第四十六話
祭壇の奥には、巨大な翼を象った浮彫が据えられていた。
白銀に磨き上げられたそれは、神々しさを演出するように光を反射している。翼の中央には宝珠が埋め込まれ、淡い青白い輝きを放っていた。
脈動のように、ゆっくりと。
ミアはその光景を静かに見上げる。
――風が、閉じ込められている。
そんな感覚があった。
自然に吹き抜ける流れではない。循環し、濾過され、均され、定義された風。
ここでは風すら秩序として管理されている。
司祭は祭壇の前まで進むと、ゆっくり振り返った。
「この街は古くから風の恩恵を受けてきました。しかし、恩恵とは常に危うさを伴うものでもあります」
静かな声音が、広い神殿に反響する。
「風は気まぐれだ。時に恵みを与え、時に災厄をもたらす。だからこそ、人は祈り、導きを求めるのですよ」
ミアは黙って聞いている。
否定も肯定もしない。
司祭は続けた。
「制御されぬ奇跡は、人を惑わせます。無垢な信仰ほど危ういものはない」
その視線が、ローブ越しにミアへ向く。
柔らかい。
だが、その奥にあるものは冷静だ。
観察している。
昨日から街で起きた変化。人々の熱狂。精霊の応答。
その中心にいる少女を。
ミアはようやく口を開いた。
「……だから、風を閉じ込めたんですか?」
その一言で、神殿の空気がわずかに止まる。
司祭はすぐには答えなかった。
代わりに、祭壇へ視線を向ける。
「閉じ込める、とは少々語弊がありますな」
ゆったりとした口調。
「正しく循環させているのですよ。この街が安定して在るために」
ユエリーの視線が、宝珠へ向く。
淡く発光するそれの内部に――何かがいる。
正確には、いる気配。
薄く引き延ばされ、均され、意思まで削られているかのような風。
龍の感覚が、本能的な嫌悪を訴える。
ミアもまた、それを理解した。
だからこそ表情を変えない。
ここで感情を動かせば、相手に答えを与える。
司祭は静かに歩み寄る。
「昨日から、街の風が不安定になっております。貴女の歌が原因だとは申しません。しかし……影響はあるのでしょうな」
責めてはいない。
だが、責任の所在を確認している。
ミアは少しだけ首を傾げた。
「風が喜んでいるだけかもしれませんよ?」
その瞬間。
宝珠の光が、わずかに揺れた。
ほんの一瞬。
だが確かに。
司祭の目が細まる。
そして初めて、その笑みの奥にあるものが覗いた。
警戒。
ミアは見逃さない。
――やっぱり。
ここには、生きた風がいる。
閉じ込められ、削られ、整えられて。
それでもまだ、応えようとしている。
神殿の高窓から差し込む光が、白い床を照らす。
静寂の中。
誰にも聞こえないほど微かな音で――
祭壇の奥から、風が鳴いた。




