第八十一話
眠りの底は、静かで、やわらかく、どこか現実よりも輪郭がはっきりしていた。
ミアは夢の中で、ゆっくりと目を伏せたまま考えていた。
――月麗は、少し変わった。
千年という時間は、あまりにも長い。
それは姿や力だけではなく、言葉や在り方までも、静かに、しかし確実に削り取り、組み替えていく。
かつて「僕」と名乗っていた声音は、今では「わたし」と穏やかに落ち着き、無邪気さや軽やかさの名残は、どこか奥へと沈んでしまったように感じられる。
「キミ」と呼ばれていた距離は、いつの間にか「そなた」へと変わり、柔らかかった響きは、少しだけ遠く、そして重くなった。
それが悪いわけではない。
むしろ、当然の変化だ。
千年を越えてなお、壊れずに在る方が奇跡なのだから。
けれど――
(少しだけ、寂しい)
そう思ってしまうのは、きっと、わがままなのだろう。
あるいは、感傷。
過去にすがる余裕など、本来の自分には許されていないはずなのに。
夢の中のミアは、小さく息を吐く。
あの頃。
まだすべてが定まっていなかった日々。
名前も、立場も、運命さえも曖昧だった時間。
あやのとして過ごした記憶は、今も確かに胸の奥に残っている。
温かくて、優しくて、そして、戻ることのないもの。
(懐かしいな)
ふと浮かんだその感情を、ミアは自分でそっと否定した。
懐かしむことに意味はない。
振り返ることに、価値はない。
自分は――前へ進むために、ここにいる。
それがどれほどのものを置き去りにするとしても。
どれほど大切な思い出を、手放すことになったとしても。
「私は、あるがままに生きるんだ」
それは、誰に向けた言葉でもなく、ただ自分自身へと刻むような誓いだった。
その瞬間――現実の身体が、わずかに揺れた。
抱きしめられている腕の力が、ほんの少しだけ強まる。
夢と現実の境界が、かすかに触れ合う。
ユエリーが、反応している。
言葉ではない。
けれど確かに、何かを感じ取ったように。
夢の深みへと引き寄せられるように、その腕はほんの少しだけ、強く、確かにミアを抱き寄せた。
(……起きてるわけじゃないのに)
不思議だな、とぼんやり思う。
夢の中の意識が、現実の温もりをなぞる。
その距離の曖昧さが、どこか心地いい。
そして――ふと、気づく。
「……ああ」
小さく、心の中で呟く。
変わってしまったものは、確かにある。
言葉も、距離も、在り方も。けれど、
「この匂いは、変わらないな」
ユエリーの持つ、あの香り。
花のようにやわらかく、どこか甘くて、静かに包み込むような匂い。
それは千年前と、何ひとつ変わっていなかった。
変わってしまったものと、変わらずに残っているもの。その両方が、確かにここにある。
それが少しだけ――切なくて、そして、少しだけ嬉しかった。
夢の中で、ミアはほんのわずかに微笑む。
抱きしめられたまま、その温もりの中で、静かに、深く、眠りはさらに奥へと沈んでいった。




