第二十九話
ダンジョンボスを倒した後の“仕事”は、決して軽くはない。むしろ、ここからが冒険者としての腕の見せ所でもある。
マンティコアの骸から、ニチカは無駄のない手つきで核を探り当てた。
胸部の奥、硬質な骨に守られた中心。
刃を滑り込ませ、抉り出す。
現れたのは――赤子の頭ほどもある、巨大な魔石。
濁りのない深い輝き。
脈動するような魔力の気配。
(……上物だな)
素直にそう思う。
市場に出せば、とんでもない値がつく。
それこそ、一つで小国の財政を揺るがすほどの価値。
だが。
「いや、いらない」
ニチカは、あっさりと首を振った。
「持って帰れって!」
ナギが即座に食い下がる。
「そうだよ、ニチカが倒したんだもん!」
ミアも、当然のように言う。
「いやいやいや」
珍しく、ニチカが本気で拒否する。
「これ持って帰ったら説明が面倒なんだけど」
事実だった。
これほどの魔石、出所を誤魔化すなど不可能に近い。
祖父――シレンに見せれば、一瞬で全て見抜かれる。
(絶対面倒なことになる)
確信があった。だが。
「いいから持ってけって!」
「持ってって!」
二人がかり。押しが強い。
ニチカは、数秒だけ抵抗した。だが――
「……はぁ」
諦めた。
「わかったよ……」
こうして。
彼の腕の中には、不釣り合いなほど巨大な魔石が収まることになった。
(……おじい様、なんて言うかな)
珍しく、本気で頭を抱えたくなる。
そんな彼をよそに。
「次はこっちだよ!」
ミアは、すでに次の目的へと意識を向けていた。
スノードロップ。
最深部の奥、さらに進んだ先。
そこは戦いの場とは打って変わって、ひどく静かな空間だった。
ひっそりと。だが確かに。咲いていた。
淡い桃色の花。
月光を受けて、ほんのりと光を帯びている。
群生。ひとつやふたつではない。
「……これ、か」
ナギが小さく呟く。
見た目は可憐だ。だが、その扱いは極めて繊細。
少しでも雑に触れれば、すぐに枯れる。
「根ごと、だよね」
ミアがしゃがみ込む。
慎重に。本当に慎重に。
土を崩し、根を傷つけないように掘り起こす。
その手つきは、遊ぶ時とは別人のように繊細だった。
ニチカは、その様子を静かに見ていた。
(こういうことか)
彼女が、なぜここまでして来たのか。
その意味が、少しだけわかる気がした。
やがて、採取は終わる。
帰路。
再び、あのゴブリンの集落を通る。
だが――
空気が、まるで違った。
ざわめき。だが、それは警戒ではない。
歓声。
ゴブリンたちが、三人を見つけた瞬間――歓喜した。
声を上げ、手を叩き、飛び跳ねる。
ナギが目を丸くする。
「え、なにこれ……」
ミアが、くすりと笑う。
どうやら、マンティコアの断末魔はここまで届いていたらしい。
あの存在に、人身御供を差し出すことで均衡を保っていた彼らにとって――
それは、支配の終わりを意味する。
解放。
ゴブリンたちは、口々に何かを叫ぶ。
その言葉は荒く、だがはっきりとした感情を持っている。
ミアが、同じ言葉で応じる。短く、やわらかく。
何度も、何度も。
同じ単語が繰り返される。
ナギが、小声で言う。
「……これ、たぶん“ありがとう”だよな」
ニチカも頷く。
「だろうな」
覚える気はなかった。だが、自然と頭に入ってくる。
“ありがとう”。
その意味だけは、言葉を超えて伝わる。
ダンジョンを抜ける。
外の空気。夜の匂い。
見上げれば、月が昇り始めていた。
静かな光。戦いの熱を、ゆっくりと冷ましていく。
ミアが、くるりと振り返る。
「じゃあ、帰ろっか」
いつもの調子。
足元に、魔法陣が展開される。
光が、三人を包む。
ニチカは、腕の中の魔石を見下ろした。
(……ほんと、なんて説明しようか)
小さく息を吐く。
だが、その顔には――わずかな笑みが浮かんでいた。
次の瞬間、光が弾け、三人の姿は消えた。
残されたのは、静かな夜と、昇りゆく月だけだった。




