十三章
スタンはゆっくり通路を進んでいた。その先には複数の人影が灯りの中に揺れている。どうやら通路の先には扉のない部屋があるようだ。その近くまで行くとスタンは立ち止って聞こえてくる声に耳を澄ませる。
「しかし、レイの奴はどうしたんだ。帰ってこないが」
「ああ。あいつなら死んだみたいよ。生意気な子供の詞使いに」
張りのある男の声に若い女の声が答えた。
「なんだ、子供にやられたのか。情けない。自分の力を過信し過ぎた結果だな」
苦々しい口調でしわがれた声の男が言った。
「まあ、いいじゃない。あいつのことなんて。元々、浮いた奴だったし。代表の残り物もらってあんな気持ち悪いペットなんて作っちゃってさ。ド変態野郎よ。あのペットどもの始末、どうしろってのよ」
「まあ、心配するな。そのうち俺が始末してやる」
「本当に頼んだわよ」
女のため息に、男の声が「ああ」と苦笑気味に答える。
「さて、わたしたちもそろそろ行ったほうがいいわ。本を早く回収しなきゃね」
「ああ、そうだな」
「私も少女をさらうより、そっちの仕事の方がいいんだがな。この歳になると体にこたえる」
三人の足音が近づいてきた。スタンは慌てて辺りを見回すが、狭い通路の中に隠れる場所などあるはずもない。そうしている間にも三人の影が近づいてくる。スタンはとっさに天井を見上げ、詞を唱えた。
「|跳≪デウ≫・|停≪ジョウ≫」
ゴンッという鈍い音と同時に三人が通路に入ってきた。
「ん? 今、何か聞こえなかったか」
先頭を歩く中年の男が言った。頭頂部が見事に禿げている。
「そう? 別になにも。ねえ」
「ああ」
若い女と初老の男が顔を見合わせて頷く。中年の男は首を傾げたが、そのまま通路を進んで行った。少しずつ三人の声が遠くなっていく。
「――いったぁ」
少しの間を置いて天井からスタンの声が響いてきた。スタンは通路に降りると、頭を抱えてうずくまる。
「だから嫌だったんだ。あの詞は制御がきかないんだから。まったく……」
頭をさすりながらスタンは立ち上がった。以前、同じ組み合わせで詞を使ったとき、鳥よりも高く跳び上がったまま降りられなくなり、危うく酸欠で死にそうになったことがあったのだ。しかし、他に逃げ場がなかったのだから仕方ない。
「……さて、と」
後頭部をさすりながらスタンは通路を進む。その先はやはり狭い部屋になっていた。特に目を引く物もなく、粗末なイスや机が置かれたごく普通の部屋だ。さらにその先にドアがあるので、まだ部屋が続いているのだろう。
「なんだ? これ」
スタンが手に取ったのは、無造作に机に置かれた一冊のノートだった。中をめくってみると四人の名前が書かれている。その名前の上には棒グラフが描かれていた。グラフが一番飛び出ているのは『レイ』という名前だった。
「レイって、あのレイかな」
他の名前はおそらくさっき出て行った三人だろう。ルイス、パティ、ヒューシと書かれている。
スタンはノートを机に戻すとドアの方へ近づいた。ノブを回してゆっくり押し開ける。すると中から血のような薬品のような、なんとも言えない匂いが漂ってきた。建物に入ったときに嗅いだ臭いはここから漏れてきていたらしい。
「何なんだ、この匂い」
顔をしかめながら中を覗くが、暗くてよく見えない。スタンは腰に巻いてあるポーチからライトを取り出してスイッチを入れた。
「――なん、だ、これ」
照らした部屋の中には天井まで届く棚が並んでいた。そこには瓶がきれいに置かれている。それに入っているのは人か動物かわからない内臓らしき物だった。
「気持ち悪いな」
そう言いつつ、スタンは確認するように棚を見ていく。全ての瓶には不気味な臓器が状態よく保存されている。中には心臓らしきものまであった。
「おい、ここで何をしている!」
瓶の一つに手を伸ばした時、後ろから声が響いた。スタンは驚き、持ちかけていた瓶を取り落としてしまった。音を立てて瓶が割れる。床を臓器が転がっていき、ドアの付近に立つ男の足元で止まった。薬品の臭いが部屋に充満していく。
「貴様は誰だ!」
臓器を足で蹴りとばしながら男は言った。ライトを当てたその人物は部屋から出て行ったはずの中年の男だった。
「あなたは……ルイスですか?」
「なぜ、俺の名を知っている」
「いや、そこの机のノートに四人分の名前が書いてあったので、勘で言ってみました」
「そんなことはどうでもいい」
「自分が聞いたくせに――」
スタンは小さくポソっと言った。
「黙れ。侵入者は排除する」
ルイスはそう言うと、両手をスタンに突き出した。
「やっぱり詞使いか」
スタンが構えた瞬間、ルイスの手の先から数え切れないほどの小さな針が飛び出してきた。予想外の攻撃にスタンは慌てて棚の後ろに隠れる。針はさっきまでスタンがいた場所を貫き、近くの瓶を破壊して臓器をぶちまけた。
「うわー、危ないな。なんだ、あれ」
一人呟きながら、スタンは隙をついて別の棚の後ろに隠れる。
「そこか!」
ルイスは手を振り回す。その動きに合わせて手から飛び出した針もあらゆる方向へ飛んでいく。その度に瓶が割れ、部屋中に臓器が散らばっていく。充満した匂いに吐き気を覚える。
「いいんですか? この部屋、大変なことになってますけど」
スタンは必死に逃げながらルイスに言う。この狭い空間では刀を使えない。詞を使おうにも、逃げることに精一杯で相手の位置を捉えることができない。
「俺の仕事は侵入者の排除だ。部屋のことなど知るか」
ルイスは攻撃の手を緩めない。やがてスタンが動き回ることに苛立ったのか、手当たり次第に針を飛ばし始めた。
「いったい、どこから出てるんだ。あの針」
姿勢を低くしながらスタンは徐々にドアへと近づいていく。とにかくここから出なければ戦うに戦えない。まだルイスはその動きに気づいていないようだ。
「くそ! どこにいる」
薬品の臭いに彼も気分が悪くなってきたのだろう。ルイスは針を出すのを止め、頭を振ってスタンを探し始めた。その隙にスタンは部屋を飛び出した。急いでドアを閉めて詞を唱える。
「|閉≪ハイ≫」
ドアは黒い光に包まれ、ビクとも動かなくなった。
「これで、少しは時間を稼げるかな」
スタンは念のために机と棚をドアの前へ移動させて納得するように頷くと、隠し通路を戻り始めた。
この部屋に本はなかった。となると、怪しいのは上の階だろう。そう思って上へ向かう階段を探すが、どこを探しても見つからない。最初にすべての部屋を確認したのだ。階段などあれば、そのときに見つけている。スタンはため息をついて腕を組む。そしてなんとなくエントランスに目を向ける。するとエントランスの壁に、この都市に降りてきた時と同じエレベーターらしき扉を見つけた。
「さっきもあったっけ? ……これで上に行けるのかな」
首を傾げながらスタンは壁のボタンを押す。すると扉は音もなく開いた。
「へえ。すごいな。さっき乗ってきた奴とは違う感じだ」
感心しながら乗り込むと、まるで誰かが見ているかのようなタイミングで扉は閉まった。しかし、いくら待てども動き出す気配はない。よく見ると、扉の横に押しボタンが数個ついている。
「……数字が書いてある」
スタンはとりあえず一番大きな数字を押してみた。すると、それに答えるように部屋が動き出す。今度は上昇しているようだ。
「うわー。――すごく、気持ち悪いな」
胃が浮く感じに耐えながら、エレベーターが停止するのをひたすら待つ。やがてゆっくりエレベーターは停止し、やはり音もなく扉は開いた。その先には一本の広い通路が続いている。部屋は突き当たりにある一部屋だけのようだ。調べてみたが、隠し通路らしきものもない。
スタンはその唯一の部屋の前に立つとドアをゆっくり押してみる。鍵はかかっていない。ドアは少し力を入れると、きしむ音を立てて開いていった。部屋には埃一つなく、ベッドや机、椅子や本棚などが並べられていた。
「なんか、ずいぶんと生活感があるな」
スタンは呟きながら本棚を眺めてみた。多くの本が納められているが、どれも前文明時代の本ばかり。どんな種類の本なのかは、文字が読めないのでわからないが詞の本でないことは確かだ。
ため息をつきながら本棚の隣の棚に視線を移す。その上に写真立てがある。写っているのは子供ばかりが全部で十人。みんな楽しそうな笑顔で仲良さそうにポーズをとっていた。その中央に写る少女を見て、スタンは眉を寄せた。
「この子――?」
呟いたその時、どこからか物音が聞こえてきた。スタンは素早く周りに視線を走らせる。しかし、誰かがいる気配はない。
「ひょっとして、また隠し扉が?」
考えてみればこの階にはドアが一つしかなかったのだ。ワンフロアに一つの部屋しかないというわりに、今いるこの部屋は狭い。スタンは両手を壁に当て、上から下へと念入りに調べていく。きっと何かあるはずだ。床を調べ、壁を調べ、家具の向こう側を調べる。そして何も入っていない棚の後ろに抜け穴を発見した。
それは痩せた大人が屈んで通れるほどの狭い穴だった。スタンは棚を退けて穴の向こうを窺ってみる。しかし、この位置からでは簡易ベッドらしき物がいくつも並べられているということしかわからない。仕方なく、音を立てないよう気をつけながら穴を抜ける。そして立ち上がって部屋を見渡し、スタンは絶句した。




