第三十二話
庵の奥は、外の静けさとは別種の“清浄”に満ちていた。
水の音が、絶えず響いている。
湯に浸かるための風呂ではない。それは――禊。
ミアは、衣をほどいた。
白い布が床に落ちる音すら、どこか神聖に感じられる。
水をすくう。
頭から、静かにかぶる。
さらり、と真珠色の髪が濡れる。
一本一本が細く、光を含んだその髪は、水を受けてなお美しかった。
指を通す。丁寧に。
絡まりを解き、汚れを落とし、余計な気配を流していく。
体もまた、同じように。
ただ洗うのではない。
清める。
ダンジョンの気配。魔物の血の匂い。戦いの残滓。
それらすべてを、ここで断ち切る。
龍は、敏い。
特に“匂い”に関しては、誤魔化しが効かない。
そして何より――
これは、礼義だった。
これから会う存在への。やがて、水音が止む。
ミアは、ゆっくりと立ち上がった。
柔らかな布で水気を拭い、鏡の前に座る。
櫛を取る。
梳く。ゆっくりと。何度も。
真珠色の髪が、さらさらと流れる。
光を受けて、淡く輝く。
整える。乱れをなくす。
“あるべき姿”へと戻す。
やがて、櫛を置く。衣を手に取る。
白。
だが、いつものそれとは違う。
わずかに織りが細かく、布の質が良い。
光を受けたときの反射が、ほんの少しだけ柔らかい。
それを、静かに身に纏う。
白は、彼女の貴色。
白き魔女としての、象徴。
汚れを許さず、曖昧さを許さず。
すべてを受け入れ、すべてを映す色。
それを纏うということは――
役目を背負うということ。
ミアは、最後にフードを被った。
目深に。その瞳を、完全に隠すように。
静かに、息を吸う。そして、吐く。
準備は、整った。
向かう先は――龍界の深部。
常の者では辿り着けぬ領域。
理と気が渦巻く、異質の世界。
だが、その前に。ミアは、わずかに視線を落とした。
思い浮かべる。あの存在。
「……会っておかないとね」
小さく、呟く。
それは、義務か。それとも、別の何かか。
誰にも分からない。
ただひとつ確かなのは――
これからの行き先が、ただの“届け物”では終わらないということ。
白き魔女は、静かに歩き出す。
夜は深く。
月は、すべてを見下ろしていた。




