第四十五話
眠りは、落ちるというよりも沈んでいくものだった。
柔らかな暗闇が、静かに、ゆっくりとミアの意識を包み込んでいく。庵の寝台は質素で、けれど不思議と心地よく、張り詰めていた神経がほどけていくのが分かる。身体の奥に残っていた疲労が、ようやく許されたように重く沈んでいく。
――そのときだった。
ふいに、音がした。
ポロロロン、と。
遠く、けれど確かに耳に届く弦の響き。柔らかく、どこか懐かしい音色。それは現実の音ではない。夢の中にだけ存在する、記憶と魂の境界に触れるような音だった。
ミアの意識が、わずかに揺れる。
そして――言葉が届く。
声ではない。響きでもない。
それは、もっと直接的なもの。
魂に触れる“言霊”。
「――愛しい君へ」
その一節だけで、誰のものか分かった。
胸の奥が、きゅう、と締め付けられる。
「どんな形であろうと、僕は君とともにあることを望むよ」
優しく、静かで、そしてどこまでも真っ直ぐな想いが流れ込んでくる。
あの竜骨の間で見た、涙に濡れた瞳。
骨ばった手で、それでも必死に引き寄せようとした温もり。
それらすべてが、この言葉の中にあった。
「起こしに来てくれて、ありがとう」
感謝。
それは、王としてではなく。
ただ一人の存在としての、言葉。
「――愛しているよ」
最後の一言は、あまりにも穏やかで。
あまりにも重くて。
あまりにも、変わらなかった。
ミアの胸の奥に、静かに染み込んでいく。
拒むことも、否定することもできない。
遠い昔に置いてきたはずの感情が、ほんのわずかに、揺らぐ。
だが――
それでも、今のミアはそのすべてを抱きしめることはしなかった。
ただ、受け取る。
受け取って、そのまま、そっと胸の奥へ沈める。
言葉が途切れる。
代わりに、リュートの音色だけが残る。
ポロン、と。
優しく、子守唄のように。
それは別れではない。
繋がりの証のように、静かに響き続ける。
ミアの意識は、その音に導かれるように、さらに深く沈んでいく。
思考はほどけ、記憶は遠のき、すべてがやわらかな闇に溶けていく。
ただひとつ――
胸の奥に残った温もりだけを抱いたまま。
ミアは、深く、深く眠りへと落ちていった。




