第二十四話
ダンジョンの深層に足を踏み入れて、しばらく。
それまでの静寂が、ふと変質した。
気配がある。
それもひとつやふたつではない。無数に、ざわめくように、こちらを窺っている。
ナギが舌打ちをした。
「……来るぞ」
次の瞬間――
影が、現れた。ひとつ、ふたつではない。
壁の陰、柱の裏、崩れた石の隙間。
四方から、じわじわと滲み出るように姿を現す。
緑の肌。低い背丈。濁った眼。
ゴブリン。
だが、その数が異常だった。
十や二十では利かない。
ざっと見ただけでも、一個大隊規模。
通路を埋め尽くすほどの数が、こちらを取り囲む。
ニチカは、瞬時に理解した。
(……なるほど)
ナギの言葉が裏付けられる。この先に、集落がある。
単なる徘徊個体ではない。組織化された群れ。
縄張りを持ち、侵入者を排除する意思を持つ集団。
(そりゃ、打ち捨てられる)
数が、暴力になる典型例だ。
いくら個体が弱くとも、この規模になれば話は別。
ニチカは、ゆっくりと前に出た。
足音は最小限。
だが、その存在感はむしろ強まる。
両手に、ショートソード。
構えを取る。空気が、変わる。
彼を中心に、見えない“圧”が広がる。
領域。
踏み込めば、斬られる。
そう理解させる、無言の宣言。
数など、関係ない。そう言わんばかりに。
ゴブリンたちがざわめく。
低い唸り声。だが、すぐには飛びかかってこない。
警戒している。目の前の“異質”を、本能で察している。そのとき。
「――待って」
ミアの声。ニチカの肩が、わずかに止まる。
振り返るまでもない。
その声が、ただの制止ではないとわかる。
ミアは、一歩前に出た。
白いフードの奥で、その表情は見えない。
だが、動きに迷いはない。片手を、そっと上げる。
止まれ。
言葉ではなく、意志で示す合図。
ニチカは、剣を構えたまま動きを止めた。
ナギも、舌打ちしながら一歩引く。
ゴブリンたちが、さらにざわつく。
理解できない。なぜ攻めてこないのか。なぜ、止まるのか。
そして――ミアが、口を開いた。
紡がれたのは――ゴブリンの言葉。
粗く、喉を鳴らすような発音。だが、その構造は正確だった。意味が、明確に乗っている。
ゴブリンたちの動きが止まる。理解した。
“通じた”。
「君たちに害なすつもりは無い」
低く、だがはっきりと。
「私達は、このダンジョンの最奥に用があるだけ」
ざわめきが、変わる。警戒から、困惑へ。
「出来ることなら――」
ミアは、ほんのわずかに間を置いた。
「争うことなく、通らせて欲しい」
静かに言い切る。沈黙が落ちる。
ゴブリンたちは、互いに顔を見合わせる。低く唸り、短い言葉を交わす。明らかに、“相談”している。
侵略者ではない?
だが、武器は持っている。
強い個体もいる。危険だ。だが――話が通じる。
ニチカは、その様子を見ていた。
(……面白い)
普通なら、即座に戦闘になる。
数で押し潰すか、こちらが斬り伏せるか。
それしかないはずの状況。
だが、違う。
ミアは、“別の道”を選んだ。
そして――それが、成立している。
ナギが小声で呟く。
「……マジかよ」
信じられない、という顔。
だが、目の前で起きているのは事実だ。
やがて――ゴブリンの中から、一体が前に出てきた。他より少し大きい。傷も多い。
明らかに、群れの中核。
リーダー格。
その個体が、ミアをじっと見下ろす。
そして――低く、言葉を返した。
ゴブリンの言葉で。
その意味を、ニチカは理解できない。
だが、空気でわかる。
問いかけだ。
お前たちは何者か。
なぜ奥へ行く。
信用できるのか。
ミアは、迷わない。
すぐに、答える。その声は、変わらず穏やかだった。




