第七十六話
そもそも、事の発端は単純だった。
最初は小さなベッドだったのだ。
ミアひとりが眠るには十分で、むしろ少し余るくらいの、四歳児に見合った慎ましい寝台。庵の石壁に寄せて置かれ、毛布と枕がきちんと整えられている、どこにでもある穏やかな寝床だった。
だが、そこにユエリーが加わったことで、すべてが崩れた。
龍である彼は、人型になってもなお大きい。
そして何より、譲らない。
ミアの隣で眠るという一点において、驚くほど頑固だった。
結果どうなるかといえば――ベッドに収まりきらない。
当然である。
無理に収まろうとすれば、片方ははみ出る。
最初はユエリーが床に座る形で、ミアだけをベッドに寝かせていた。
それでも腕だけは離さない。
抱え込む。囲い込む。
石の床に足を投げ出したまま、上半身だけで寄り添うという、どう見ても不自然な体勢で。
「……なにやってんだあいつは」
ナギが呆れるのも無理はない。
しかも、それが一晩や二晩ではない。
毎晩だ。
当然、体に負担がかかる。
病み上がりの身でそれを続けるなど、正気とは思えない。だがユエリーは意に介さない。
「問題ない」
の一言で済ませる。
問題しかない。
ミアも最初は戸惑っていたが、数日もすれば慣れてしまった。
「変な体勢で寝てるねえ」
くらいの感想である。
そして、その話が――どこからともなく、龍界へと届いた。
「……は?」
それを聞いた楼蘭の反応は、極めて分かりやすかった。
呆れ。怒り。
そして、ほんのわずかな苛立ち。
何をやっているのか、あの叔父は。
あれほどの存在が、石の床に足を投げ出してまで――
「……馬鹿か」
ぽつりと呟く。
だが放置はしない。できない。
結果として数日後、庵に届いたのが――大きなベッドだった。無駄に、いや、必要以上に立派な。
庵の空間に対して、明らかに規格外のサイズ。
木材は上質で、造りも精巧、布も厚く柔らかい。
明らかに“王族仕様”である。
運び込まれたそれを見て、ナギが口を開けたまま固まった。
「……でっか」
老師は額を押さえた。
「……あいつもあいつで極端だな」
添えられていた書付には、簡潔な文字が記されている。
――病み上がりの元龍王だから。粗末にしないで。
それだけ。
余計な感情は書かれていない。
だが行間は雄弁だった。
“ちゃんと扱え” “無茶をさせるな”
そしてほんの少しの――“自分が面倒を見る立場ではないことへの苛立ち”。
ユエリーはそれを一読し、鼻で笑った。
「余計なことを」
と言いながら、その夜から、しっかり使っている。
ミアはというと、
「わあ、ひろい」
と素直に喜んだ。ごろん、と転がる。
端から端まで行ける広さに、純粋に楽しそうだ。
「これなら落ちないね!」
その発想である。
そして夜。
新しいベッドに、二人が並ぶ。余裕がある。十分に。
にもかかわらず――ユエリーは、やはり距離を詰める。腕を回す。逃がさないように。
ミアは少しだけ押し返して、
「くっつきすぎ」
と文句を言う。
「これくらいが適切だ」
即答。基準が違う。
ナギが遠くからそれを見て、ぽつりと呟く。
「……ベッド広くした意味あったか?」
老師は茶を啜りながら、
「気持ちの問題だろ」
とだけ返した。
外は静かな雪。
内側では、相変わらずの距離感の攻防。
ただ一つ変わったのは――石の床に、誰もいなくなったことだけだった。




