第四十六話
夢の底へ沈みきる直前、その言葉が確かに届いた瞬間――
同時に、遠く離れた龍界の深奥では、ひとつの“ため息”が静かに落ちていた。
龍泉洞の最奥、竜骨の間にほど近い回廊。月光が細く差し込むその場所に、楼蘭は立っていた。黒曜の髪がわずかに揺れ、長い睫毛の影が頬に落ちる。その表情は――実に、絶妙に嫌そうだった。
「……はぁ」
吐き出された息は、呆れと、諦めと、ほんの少しの苛立ちが混ざり合ったものだった。
今しがた、自身の内を通して放たれた言霊の余韻が、まだ微かに残っている。魂の深いところを経由させられるあの感覚は、何度経験しても慣れるものではない。
そして何より――
「愛しているよ、か……」
ぽつりと呟く。
声音は軽いが、その奥にある感情は複雑だ。
今回の言霊は、月麗自身の力で放たれたものではない。回復途上のあの身では、そこまでの干渉はまだ不可能だった。だからこそ――
楼蘭の力を、借りた。
正確には、“通した”。
拒むことはできたはずだ。理屈の上では。
だが。
「……叔父上」
その呼び名を口にした瞬間、すべては無意味になる。
楼蘭は額に手を当て、軽く首を振った。
恨み言のひとつでも言ってやりたい。勝手に人の力を使って、しかも届ける内容があれだ。よりにもよって“あの娘”に向けて。
面白くない。
まったくもって、面白くない。
けれど。
「……はぁ、ほんとに」
もう一度、息を吐く。
長く、深く。
「拒否する選択肢、ないんだよなぁ……」
苦笑にも似た声だった。
楼蘭にとって、月麗はただの前王ではない。敬愛であり、信仰に近い存在であり、そして何より――自分がこの座にいる理由そのものだ。
その“叔父上”が、あの状態でなお望んだこと。
それを拒むなど、最初から選択肢に入っていない。
たとえそれが、自分にとって不愉快であろうとも。
たとえそれが、あの白い魔女との距離を縮める行為であろうとも。
楼蘭はゆっくりと歩き出し、竜骨の間の入口へと視線を向けた。その奥には、まだ完全には癒えていない王が眠っている。
そして、その王が想いを寄せる少女の姿が、脳裏に浮かぶ。
白いフードの奥の、あの瞳。
何もかもを見透かすようでいて、どこか底知れないものを孕んだ眼差し。
「……厄介なのに目をつけられたな、僕も」
くすり、と小さく笑う。
先ほどまでの嫌そうな顔は、もうない。
代わりに浮かんでいるのは――どこか愉しげな、そして少しだけ危うい笑みだった。
「まぁいいさ」
肩をすくめる。
「許嫁殿、だっけ?」
わざとらしく言葉をなぞる。
「君がどう動くのか――見せてもらおうじゃないか」
月光が、彼の横顔を照らす。
その瞳には、確かな興味と、わずかな独占欲が宿っていた。
龍王として。
そして一人の存在として。
彼もまた、静かに“物語の中心”へと足を踏み入れていくのだった。




