第六十一話
契約の余韻が、まだ大気に淡く残っていた。
見えない糸が結ばれ、ほどけることのない形で結び直されたその場に、静かな緊張が満ちている。
その沈黙を、軽く打ち破ったのは楼蘭だった。
「……随分と、見せつけてくれるじゃないか」
肩をすくめるようにして、ゆっくりと歩み寄る。
その声音は軽い。
だが、その奥にあるものは決して軽くはない。
金の瞳が、月麗を射抜く。
そして、すぐにミアへと向けられる。
「――これより」
言葉が、わずかに低くなる。
「あなたはもう、龍界の“龍”ではない」
それは宣告だった。
事実の確認であり、立場の切り離し。
王族でもなければ、属する者でもない。
ただ一つの契約によって、別の場所へと身を置いた存在。
「どこへなりとも、お好きに飛んでいきなさい」
あえて軽やかに言い放つ。
突き放すようでいて、その実、線を引く言葉。
龍界と月麗との間に、確かな境界を引くための。
だが。
そこで終わらなかった。
楼蘭の視線が、再びミアへと定まる。
その瞳に、今度は明確な“熱”が宿る。
「だが――」
わずかに、口元が歪む。
笑っているようで、まるで違う。
「そう遠くない未来」
一歩、近づく。
距離を詰めるその動作に、ためらいはない。
「あなたの主は、私の伴侶となるだろう」
はっきりと言い切る。
予測ではない。
確信でもない。
“既に決められていること”としての言葉。
空気が、再び張り詰める。
ナギがわずかに身構え、老師は黙したまま目を細めた。
ミアだけが、動かない。
ただ、静かにその言葉を受け止めている。
「これもまた――契約だ」
楼蘭は続ける。
その声音には、誇りと責務が混ざっていた。
龍王としての立場。
そして、未来に対する責任。
個人の感情だけでは済まされない、重い約束。
「忘れないでほしいな、許嫁殿」
わずかに首を傾げる。
その仕草は軽いが、瞳は鋭いまま。
「君は、一人のものになるわけじゃない」
月麗の方へ、ちらりと視線を投げる。
「……まあ、そちらはもう“従う側”だが」
皮肉とも取れる言葉。
だが、そこに本気の嘲りはない。
むしろ、どこかで認めている響きすらある。
月麗は、それを受けて静かに息を吐いた。
怒りはない。否定もない。
ただ一つ、変わらぬ事実として受け止める。
「承知の上だ」
短く、言う。
その声には揺らぎがない。
「それでも私は、主に従う」
立場も、未来も関係ない。
選んだものは、すでに決まっている。
楼蘭はそれを聞き、ふっと小さく笑った。
「……やれやれ」
肩をすくめる。
「本当に、面倒な関係になったものだ」
だが、その表情にはどこか愉しげな色が混じっていた。
避けられない交差。
絡み合う契約。
そして、その中心にいる少女。
秋の風が、三者の間を静かに通り抜けていく。
未来はまだ、どこにも定まっていない。
それでも確かに――動き始めていた。




