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星眼の魔女 第二部  作者: しろ
第一章

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第五十六話

龍泉洞の奥、竜骨の間にほど近い回廊は、常に淡い光に満ちていた。壁面に埋め込まれた霊石が、呼吸するように明滅し、時間の流れすら曖昧にする。


その静謐の中を、月麗はゆっくりと歩いていた。


足取りは、もはや“病み上がり”のそれではない。


かつてのしなやかな中性的な容貌はそのままに、肉体は確実に変化していた。骨ばっていた細い指には、男の硬さが宿り、握れば確かな力が返ってくる。薄く削げていた身体には筋肉が付きはじめ、まだ完成には遠いながらも、芯のある強さを取り戻しつつあった。


呼吸も乱れない。

歩みも止まらない。


龍泉洞の内部であれば、もはや自由に動ける。


「……そろそろ、いい頃合いかな」


静かに呟く。


それは誰に聞かせるでもない、ただ自分自身への確認のような言葉だった。


己の手を見下ろし、ゆっくりと握る。


力が、戻ってきている。

完全ではない。

だが、十分に――動ける。


そのとき。


「まだまだに決まっているでしょう」


すかさず、横から声が差し込んだ。

振り返るまでもない。


そこにいるのは――楼蘭だ。


黒曜の髪を揺らし、腕を組んだまま、いかにも不機嫌そうにこちらを見ている。その瞳には、露骨な苛立ちと、それ以上に強い警戒が宿っていた。


「……あの娘は、災いの中心にある」


低く、言い切る。


「これからあなたがどんな危険な目に遭うとも限らない。許可は出せません」


言葉は冷静だが、その内側には明確な“拒絶”があった。


ただの忠言ではない。

止める意志だ。


だが――月麗は、わずかに口元を緩めた。

その反応すら、どこか余裕を帯びている。


「回復は順調である」


静かに返す。

言い聞かせるようでもあり、宣言するようでもある声音で。


「そなたは知らないから、そんなことが言えるのだ」


その一言に、わずかに含みがあった。

楼蘭の眉が、ぴくりと動く。


「……何を」


問い返そうとしたその言葉を、月麗は遮るように続けた。


「番は――龍にとって唯一無二の存在だ」


ゆっくりと。一言ずつ、確かめるように。

その瞳に、揺るぎないものが宿る。


「あれは、理屈ではない」


理で縛れるものではない。

王としての責務でも、血統の継承でもない。

もっと根源的な――存在そのものに刻まれたもの。


「たとえ一日でも、離れたくはない」


その言葉は、静かだった。

だが、重かった。


龍という種の本能と、千年の時を越えた執着とが、すべて込められている。


回廊に、わずかな沈黙が落ちる。

楼蘭は、しばらく何も言わなかった。


ただ、じっと月麗を見据えている。

その視線の奥で、様々な感情が交錯していた。


怒り。呆れ。そして――

どうしようもない、理解。

やがて、深く息を吐く。


「……厄介だな、本当に」


ぼそりと零す。

拒否したい。

止めたい。


だが、それが“無意味”であることも、理解している。

目の前にいるのは、かつて龍界を統べた王であり――

何より、“それ”を知ってしまった龍なのだから。


「行くなとは言わない」


しぶしぶ、といった声音で続ける。


「ただし」


視線が鋭くなる。


「無茶はしないでください。死なれたら、今度こそ洒落にならない」


それは命令ではなく――

ほとんど、願いに近かった。

月麗は、それを聞いて、ふっと笑う。


「心得ている」


短く答える。

だが、その瞳の奥には、すでに決意が宿っていた。


止められるものではない。

止まるつもりもない。


回復した力とともに――彼の時間は、再び動き出そうとしていた。

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