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星眼の魔女 第二部  作者: しろ
第一章

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第九十六話

「あー……悔しいなあ」


ぽつりと零れた声は、白く冷えた空気の中にそのまま溶けていった。


ニチカは空を見上げたまま、しばらく視線を動かさなかった。

さっきまでそこにあったはずの白銀の軌跡は、もうどこにも見えない。


あまりにも速く、あまりにも高く。

あっという間に、届かない場所へ行ってしまった。

(……遠い)

胸の奥に落ちる感覚は、単純な嫉妬だけではなかった。


自分は地を駆けることはできる。

戦うことも、奪うことも、守ることも。


だが――空は、飛べない。

その事実だけが、どうしようもなく突き刺さる。

指先が、わずかに強く握られる。


「お前があいつを煽るからだろ」


横からナギの声。

呆れ半分、当然だろと言わんばかりの口調。

だがニチカは視線を動かさないまま、


「だってさ」


と、軽く息を吐く。


「ほんとに飛んでくなんて思わないじゃないか」


苦笑混じりの言葉。

だがその奥には、納得しきれない感情が渦巻いている。


冗談のつもりだった。

少しの意地と、少しの牽制。


それだけのはずだったのに――

現実は、あっさりそれを超えていく。


(……あいつは、やるんだよな)


ユエリーという存在の“格”。

それを、改めて思い知らされる。


空という領域そのものが、最初から彼のものなのだ。

手を伸ばしても届かない場所。


そこに、あたりまえのように主を連れていく。

その光景が、脳裏に焼き付いて離れない。


「……遠いな」


小さく、もう一度呟く。

今度は、誰にも聞かせるつもりのない声で。

ナギは肩をすくめた。


「まあ、そう落ち込むなって」


軽く言うが、フォローになっているかは怪しい。


「別に飛べなくても――」


言いかけたその時だった。


「阿呆か!!」


空気を引き裂くような怒声。

びくり、とナギが肩を揺らす。

ニチカも反射的に視線を向けた。


老師だった。


先ほどまでの軽口も余裕も、どこにもない。

顔色が変わっている。

険しく、張り詰めた表情で、ただ一点――空を睨みつけている。


「馬鹿者!!早く戻れ!!」


叫び声が、雪に覆われた世界に響き渡る。


その声には、明確な焦りがあった。

ただの怒りではない。

危機に対する、直感的な反応。

ナギが眉をひそめる。


「……どうしたんだよ」


いつもと違う。

明らかに。

老師は答えない。

ただ、空を見据えたまま、低く吐き捨てるように言う。


「天の奴らに見つかる……」


その一言で、場の空気が変わった。

ニチカの目が細くなる。

ナギも笑みを消した。


“天”。


それが何を指すのか、詳しくは知らない。

だが――ただ事ではないことだけは、はっきりと分かる。


空は、ただ自由な場所ではない。


そこには、そこを“領域とするもの”がいる。

そして今、その領域に、白銀の龍が踏み込んでいる。

主を乗せて。堂々と。


ニチカはもう一度、空を見上げた。

先ほどまでとは違う目で。

悔しさではなく、別の感情が、静かに芽生え始めていた。

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