第六十八話
「入らない分は、インベントリにでも入れようか」
あまりにも軽く言うものだから、その場にいた者のうち数人は、一瞬それが何を意味するのか理解できなかった。
ミア自身は、まるで「棚をひとつ増やす」程度の感覚で口にしている。
だが――収納魔法。
それは本来、空間そのものに干渉し、容量という概念をねじ曲げる高度術式だ。
並の術者では“箱ひとつ”すら安定して維持できない。
ましてや、“キャラバン一式”を収めるなど。
常識の範囲外だった。
「……まあ、しゃーねーな」
老師がぼそりと呟く。
腕を組んだまま、しばし思案し――
「ここで籠城なんかする気はさらさらなかったが、万一の備えにしておくか」
結論は早い。
杖を軽く持ち直し、床へと叩きつける。
コン、と乾いた音が響いた直後――ぐらり、と世界が揺れた。
地震のような振動。
だがそれは崩壊ではなく、“形成”の揺れだった。
石の床が波打つようにうねり、裂け、再構築されていく。
継ぎ目のない石段が、まるで元からそこにあったかのように姿を現した。
地下へと続く階段。
冷たい空気が、ふっと上がってくる。
「……相変わらず無茶苦茶だな」
ナギが呆れたように呟く。
「基礎魔法の応用だ」
老師は素っ気なく返すが、その規模は“応用”で済む話ではない。
ミアはそれを一瞥し、にこりと笑った。
「ありがと、お師匠さま」
そして当然のように言う。
「インベントリは私が作るね」
そのまま、ためらいなく階段へと足をかける。
白い外套が揺れ、光の届かない地下へと降りていく。
「待って」
即座に声がかかる。
ニチカだった。
その目は、明らかに好奇心に満ちている。
「収納魔法、見たい」
隠す気がない。純粋な欲求。
価値あるものを“知りたい”という、彼らしい欲望。
ミアは振り返り、少しだけ考える素振りを見せてから、
「いいよ」
あっさりと許可した。
その軽さに、ナギは頭を抱えかける。
(いいのかよそれ見せて)
だが止める間もなく、
ニチカはすでに階段を降り始めていた。
そしてもう一人。
何も言わず。音もなく。ユエリーが続く。まるで当然のように。
その背中には一切の迷いがない。
「……」
ナギは、三人の背中を見送りながら、ゆっくりと老師へ顔を向けた。
「いいのかよ、あの3人そのままにして」
声は低い。
明らかに嫌な予感がしている顔だ。
老師は、動かない。
ただ腕を組み、地下へ続く暗がりを見つめている。
その瞳は、静かで――どこか楽しんでいるようですらあった。
「……いずれぶつかる」
ぽつりと、言う。
「なら、早い方がいいだろう」
止める気はない。むしろ、見届けるつもりだ。
その声音には、完全な傍観者の冷静さがあった。
ナギは深くため息をつく。
「……マジかよ」
誰も止めない。止める気もない。
地下へと降りていった三人。
白き魔女。
龍。
そして、商人。
それぞれが、それぞれの価値と欲を持ったまま。
狭い空間へと集まっていく。
静かなはずの地下室に、これから生まれるものが何なのか。
まだ誰も、はっきりとは知らない。
ただひとつ確かなのは――それが“ただの収納作業”で終わるはずがない、ということだった。




