明るくなった。


 坂本さんは、それを見ていた。


 見ていた。


 仕事中なら、資料を見る目だ。


 でも今は、恋人を見る目だ。


 俺は思わず顔をそらした。


 見てはいけないものを見てしまった気がした。


 いや、何も悪いものではない。


 むしろ良いものだ。


 良すぎて、胃がもたれる。


「藤谷くん」


 美沙さんが呼んだ。


「はいっ」


 声が裏返った。


 情けない。


「これ、少し派手なやつみたい。みんなで一緒にやる?」


 美沙さんが持っていた袋には、普通の手持ち花火より少し大きめのものが何本か入っていた。


 吹き出すタイプではない。


 手で持てるが、火花が大きく広がるやつだ。


 子どもの頃に一度やって、思ったより派手でびっくりするやつ。


「いいですね」


 高岡が言った。


「距離を取ったほうがいいな」


 坂本さんが即座に言った。


「風下には立たないでください」


 柏木くんが続いた。


「火花の範囲を確認しましょう」


 仁くんが言った。


「お前ら、花火を安全講習にするな」


 朝倉さんが笑った。


 しかし、その朝倉さんが一番バケツの位置を確認している。


 何なんだ。


 この大人たちは。


 雑なのか、ちゃんとしているのか、どちらかにしてほしい。


 俺たちは少し距離を取って、横に並んだ。


 朝倉さんが火をつける。


 最初に、しゅっと小さな音がした。


 次の瞬間、手元から勢いよく金色の光が吹き上がった。


「わっ」


 梢が小さく声を上げた。


「おお」


 高岡が珍しく、少しだけ目を開いた。


「これは派手ですね」


 柏木くんが冷静に言った。


「冷静か」


「観察しています」


「楽しめ」


「楽しんでいます」


 柏木くんの表情はほぼ変わっていなかった。


 でも、たぶん楽しんでいる。


 たぶん。


 美沙さんが笑っている。


 坂本さんが、その横で少しだけ口元をゆるめている。


 仁くんは、姉さんの近くに火花が飛ばないか確認している。


 朝倉さんは、全員を見て笑っている。


 高岡は、いつもより少しだけ楽しそうだ。


 梢は、花火の光に目を丸くしている。


 美波さんは、こちらを見ている。


 いや、花火を見てください。


 花火を。


 俺を見るな。


 花火が終わると、少しだけ拍手が起きた。


 誰からともなく。


 子どもみたいだった。


 でも、悪くなかった。


 悪くないと思ってしまった時点で、俺はこの夏合宿にだいぶ負けている気がする。


「さて」


 朝倉さんが、袋の底から細い花火を取り出した。


「最後はこれだな」


 線香花火だった。


 急に静かなやつが出てきた。


 海のそばで線香花火。


 それは反則だと思う。


 普通に少し、いい雰囲気になる。


「最後の花火ですね」


 柏木くんが言った。


 その瞬間、朝倉さんがにやっとした。


「まだ早い」


「何がですか」


「最後の花火には、まだ早い」


 低い声で言うな。


 妙に決まるだろうが。


 美沙さんがふふっと笑った。


「晴臣さん、そういうこと言うと、ちょっと格好いいね」


「ちょっとかよ」


「うん、ちょっと」


「美沙ちゃん、そこは大きく褒めてくれ」


「カズくんが拗ねるから」


 坂本さんは、拗ねていない顔で拗ねていた。


 分かるようになってきた自分が嫌だ。


「拗ねていない」


「まだ何も言ってないよ、カズくん」


「言っただろう」


「ふふ」


 美沙さんが笑った。


 坂本さんの表情が、また柔らかくなる。


 もうやめてくれ。


 俺の職場認識を、夜の浜辺で粉々にしないでくれ。


 線香花火に火をつける。


 小さな玉が、先端に生まれた。


 じじ、と細い音がする。


 さっきまでの派手な光とは違う。


 今にも落ちそうで、でも落ちない。


 小さな光が、必死にそこにいる。


 海の音が少し遠くなった気がした。


 みんな、自然と口数が減った。


 美沙さんと坂本さんは隣同士でしゃがんでいる。


 仁くんは少し離れて、それを見張っている。


 いや、見守っている。


 梢は線香花火をじっと見つめている。


 その隣で仁くんが、「手を動かしすぎると落ちます」と小声で言っていた。


「はい」


 梢も小声で返す。


 何だ。


 何だ、その小声の距離感は。


 兄として、見ていいのか。


 見ないほうがいいのか。


 俺の線香花火が落ちそうになった。


「藤谷さん」


 美波さんが隣から言った。


「はい」


「揺れてます」


「俺がですか、花火がですか」


「両方です」


 最悪だ。


 美波さんは楽しそうに笑った。


 その笑い方が、朝倉さんと少し似ていた。


 でも、違う。


 朝倉さんより、もう少し静かで、もう少し逃げ道がない。


「藤谷さんの線香花火、長く残りそうですね」


「そうですか?」


「はい。意外と粘るタイプです」


「花火の話ですよね?」


「もちろん」


 もちろん、の間が怖い。


 俺は線香花火を見つめた。


 小さな火の玉が、ぎりぎりのところで持ちこたえている。


 落ちそうで落ちない。


 何だか自分みたいだと思ってしまった。


 朝倉家と坂本さん周辺に巻き込まれ、毎回処理落ちしながら、それでもなぜか落ちきらずにいる。


 粘っている。


 俺の人生、線香花火だったのか。


「藤谷」


 高岡が隣にしゃがんだ。


「何だ」


「顔が線香花火」


「どういう意味だ」


「落ちそうで落ちない」


「お前まで同じこと言うな」


「美波さんも?」


「聞くな」


 高岡は線香花火を見ながら、少しだけ笑った。


「でも、悪くない」


「だから坂本さんみたいに言うな」


「今日は本当に悪くないと思って」


 その言い方が、少しだけ真面目だった。


 俺は黙った。


 確かに、悪くなかった。


 怖いこともあった。


 処理落ちもした。


 朝倉さんは相変わらず雑だし、坂本さんは恋人前で別人だし、仁くんは姉さんのことになると空気を凍らせるし、柏木くんは確認事項で情緒を切るし、美波さんは綺麗な顔で逃げ道を塞ぐ。


 でも、悪くなかった。


 梢が笑っている。


 美沙さんが楽しそうにしている。


 坂本さんが、それを見て柔らかくなっている。


 朝倉さんが、全員を見て満足そうにしている。


 高岡が、隣でいつも通り淡々としている。


 俺の線香花火は、まだ落ちていなかった。


「あ」


 美沙さんの花火が、ぽとりと落ちた。


「あー、落ちちゃった」


 少し残念そうに言う美沙さんに、坂本さんが自分の線香花火を少し近づけた。


「見るか」


「いいの?」


「ああ」


 いや。


 それはもう。


 一緒に見る、とかそういうやつだ。


 恋人同士のやつだ。


 俺は目をそらした。


 高岡も、さすがに少し視線を外した。


 仁くんだけが、複雑な顔で見ていた。


「姉さんが楽しそうなので、今は許します」


 誰に許可を出しているんだ。


「仁」


 坂本さんが静かに言った。


「何ですか」


「許可制ではない」


「知ってます」


「なら言うな」


「言う権利はあります」


「ありません」


「あります」


 線香花火の横で、静かな戦いを始めるな。


 美沙さんが、二人を見て困ったように笑った。


「カズくん、仁くん、花火が落ちちゃうよ」


 二人が同時に黙った。


 強い。


 美沙さんが一番強い。


 線香花火の小さな火が、最後にぱちっと弾けた。


 それから、ぽとりと落ちた。


 少しの沈黙。


 波の音。


 そして朝倉さんが、立ち上がった。


「よし、終わり」


 その瞬間だった。


 柏木くんが、花火の袋をのぞき込んで言った。


「まだ残っています」


 全員が止まった。


 朝倉さんが振り向く。


「何本?」


「噴出花火が二つ、手持ちが数本、あと、これは……ヘビ花火ですか」


「ヘビ花火?」


 梢が首をかしげた。


 仁くんが少し嫌そうな顔をした。


「地味に膨らむやつです」


「説明が怖いです」


 柏木くんは真顔で言った。


「火をつけると、黒いものが伸びます」


「だから説明が怖いです」


 美波さんが楽しそうに言った。


「やりましょう」


 やりましょう、ではない。


 上品な顔で、なぜそんなに迷いがないのか。


 朝倉さんが笑った。


「ほらな」


「何がですか」


「最後の花火には、まだ早い」


 タイトル回収をするな。


 しかも二回目だ。


 坂本さんが、残った花火を見て静かに言った。


「風向きは問題ない」


 柏木くんがうなずいた。


「安全距離も取れます」


 仁くんがバケツを確認した。


「水もあります」


 高岡が俺を見た。


「藤谷」


「言うな」


「まだ終わらないな」


「言うなって言っただろ」


 朝倉さんがヘビ花火を砂の上に置いた。


 美沙さんが少しわくわくした顔をしている。


 梢は不安そうだが、見たい顔をしている。


 美波さんは完全に面白がっている。


 坂本さんは、美沙さんが楽しそうなので許容している。


 仁くんは姉さんが楽しそうなので許容している。


 柏木くんは検証対象として見ている。


 高岡は俺の反応を見ている。


 俺だけが、何かがおかしいと思っている。


 朝倉さんが火をつけた。


 黒いものが、にょろ、と伸びた。


 地味だった。


 思ったより地味だった。


 でも、妙に気持ち悪かった。


「うわっ」


 俺は普通に声を出した。


 隣で美波さんが笑った。


「藤谷さん、反応がいいですね」


「これは誰でも反応します」


「いえ、たぶん藤谷さんが一番いいです」


「褒められてる気がしない」


「褒めています」


 朝倉さんが腹を抱えて笑っている。


 高岡も、口元を押さえている。


 坂本さんまで、少しだけ目を伏せた。


 笑ったのか。


 今、笑ったのか。


 俺のヘビ花火リアクションで、坂本さんが笑ったのか。


 もう分からない。


 この夏合宿、何が正解なんだ。


 黒いものは、砂の上でじわじわ伸び続けている。


 最後の花火には、まだ早い。


 たしかに、まだ早かった。


 俺の処理落ちも。


 夏合宿の夜も。


 たぶん、俺が朝倉家と坂本さん周辺から逃げられる日も。


 まだ、まったく早い。


「藤谷」


 高岡が言った。


「何だ」


「明日もあるぞ」


「言うな」


「二泊三日だからな」


「言うな!」


 海辺に俺の声が響いた。


 波の音が、それをさらっていった。


 朝倉さんが笑い、美沙さんが笑い、梢が困ったように笑い、美波さんが楽しそうに俺を見ていた。


 坂本さんは、隣の美沙さんを見て、少しだけ目を細めた。


 怖くないほうの目だった。


 それが何だか、悔しいくらい夏の夜に似合っていた。


 そして砂の上では、ヘビ花火がまだ伸びていた。


 最後の花火には、まだ早い。


 俺の平穏にも、まだ早い。

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