第六十六話
「久しぶり、ニチカ」
秋の名残を含んだ冷たい風の中で、ミアはいつものように、何ひとつ変わらない笑みを浮かべてそう言った。白い外套の裾が揺れ、真珠色の髪が光を受けて淡く輝く。その姿は、三ヶ月前と同じようでいて、しかしどこか輪郭がはっきりしてきたようにも見える。
迎えられたニチカは、一瞬だけ目を細めた。
それは、長い距離を旅してきた者がようやく辿り着いた場所を確認するような、わずかな安堵と、
そして――期待を押し殺したような表情だった。
「……ああ、久しぶり」
声は柔らかい。
けれど、その背後に控えるキャラバンの規模は、まるでその一言を裏切るかのように異様だった。
荷車は十や二十ではきかない。
防寒具、保存食、燃料、薬品、布地、金属資材――ありとあらゆる物資が、過不足なく、いやむしろ過剰なほどに積み込まれている。それらを守る護衛の数もまた、ひとつの小国家に匹敵するほどだ。
ただの“差し入れ”ではない。
これは、供給だ。
ひとつの拠点を丸ごと支えるための。
「冬ごもりって聞いたから」
ニチカは軽く肩をすくめるようにして言う。
その仕草すら絵になるほど整っているが、その目はどこまでも冷静に、庵の周囲と、そこにいる面々を観察していた。
「とりあえず必要そうな物、全部持ってきた」
“全部”。
その言葉の重みを理解している者は、この場に何人いるだろうか。
ナギは口を半開きにしたまま固まり、老師は腕を組んだまま微動だにせず、ユエリーの視線だけが静かに鋭さを帯びる。
その中で。
ミアだけが、くすりと笑った。
「……やりすぎだよ」
呆れ半分、楽しさ半分。
けれど責める響きはない。
ニチカはその反応に、ほんのわずかだけ口元を緩めた。
「いいや、足りないよりはいいだろ?」
その言い方は、どこか老師に似ている。
だがその視線は、まっすぐにミアだけを見ていた。
そして、不意に。ひとつの包みを取り出す。
他の物資とは違う、明らかに個人的なそれ。
丁寧に包まれた布をほどき、中身を見せる。
「暖かい衣服はいくらあってもいい」
そう言いながら差し出されたのは、やわらかな羊毛で作られた、小さなロンパースだった。
淡い色合い。
手触りの良さが一目でわかる上質な仕立て。
そして何より――
「……かわいい」
ミアが、素直にそう呟いた。
ニチカの目が、わずかに細くなる。
「だろ?」
自然に言葉を重ねる。
「この羊のロンパースなんて、君にすごく似合いそうだから」
ほんの少しだけ、声音が変わる。
柔らかいまま。
だが確実に、個人的な温度を帯びて。
「僕からのプレゼント」
差し出されたそれは、ただの衣服ではない。
“選ばれたもの”だった。
数えきれない物資の中で、唯一、彼自身の意志で選び抜かれたもの。
ミアはそれを受け取り、しばらく眺める。
指先でそっと触れ、その柔らかさを確かめる。
「……あったかそう」
小さくそう言ってから、
顔を上げて、にっこりと笑った。
「ありがとう、ニチカ」
屈託のない笑み。
何も変わらない、まっすぐな感謝。
だが――それを受け取るニチカの内側は、静かに揺れていた。
足りない。
これでは、まだ足りない。彼女の隣に立つには。
彼女の“特別”になるには。
どれだけの価値を積み上げればいいのか。
どれだけの力を示せばいいのか。
その答えを、彼はまだ知らない。
それでも。
「どういたしまして」
微笑みは崩さない。
商人として。
そして――ひとりの少年として。
その場に立ち続ける。
その様子を、少し離れた場所からユエリーが静かに見ていた。
何も言わない。
だが、その瞳はすべてを見通すように細められている。
冬の気配が、さらに深まる。
物資とともに運ばれてきたのは、ただの備えではない。
それぞれの思惑と、立場と、そして――
まだ言葉にならない感情だった。




