第六十三話
夜は、静かだった。
庵の中は昼間の賑やかさが嘘のように落ち着き、暖炉の火だけが小さく揺れている。外では虫の声が細く続き、秋の気配をより深く感じさせた。
ミアの寝台は小さい。
四歳の体に合わせたそれは、誰かと共に眠ることを想定したものではない。
だからユエリーは、自然と形を変える。
白銀の龍は、するりとその身を縮め、小さな龍の姿へと姿を変えた。鱗は月光のように淡く光り、静かに枕元へと身体を丸める。
その位置は、絶妙だった。
手を伸ばせば触れられる距離。
けれど決して、眠りを妨げない距離。
「……ここなら、いいか」
小さく呟き、瞳を細める。
ミアはすでに眠っていた。
穏やかな呼吸。
無防備な寝顔。
長いまつ毛が影を落とし、真珠色の髪が枕に広がっている。
ユエリーは、その様子をじっと見つめた。
千年という時間の中で、幾度となく思い描いた光景が、いま目の前にある。
だが――
その姿は、かつて知る彼女とは違う。
幼い。あまりにも。
小さく、柔らかく、守られるべき存在としてそこにある。
「……遠いな」
ぽつりと零れる。
あの頃の彼女。
繊細で、儚く、それでいて強く、触れることすらためらわれたあの姿。
そこに至るまでには、どれほどの時が必要なのか。
想像するだけで、気の遠くなるような年月だ。だが。
「……構わない」
迷いはなかった。
「いくらでも、待とう」
龍にとって、時間は障害ではない。
むしろ、それは前提だ。
千年でも、一万年でも。
この先どれほどかかろうとも。
それが“再び隣に立つための時間”であるならば。
静かに、身体を動かす。
そっと近づき、彼女の髪に触れる。
小さな龍の姿のままでは足りず、ゆっくりと人の姿へと戻る。
音を立てぬように。
眠りを乱さぬように。
長い指で、真珠の髪を一房すくう。
その手つきは、昼間と同じように丁寧で、けれどどこか違う。
もっと静かで、もっと個人的な温度を帯びている。
「……美しいな」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
そのまま、布団の端に腰掛ける。
そして、そっと腕を差し入れる。
抱き寄せるというよりは――“囲う”ように。
触れているのか、いないのか分からないほどの距離で。
逃げ場を塞ぐのではなく、外界から守るための輪郭のように。
「……離さぬ」
小さく、しかし確かに。
その言葉は夜に溶ける。
誰にも届かない。
だが確かに、彼の中では揺るがない誓いとして刻まれていた。
暖炉の火が、静かに弾ける。
秋の夜は、深く、優しく更けていく。
その中で、龍はただ一人の主の傍に在り続けた。




