第八十話
「さあ眠れガキンチョ。あとその下僕」
ぱん、と手を打つような声音で、老師が言い放った。
囲炉裏の火の前で、まだ名残惜しそうにしていたミアと、当然のようにその隣に控えているユエリーへ、しっしと追い払うように手を振る。
このあと酒でも嗜むのだろう。
長い夜は、大人の時間へと移る。
ナギは相変わらずその場に残るつもりらしく、片手をひらひらと振って見送った。
「ほら、行け行け」
軽い調子。
「え〜……」
ミアが不服そうに頬を膨らませるが、逆らえる雰囲気ではない。
結局、小さくため息をついて立ち上がる。
その動きに合わせて、ユエリーもすっと動いた。
自然な流れで、隣に立つ。
寝台へと向かうその短い道のりさえ、どこか静かで穏やかな時間だった。
寝支度を整えるのは、ユエリーの役目だ。
用意された寝具に、手際よく着替えさせる。
柔らかな布を選び、乱れた髪を整え、毛布の感触まで確かめる。
その一つ一つが、妙に丁寧で、執着にも似た優しさを帯びている。
「はい、できたよ」
ミアがくるりと回る。
それを見て、ユエリーは小さく頷いた。
「うむ」
満足げに。そして、寝台へと誘う。
この時間。
他の誰も介在しない、二人きりの時間。
ユエリーにとって、それは――何よりも得難いものだった。
ミアが潜り込み、その横にユエリーも身を寄せる。
広くなったはずの寝台。
だが距離は、やはり近い。
いつもなら、ここで。
ほどなくして、ミアはすぐに眠りに落ちる。
穏やかな寝息が聞こえ、夜は静かに閉じていく。
――だが今日は違った。
ミアは目を閉じない。
小さく寝返りを打って、ユエリーの方を向く。
その気配に、ユエリーはわずかに首を傾げた。
「……どうした」
低く、静かな声。
するとミアは、少しだけ間を置いてから、
「クリスマス、楽しかった?」
と、訊ねた。
予想していなかった問い。だが、答えに迷いはない。
「ああ」
短く。けれど、確かな実感を込めて。
「楽しかった」
言葉にすることで、それがよりはっきりと形を持つ。
ミアはその答えを聞いて、ふわりと微笑んだ。
「それなら良かった」
小さく呟く。
そして、少しだけいたずらっぽく目を細めた。
「後でニチカに拗ねられそうだけど」
その光景が、容易に思い浮かぶ。
ナギでなくとも分かる。
ユエリーの眉間に、すっと皺が寄った。
「あの子供は好かない」
即答だった。
「そなたを見る目が、男のそれだ」
低く、はっきりと。
完全に自分のことを棚に上げている発言である。
ミアは思わず苦笑する。
「友達だよ、今のところ」
やんわりと返す。
“今のところ”という曖昧さに、ユエリーの視線がわずかに鋭くなるが、深くは追及しない。
代わりに、静かに言う。
「気をつけるんだ」
そして、
「そなたは可愛い」
と、大真面目に続けた。
迷いも、照れもない。ただの事実のように。
ミアは一瞬きょとんとして、それから、くすくすと笑い出した。
「なにそれ」
楽しそうに。けれどどこか、少しだけ照れたように。
ユエリーは首を傾げる。
「事実だ」
真顔である。ミアは笑いながら毛布に潜り込み、
「もういいよ、おやすみ」
と目を閉じた。
その声は、ようやく眠りに向かうそれだった。
やがて、規則正しい寝息が聞こえ始める。
ユエリーはしばらく、その顔を見つめていた。
柔らかな頬、閉じた瞼、無防備な寝顔。
指先が、そっとその髪に触れる。
ほどくように、撫でる。
「……おやすみ」
小さく、囁く。
返事はない。
だが、それでいい。
外では雪が降り続け、庵の中では静かな夜が深まっていく。
そしてその中心で、ユエリーにとっての“至福の時間”は、誰にも知られることなく、確かに流れていた。




