三章
町の出口で見張員に見送られながら、バギーカーは森に囲まれた乗り物用の道を汚染地帯へ向かって走り出した。
徒歩の旅では森を歩いていくのが普通だが、走ることで自然を破壊する恐れがある全ての乗り物は森を通ることはできない。今残っている自然が少しでも破壊されようものなら、人間は生きていくことができないからだ。しかし過剰に自然を保護しているため、そこに棲み着く亜種動物が増加しているのも事実。スタンのように徒歩で旅をする者にとっては面倒なことである。
バギーカーは順調に森を抜け、荒れ果てた汚染地帯に出た。そこでニックは一度バギーカーを停車させる。
「ヨー、今からシートかぶせるから手伝ってくれよ、アニキ」
「……面倒くさいですね」
スタンは仕方なく助手席から降り、車の後ろでシートを広げているニックを手伝い始める。
「ところで、このバギーカーにはもちろんエアコンついてますよね」
眩しそうに太陽を見上げたスタンはふと疑問に思う。森の中では木の葉が影になっているおかげで気温もそんなに上がらないのだが、こう何もない場所では気温は上昇する一方だ。バギーカーで移動する場合、エアコンは必須装備である。しかし、ニックはシートをバサッとバギーカーの上に投げながら首を横に振った。
「ヨー、そんなのついてるわけねえじゃん」
「……え?」
スタンは上から落ちてきたシートの半分を頭にかぶりながらニックを見つめた。
「ないのか? エアコン」
エリックも後ろの席から声を上げる。
「だから、ないって。あ、アニキ、ちゃんとそれ床のホックに掛けてくれよ」
「……じゃあ、この灼熱の暑さ対策は? シートをかぶせると空気が蒸らされて、体感温度は倍になりますよね?」
スタンはシートを頭から外しながら冷たい目でニックを睨んだ。
「だから一時間に一回くらいシートを外して走るんだ。そしたら、ちょっとは涼しくなるんだぜ」
当然のように言いながらシートをホックに掛けるニックの頭に、エリックが唸りながら噛みついた。
「いってえ。何すんだよ、犬っころ!」
怒鳴りながらニックはエリックの頭を押さえつける。
「エリック。もっと噛んでいいよ」
スタンの許しを得たエリックは楽しそうにニックに襲いかかった。その攻撃をかろうじて避けながらニックはスタンに非難の目を向ける。
「ヨー、アニキ。何させるんだよ。さすがの俺でも死ぬって」
「今まであなたが死ななかったのが不思議なくらいです。そんなことしてたらシートの意味がまるでないじゃないですか。シートを外した途端、車内には有害物質が溢れる。その中に長時間いるということは、ずっと汚染地帯にいるのと変わりない」
「あ、そう言われればそうかもな。じつは俺、今まで汚染レベルの高い土地に行ったことないから。せいぜいレベル二まで」
「……よくそれで歴史家になれたよな」
エリックの言葉に、ニックはなぜか微妙な表情を浮かべながら「どうすればいいんだ、アニキ。また町に戻るか?」と頬を掻く。
「いえ。もうこのバギーカーであの町に戻るのは嫌です。今回はぼくがなんとかしますけど、次の町についたらすぐに改造してもらいます。ぼくの言う通りに、もちろんあなたのお金で」
さきほどこっそり心に決めたことをニックに言いつけてスタンはシートをホックに留める。何も言い返せない雰囲気にニックは肩を落とし、静かに運転席に戻った。
「ま、気を落とすな。お前が全面的に悪いんだから。スタンを怒らすと怖いから気をつけろよ」
後部座席のエリックから前足でポンと肩を叩かれたニックは小さくため息を吐いた。
シートの設置を終えて、再びバギーカーは走り出す。そして森に沿って走ること一時間。空には雲ひとつなく、灼熱の太陽が容赦なく地面に照りつける。暖められた空気はぐんぐんと車内の気温を上昇させ、空気の入れ替えすらできない狭い空間はサウナのような状態になっていた。
「お前、こんな暑い中でよく運転できるな」
ハッハッと舌を出しながら、辛そうにエリックは言う。
「ヨー、何事も慣れだ。人間は慣れる生き物だからな」
答えたニックはダラダラと汗を流している。同じように汗を流しながらスタンは「こんなことに慣れていては早死にすること間違いなしですね」と冷たく言い放った。
「なあ、いい加減なんとかしてくれよ。俺はスタンたちよりも暑いの苦手なんだから」
エリックは力なく言いながら、ついに後部座席で仰向けになってしまった。
「そうだね。できるだけ使いたくないんだけと、仕方ない」
スタンはボーっとしてきた頭を軽く振って右手を開いた。
「冷」
手の平から発生した白い冷気が車内全体に広がっていく。
「ああ、涼しい」
気持ち良さそうにエリックは目を閉じている。
「ヨー、すっげえな、アニキ。こんな便利な詞が使えるんなら、早くやってくれればよかったのに」
慣れたとは言っても、やはり辛かったのだろう。ニックの顔は喜びに満ちている。その様子にスタンはため息を吐きながら言った。
「たしかに便利だけど、この詞には持続性がない。気温を一時的に下げただけだから、すぐにまた暑くなります」
「ちょっと暑くなってきたら、またアニキが詞を唱える、と。ヨー、別に改造しなくてもよくねえ?」
「ばーか。詞を使うのは精神力と集中力がいるんだよ。そんなに何度も詞使わせてたら、スタンがぶっ倒れちまうだろうが」
そう言うエリックは、まだ仰向けになったままだ。
「そうなのか?」
ニックが横目でスタンの顔を見た。
「この程度の詞で倒れることはないですが、一日中だと結構きついですね。道中、何が起こるかわかりませんから戦えるだけの力は残しておきたいです。それに、疲れてくると加減が難しくなるんですよね。下手をすると凍死してしまうかも」
「……そ、そうっすか。じゃあ、我慢できるとこまで我慢するってことで」
軽い調子のスタンの言葉に引きつった表情で素直に頷き、ニックは運転に集中する。
バギーカーの横に広がっていた森はいつの間にか姿を消し、代わりに崖が続いていた。反対側には相変わらず広がる荒れた大地。所々に崩れ去った遺跡の跡が見える。
「ところで、お前は何の研究してんだ?」
エリックはようやく起き上がって運転席の背もたれに頭を乗せた。
「んー、そうだな。ま、なぜ前文明が滅びたのかみたいなポピュラーなテーマを」
「たしかにポピュラーですね。でもなぜか、誰も答えを見つけられない」
興味なさげにスタンは言う。
「けど、今の俺の流行りはヒップホップだぜ」
突然テンションを上げたニックはどこから取り出したのか、少し大きめな端末を広げた。
「ちゃんと運転してください」
スタンの冷ややかな言葉も聞き流して彼は端末のキーを押す。すると端末に後付けされたスピーカーからハイテンポで聞いたことのない音楽が流れ始めた。ビート音が空気を振動させ、腹に響く。
「なんだよ、このうるさいのは!」
心底迷惑そうな顔をしているのは、人よりも聴覚が優れているエリックだ。スタンも顔をしかめながら無言でニックに問う。
「ヨー、なんだよアニキ、知らないのか? これぞヒップホップ。前文明時代に流行ってた音楽の一種でさ、これが俺のセンスと感性にバッチリで。あ、次の町に着いたら、俺の華麗なダンステクニックを見せてやるよ。結構評判いいんだぜ、俺のダンス。今まで旅の資金の一部はそれで稼いできたし」
ペラペラと喋りだしたニックをスタンとエリックは険しい表情で睨みつけた。
「かなりいいだろ? 他にもいい感じの音楽があるんだけど、やっぱ、俺的にはヒップホップ一番って感じ」
ニックが話し続ける中、スタンは無言で端末を奪って強制終了させた。
「あっ! アニキ何すんだよ」
ニックは片手でハンドルを握りながら、もう片方の手でスタンの持つ端末を奪い返す。
「こんな狭い空間で、あんなうるさい音楽流さないでください。迷惑です」
エリックも深く頷いている。
「迷惑って――。ヨー、これ俺のバギーカーだぜ。俺が何しようが勝手だろ」
不満そうな表情でニックはもう一度端末のスイッチを入れようと手を動かした。
「もしまた音楽を流すのなら、ぼくは詞をうっかり間違ってしまうかもしれませんね。この音楽がぼくの集中を邪魔して、空気の温度を下げるつもりが爆発させてしまうかもしれません。ぼくとエリックはきっと助かるでしょうが、あなたは……どうですかね」
凍りつくような目でニックを見つめながら、スタンはそっと両手を運転席に向けた。その様子に気づいたニックは目を見開き、引きつった笑みを浮かべながら端末を服の中に隠す。
「ヨ、ヨー。冗談だよ、アニキ。ダメだぜ。冗談もわからないようじゃ、女の子にモテない」
「女の子にモテたいとは思いません」
まだ手を運転席に向けたままスタンは言う。
「――悪かったからその手を退けてくれよ。な?」
しかし、スタンは手をニックの顔の傍まで近づけた。
「なっ、何すんだ? ヨー、アニキ!」
青ざめた顔に汗を流しながら、ニックは泣きそうな声をあげた。こんな状況でもバギーカーを止めようとしないのは、おそらく怯えて足が動かないのだろう。その様子をエリックは楽しそうに眺めている。
「犬っころ。お前もなんとか言ってくれよ。ここで俺が死んだら、誰がバギーカーを動かすんだって」
「ぼくが動かしますよ。……ねえ、エリック。どんな詞を彼に送ればいいと思う?」
感情のこもらない声でスタンは視線だけをエリックに向けた。
「そうだな。やっぱ、派手なのがいいんじゃないか? こいつ、派手好きみたいだし」
「そうだね。なんだっけ。ヒップホップか。あんな感じに弾けるのがいいのかな」
「……ヨー、マジでやめてくれ。俺が悪かった。謝るから」
ほとんど泣きながら頼むニック。そんな彼を冷めた目で見つめながらスタンは唱えた。
「冷」
「へ?」
ニックの気の抜けた声と共に、冷たい空気が車内に広がる。たまらずバギーカーを停車させて、ニックは茫然とスタンを見つめた。スタンは無表情に彼の顔を見返す。
「ダメですね。冗談が通じない男は女の子にモテませんよ?」
「な、なんだよ。冗談か――」
大きく長いため息をついて、ニックはハンドルに頭を乗せた。
「ばーか。いくらスタンが切れたら見境なく詞を使いまくる奴でも、あんなことぐらいで切れたりしねえって」
それを聞いたニックは勢いよく振り返り、エリックの頭を押さえつけた。
「なんだ、この犬っころ。言おう、言おうと思ってたんだけどな。お前、犬のくせに生意気なんだよ!」
「犬でも、てめえより頭がいいってんだ。このヨーヨー野郎が!」
負けじと噛みつくエリック。ドタバタと狭い空間で喧嘩を繰り広げる彼らに、スタンは静かな口調で一言告げた。
「次は本気ですよ」
その声にピタッと動きを止め、ニックとエリックは姿勢を正す。
「早く運転してください。今日中に町に着かないといけないんですから」
「了解っす」
それからバギーカーはトラブルもなく、暑い、涼しいとテンションをアップダウンさせながら次の町へと走った。
町へ着いたのは日も暮れ始めた夕方だった。スタンに急かされ、アクセル全開で走らせたおかげで予定よりも早く着くことができた。入口での消毒を終えてスタンたちが早速向かったのは乗り物専門の改造屋だった。
「これは……なんとも奇抜なバギーカーだな」
店の主人はニックのバギーカーを見た途端にそう言った。ひどく呆れた表情でその車体を眺めている。
「いやー、よくこれで動くもんだ。壁もねえ、荷台も小せえ、座席はどっかで拾ってきたような古びたソファ。床なんてお前、木の板じゃねえか。どんなひどい業者に騙されたんだ? ええ?」
「どんなって……」
スタンはニックに視線を向ける。彼は自分の作品をけなされ、ガックリと肩を落としていた。
「それで、どう改造したい?」
主人はバギーカーをポンポン叩きながら聞いた。
「そうですね。できれば全体的にお願いしたいんですが」
スタンが言うと、ニックが慌てて口を挟んだ。
「ヨー、確かにアニキの言う通りに改造するって言ったけど、これだけは譲れねえ」
「なんですか?」
「ボディは青でお願いしまっす」
ペコリと頭を下げてお願いするニックを冷めた目で見ながら、スタンは主人を見た。
「……だ、そうです」
「青だな。わかった。真っ青なボディを用意してやろう」
「よっしゃ! それじゃ、アニキ。あとは好きにしてくれ。俺はちょっとそこでダンスして、改造費を稼いでるからよ。話、終わったら見てくれよ」
意外とあっさり自信作の改造をスタンに任せ、ニックは端末を持って店を出て行った。
「で、ボディの種類なんだが……」
主人は奥からパンフレットを持ってきて説明を始める。スタンはどうせ代金はニックが出すのだからと、自分が気に入ったデザインや機能を次々と指定していった。
「じゃあ、これでいいか?」
主人は注文書をスタンの前に出して確認する。スタンが頷くと、主人は困ったような表情で頬を掻いた。
「ほんとにいいのか?」
「なにか問題が?」
「いや、こっちはいいんだけどな。これ全部で、このくらいはかかるぜ」
主人は素早く電卓を叩くとスタンの方に差し出す。スタンはそれを確認すると、しばらく考えて呟いた。
「……高いですね」
「あんた、払えるのか」
「払うのはさっき出て行った人ですから」
スタンが肩をすくめて言うと、主人は心配そうな表情で店の出入口に視線をやった。
「それで、どのくらいで仕上がりますか? できるだけ急いでもらいたいんですけど」
「あ、ああ。今日は他に客もいないし、急げば明日中には何とかなると思うが……」
そこで言葉を切って、主人はまた心配そうに言った。
「本当に大丈夫なんだろうな。金が払えませんとか言われると、うち潰れちまうんだからな」
屈強そうな外見の割に気の弱い主人に、スタンは無表情で頷いてみせる。
「大丈夫。心配しないでください。じゃ、よろしくお願いします」
そう言うと、スタンは見積書を持って店から出て行った。
「ほんとに大丈夫か? スタン」
小声で後ろからエリックが聞く。しかしスタンは答えずに首を傾げただけだった。
店から出ると、通りに人だかりができていた。
「なんだろう」
その人だかりを後ろから背伸びして見てみると、先にはニックが端末を手に立っていた。
「ヨー、今から俺が披露するのは前文明時代の幻のダンス。気に入ったら、ここにカンパをよろしく!」
声を張り上げそう言うと、ニックは箱を近くに置いて端末のスイッチを押した。端末のスピーカーからビートが流れ始める。それに合わせてニックの体が揺れる。ステップを踏み、ターンをして地面についた片手で体を持ち上げ、ポーズを決める。素早いその動きはまるでゴム人形のようだ。よく弾むし、グニャっと動く。音楽に合わせてあんなに体が動くものなのかとスタンとエリックは感心しながら見ていた。
音楽の終わりと同時にニックがポーズをキメて静止した。すると、自然と周りから拍手が沸き起こった。
「ども、ども」
ニックは笑顔で礼をしている。スタンは少し離れた場所にベンチを発見し、座って待つことにした。エリックは人だかりの先頭へと移動してニックのダンスを見物している。端末のスピーカーから、さっきと違う曲が流れ始める。スタンはぼんやりと茜色の空を見上げながら「お腹が空いたなあ」とため息をついた。
ニックのパフォーマンスが終わったのは、すっかり辺りが暗くなってからだった。
「ヨー、アニキ。見てくれた? 俺のダンス、かなりイケてるだろ」
意気揚々と引き上げてくるニックに、スタンは不機嫌そうに視線を送る。
「お、おい、気をつけろ。こういう顔をしてる時のスタンは要注意だ」
ニックと並んで歩いていたエリックが警告しながら一歩後ろへ引く。
「遅い!」
スタンは言って、手近にあった小石をニックに投げつける。しかし、小石はニックにではなくエリックの頭に命中した。
「いってえ!」
「ヨー、アニキ。そう怒んなよ。これで改造費もできたしさ」
「きっちり払ってくださいね。ほら、エリック。早くホテルに行くよ」
町に一軒だけあるホテルを探して、スタンたちはチェックインをする。部屋は二部屋とったのだが、ニックは不服そうな表情だった。もちろんエリックはスタンと一緒でニックが別だ。
「ヨー、なんで一部屋じゃないんだよ? 俺一人で寂しいじゃん」
部屋の前でニックがふて腐れたように言う。
「だったらエリックをそちらにあげますよ?」
「おい、スタン!」
「やだよ、犬っころと一緒なんて」
「じゃ、しょうがないですね。では、おやすみなさい」
スタンはそう言うとさっさとドアを閉めて鍵をかけた。
「あー、やっと楽になった」
部屋に荷物を置いたスタンはベッドに寝転んで伸びをする。
「何が楽なんだ?」
エリックは毛づくろいしながら床に座っている。
「彼と一緒にいると疲れて仕方ない。ストレスがたまっちゃうよ」
「そうか? 案外、おもしろい奴だぜ。バカだけど。スタンだって慕われて嬉しいだろ、ア・ニ・キ」
エリックは面白そうに笑っている。スタンはそんなエリックを憮然とした表情で睨みつけ「シャワー浴びてくる」と備えつけのユニットバスへ向かう。その様子を眺めながら、エリックはまたおかしそうに笑っていた。
部屋のドアがノックされたのは、スタンが濡れた髪の毛を乾かしている最中だった。しばらく無視していたのだが、ドンドンとしつこいノックにスタンは苛立ちを覚えながら立ちあがった。
「誰ですか?」
「ヨー、俺だよ、アニキ」
「何の用ですか」
「いや、ちょっと聞きたい事があって。ちょっと開けてよ」
仕方なくドアを開ける。しかし、スタンを見たニックはなぜか動きを止めた。
「なんですか」
スタンが怪訝そうに問うと、ニックは慌てて頭を下げた。
「あ、すんません。間違えました」
そして、そのままどこかへ行こうとする。
「ぼくに聞きたい事があったんじゃないんですか?」
「いや、俺が聞きたいことがあるのはアニキであって、あんたじゃ――?」
そこまで言って、ニックは眉を寄せて振り返る。
「その声。あんた、まさかアニキ?」
「何をそんなに驚いてるんですか。別に用がないのなら閉めますよ。ぼくは疲れてるんです」
「ヨーヨーヨーヨー。待ってよ。だってアニキ、まるで女みたいな髪して」
「はあ?」
スタンのことを男だと信じて疑わないニックは、いつもは後ろで束ねている髪を解いたスタンに気づかなかったらしい。部屋に入ったニックはベッドに腰掛けているスタンをまじまじと見つめた。
「ヨー、アニキ。なんで髪なんて伸ばしてんだよ。女と間違えられるぜ」
まだスタンを男だと思っているのか、ニックは真面目な顔で言う。
「……ふざけてるんですか? それともぼくにケンカ売ってるんですか?」
「なにが?」
「ぼくは女だって、言いましたよね」
「ヨー、だから俺も言っただろ。そんな冗談おもしろくねえって。……え?」
ようやく気づいたのか、ニックは目を丸くしてエリックを見下ろす。エリックは床に伏せたまま「おまえって、本当にバカだよな」としみじみ言った。
その言葉に、ニックはもう一度スタンに視線を向けた。今は昼間と違い、パジャマ用の薄い生地のTシャツにズボン。ジャケットも着ていないので、胸の膨らみもわかるだろう。ニックはその胸とスタンの顔を交互に見た。
「どこ見てるんですか。セクハラで警備隊に突き出しますよ」
スタンはわざと胸を隠しながら言ってみる。
「ええええぇ――?」
ニックの叫び声がホテル中に響き渡った。そして、結局ニックは何も聞かずにフラフラと自分の部屋へ戻って行ったのだった。
「何がそんなにショックだったんだろうね」
ニックの後ろ姿を見送ってからスタンは首を傾げた。
「……バカの考えることは複雑だからな。アニキと慕った相手が実は女だったことがショックだったのか、男みたいな恰好をした女がいることがショックなのか、はたまた、スタンの胸が余りに小さかったのがショックなのか、あるいは」
そこまで言って、エリックは真顔のスタンに刀を突きつけられていることに気づき、言葉を止めた。
「で、でも結局、何聞きにきたんだろうな。あいつ」
声を上擦らせてエリックは言った。少しスタンから距離を置いて座っている。スタンはベッドの上で刀の手入れをしながら「さあね」と興味なさそうに返事をした。




