表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星眼の魔女 第二部  作者: しろ
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
48/55

第四十八話

その夜は、風がぬるく、どこか湿り気を帯びていた。


夏の気配が濃くなりはじめた頃で、庵の外では草の匂いと土の熱がゆっくりと混ざり合っている。昼間の熱をまだわずかに残した空気が、夜の静けさの中でたゆたっていた。


戸口に立つ気配に、ミアは顔を上げた。


――三ヶ月ぶりだった。


そこにいたのは、間違いなくニチカだった。穏やかに佇み、いつものように柔らかく微笑んでいる。その立ち姿も、空気の纏い方も、確かに彼自身のものだった。


けれど。

それでも。


「……変わったね?」


ミアの口からこぼれた言葉は、驚きよりも、どこか寂しさを帯びていた。


無理もない。


ほんの三ヶ月前、肩を並べて笑っていたはずの少年は、そこにはいなかった。黒いマントを纏い、その影を背負うように立つ姿は、すでに“戦場”をくぐり抜けてきた者のそれだった。


背も伸びている。


かつては頭ひとつ分ほどの差だったのに、今ではミアが顔を上げなければ、その表情すら捉えられないほどになっていた。骨格が変わり、肩の線が鋭くなり、しなやかさの中に確かな重みが宿っている。


ただ、ひとつだけ。

その微笑みだけが――変わっていないように見えた。


「……仕事で、少しだけ遠くに行ってたんだ」


静かな声で、ニチカは答える。

曖昧な言い方だった。


“少しだけ”という言葉の軽さと、その姿の変化があまりにも釣り合っていない。


ミアは、じっと彼を見上げた。


その笑みの奥を、覗き込むように。


けれど、そこにあるのは柔らかな表情だけで――感情の輪郭は、うまく掴めない。


「……重いでしょう、それ」


ふと、ミアは視線を落とした。

黒いマント。

ただの衣ではないと、直感が告げている。


「ここでは、解いてもいいんだよ」


やさしく、そう言った。


この場所は、戦場ではない。

商会でも、任務の場でもない。


ただの――帰る場所だと。

ニチカは、その言葉にほんのわずかに目を細めた。


そして、少しだけ逡巡する。

何かを測るように。

あるいは、許しを求めるように。


やがて。

静かに一歩踏み出し、ミアの前で膝をついた。


床に触れるその動きは滑らかで、迷いがない。だがその姿勢は、どこか儀式めいていて――かつての“友達同士の距離”とは、明らかに違っていた。


「……解いてくれる?」


そう言って、ニチカは顔を上げる。

上目遣いで。

わずかに艶を帯びた笑みを浮かべて。


その仕草は、計算なのか、それとも自然に滲み出たものなのか、もはや判別がつかない。


ただひとつ言えるのは――

それはもう、“少年”のものではなかった。

ミアは、しばらく黙ってその姿を見つめていた。


かつて、無邪気に笑っていた少年。


血に濡れ、世界を渡り歩き、何かを背負って帰ってきた存在。


その両方が、今、目の前にいる。


やがて、ミアは小さく息をつき――

ゆっくりと、手を伸ばした。

黒いマントの留め具に、指先が触れる。


その瞬間。

布越しに伝わるのは、ほんのわずかな熱と――

言葉にできない“重さ”だった。

それでもミアは、何も言わずにそれを外す。


音もなく、するりと。

黒が、ほどける。


覆い隠されていたものが、静かに姿を現そうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ