第九十四話
正月の遊びに興じる声が、庵の外まで明るく響いていた。
乾いた空気の中で鳴る羽子板の音は軽やかで、打ち返すたびに白い息がふわりと舞い上がる。双六の盤の上では小さな駒が行きつ戻りつし、そのたびにナギが妙に大げさなリアクションをして笑いを誘っていた。
雪に覆われた世界の中で、その一角だけがぽつりと暖かく、にぎやかで、どこか現実から切り離されたような時間が流れている。
その最中だった。
「ミア、我が主」
静かに、しかしはっきりと。
空気の流れを変える声が落ちる。
気づけば、ユエリーはミアの前に膝をついていた。
その所作はあまりにも自然で、それでいてこの場には不釣り合いなほど厳かだった。
遊びの音が、ぴたりと止まる。
視線が、一斉に集まった。
ミアはきょとんとした顔で、首を傾げる。
「ユエリー、なぁに?」
無防備に、何の疑いもなく。
その小さな顔が、覗き込むように近づく。
真珠色の髪がさらりと揺れて、光を柔らかく弾いた。
ユエリーはその姿を、ほんの一瞬だけ見つめる。
まるで確かめるように。
己の主が、ここにいるという事実を。
その瞳の奥に、かすかな熱が灯る。そして――
「……そなたを、背に乗せて飛んで見せようか」
ぽつりと、そう言った。
軽い提案のようでいて、どこか覚悟を含んだ声音だった。
場の空気が、わずかに揺れる。
ナギが目を丸くする。
「は?」
思わず声が漏れる。
老師は腕を組んだまま、眉をひそめた。
「いきなり何言い出すんだ……」
だがニチカだけは、笑わなかった。
ユエリーのその言葉の裏にあるものを、正確に感じ取っている。
ただの“遊び”ではない。
これは――誇示だ。
あるいは、証明。
“自分は主を空へ連れていける存在だ”という、絶対的な優位の提示。
ミアは、そんな空気の変化に気づいているのかいないのか、ぱちぱちと瞬きをして、
「空?」
と小さく繰り返した。
想像する。
空を飛ぶこと。
風の上を行くこと。
その感覚を、まだ知らない自分。
少しだけ、胸が高鳴る。
「……高い?」
率直な疑問。
ユエリーの口元が、わずかに緩んだ。
「案ずるな」
低く、確信に満ちた声。
「そなたを落とすことなど、あり得ぬ」
それは誇張でも比喩でもない。
ただの事実としての言葉。
その言葉に、一切の迷いはなかった。
ミアは少し考えてから、
「……楽しそう」
と、素直に言った。
その一言で、場の均衡が、わずかに傾く。
ニチカの視線が鋭くなる。
ナギは「やば」と小さく呟き、老師は深く息をついた。
誰もが分かっている。
これはただの遊びでは終わらない。
だが――当の本人だけが、その中心で、無邪気に笑っていた。




