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2.江戸の検死官 中編

  「おうおうおう、邪魔するぜ!」

 まるで雷鳴の様な騒がしい声と共に、顕幽閣の入り口が開け放たれた。

 ゲジゲジ眉毛に痩せ型で滑稽な顔立ちの同心姿の男。そして、でっぷり肥えた上に奥目のたれ目、一見すると狸にしか見えぬ男が無遠慮に押し込んできた。御用聞きと思われる後者の男は、鯔背な唐犬額が特徴的だが、金が無くて髪結いに行っていないのか、鬢は毛羽立ったザンバラ髪であった。

 同心風の男は南町奉行所の筆頭同心、村上伝助(むらかみでんすけ)。そして唐犬額の男は、鳥越の権蔵(ごんぞう)という御用聞きだ。新太郎にとっては同業者に当たるが、彼らの訪問は歓迎されたものではない。文字通りの「招かれざる客」であった。

 「村上さん、何か御用ですか。」

 「いえねぇ、北の月番に死骸が上がったって聞きまして。何でも近藤の坊ちゃん、貴方が『この死骸はおかしい』と言い張ったそうじゃねえですか?」

 「あっしらもそれなりに場数を踏んでいますからねぇ、お役に立てると思いますが?」

 「心配無用です。今は北が月番。南町も月番ではないとはいえ、暇というわけではありますまい。」

 「いいや、紙切れの確認なんざいつでも出来ますがねぇ、こういう時こそ南北の枠を超えて協力する者です、それに年長者の助言は滅多に得られるもんじゃありませんよぉ。」

 「助言だと?」

 すらすらと言い捨てると、伝助はギロリと凌庵の方を睨みつけた。月番ではないとはいえ、奉行所内には溜まった雑務があり、次の月番になる前にそれらを片付ける必要があるはずだ。しかし伝助らには、その雑務よりも優先したい「嫌がらせ」があるようだった。

 伝助の視線の先には、練り薬が塗られた子供の死骸が寝台に横たわっている。その傍らで懐中時計を静かに眺める凌庵へ、伝助は下品な笑みを向けた。

 「おい藪医者ァ、何をしているのかと思えば、そのガキを粕漬けにでもする気かぁ?」

 この男の難癖や揶揄いはいつも耳障りだ。今に始まったことではないが、毎度毎度うんざりさせられる。

 「これがオメエの言う『死骸の声を聞く』って奴なのかぁ? 見る限り、死骸を弄んで楽しんでいるようにしか見えねえがなぁ。オランダ医者って奴は、どいつもこいつもこんな悪趣味なのか?」

 助言などと尤もらしいことを言っているが、蘭学を修めた凌庵のような存在を扱き下ろすのが本当の目的なのだ。

 伝助が仕える南町奉行は、天保の改革を推進する老中・水野忠邦の右腕と言われる鳥居耀蔵(とりいようぞう)である。耀蔵は町の治安維持よりも、改革に反する者の断罪が得意技で、庶民からは「蝮」だの「妖怪」だのと忌み嫌われていた。上が上なら下も下。南の与力同心どもは「簪が贅沢だ」、「そんな良い着物を着るな」と、言いがかりに近い取り締まりを横行させている。

 その中でもこの伝助は、お世辞にも仕事ができるとは言えず、権力主義かつ事なかれ主義を絵に描いたような人物で、余計に質が悪い。

 止まらない伝助の難癖に、苛立ちを隠せない新太郎が伝助の肩を力任せに掴んだ。

 「村上さん、凌庵先生は御役目の最中です。自重なされよ。」

 相手は年長者だが、立場としては与力である新太郎の方が上だ。礼儀を欠かず、それでいて上役の威厳を損なわずに牽制する。だが、伝助は怪訝な顔で新太郎を睨み返した。

 「まだまだお若いですなぁ、近藤の坊ちゃま。人を見定める能力が乏しいようだ。」

 新太郎の存在そのものが、伝助にとっては癪に障る要因なのだ。貧乏同心の家に生まれ、苦心の末に同心を束ねる筆頭となった伝助と、三河以来の家柄で若くして与力の立場と権限を得た新太郎。出世の速さは雲泥の差であり、伝助の難癖や不当な介入の根底にあるのは、ただの「妬み」であった。

 「どういう意味です?」

 顔を険しくする新太郎に対し、伝助は嘲笑を深める。

 「この高柳凌庵って医者がどういう人間か知っているのですかな? 此奴はあの悪名高きシーボルトの門弟で、弾圧事件を運よく生き残った曰く付きですよぉ。それに此奴の身内は、以前コレラが流行った時に何の役にも立たなかった上に――。」

 「村上さんっ! いくら何でも言葉が過ぎましょう!!」

 「いいや、某はそんな奴を抱え込んで近藤家が気の毒だと思いましてねぇ・・・。」

 「――喧しいっ!!」

 顕幽閣の静寂を切り裂くような凌庵の一閃が、二人の言い争いを立ち切った。 ビクッと肩を跳ね上がらせ、伝助と新太郎が絶句する。凌庵の眼光は、獲物を狙う鷹のように鋭く二人を貫いていた。

 「誰の前だと思っている。死骸の前だぞ。・・・死骸が放つ真実の声をかき消すつもりなら、今すぐ出ていけ!」

 重々しく凄みのある声に、さしもの伝助も気圧されて言葉を失う。 それまで静観していた肝煎医師の篁洲が、静かに間に入った。

 「凌庵殿、落ち着きなさい。・・・お役人方、お二人ともそのくらいに。村上殿、これは御上の委任を受けたれっきとしたお役目。それが妨げられたとなれば、如何にこれがそちらの御奉行の指示であったとしても、ただでは済みませぬぞ?」

 「た、ただの助言だ・・・邪魔とは人聞きの悪い・・・・。」

 冷や汗をかきたじろぐ伝助を無視し、凌庵は懐中時計を懐へ収めると、亥之吉の体に貼り付けていた金創膏と酒粕を手早く剥がし始めた。濡れ布巾で薬を拭い去ると、青白い肌の上に、くっきりと赤紫色の痕跡が浮かび上がってきた。

 「出た・・・、やはりな。」

 先ほど発見した後頭部の挫傷に加え、凌庵が特に注目していた「首元」に、鮮明な痕跡が浮き出ていた。そして浮き出た痣は、右肩や右のわき腹など右側に密集していた。この痣の出方を見て、凌庵はある確証を得た。

 「新さんも村上さんも見ろ、出たぞ・・・。」

 「こ、これは!?」

 「これがどうしたってんだァ?」

 「人の手で首を絞められた痕だ。・・・つまりこの子は、日常的に虐げられていた。そして何かが下手人の癪に障り、思い切り突き飛ばされて竈か何かに頭をぶつけた。動かなくなった子供を黙らせるため、首を絞めて止めを刺した・・・というわけだ。」

 「本当だとすれば、下手人はいったい誰だ?」

 「俺の推測だが、亥之吉の父親は継父だと聞いていたな。」

 「ああ、そう聞いている。」

 「だとしたら、疑うべきは二親のどちらかだ。そして一番疑わしいのは・・・日頃から血の繋がらぬ子を疎んでいた継父の方だろうな。」

 凌庵の言葉に新太郎が深く頷く一方、伝助はあからさまに欠伸噛み殺していた。

 「ケッ、蘭学崩れが適当なこと言ってんじゃねえぞ!」

 「適当ではない。死骸がそう言っているのだ。」

 「馬鹿言ってんじゃねえぞテメエ!死骸が口を利くわけねえじゃねえか。『死人に口なし』って言葉を知らねえのか藪医者ぁ!」

 伝助と同調するように、権蔵も「へいへい、そうだ!」と罵声を浴びせる。

 しかし、凌庵は一切動じない。自分の検死に絶対の自信があるからだ。大抵の役人は伝助のように「そんなことが分かるはずがない」と疑惑の目を向けてくる。だが、新太郎だけは違った。職務を超えた固い絆と信頼で、凌庵の言葉を信じ切っている。

 「先生が言うのなら、間違いない。・・・すぐに動こう。」

 「俺の調べはあくまで道標だ。真相の確証を得るには、亥之吉の発した声を元に、お前さんたちが現場と人を調べねばならん。」

 「分かった。早々に同心や御用聞きを集め、継父の周辺を洗わせる。・・・・村上殿、調べは我が北町で行います。よろしいですな?」

 「・・・ええ、月番でもねえのに出しゃばるほど、こちらも暇じゃございませんのでね。お任せいたしますよ。」

 (ケッ、よく言うぜ・・・。)

 伝助も伊達に筆頭同心を張っているわけではない。浮き出た首の痕を見れば、凌庵の立てた見立てが単なる絵空事ではないことくらい感覚で理解でき、ぐうの音も出ない様子だった。 あからさまに不貞腐れた伝助は、権蔵の肩を小突く。

 「おい権、ここは北の御曹司と死骸検分の大先生にお任せして、俺たちは帰るぞ!」

 「へ、へいっ!」

 ようやく騒がしい連中が立ち去ると、顕幽閣に再び静寂が戻った。 凌庵は亥之吉の体に残った薬を優しく拭き取ると、用意していた和紙に筆を走らせた。

 『御霊検分の事、平に御容赦 南無阿弥陀仏』

 死骸とはいえ、仏の体に傷や薬を付けざるを得なかった非礼を詫びる文面である。その紙を亥之吉の胸元にそっと置くと、傍らで待機していた天海和尚へ声をかけた。

 「和尚、先生、検死は済んだ。」

 「終わりましたか。では仏を下ろし、弔いの供養に入りましょう。」

 「ああ、丁重に頼む。」

 見守っていた役人の号令で、亥之吉の遺体は静かに戸板へ乗せられ、運ばれていった。その背を見送っていた篁洲が、重い溜め息をつく。それは検死が終わった安心感ではなく、幼い命が奪われた残酷な現実に対する憂いの一息だった。

 「気の毒になぁ・・・、あの幼さで命を散らすとは。生まれ変わったら、少しでも幸せになってほしいものだ。」

 「ええ。ですが、真相を暴いてやらねばあの子も浮かばれません。・・・あとは、町方の連中が上手くやってくれればいいのですが。」

 「ふふ、じっとしておれぬ顔だな。」

 「・・・お解りですか?」

 「止めろと言っても聞かぬのだろう。町方から声がかかったら行くがいい。養生所の留守は、儂らが何とかしておく。」

 「かたじけない、篁洲先生。」

 篁洲の温かい許しを得た凌庵は、町方からの知らせを待つこととなった。

 ――亥之吉の母であるおしまは、前の夫と死別した後、久助(きゅうすけ)という若い男を家に引き込んでいた。久助は一応板前を名乗っていたが、素行が悪く街での評判も芳しくない男だった。新太郎の指示を受けた同心が「亥之吉が川で死んでいた」と呼び出しに赴いた際、久助は驚くどころか、顔色ひとつ変えなかったという。

 久助とおしまが夫婦で奉行所へ呼び出されたのは、亥之吉の簡素な弔いが終わってすぐの事であった。

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