第三十八話
張り詰めた空気は、今にも音を立てて裂けそうだった。
龍骨に満ちる霊気がざわめき、金と朱の装飾がわずかに軋む。千年の時を越えて再会した想いと、現王としての矜持とが、目に見えぬところでぶつかり合っている。
その中心に――ミアは立っていた。
楼蘭の腕に引き寄せられたまま。
月麗の視線を正面から受けながら。
そして。
静かに、口を開いた。
「……勘違いなさらないでくださいませ、楼蘭さま」
声音は柔らかい。
だが、その芯は驚くほど硬い。
楼蘭の腕が、ほんのわずかに強まる。
その言葉が、自分に向けられていると理解したからだ。
ミアは、構わず続ける。
「わたしは――月麗さまの“心の病”を治しに来ただけでございます」
言い切る。
その言葉は、刃のように鋭かった。
恋でも、情でもない。
目的。
ただそれだけ。
月麗の瞳が、わずかに揺れる。
だがミアは、視線を逸らさない。
「何やら、わけの分からない構図になりかけておりますので」
ほんの少しだけ、息をつく。
「ここで、釘を刺させていただきます」
その言葉に、場の温度が一段下がった。
楼蘭の口元に浮かんでいた笑みが、わずかに歪む。
ミアは、さらに一歩踏み込む。
「それに――」
白い袖が、静かに揺れる。
「この契約は、はるか先の未来に履行されるもの」
淡々と。
事実だけを述べるように。
「今のわたしたちに、それ以上の意味を持つものではございません」
断言。
楼蘭の瞳が、すっと細くなる。
愉快そうでもあり、不満そうでもある。
月麗は、何も言わない。
ただ、その一言一言を受け止めている。
ミアは、ゆっくりと視線を移した。
まず、楼蘭へ。
「選ぶ、選ばない――そういう問題ではございません」
次に、月麗へ。
「現龍王は、楼蘭さま」
そして。
「月麗さまは――隠居の身」
その言葉は、優しさを含んでいるようでいて、容赦がない。
現実を、まっすぐに突きつける。
寝台の上の月麗の指が、わずかに動く。
だが、それ以上は何も起きない。
ミアは、深く一礼した。
「どうぞ」
声は、あくまで穏やかに。
「御身の回復に、務めてくださいませ」
それは、命令ではない。
願いでもない。
役割の提示だった。
龍王として。
そして、かつての存在として。
沈黙が落ちる。
長い、長い沈黙。
楼蘭が、ふっと笑った。
「……はは」
肩を震わせる。
「いや、参ったな」
腕の中のミアを見下ろす。
「こんなに綺麗に線を引かれるとは思わなかった」
その笑みは、どこか愉快そうで――同時に、ほんの少しだけ悔しそうだった。
月麗は、ゆっくりと目を閉じた。
そして、再び開く。
その瞳には――先ほどまでの執着とは違う、静かな光が宿っていた。
「……変わらないな、君は」
かすれた声。
「どこまでも、残酷で――」
わずかに、口元が緩む。
「どこまでも、正しい」
否定はしない。抗いもしない。
ただ、受け入れる。
それが、彼なりの答えだった。
ミアは、何も言わない。
ただ、静かにそこに立っていた。
白き魔女として。そして――“境界を引く者”として。




